愛しては、ならない

ペコリーヌ☆パフェ

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滅ぼせない恋情③

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――柔らかい……


俺は菊野の手を握り、そのまま抱き締めたくなる衝動と闘っていた。



桜の花弁がちらちら舞う中に佇む菊野は、悟志の妻でもなく、祐樹の母でもなく、まるで、道に迷う途方に暮れた小さな少女に見えた。


彼女の瞳は、心は、今何を見て、想っているのか。


一番にその胸の中にあるのは、愛しい夫の回復を願う気持ちなのだろうか。



花野と祐樹が、菊野を

"パパはきっと大丈夫"

と言って慰めていた時、俺は三人の中に入り込めない空気を感じていた。


当たり前だが、やはり、この人達は、血で繋がっている。


この家の中で、繋がっていないのは俺だけだ。


分かりきっているその事実が、何故か急に鋭い刃の様に胸の中を抉り出す。





あの日。

あの夜――


俺に聞かせる様に、寝室で悟志が菊野を烈しく犯して、そして倒れた夜。


悟志は、俺と菊野の関係に何かがある、と確信を持ち、彼女を言葉と身体で責めたらしい。


そして、その場で倒れて――


同じ家の中で祐樹も居たから、寝室の惨状をもし見て聞いたりしてしまったら――


と気掛かりだったが、祐樹は幸いぐっすりと眠り、翌朝まであの騒ぎを知らなかった。


寝室で、紅い血で白い肌を染め、倒れた悟志を膝枕し虚ろに宙を見詰める菊野を、俺は美しいと思ってしまった。


凄惨な光景の筈なのに、恐ろしい場面と言ってもおかしくないだろうに、なのに俺は――


裸の白い背中、丸い曲線の双丘、その細い指先を彩る紅い色が、彼女をまるごと美しい色彩に染め上げたかの様に見えた。


こんな風に感じる俺は、やはり異常なのだろう。





俺は、救急車を呼び、真歩と花野に連絡をし、救急車が来るまでの間、座り込む彼女の姿を見て身体を熱く昂らせていた。


義父の血でまみれた義母の裸体を見て淫らに反応するなど、彼女に知られたら本当に嫌われてしまうだろう。


あともう少し、救急車が来るのが遅れていたら――

俺はあの場で彼女に襲い掛かっていたかも知れない。



大きな襟が可憐な白いスーツを纏い、長い髪を編み込んで、無垢な瞳を目の前に舞い落ちる花弁に向ける彼女を見て、俺は深い罪悪感を味わう。


――俺が、こんな邪の極みの様な想いを抱いている事も貴女は知らずに……


思わず、その手を強く握り、彼女に言った。



「さあ……
行きましょう」



※※








受付を済ませ、入学式会場の体育館で俺は新入生の席へ、菊野は横の保護者席へと座る。


まだ二十九歳の菊野は、保護者の中ではやはり一際若く、目を引いた。


母と言うには余りにも可憐で幼く、いじらしい、俺の大事な女(ひと)を、つい目で追ってしまう。

悟志の事で精神的に張り詰めて居る彼女が心配なのは俺だって同じだ。


あの夜、俺は救急車に乗り込み一足先に病院へ行ったが、寝室で呆然と座り込んでいた彼女を、駆け付けた真歩がシャワーを浴びさせ着替えさせて病院へ連れて来た。


花野は、あの紅く染まった寝室を一晩かけて掃除してくれた。



当然、菊野は医師に、悟志が倒れた時の状況を聞かれた筈だ。

烈しいセックスの後、夫が倒れたという事を菊野は説明したのだろうか。

夫婦なのだから当然の行為だが、医師とは言え他人にそんな事を伝えるのは戸惑っただろう。

彼女は、堪らなく恥ずかしく辛い思いをしたかも知れない。






悟志と菊野と俺の間で起きた事は、菊野は誰にも話して居ない様子だった。


俺と菊野は、あれからまともに話をする時間も無く、今日になってしまった。


菊野は朝から晩まで病院へ行き、家には花野が手伝いに来ていた。


菊野は帰宅すると、いつも青ざめながらも笑顔で
"ただいま……
お家は変わりない?
祐ちゃんも、剛さんも、ご飯は食べた?"


