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星
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「どう? ピアノは」
六月に入ってから、俺は毎週日曜日に桜井さんに会いに来るようになっていた。今は七月の中旬だから、もう一ヶ月半ほどになる。
「相変わらずです」
未だに俺は「自分らしさ」というものが何なのかが分からない。譜面を忠実になぞった演奏から抜け出せないでいる。
「……もしかしたら、君はそれでいいのかもしれない」
ファインダーを覗いていた瞳が、俺の方に向けられる。
「つまり――譜面を忠実になぞった演奏のままでいいのかもしれない。それでも君は二位や三位を獲ることができている。それってつまり、君のやり方で十分戦えているということじゃないかな」
……その考え方はなかったな。
「私の場合だと、入賞すらできなくなっていた。これまでにない自分を見つけるのを余儀なくされていた。……だけど、君は違う」
彼女の瞳は、ファインダーの中へ向けられる。
「……二位や三位ではダメなんです。俺は誰にも負けたくないんです」
彼女の瞳はファインダーに向けられたままだ。
「どうして?」
彼女の息は白くない。もう夏であることを改めて実感する。
「……悔しいからです。毎日コンクールのために練習して、練習して、練習して。こんなにも多くの時間を費やしているのに、誰かに負けるだなんて。そんなの耐えられない」
手のひらに爪が食い込むほどに、強く手を握り締める。
「君が真摯にピアノに向き合っている証拠だね」
ファインダーから顔を離すと、彼女は俺がファインダーを覗くようにジェスチャーをした。
ファインダーを覗き込む。
そこには、光り輝く一つの星が見えていた。
「これは、なんていう星なんですか」
星は青白く輝いている。
「さあ、分からない。だけど、精一杯輝いているのは確かだ。君と同じように」
俺はファインダーを覗き続ける。
「さあ、ファインダーから顔を離してみて。君の瞳には何が映る?」
ファインダーから自分の顔を離していく。光の世界の住人のように時間がゆっくりと流れていく。
その先には、星々があった。いくつもの、たくさんの、数えきれないほどの星が輝いていた。
「……星」
誰が発した言葉だったのだろうか。俺か、彼女か。もしくは、誰でもないのかもしれない。
「あの星々は、君たち音楽家だよ。君たちは一生懸命に光り輝いている、生きている、ピアノを弾いている。毎日、毎日。だけど、輝き方はそれぞれだ。青白く輝く星もあれば、赤く輝く星もある。他と比べて明るく輝く星もあるが、暗い星だってある。……だけど、精一杯光り輝いている。自分なりに、自分らしく、生きようとしている。君たち音楽家は、星として生まれた種族だ」
それは――とても美しい表現だと俺は思った。
なんてね! そう言う彼女の頬はリンゴみたいに赤く美しく染まっていた。
「……光り輝こうとしているのは君だけじゃない。そのことだけは忘れないで。きっと君の支えになってくれると思うから」
さあて、今日もいい星が見えたし、帰ろう帰ろう。
彼女は望遠鏡を片付け始める。
俺はそんな彼女を瞳に映していた。
六月に入ってから、俺は毎週日曜日に桜井さんに会いに来るようになっていた。今は七月の中旬だから、もう一ヶ月半ほどになる。
「相変わらずです」
未だに俺は「自分らしさ」というものが何なのかが分からない。譜面を忠実になぞった演奏から抜け出せないでいる。
「……もしかしたら、君はそれでいいのかもしれない」
ファインダーを覗いていた瞳が、俺の方に向けられる。
「つまり――譜面を忠実になぞった演奏のままでいいのかもしれない。それでも君は二位や三位を獲ることができている。それってつまり、君のやり方で十分戦えているということじゃないかな」
……その考え方はなかったな。
「私の場合だと、入賞すらできなくなっていた。これまでにない自分を見つけるのを余儀なくされていた。……だけど、君は違う」
彼女の瞳は、ファインダーの中へ向けられる。
「……二位や三位ではダメなんです。俺は誰にも負けたくないんです」
彼女の瞳はファインダーに向けられたままだ。
「どうして?」
彼女の息は白くない。もう夏であることを改めて実感する。
「……悔しいからです。毎日コンクールのために練習して、練習して、練習して。こんなにも多くの時間を費やしているのに、誰かに負けるだなんて。そんなの耐えられない」
手のひらに爪が食い込むほどに、強く手を握り締める。
「君が真摯にピアノに向き合っている証拠だね」
ファインダーから顔を離すと、彼女は俺がファインダーを覗くようにジェスチャーをした。
ファインダーを覗き込む。
そこには、光り輝く一つの星が見えていた。
「これは、なんていう星なんですか」
星は青白く輝いている。
「さあ、分からない。だけど、精一杯輝いているのは確かだ。君と同じように」
俺はファインダーを覗き続ける。
「さあ、ファインダーから顔を離してみて。君の瞳には何が映る?」
ファインダーから自分の顔を離していく。光の世界の住人のように時間がゆっくりと流れていく。
その先には、星々があった。いくつもの、たくさんの、数えきれないほどの星が輝いていた。
「……星」
誰が発した言葉だったのだろうか。俺か、彼女か。もしくは、誰でもないのかもしれない。
「あの星々は、君たち音楽家だよ。君たちは一生懸命に光り輝いている、生きている、ピアノを弾いている。毎日、毎日。だけど、輝き方はそれぞれだ。青白く輝く星もあれば、赤く輝く星もある。他と比べて明るく輝く星もあるが、暗い星だってある。……だけど、精一杯光り輝いている。自分なりに、自分らしく、生きようとしている。君たち音楽家は、星として生まれた種族だ」
それは――とても美しい表現だと俺は思った。
なんてね! そう言う彼女の頬はリンゴみたいに赤く美しく染まっていた。
「……光り輝こうとしているのは君だけじゃない。そのことだけは忘れないで。きっと君の支えになってくれると思うから」
さあて、今日もいい星が見えたし、帰ろう帰ろう。
彼女は望遠鏡を片付け始める。
俺はそんな彼女を瞳に映していた。
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