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遊園地での賭け①
しおりを挟む「よ――し!」
あれから二週間。
す っかり体調も元通りになった私は、祐樹を連れ、剛の居る施設に向かう電車に揺られ、気合いを入れて拳を突き出すと、目の前に居たサラリーマンの顎に拳をヒットさせてしまった。
「いっ……」
顎を押さえて、非難の眼差しを向けてくるサラリーマンに私は平謝りで何度も頭を下げる。
「ご……ごめんなさい!本当にごめんなさい!」
「あなたねえ……
これだけ人が密集してて、そういう動きをしたらどうなるか、分からないんですか!?」
サラリーマンは顎を擦りながら睨んだ。
「そ……そうですよね……本当に……ごめんなさいっ」
周りの客たちが白い目で見ている中、私は泣きそうになりながら頭を下げる。
「お兄さん、大丈夫?」
隣に座っている祐樹が、男性に話しかけ、私はぎょっとした。
その男性は、どう見ても
"お兄さん"と呼ばれる様な年齢では無さそうだ。
(もし逆上して祐樹に何かしたら……)
私はハラハラした。
男性は怪訝な顔をしたが、先程に比べると表情が和らいだ様に見える。
祐樹は男性の顎に触れてそっと撫でた。
「痛いの、痛いの飛んで行け~!
痛いの痛いの飛んでけ~!」
「ゆ……祐樹」
私は唖然とするが、周りの乗客達は、その愛らしい仕草にクスクス笑いながら和んでいる。
男性も途端に目尻を緩ませて、しゃがんで祐樹の頭を撫でた。
「う―ん!
もう大丈夫、痛くないよ……ありがとな!」
「良かった~!」
祐樹は無邪気にコロコロ笑った。
――――――
「本当に申し訳ありませんでした!」
男性と降りる駅が一緒だったので、ホームでまた頭を下げる。
「いいんですよもう……
でも、気を付けましょうね?」
「は……はいいっ!」
穏やかに言われ、恐縮しながらまた頭を下げた。
「坊や、バイバイ」
「バイバイお兄さん~!」
祐樹は男性が見えなくなるまで手を振った。
思わず、身体中の力が抜けてホームのベンチにへたり込む。
「ああ……良かった……許してくれて……
祐樹、ありがとうね……」
「ママ、たまたまあのおじさんがフツウの人だから良かったけど怖い人だったらどうするの?
気をつけなきゃダメだよ~」
いつの間にか"お兄さん"が"おじさん"になっている。
六歳の祐樹にたしなめられ、私は小さくなった。
「うん……本当に、そうだよね……ママ、おバカさんだね」
情けなくて涙を滲ませていると、フワリと小さな掌が頬を包み、祐樹が頬にキスして来た。
「でも、ママに何もなくてよかった~!」
無邪気に笑う祐樹をギュッと抱き締めて頬ずりする。
可愛くて堪らないが、六歳児にしてこの振る舞いは、将来相当な女たらしになるのではないだろうか?
と、一抹の不安も過ってしまった。
「ママ、もう行かないとバスの時間だよ!」
祐樹に手を引っ張られバスに乗り込み施設近くの図書館前で下車する。
休みの度に施設巡りをしてきたが、祐樹には可哀想だったかも知れない。
祐樹は何も文句も言わず付いてきてくれるけど、今度の休みは好きな所に連れていってあげようかな、と考えていたら、祐樹がふと立ち止まり、振り向いた。
「ねえ、ママ、今度久しぶりに遊園地に行きたいな」
「ママもそれを言おうと思ってたの――!」
なんだか嬉しくなり、祐樹をギュウと抱き締めた。
お日様の匂いがする。
幸せにうっとりとしていたが、唐突にある考えが浮かぶ。
「ねえ祐樹?
遊園地……あのお兄さんも一緒でもいいかな?」
祐樹は目を輝かせた。
「うん!いいよ~!
お兄さんと行きたいな!」
「本当にいい?」
「いいよ~!だってボクのお兄さんになるんでしょ?」
「祐樹……!」
私は、また抱き締めてしまう。
腕の中でくすぐったがって笑う祐樹を愛しく思いながら、私は覚悟を決めていた。
――剛さんが今まで貰えなかった愛情を、祐樹に注ぐのと同じ位にあげよう。
家族同然になるのは無理でも……
剛さんの心からの笑顔が見たい――
――――――
「お久し振りですね、西本さん」
「は、はいっ!
