愛しては、ならない

ペコリーヌ☆パフェ

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滅ぼせない恋情④

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清崎と目が合ったが、俺は曖昧な笑みを彼女に向け、顔を逸らしてしまった。


彼女が唇を噛み俺達の後ろ姿を見詰めているのを気付かない振りをして――


森本に釘を刺されたばかりなのに、更に目立つ事をしてしまったな――



苦笑しながら廊下を歩み、保健室を見付け扉を開けた。



――誰も居ない。


俺は一番奥のベッドに菊野をそっと寝かせ、ハイヒールを脱がして揃えて置いた。


貧血か何かだろうか。

菊野は、季節の変わり目に喘息の症状が出る事があるが、貧血気味だとも聞いた事がある。



菊野は、ベッドに降ろしてもぐっすりと眠って居た。



その無垢な瞼を、頬を、見詰めるだけでどうしようも無く強い恋情が沸き上がり、俺を支配していく。


――不味い、ここは学校なんだぞ、と思い止まろうとしたのはほんの一瞬で、俺は身を屈め彼女の頬に触れ、花弁を思わせる唇を奪った。







小鳥が啄む様に、触れるだけの短いキスを繰り返す内に菊野は、甘い溜め息を漏らした。


その息が頬や耳に掛かり刺激となり、俺に火を点けてしまう。



「う……ん」


菊野は、まだ目を覚まさないまま、顔を横に向けた。


俺はジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めボタンを胸まで外すと、菊野の白い首筋に吸い付いた。


髪の薫りと、彼女の身体の柔らかい感触に甘く蝕まれ、まともな思考や理性がみるみる内に溶けていってしまいそうだ。


「菊野さん……」



思わず、恋しい貴女を呼んでしまう。


今、目を覚ましたら、貴女は俺をはね除けるのだろうか?


俺を今度こそ嫌って、嫌って、憎まれてしまうのだろうか――






"ママ、お姫様みたい"


今朝の祐樹の言葉が不意に頭を掠め、下で無防備に眠る彼女を見る。


背中の真中まである艶やかな黒髪を細かく編み込み、後れ毛のカールが愛らしく、白い首筋と胸元を、パールのネックレスがより美しく見せている。
白のスーツのフレアースカートから覗く脚も、表に咲き乱れる桜の色を思わせる唇も何もかも、彼女の総てが眩しかった。


無造作に髪をゆるく束ね、エプロンを纏い掃除機をかけたり、フライパンでパンケーキを裏返したりする彼女も、起き抜けで眠そうなパジャマの彼女も俺は好きだし、可愛いと思う。


