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檻の中の愛④
しおりを挟む「剛君――?」
清崎の大きな目が覗き込み、俺は我にかえった。
いかにも女の子達が好きそうな
"フェアリーカフェ"
という店に来ているのだが、清崎とテーブルで差し向かいに座り、やたらと長い名前のパフェやケーキを前に俺はスプーンを持ったまま考え事をしていたらしい。
「映画、思ったより面白くなかったもんね……
もっと私調べて来れば良かった……
剛君、疲れちゃった?」
清崎は、丸いボンボンの付いた胸元のリボンを指で弄びながら上目遣いで見詰めて来たが、
「なんだか、暑くなっちゃった……
今日、暖かいしね」
と言いながらジャケットを脱ぎ椅子にかけた。
ノースリーブの胸が空いたワンピースで一瞬下着のレースと膨らみが見え、俺は然り気無く映画のパンフレットに視線を移し見ないようにした。
「まあ、たまには家でDVDじゃなくて映画館で見るのも気分が変わっていいよ」
俺も実は映画の間、ずっと菊野の事を考えていて全く内容を覚えて居なかったのだが、気を遣っているらしい清崎に笑顔を向けて適当に答えた。
清崎はパアッと表情が明るくなり、パフェのクリームを一口頬張る。
「だよね~!
……でも私ね、男の子と映画行くのなんか初めてで、緊張して全然内容覚えてない!」
「へえ、そうなの?
清崎モテそうなのにな」
俺がそう言うと清崎は、ふと赤くなり、パフェをかき混ぜながら目を潤ませて小さく呟いた。
「初めてだよ……
こうして……デートするのも……
キ、キス……したのも」
俺と目が合うと真っ赤になり、俯いてしまう。
――可愛い……
と思うと同時に、その仕草が菊野とダブってしまう。
今朝、菊野は躊躇いがちに、俺の予定を聞いてきた。
今日は、祐樹が出掛ける日だが、まさか菊野は俺と二人きりになりたくてその質問をした訳ではないだろう。
二人きりになりたくないから、もしそうなったら気まずいから聞いてきただけの事だ。
確かに、一日二人だけでこの家に居て、俺が彼女をどうこうしない、とは言い切れない。
寧ろ、限りなく彼女の身は危険だろう。
彼女に横恋慕する、性に目覚めたばかりの男と二人で長い時間、同じ空間に居れば、何が起こっても不思議ではない。
ほんの少しの隙でも俺は菊野に迫ろうとするのだから、当然一日中、一緒にいるのが彼女にはとてつもない恐ろしい事なのだろう。
だが俺は、好きという感情を通り越し、時に憎くさえ思う事がある。
彼女の声も髪も、その唇、細い指、魅惑的な曲線の身体の全てを俺は欲しくて堪らない。
感情が先なのか、欲情が先なのか、最早自分自身にもわからない。
だが、俺は菊野を好きだ――
けれど、彼女は俺の気持ちに応えてはくれない。
それは、当然だろう。
俺は春から高校生になるがまだ十五才で、彼女と血の繋がりはないが、養子に迎えられた子供なのだ。
その子供と、義理の母が恋をするなど、あってはならない事だろう。
菊野は、錯覚だとか、年齢がとか言っていたが、そんな常識や理屈なら、とっくに俺だって知っている。
人は、常識や理屈や建前や理性で、恋をするのか?
そういう面をクリアしないと、恋に堕ちる事も出来ないものなのか?
じゃあ、今の俺の胸苦しさや、眠れない程に沸き上がる身体の熱は何だというんだ?
菊野の声を耳にするだけで、髪の薫りを感じるだけで、その瞳と目が合うだけで動悸が烈しく鳴り、喉がカラカラに渇いたり、掌に汗が滲んだりするのは何故だと言う?
病気だ、お前は異常だ、とでも俺は言われるのか?
俺は、ただ、彼女を好きになっただけなんだ。
大人の癖に子供の様な、そしてどこまでも優しい彼女を好きなだけだ。
その何処が異常だと?
双子を育てるという夢を見て、絵本の中に出てくる哀れな兄弟を幸せにしたいという強い想いを彼女は幼い頃から大人になるまで持ち続けていたから、俺との出会いがあった訳だが、運命の悪戯とは正にこの事ではないだろうか。
俺は、多分最初から彼女に恋していたのだ。
確かに、叶う確率は限りなく低い想いなのだろう。
だが、止められない。
止める方法があるなら、誰か教えて欲しい。
俺の想いが彼女を困らせているのは分かる。
だが、先に俺を見つけ出し、俺に勝手に踏み込み、俺を欲しがったのは彼女の方だ。
俺を、身も心もこんなに乱しておいて、
"錯覚"
だとか、よくも言えたものだ。
恋しい、けれど堪らなく憎たらしい。
思い通りにならないもどかしさと、好意の裏返しの憎い気持ちに火がついて、今朝俺は菊野にわざと言ってやったのだ。
"剛さんは、今日は出掛けるの?"
と彼女が聞くから、俺は――
"晴香とデートです"
と、涼しい顔で言ってやった。
俺は清崎を、名前で呼んだ事はないが、敢えて、
"晴香と"と言って菊野の嫉妬を引き出そうとしたのだ。
胸の中にどうしようもない自分への嫌悪が広がったが、彼女の反応を窺い、そして失望する。
菊野は、一瞬目を見開き固まったが、平坦な口調で
"そう……気を付けて行ってらっしゃい"
と言っただけだった。
俺は、頭の中がカアッと熱くなり、怒鳴りたくなる衝動にかられたが、祐樹が居たから踏みとどまった。
もしも二人きりだったら、俺は菊野に何をしたか分からない。
――俺は、何を期待していたのか。
菊野がヤキモチを妬いて、俺に
"行かないで"
とすがってくるとでも思っていたのか?
