愛しては、ならない

ペコリーヌ☆パフェ

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檻の中の愛③

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三月の終わりの暖かな庭で、私はシーツのシワを伸ばして竿に掛け鼻唄を唄っていた。


人気女優が主演のドラマの主題歌を、うろ覚えで口ずさむ。


いわゆる歳の差恋愛がテーマで、ヒロインが大学生で、五十歳の男やもめの教授に恋し、様々な障害を乗り越えて愛を育み結ばれるというストーリーだ。


丁度昨日最終回で、私はまだラストシーンの余韻から醒めやらない。



はためくシーツの眩しさに見とれながら、剛が着ていた白のシャツと、出掛けにすれ違った時のシャボンの薫りを思い、鼻の奥がツンと痛む。


「……世界……の……を敵に……も……
あなた……を……てる……」


大サビの部分になると、感情が昂りしゃくり上げそうになり、瞼を指で押さえると途端に涙の粒が堕ちた。







惹かれあいながら、年齢差を気にしてヒロインを遠ざけようとする教授と、ひたむきに彼を愛する彼女の姿に、私は自分と剛を重ねて見ていた。



色んな事件や妨害、すれ違いを経て、二人が最終回で結ばれる結末では私はティッシュの箱を抱えて大泣きしたのだ。


隣で一緒に見ていた悟志は笑って私の頭を撫でてこう言った。



「年齢差が、まるで僕と菊野みたいだよね……
僕は、何の障害も無く菊野をお嫁さんに出来て幸せだったなあ……」



私が泣いているのは、ドラマのように都合よく収まらない剛と私の儘ならない関係を嘆いての事なのに、的外れな悟志に内心腹を立てていた。


だが、そんな自分を直ぐに恥じた。


――悟志さんは、何も悪くない。
毎日家族の為に一生懸命働いて、私の事も祐樹の事も大切にしてくれている。
剛さんを引き取る事を許してくれたのも、悟志さんの優しさなのに――









――好きです……――


耳元で囁かれた剛の低い声が、あの日から頭を離れない。


囁かれ、抱き締められ、気絶してしまい、目が醒めた時には、あれは夢の中の出来事だと思っていた――


なのに、彼は私に口付けて愛の言葉をくれた。

幾度も幾度も、夢に見たシーンが現実とは思えずに、私は夢見心地でいたが、彼にブラウスを引き裂かれた時に漸く我に返ったのだ。


私を見詰める剛の目は、今まで見たことが無い程に凶暴な光を帯びていて――つまり、男が女を欲しがる目をしていたのだ。


覆い被さられている時に当たる彼の身体の中心の猛りは、恐ろしい程に硬くて熱くて、自分が切り裂かれてしまうのではないかとさえ思った。



彼の荒い呼吸、情欲にぎらつく瞳、乳房を揉みしだいた指の感触を思うと、今でもゾクリとし、甘い疼きに襲われいてもたっても居られなくなる。







彼の口付け、抱き締める腕の力、身体を愛撫する長いしなやかな指、甘く低い声、彼の総てに私の何もかもを投げ出したくなる瞬間が幾度もあった。

彼に愛を囁かれる事を、夢見ていた。


私が彼に恋する事だけでもあり得ない事なのに、彼に愛されるなど、もっとあり得ないと、思っていた。


なのに、彼は真っ直ぐな、燃える瞳を私に向けて恋を告げた。


嬉しかった。


本当に嬉しいのに――



彼の胸に飛び込んで行ける訳がない。


剛は、もっと若い素敵な女の子と幸せになるべきなのだ。


(そう、あの清崎さんのような……)



咲きたてのピンクの薔薇を思わせる可憐な彼女の姿が過り、口の奥が苦くなる。



今日は、祐樹は花野と一緒に東京で行われる有名なピアニストのリサイタルへ出掛け、泊まる事になっていて、剛は清崎とデートらしい。



「……デート……か」


私の事を忘れ、他の子を好きになって貰わなくては困るのだし、喜ぶべき事なのに、嫉妬で身体じゅうが潰れそうに痛む。






春休みに入り、剛は毎日のように出掛けていたが、寂しいというより、何処か安堵する自分が居た。

彼は、この気持ちが錯覚でも構わない、と言って、私の身も心も蕩けさせ、大きな困惑を植え付けた。


夜、悟志が居る時には剛は私に近付いては来ないが、ふと、部屋に二人だけになる時には、妖しい光をその瞳に沈ませ、抱き締めようとするのだ。

私はその度に必死に逃げるが、時々つまづいて失敗し、彼に捕まってしまう。


彼は切なさと、欲情の混じる眼差しを向けてきて、口付けようとする。


その度に、つい身を委ねてしまいたくなるが、私は心を鬼にして拒否するのだ。


この間の様に、舌を咬むと言ってみたりもした。

すると、剛は顔を歪め、
"それを言われたら、何も出来ません"