ご無沙汰してしまい……申し訳ありません!」
応接間に祐樹と隣同士で座った私は、テーブルに頭がついてしまいそうな程に、園長に深くお辞儀をした。
祐樹も真似をして頭を下げる。
園長は目元を下げて笑った。
「ハハハ……
そんな、謝られる事などありませんよ?
ひょっとして体調でも崩されたのではないかと心配しておりましたが、お元気そうで良かった」
「はっ……はあっ、はい!」
私はますます恐縮してしまう。
「あ、あのう……
つ、つつ……」
「剛お兄さんはげんきです?」
私が口ごもっていると、横から祐樹がハキハキと言った。
園長は祐樹の頭を撫でる。
「うん。
元気にしてるよ……
剛お兄さんも、西本さんが来なくて気になっている様子でしたね」
園長は祐樹に優しく語りかけてから私を見た。
「えっ……それは本当ですか」
「まあ、多分ね。
私の勘ですけど」
食い付く私に、園長は人の悪い笑みを返す。
「勘……ですか……」
思わず脱力してテーブルに突っ伏すと、祐樹の小さな手が背中をさする。
「ママ~
げんき出して~!
遊園地サクセンがあるでしょ?」
「ゆうえ……作戦?」
「は、はい!
園長さんにお願いがありま――っあ――!」
首を傾げる園長に、私はテーブルに手を付いて頭を下げたが、勢いで額を強打して悲鳴を上げた。
「ママ!何やってるのも~!」
「に、西本さん……大丈夫ですか?」
園長が覗き込んで来るが、その声は笑いで震えている。
私は顔を臥せたまま、情けなくて動けなかった。
――何故こんなに自分は慌てん坊でそそっかしいのか……
先程の電車での出来事といい、恥ずかしくて泣きたくなった。
「――西本さん?」
「は、はい……」
私の返事は既に涙声だった。
顔を上げると、テーブルに涙がポツリと落ちる。
「ママ――!?」
祐樹が目を丸くする。
(ああ……祐樹の前で泣くなんて……
私は何て意気地が無いんだろう……)
「う、うん……大丈夫……何でもないからね?」
笑い顔を作るが、涙がぽろぽろと流れてくる。
祐樹が心配して見ている中で、私は園長に再び頭を下げた。
「剛さんを……外に連れ出す事は……
可能でしょうか」
「……え?」
「家族みたいに……一緒に出掛けてみたいんです……
いえ、本物の家族みたいになれなくても……
剛さんに、少しでも楽しくなって欲しい……
楽しんで貰えたら……嬉しいって……
も、もし……剛さんがっ」
この間の冷たい眼差しが過り、胸が苦しさに潰れそうになる。
「剛さんが……迷惑だっ……て、お、思うなら……仕方ありません……
もしそうなら私……
もう、此処へは……っ」
「……西本さん、外出の件なら構いませんよ?」
「本当ですか!?
……で、でも私、きっと剛さんに嫌われ……」
声を詰まらせ涙を飲む私の頭を祐樹が撫でた。
「ママ――、大丈夫だよ。ボクはママを大好きなんだから、剛お兄さんもママを好きになるよ」
「祐樹……」
「祐樹くん、園長先生とクッキー焼こうか!」
園長は祐樹の肩に手をポンと置く。
「焼きたい――!」
はしゃぐ祐樹の手を取ると、園長は笑みを浮かべてドアに手をかけた。
「祐樹くんをちょっとお借りしますが……
その間、西本さんの話し相手をここに連れてきますので、ちょっとお待ち下さいね」
「じゃあね、ママ――!」
「え……あの、園長さんっ?」
私は立ち上がるが、二人は出ていってしまった。
しんとした応接室の窓からは、施設の広いグラウンドが見えた。
子供達が、職員と共にドッジボールに興じて無邪気な笑い声をあげている。
此処にいる子供達は皆それぞれの過去を背負っている。
一人一人の笑顔を見ているとその影は伺えない。
剛も、あんな風に笑い声を立てて走り回る事があるのだろうか?
ピアノを弾く大人びた佇まいからは想像がつかない。
彼を幸せに、笑顔にしたいと思い、引き取る決心を改めてしたけれど、それは間違いなのだろうか……
ぼんやりと子供達が走り回るのを眺めていると、ドアがノックされた。
ビクリと身体を震わせて振り返ると、ドアが静かに開いた。
私はあんぐりと口を開いて固まってしまう。
入って来たのは、剛だった。
剛は盆に紅茶のカップを二つ載せて片手で器用に持ち、片手でドアを閉めた。
会わない間に少し背が伸びたのだろうか。
髪を少し切った様で、切れ長の瞳と形の良い眉がくっきりと見え、彼を尚大人っぽくさせていた。
彼は軽くお辞儀をしながらテーブルにカップを置き、微かに笑った。
「こんにちは」
「――!はっはいいっ!」
見とれる様にぼうっとしていた私は我に返り返事をするが、声が裏返り、恥ずかしさで真っ赤になる。
「……えっと……西本、さん」
剛は、笑いを噛み殺している。
(いけない……また私、テンパって……
大人なんだから、落ち着かなくちゃ)
私は目を閉じて深呼吸してから、剛をキッと睨む様に見た。
「に、西本さんて呼び方は固いわ!