と俺達に声を掛けた。



その度に俺は胸が痛み、彼女をまともに見る事さえ出来ず、相槌を打つので精一杯だった。



彼女を見たら、無茶苦茶に抱き締めてしまいそうだったからだ。







不意に、後ろから肩を叩かれ振り向くと、同じ中学の森本 彰(もりもと あきら)だった。


「剛~、どっかに可愛い子でも居たのか?」


首を締めて来る森本の腕をかわしながら、俺はネクタイを直す。


「いや……別に」


ふと横のクラスの席を見ると、清崎がこちらに手を振っている。


俺が笑顔で振り返すと、森本も彼女に手を振り、俺の耳元で囁いた。



「な~んてな。
いくら若くて綺麗な母さんだからってお前、見すぎだぞ。
清崎がヤキモチ妬くぞ?気を付けろよな」



「……」



俺が軽く睨むと、森本は整った綺麗な唇を歪め、背中をバシバシ叩いてくる。



「お~怖い怖いっ!
そんな顔したらイケメンが台無しだぞ~?」


そう言う森本も、華やかな容姿と頭の良さで中学の頃、女子には人気があった。
 ただ、少し軽薄なのが欠点だが。






森本は、緩くウエーブのかかった茶色い髪を指で掻き上げ、ニヤニヤして周囲を見渡して小さく言った。


「なかなか、女子のレベル高くね?
まあ、お前には清崎が居るし、俺も同じ歳よりは大人の女が好みだからな~……例えば、菊野さんみたいな」


「――っ」


思わず息を呑んだ時、森本が耳打ちしてきた。


「お前と菊野さんが手を繋いで校内を歩いている姿、かなり目立って早くも女子の間で噂になってるぜ?
あれはお姉さんなのか、恋人なのか、ってな。

後で、清崎にちゃんとフォローしとけよ?
……ふふん。
カッコいい男は辛いよなあ~剛君?」



俺は森本の話は右から左へ流し、菊野の方をチラリと見たが、顔色が余り良くない様に見えて胸がざわめいた。


気のせいなら良いのだが……







ステージの下に設置してあるスタンドマイクを通し、教師が
「あ、ああ――」

とマイクテストをした後、

「只今より、新入生入学式を始めます……
新入生、在校生、保護者の皆様、起立して下さい」


と言い、皆一斉に席から立ち上がった。


「そういや、新入生代表の挨拶するんだろ?
頑張れよ」


森本が後ろから小さく言った。


教頭と校長の長い話を上の空で聞きながら、俺は軽く深呼吸する。


入試の成績がトップの生徒が新入生代表の挨拶をする決まりなのだが、その生徒がこの高校を蹴り、他の高校を選んだらしく、次点だった俺に回ってきて来たらしい。


当たり障りなく、その場の雰囲気に沿った定型文の様な挨拶の原稿をポケットから出し、最後の確認をする。


自慢ではないが、暗記が得意な俺には造作無い事だった。


この高校へ俺を入学させるのは菊野の願いだった。


校風も良く、何より家から歩いて通える距離だから、と彼女が強く推したのだ。






「新入生代表、西本剛君!」


呼ばれ、俺は立ち上がる。

「はいっ」


皆の視線が一斉に刺さるのを感じながら、俺は新入生達の前を通り、来賓席や保護者席の方へと礼をして、壇上へ上がる。

保護者席の菊野は、青ざめては居たが柔らかな笑顔で俺を見て居た。


――菊野さん……
貴女が望む様に、俺はこの学校で模範的な生徒になる……
恥ずかしく無い様な成績を取って卒業してみせる――
俺に出来るのはその位しか無い……
だから少しでも元気になって、以前の無邪気な笑顔を見せて欲しい――



俺は、ステージに掲げられた国旗に一礼し、マイクを調整し、挨拶を始めた。



「――桜の綻ぶ今日……晴れやかな日の如く希望に満ち溢れた私達は――」



保護者席で俺を見詰めていた菊野が、ハンカチで口を抑え俯いたと同時に椅子から崩れ堕ちた。


俺はその光景を目にすると、直ぐ様ステージから飛び降り、一目散に彼女の元へと走り寄り、倒れた身体を抱き上げる。



女生徒の悲鳴が耳に届き、保護者や教師達の視線が背中に刺さるのを感じながら、呆気に取られる教頭に俺は


「保健室は何処ですか」


と訊ねた。


「保健室は……
体育館を出て校舎の一階の突き当たりだが……
き、君、新入生挨拶を」


オロオロする教頭に俺は頭を下げると、森本の方を向いて叫んだ。



「森本!
悪いが後は頼む!」



「へっ?
お、俺――!?」



森本は目を丸くして自分を指差したが、俺は人々のざわめきの中、菊野を抱え体育館を後にした。



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