「剛くん……?
大丈夫?」
ふと、白い指が腕に触れているのに気付き、俺はビクリと身体を震わせた。
清崎が、また心配そうに俺を見ていた。
その表情は、菊野が俺を見詰めるそれと何処か似ていたが、俺は面影を振り払う様に首を振り、溶けかかったシャーベットをスプーンで掬い、清崎の口にそっと押し込んだ。
「ごめんな……今、寝惚けてた。
……お詫びにあげる」
もう一口清崎の小さな唇へとスプーンを運ぶと、彼女は真っ赤に頬を染め、俺を見た。
その瞳は魅惑的に潤み、俺を甘く幻惑する。
清崎は同級生の中でも五本の指に入る人気の可愛い女の子だった。
優等生の彼女は教師の覚えもめでたく、同性にも異性にも好かれていた。
成績の良さや、容姿を鼻にかけたり意識する事なく、小さなどうでも良い事に一生懸命になったりする子なのだ。
皆が面倒臭がる仕事や頼まれ事も、何でもない風に笑ってこなしてしまう。
最初、俺は彼女のそんな所を
"出来すぎたいい子"
としか受け止めて居なかったが、ある事があって見方が変わったのだ。
俺は、祐樹と比較される事が多かった。
菊野の配慮で、中学は地域の学校ではなく、私立の学校へ通わせて貰ったのだが――
祐樹を知っている人間が少ない学校なら、家族関係の事情をわざわざ話さなくても済むだろう、という考えだ。
祐樹とは年齢も離れているし、同級生に出くわして
"こんな大きなお兄さん、居たの?"
という事になる可能性はないのでは、と俺は言ったが、菊野が念には念を入れた方が良い、と、そうしたのだ。
だが、友達が遊びに来たりする度に、皆祐樹を見て可愛いと騒ぎ、俺とそっくりで美形兄弟だのなんだの、それ以外言うことが無いのかと思う位毎回騒いだ。
俺はいつしか、祐樹と似ていると言われる事にコンプレックスを感じる様になっていた。
確かに顔は似ているかも知れない。
菊野が俺を欲しがったのはこの顔だったからだ。
だが、性質はまったくと言っていい程に正反対なのだ。
第一、祐樹と俺は物の見方や人の見方がまったく違う。
祐樹は見た物や人を、そのままの印象で受け止めるが、俺は全て裏を疑う癖が付いている。
ひねくれているのだ。
だが、菊野はそんな俺を家族の一員として迎え、分け隔てなく接してくれている。
だから俺は、自分の黒い部分を押し込め閉じ込め、西本家の人々と同じように見える努力はしていた。
ただ、堪らなくそれが疲れる事がある。
似ている、似ていると言われる程に、俺は祐樹との違いを再認識し、胸苦しくなるのだ。
だが清崎は、皆が俺と祐樹をそっくりだと口々に言う中で、
"そうかな……?
私はそんなに似てないと思うけど"
と言ったのだ。
皆はポカンとした後、ブーイングの様に清崎に否定の言葉を浴びせていたが、彼女はあっけらかんと笑っていた。
俺はその時何も言わずにいたが、胸の中に沸き上がる感情に戸惑っていた。
嬉しい、と思ったのだ。
後日、日直で二人きりになった時に俺は聞いてみた。
"なあ、俺、弟に似てないかな……?"
すると清崎は、少し赤くなり、小さく答えた。
"ううん、似てると思うよ……
けど、目が……"
"目?"
"剛君の目は……
時々怖い位鋭くて……
寂しく見えるから"
彼女がそう言い終わる前に、俺は衝動的にその身体を引き寄せ抱き締めていた。
何故、そんな事をしてしまったのか自分にも分からなかった。
清崎は小さく悲鳴を上げて俺を突き飛ばし、逃げ帰ってしまい、俺はもう彼女に嫌われたものだと思っていたのだが、翌日、家に来て告白されたのだ。
他の同級生の女子とは違い、清崎はギャンギャン騒ぐ事もなく、高くもなく低くもない不思議なトーンの声でゆっくり話す子だった。
そんな所も俺は彼女に好意を感じていた。
だが、菊野に対する気持ちとは全く違う種類の物だ。
菊野の事を優しく包みたいと思ったり、滅茶苦茶に壊したい、という衝動が込み上げる事がある。
菊野に関しては、俺は全く自分をコントロール出来ない。
清崎と居ると気持ちの尖った角が取れていく様な気がするが、菊野の事を忘れる為に利用している様で罪悪感も少しあった。
――もっと他の可愛い女の子がいるでしょう?――
菊野の言葉が頭を過り、ズキリと頭が痛み俺はこめかみを押さえた。
そんな理屈は分かっている。
分かっているが、どうしようもないから苦しいのだ。
俺は、貴女を愛してはいけないのか?
こんなに、思うだけで身が焼ける程に熱くなるのに――
俺達は店から出て公園を散歩し、餌を目当てに集まってくる鳩と戯れ他愛ないお喋りを過ごす内に、夕暮れの時間を知らせる鐘が鳴った。
寒そうに肩を震わせる清崎に、上着を俺は羽織らせる。
「ありがとう……」
はにかむ笑顔の中に小さな翳りが見えた気がするが、俺は時計を見て言った。
「さて、そろそろ帰るか……
送るよ」
「あ、あのね……」
清崎の小さな指が、俺の上着の裾を掴み微かに震えていた。
「――どうした?」
俯く彼女の綺麗な形の旋毛(つむじ)を眺めていたが、彼女は顔を上げ、小さく言った。
「わ、私……
まだ帰りたくない……」
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