と、私を離す。





けれど、彼の腕に抱かれ、好きだと囁かれ、彼が顔を私の胸に埋める度にサラサラと触れる髪の感触やシャボンの薫りに、私の中の理性の堤防が時に破壊されそうになる。

このまま、何も考えず、想いのままに、正直になって彼を受け入れられたら――


そんな思いに何度囚われそうになっただろうか。


家の中で剛と顔を合わせても、私は極力今までと同じ態度で接しているつもりだが、多分、彼から見ればかなり不自然なのだろう。


悟志も、何か感じているのかも知れないが、私には何も言わない。


あの朝、強引に私を抱こうとしてから、悟志は今まで以上に優しくなった。


私を傷付け無いように、常に気を遣っているように見えて、私は心苦しささえ感じていたが、その違和感と剛への想いを遣り過ごす為に、今まで以上に激しく悟志と身体を重ねた。


悟志も、ベッドでは荒々しく欲をぶつけ、私を寝かさない程何度も求める夜もあった。


そして私はやはり、悟志に抱かれながら剛を想っていた。







"今日は、何処かへ出掛けるの?"

と聞いた時、剛はこれ以上ない程の優美な笑みを私に向けて、涼やかな声できっぱりと答えた。



"晴香と、デートしてきます"


私は、衝撃に湯呑みを落としそうになった。

その言葉の意味を理解するのに数秒かかり、視線を泳がせていたら祐樹が言う。


"うっわ――!
ハルカって、この間の告ってきたおねーちゃんだろ?
いつの間に呼び捨て~?
剛も女に興味ないみたいな顔して、やる事はやるね――!
ねえ、ママ?"



私は、我にかえり、祐樹には適当に何か言葉を返したが、その後は剛を直視出来なかった。


祐樹は剛をその後も暫くからかっていたようだが、何の会話をしているのか、私にはさっぱり頭に入って来なかった。


ただ、胸の中で、言い様の無い黒い感情が渦巻き、倒れてしまわないように自分自身を保つのに精一杯だったのだ。






――剛さん……

あの子を、好き、なの……?



「……うっ……」


私は洗いたてのシーツを握り締めたまま、俯きしゃくり上げた。


何故、どうにもならない恋をしてしまったのだろう。

私は、悟志さんと結婚して祐樹に恵まれて、それだけで充分幸せだった筈なのに。

祐樹の兄弟を望んだ事が、まさかこんな苦しい感情を知るきっかけになるなんて、思いもしなかった。


知らなければ良かった。

人を好きになる気持ちなんて――



暫く泣いていたが、リビングに置いてあるスマホが鳴っているのに気付き、涙をエプロンで拭い家の中へ入った。



「――もじもじ?」


『うっわ、酷い声!
どうしたの?』


私は、その明るい声に、また涙腺が決壊してしまった。



「ま……真歩ぉ……」



『まさか、泣いてんの?』








私は、首を振り、洟を啜る。


「な、ないでないよ」


『どー聞いてもべーべー泣いてる人の声でしょ!?
……ドラマでも見て浸ってたんじゃないの?』


「う、うん……
ぞんなどご」



私は、咄嗟に誤魔化し、そういう事にしておいた。


真歩は、やっぱりね~!と笑い、言った。



『あのさ、あんた今日ヒマ?
私、生徒さんが急病でキャンセルの連絡来てさ、予定無くなっちゃって~』


「……びまじゃないよ」


真歩の誘いに乗る気がしなくて、私は憮然として答えた。



『んっ?
こんな天気の良い昼下がりにドラマ見て泣いてる人のどこが忙しいって言うのよ?
あのね、今日は
"フォーエバー22"のスプリングバーゲンなのよっ!
春先にやるバーゲンは貴重よ?
これに行かないで今年の春をどうやって過ごすつもりっ!?』



「……べつに……
バーゲンにいがなぐでも春はぐるもん……ふんっ!」



私は洟をティッシュで思いきり咬むが、電話の向こうで真歩が大袈裟な溜め息を吐いた。







『んも~!
菊野――!
あんた、結婚して悟志さんていう素敵な旦那様がいるからって安心してお洒落から遠ざかるなんて女として頂けないわよっ!
たまのバーゲンくらい行きなさいよ!』



「ぐ……
らって、いぞがじいも~ん」



『ああ、そっか、今春休みだから子供達がいるのよね……
でもさ、母親が毎日家に居て嬉しがるなんて三才児までよっ!
あの子達だってカップ麺くらい作れるでしょ?

一日くらい、母親業から離れなさいよ~!』


「……祐樹も剛ざんも、出掛けていないぼ……
……クシュン!」




くしゃみが出た私はティッシュを三枚重ねしてまた鼻を咬んだが、また真歩が嘆く様な溜め息とも呻きともつかない声を上げている。






『子供達が居ないなら尚更暇じゃないのっ!
……つべこべ言わずに行くのよ――!』



真歩がキレた様に言うと同時にインターホンが鳴った。


「……ちょっどまっで」



スマホを持ったまま画面を覗くと玄関の前に真歩が仁王立ちしていた。



「勘弁してよ……」


私は諦め、ドアを開けた。



真歩は晴れ晴れした笑顔で私の肩を叩いた。



「ほらっ!
お葬式みたいな顔してないの!
着替えてお化粧して、街に繰り出すわよ~!」



真歩はハイヒールを脱ぎ、ズカズカ家の中へと入り、勝手にクローゼットを開けて私に着せる服を探し始めた。

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