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第2章「秋」

6.はね雲ファースト・フライト(1)

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 秋晴れのさわやかな土曜日。空は清々しい青色に澄みわたっていた。校庭の木々も色づき始め、まさに秋真っ盛り。私は屋上に立ち、朝の心地よい風に吹かれていた。

 模擬店や展示の準備で賑わう校舎の喧騒とは対照的に、ここだけはまるで時が止まったかのような静けさに包まれている。高校生活最後の文化祭。それは、天文部にとっても最後の文化祭になるのだ。

「よし、気合い入れるぞ!」

 両手で頬を2回叩き、意を決して天文ドームに向かおうとした。その時だ。錆びついた階段室の扉が、キィィと軋む音を立てて開いた。

「おはよ、澪! 今日は晴れて良かったね」

 陽やかな声が、屋上に響き渡る。

「あ、陽菜、おはよう!」

 二人でフェンスに並んで、澄んだ秋の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
 見上げれば、濃紺の空に筆で引いたような細く白い雲が、絵具で描いたみたいに浮かんでいる。際限なく広がるその光景に、空の高さを実感させられる。なんとも言えない、秋らしい景色だ。

「ねえ、気球は何時から上げるの?」

 と陽菜。

「1時!」

 気球の事を考えると、もう少し風は凪いでほしいところだ。

「そっちは? 毎年恒例の」
「ーーペットボトルロケット打ち上げ大会! 野球場で11時から」

 理科部のイベントは、圧縮空気で水を押し出す反動を利用した自作ロケットの飛距離を競うもの。ボトルの形や発射角度を工夫する物理班と、独自の発泡剤で圧力を上げる化学班の対決は、見ていて飽きない。毎年結構人気なんだよね。

「部員みんなで準備してるところだね」

 視線を向けた先、野球場の中央まで給水用のホースが伸ばされ、発射台のセッティングが進められていた。15人以上の部員たちが協力し合い、和気あいあいと作業する姿が微笑ましい。飛距離測定用のライン引きをする生徒、ふざけてホースで水を掛け合う男子……。本番さながらの熱気が、心地よく伝わってくる。

 9時半、いよいよ文化祭がスタート。あっという間に校内は来場者で溢れ返った。天文ドームのある屋上にも、早速お客さんが上がってくる。「誰も来なかったら寂しすぎるから」と念のため声をかけておいたクラスメイトも、ちゃんと来てくれた。

「みんな、わざわざ来てくれてありがとう。私、クラスの模擬店の手伝いもろくにできなくてさ、本当ごめんね」

 天文部の準備で精一杯で、お礼参りもできずじまいだったのだ。

「全然気にしてないから大丈夫! 天文部、澪1人だもんね。準備大変だったでしょ?」
「ありがとう! ねえ、折角だし望遠鏡覗いてみない?」
「えっ、昼間でも星とか見えるもんなの?」
「もちろん! ほら、順番に覗いてみて。ごめんね、ちょっと狭くて」

 陽菜や大地以外の人が天文ドームに来るのは久しぶりのこと。望遠鏡の横に立ちながら、「今見えているのは、反対の季節の星座なんだよ」と、ちょっと自慢げに解説してあげる。

 秋の昼下がりだというのに、望遠鏡が捉えているのは春の星座たち。うしかい座の『アークトゥルス』に、乙女座の『スピカ』。備え付けの大きな望遠鏡の威力をもってすれば、太陽が高くにある真昼でも、一等星くらいなら難なく見つけられるのだ。オレンジ色に輝くアークトゥルスと、青白く瞬くスピカ。色合いも正反対のこの2つの星は、天文ファンの間で「春の夫婦星」という愛称で親しまれている。

「実は、アークトゥルスは1秒間に125キロもの速さでスピカに近づいているんだ。まるで猛烈アタックしてるみたいでしょ?」
「うそー、それってすごい速度じゃん!」
「今はまだ離ればなれの夫婦星だけど、約6万年後にはすぐ隣り合って輝くことになるんだって。めでたしめでたし」

 周到に用意しておいた豆知識が、ウケを狙った通りの効果を上げた。

「おー、ここがぼっち天文部の聖地かー」

 クラスの男子グループが冗談交じりに話しかけてきた。でもきっと本当は、珍しい天文ドームを見たくてやってきたのだ。彼らにも笑顔で、天文部の展示を最初から説明し直す。

 次に現れたのは、小学生の来場者。見知らぬ子供たちだから、誰かのきょうだいだろうか。聞けば、なんと下の階の理科部で「屋上に天文ドームがあるから、そっちに行ってみなよ」と説明されたらしい。あぁ、あの人の仕業ね……すぐに犯人が分かった。

 あっという間に、天文ドームの前は長蛇の列。当初は「せいぜい10人に1人くらいかな」と高をくくっていた友人たちの動員も、予想を大きく上回る盛況ぶりだ。高校生だけでなく、この高校への進学を考えている中学生らしき姿も。

「ど、どうしよう…… こんなに人が来るなんて」

 ひとりぼっち天文部員なんていう不名誉な称号のせいか、思いのほか天文部が来年で廃部になるという噂は学校中に広まっているようだった。

(まいったなあ……想定外だよ、こりゃ)

 ある程度の準備はしてきたつもりだったが、正直なところ、私の中では「当日の来場者とその場のノリでなんとかなるでしょ」程度の認識だった。せいぜい、ドームでまったりと星の話でもしつつ、お客さんをもてなすくらいのイメージ。

 それどころか、もし時間が余ったら先生にバトンタッチして、結ちゃんのクラスの演劇発表を見に行こうかとも目論んでいた。だから、こんな予想外の大盛況ぶりには、頭が真っ白だ。
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