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第3章「冬」

8.凍雲リグレット(2)

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 気がつくと、私は放課後の教室にいた。見慣れない光景に、思わず目を擦った。

「どうして、ここに?」

 記憶をたどろうとするも、頭はもやがかかったみたい。体が宙に浮いているような、不思議な感覚に襲われる。
 ただ一つ確かなのは、ここが見知らぬ場所だということだけ。
 学校の建物は間違いなく、私の通う高校だ。窓の外に広がる校庭の光景にも、見覚えがある。でも、制服を着ているのに、教室で騒ぐ男子も、廊下ですれ違う後輩の女の子も、全員見知らぬ顔ぶれ。

「おかしいな。いつもこの時間になると、陽菜が声をかけてくるはずなのに……」

 そう思ったが、親友の姿は今日に限って見当たらない。
 私は教室にいた女の子に声をかけた。

「ねえ、今日って水曜日だよね?」

 返事はない。

「陽菜を見なかった?」

 しかし彼女は素通りしていく。
 廊下を歩きながら、何人もの生徒に話しかけてみる。だが誰一人として、私に反応しない。まるで存在に気づいていないかのように、皆素通りしていく。肩をたたいて呼び止めようとしても、無視されるばかり。

「誰か……」

 まるで幽霊になってしまったみたい。私の声に耳を傾けてくれる人は、誰もいない。孤独感に苛まれ、理科室へと急ぐ。

(ここなら、私の存在を認めてくれる人がいるはず……)

 そんな希望を胸に、足早に歩いた。
 ドアを開ける手が震える。中に見えたのは、実験台で黙々と作業する1人の女子生徒の後ろ姿だった。

「澪、やっと来てくれたね」

 振り向いた少女が微笑むと、私の足は竦んだ。
 そこにいたのはーー制服に身を包んだ、亡くなったはずの姉の姿だった。

「お化け……!?」

 驚きはしたけれど、恐怖よりも、なぜか懐かしさのような感情が湧き上がってくる。

「ど、どういうこと……?」

 少女は「ふふっ」と微笑むだけで、何も答えない。不思議な雰囲気に包まれながらも、私は思わず彼女の顔をまじまじと見つめていた。

 丸みのある輪郭に広い額。大きくて澄んだ瞳。記憶の中のお姉ちゃんよりも、幼く感じられる。もっとずっと大人っぽい印象をもっていたのは、自分が小学生だったからかもしれなかった。

「お姉ちゃん……なの?」

 呼びかけると彼女は少しうつむきながら、不安げな眼差しで私を見つめ返した。彼女を今すぐ抱きしめて、この不思議な再会を喜ぼうなんて気持ちには、どうしてもならなかった。

「何ここ? えっ? もしかして私、天国にでも来たのっ?」

 頭がおかしくなりそう――。吐き気がして、トイレに駆け込んだ。お姉ちゃんはアハハと楽しそうな声を廊下に響かせて、私の後をついてきた。
 鏡に映る自分の顔を見つめる。
 いつも通りの自分の顔が、なんだかやけにお姉ちゃんと似ている気がする。

(なんだ、わたしたち、似てるのか)

 私とお姉ちゃんがよく似てるって先生にも言われたことがあったのをふと思い出す。
 頬を両手でパンと叩いて廊下に飛び出した。近づいてくるお姉ちゃんには目もくれず、一心不乱に廊下を駆け抜けた。すると彼女は音もなく宙に浮きあがり、私のすぐ横を通り過ぎていった。

 かと思うと、パッと視界から姿を消し、今度は天井から逆さまになってニョキッと顔を出した。

「ねえねえ、せっかく来たんだし、ちょっとは付き合ってよ」

 お姉ちゃんは「ひひっ」と不敵に笑う。

「やっぱ、お化けなの? やりたい放題じゃん」

 私は呆れつつ、恐ろしさを感じずにはいられない。

「ひいいっ!」

 悲鳴を上げて逃げ出そうとすると、彼女はパパパッと音を立てながら、あっという間に私の目の前に現れてはへへへと笑った。

(も、もう! 諦め、わるっ!)

 そう心の中で叫びながら、何度も無視すると、今度はどこから持ってきたのか自転車に跨り、隣に並走してきた。ケラケラと高笑いしながら、まるで物理法則を無視して走り回る。だがその拍子に、曲がり角に落ちていたモップに前輪を取られ、盛大に転倒してしまった。

「ちょ、ちょっと、お姉ちゃん? 大丈夫!?」

 思わず私が駆け寄り、手を差し伸べてしまった。お姉ちゃんは「てへへ」とピンク色の舌を出して照れ笑いを浮かべた。

「サンキュ」

 その仕草に、見覚えがあった。こんなドジな人、どこかにいたようなーー。胸の奥がさっきからずっとざわついていて、収まらない。
 執拗な追跡から逃れるうち、いつの間にか私たちは屋上に辿り着いていた。

「もう、なんなの。勘弁して……。夢なら、覚めてよ……」

 この悪夢のような世界から抜け出して、一刻も早く元の世界に戻りたかった。思い切って、頬をつねってみるーー目の前にいる、お姉ちゃんの頬を

「いったーい! ちょっと澪! 何すんのよ!?」
「ああ、どうしよう。私……痛くないや」
「は?」

 姉が目を丸くする。

「やっぱり夢か。ああーさめろ、さめろ!」

 私は必死に頬をつねり続ける。

「痛い痛いって! ちょっとおお、澪!! 落ち着きなさいっ!」

 久々に聞いた、姉の優しい怒鳴り声。

「もう、しっかりしてよね」

 そう言って差し出された手と、優しい微笑みに、私はようやく我に返った。

「お姉ちゃん……?」

 私の心に、尋ねたいことが溢れ出す。気球のこと、羽合先生のこと。教えてあげたいこともたくさんあった。

「澪、ここは夢みたいだけど、夢じゃないの」
「どういうこと……? よくわかんないよ」
「んー、言葉で説明するのは難しいけど……いわば、澪の中、みたいな場所かな」
「ますます意味不明……。だって、どうしてお姉ちゃんがいるの?」
「あはは、確かに不思議よね。まぁ、それはね。長い話なの。今度ゆっくり話すことにするよ……それより、ほら」

 そう言ってお姉ちゃんが手を伸ばすと、天文ドームの銀色に輝く壁に触れると、入口のドアが音もなく開いた。扉の向こうには、人影が。

「え……」

 その人物が振り返った瞬間、私の足は凍りついたように動けなくなってしまった。そこにいたのは──
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