もっと他の……」
「……じゃあ、菊野……さん」
剛は考えを巡らせる様に首を傾げ私の名前を口にするが、私は何故か身体じゅうボンと熱くなってしまった。
「な、なななななな」
分かりやすくどもる私に剛は笑い出す。
「僕に緊張してどうするんですか?……可笑しな人ですね」
(お、おかしな人!?)
頭をハンマーで殴られた様にショックだった。
落ち着いた大人として振る舞うのは自分には無理なのだろうか。
意気込んでいたのが嘘の様に、私は急激に凹んで俯いてしまった。
「……めます。熱い内に」
剛は、不思議な感覚に自分でも戸惑いながら、優しい声を出しカップを差し出した。
――何故だろう。
この間はこの人を傷付けてやろうと企んだ自分が、今は全く逆の感情を抱いている。
(逆の感情……
それは……何だ?)
剛の胸に大きな疑問符が浮かぶが、答えは出ない。
「は、はいっ!いただき……あっち!」
カップに口を付けて一気に飲もうとして、その熱さに私は悲鳴を上げる。
剛は目を丸くした。
「うう……舌……火傷しちゃった……」
涙目の私を見て、剛は我慢できない、という風に笑い始めた。
クスクス笑いは次第にお腹を抱えて身体を折り曲げてしまう程の盛大な爆笑に発展し、私はまたガーンと凹むが、初めて見た、彼の感情が解放されたかの様な笑顔に見とれ、いつしか涙を流していた。
剛はひとしきり笑い、私の涙に気付くと真顔になる。
「菊野さん……?
どう……されましたか」
「――えっ!?」
頬に触れ、初めて自分が泣いている事に気付き私は慌てた。
「ああ……どうしたんだろ私……っごめんなさい、今日はさっきから失敗ばかりでね……
涙腺も壊れてるみたいで……っ
だから、き、気にしないで……
うぐえええっ」
泣きながらも、どうにか明るく振る舞おうとするが最後には嗚咽が漏れてしまう。
それも、可愛らしい嗚咽ではなく、凄まじい泣き声になってしまい、私自身が自分の出した声にドン引きしてしまった。
剛も呆気に取られ固まって居たが、今まで見せた事の無いような柔らかい笑みを見せると、ハンカチを差し出して私の手に握らせた。
「――何故貴女が泣くのか、理由はわかりませんが……
泣きたい時には、心行くまで泣いた方がいい……らしいですよ」
「ふぇ……?」
私はグシャグシャの顔を歪ませて剛を見た。
「……て、園長先生が良く言う言葉です」
剛は遠い目をする。
――そうだ。
自分は幼い頃、思いきり笑ったり泣いたりした事がどの位あっただろうか。
泣いても、笑っても両親は自分に同調などしなかった。
それどころか、
『うるさいんだよ!』
と怒鳴って押し入れに追いやられたりした――
多分、自分はずっと、顔色を伺い、感情を殺して生きてきたのだろう。
そんな剛を園長は何もかも分かっているかの様に、時折そんな言葉を言ったのだ。
――思いきり笑い、怒って泣きなさい。
それが君には必要なんだよ――
「うぐっ……ぐえっ……じ、じゃあ……もっど、ないでもいいがじら?」
私は、剛からのハンカチを握り締めてしゃくりあげた。
「ええ、お好きに」
「だ、だぎやみだいげど……どまらなぐで……
ぐうえええっ……」
「……ぷっ」
(――いつも、この人は感情を剥き出しにしている。
俺には無い素直さが、妬ましかったのかも知れない……
だから、意地悪をしてしまったのかな……)
そんな事を考えながら剛が笑いを噛み殺しているとは知らず、私は咎める様に睨んだが、奇妙な泣き声を止められなくて、苦しくて身体が震える。
剛は背中をそっと擦ってくれた。
私は、自分がこんなに苦しんでいるのに可笑しそうに笑う彼を憎たらしく思いながら、背中に触れる手の感触に幸せを感じていた。
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