そして、何も身につけない姿が一番綺麗で美しい事も、俺は知っている――







悟志との行為を盗み見たあの夜を思い出し、身体の真芯が熱く、硬く変化していき、思わずゴクリと喉を鳴らす。


恋を自覚してから何度も彼女を抱き締めて口付けその身体にも触れたが、想いも欲望も募るばかりだ。


悟志があんな事になり、菊野は精神的に追い込まれているし、俺との事を考える処ではないのも分かっている。

だが、彼女を諦められない。

自分でも、滅茶苦茶だと思う。

俺が強引に、一方的に突っ走っているだけなのも分かっている。


――だが、未だに彼女の気持ちが掴めない。


俺を撥ね付けられないのは、同情なのか、それとも――



「……菊野さん……
菊野……」


愛しい唇を、指でそっと触れた。


恋人を呼ぶ様に、貴女の名前を囁いてみる。


今なら、誰も見ていない。

誰も聞いていない。


だから、今だけ……


例え嘘でも……



貴女が俺の恋人のつもりで、呼ぶのを許してくれ――







俺は身を屈め、もう一度彼女の唇を確かめようと顔を近付けるが、触れる寸前で彼女の瞼が開き、俺を見ると驚きに目を丸くした。


「な、な、な」


狼狽えて口をパクパクさせる彼女に、俺は思わず吹き出してしまう。


「……気分は、どうですか?」


ベッドで組み敷いておきながら、
"気分は?"
と訊くのもどうかと思うが。


菊野は、掌で頭に触れ、額に触れてから首を振り頬を緩めた。


「うん……
大丈夫……みたい」


「そうですか……」


俺は心から安堵して、思わず溜め息を吐いたが、菊野が突然身体を起こして叫んだ。


「だ、大丈夫じゃないじゃない――!
つ、剛さんっ!
式は?
挨拶は――」






「ああ……
どうでしょうね……
この時間だと……
終わったかな?」


「あ――っ!もうっ!
私のバカバカバカ――!」

菊野は、悔しそうにベッドの柵を拳でポカポカ叩くと、目を潤ませて俺を見上げた。


その眼差しの艶っぽさにドキリとするが、全く彼女は自覚が無い様だ。



「剛さん、ごめんなさい!一生に一度の高校の入学式なのに……
わ、私のせいで――」



唇を戦慄かせ、その瞳からは涙が溢れそうだった。


「……大丈夫ですよ、挨拶なら、森本に後を頼みました。
あいつは良く口が回るし、きっと上手くやったでしょう……
だから、泣かないで下さい……」


怖がらないだろうか?
と思いながら彼女の手を握り、俺の胸の中に引き寄せた。




「あっ……」


やはり、菊野は慌てている。


今、二人きりの保健室のベッドで俺に抱き締められて、如何に危険な状況かに漸く気付いたようだ。


この女(ひと)の迂闊で無防備な処は、どうにかならないのか、と思う。

悟志が彼女を大事に守っていた気持ちが良く分かった。

それ程、菊野は頼りなげで危なっかしい。


だが――
そんな処も堪らなく可愛くて、愛しい。



唐突に熱い感情が込み上げ、彼女をきつく抱き締めた。


「んっ……い……痛い……」


彼女が苦し気に声を漏らすが、尚腕に力を込めてしまう。



「菊野さん……
好きです……」


「――っ」


彼女が息を呑む気配を胸の中で感じた。





気持ちを告げても、抱き締めても、彼女を困らせて悲しませるだけなのかも知れない。

だが、堰を切った恋情がマグマが噴き出す如く溢れ出すのを止められなかった。


「……ん……っ」


彼女が苦し気に呻き、俺はほんの少し腕の力を弱め、ホッと息を付いたその唇を直ぐ様奪う。


「――!」


俺にしっかり抱かれ、彼女は僅かに腕を動かす位しか抵抗が出来ず、その目からはまた涙が溢れた。


唇を離し、涙を指で拭ってやると、彼女は鮮やかに頬を染め、咎める様な目で俺を睨んだ。


――何故だろう。
そんな表情までが俺をまた、深い恋の地獄へ堕とす。





「俺は……貴女が……好きです」


自分の声が上擦るのが分かる。

端から聴いていたら、さぞや間抜けなのだろう。


だが、そんな事を気にする猶予も、余裕も俺には無い。


ここは学校の一室で、扉には鍵も掛かっていない。

いつ、誰がやって来てしまうかも知れない。


不意に訪れた、刹那の二人だけの瞬間(とき)を、無駄にしたくなかった。

貴女は決して俺に振り向かないだろう。


貴女からしたら、俺は女の扱いも、抱き方も悦ばせ方も知らない、社会的にも何の力も無い子供だ。


悟志という立派な夫の居る貴女を、俺の物にする事は出来ない。



けれど、ほんの僅かだけでも、その心に楔(くさび)を打ち込み、消えない痕を残したい――







菊野の瞳から、次から次へと涙が満ちては溢れ落ちて、その頬を濡らし、震える唇から漏れる言葉が、声が、俺を際限無く恋に夢中にさせる。


「つ……よしさ……
だ……ダメよ」


「ダメかどうかは、俺が決める事です」


「――ダメに決まってるじゃないっ」


菊野は、俺の胸を弱々しい力で叩くが、しがみつくかの様に、背中に腕を廻して来た。


「――……っ」


俺は、思わぬ彼女の仕草に撃ち抜かれ、絶句する。



「ごめんなさい……」


絞り出す様に、胸の中で彼女が言う。



「……菊野さん」



「私……
私、貴方を西本の家で引き取って……
貴方を幸せに出来る、て思っていたの……
でも――」


菊野はそこで言葉を詰まらせ、しゃくり上げる。






俺は、思わず笑う。


「……何故謝るんですか」


菊野は、痛みを堪えるかの様に顔を歪め、尚も言った。


「私は……
貴方を欲しくて、無理矢理この家に連れてきた……
でも、それは貴方を苦しめてるだけじゃないの……?
貴方を幸せに、笑顔にしたかったの……
けど……」


「菊野さん」


俺は彼女の言葉を遮り、その唇に指で触れた。

触れた途端、その頬がまた鮮やかに染まる。


――何故、そんな風に頬を染める?
何故、そんなに甘く瞳を潤ませて俺を見たりするんだ?

俺を、何とも思って居ないのなら、何故?――



そんな疑問が喉まで出掛かるが、今は呑み込んだ。

それより他に、彼女に確かめたい事がある。



俺はゆっくりと、尋ねた。



「今でも、俺を、欲しいと思いますか……」






菊野は、更に鮮やかに頬や首筋を染め、俺から視線を逸らす様に横を向くが、顎を持ちこちらを向かせた。


「俺が欲しくて……
そう言いましたね?
初めて逢った日にも、貴女はそう言った……」


「そ……そうだけど……」

菊野は、しどろもどろになり、何か下手な言い訳を必死に考えているのがその表情から簡単に読み取れる。


そう、貴女は、嘘を付けないひとだ。


何も言わなくても、その瞳の色が、溢れる涙が、染まる頬や震える唇が、語る。

……貴女の心を。



俺は彼女の頬を両の掌で挟み、もう一度訊く。



「今でも……
俺を、欲しいと、言ってくれますか」






菊野は、小さな悲鳴の様な叫びを上げ、俺の手から、腕から逃れようともがいたが、俺は彼女を離さない。


「――絶対に離さない」


俺は、彼女の目を見詰め、低く囁いた。



その唇が、真実(ほんとう)を語るまで、決して離さない――



――気のせいなのだろうか。

彼女を抱き締める時、口付ける時、その肌に触れた時に、俺が感じた彼女の瞳から放たれる、熱くて甘い熱は。


恋を告げる時に染まる頬は、まるで、ときめいて身体を、心を熱くしているかにも見えてしまう。


だが、そんな訳は無い。
貴女が俺に振り向くなどあり得ない。

そう思うのに、貴女のそんな仕草を見る度に、まさか、ひょっとして――?
という思いが沸き上がる。


そう、貴女は、嘘が付けないひとの筈だ。



貴女が今、そんな風に肌を鮮やかに染め、涙を溢しそうにしているのは――
まさか――


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