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あとがき代わりの、番外編「ばあちゃんの梅干し(と豆しとぎ)」
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「ばあちゃんの豆しとぎ」最後までお読みいただきありがとうございます。
本作は別な文学賞に応募して選外だった作品に加筆修正したものです。一通り完結させる事ができてホッとしていたら、タイトルの「まめしとぎ」についての詳しいエピソード部分がほぼ抜け落ちていた事に気づきました。
あとがき代わりに番外編として掲載します。
※※※※※
「しーちゃんちの梅干し、キツい!」
そう言って顔をしかめた咲ちゃんはまるで「Dr.スランプ アラレちゃん」に出てくる「梅干し食べたスッパマン」みたいな表情だった。
「そうかなぁ?」
私は自分のお弁当に入っていたそれと取り替えたばかりの、咲ちゃんちの梅干しを噛み砕きながら首を傾げた。
「そんなに酸っぱい?」
「じゃなくて。塩っぱすぎ」
お弁当のお供にしていた250mlのマウンテン・デューは空だったらしい。お水飲んでくる、と咲ちゃんはお弁当を置いて立ち上がり、グループで腰掛けていたベランダから教室を抜けて廊下の水飲み場に向かった。
遡ることゆうに四半世紀以上、半世紀未満といったところの、昭和の高校生時代。
学校に水分補給のための水筒を持参する、というような習慣はなかった。むしろ運動系の部活や体育の授業では「バテるから水を飲むな」と真顔で指導されていた時代だ。
その頃、購買や学校前の売店で売られていたのはお馴染みの紙パック牛乳や乳酸飲料の他に、一律250ml入りのスチール缶入りのお茶やジュース類だった。新顔のペットボトル飲料は1.8Lや2.0L入りが三~四百円くらいで売られていて、350mlのアルミ缶はまだ登場前だった。
牛乳も甘い飲み物も大人のビールも、瓶入りが当たり前という子ども時代を送っていた世代には缶入りの飲料自体が目新しく、大人の若者のシンボルのように思えていた。
「缶のお茶」だって私の幼児時代にはなかった、十分画期的な商品だ。
子どもの頃、母の買い物に付き合う途中でよく喉が渇いた記憶がある。その頃、駅前や市街地の片隅に進出し始めた大規模スーパーや(やや名前倒れ感のある)駅前デパートには、似たような子ども連れを意識してかちゃんとウォータークーラー式の水飲み場が設置してあったーーただし、高さも仕様も純然とした大人向けのそれで、爪先立ちか抱え上げてもらわないと目的を達せない代物だったーーが、商店街の個人店や中途半端な規模の店にはそれがなかった。
例えば母の行きつけの大衆向けよりは少しお洒落向けに触れた老舗洋品店などがそうだった。子ども用の十円入れたら動く動物型の乗り物や、自動販売機(当時の大人も若者も五文字の単語を「自販機」なんて三文字に略したりはしなかった)なんかは置いてあったのに。
それで母からは当然のように「缶ジュースを買ってあげようか」と返されるのだが、その時の絶望感ときたらーー当時のジュースはせいぜい果汁が20パーセント入っていれば上等な砂糖入りの色水だった。さすがによく冷えてはいるが、水が欲しい子どもがそんな甘ったるく浸透圧の高い物を飲んでも、喉の渇きが止まるわけがない。
まさに「大人は何にもわかってくれない」なのである。
今思うと親子揃って「お出かけの時は水筒を持って行こう」という発想にならなかったのは不思議だーー当時の子ども向けの水筒はマンガのキャラクターなんかがついた、ぶら下げ式の丸っこいプラスチック製で、特別高価な物ではなかったと思うのだがーーやはり遠足や運動会といった「特別な日」にわざわざ使う「イベントグッズ」であり、それを日常使いするという発想が二人ともなかったのだろうーーと、何だか話が逸れた。
その時、友人同士の昼休み時間に私がチョイスしたのは、ガラス瓶からプラ容器にリニューアルし、リバイバル再販を果たした懐かしの味、スノーラックだった。新発売の炭酸飲料、アンバサとずいぶん迷った。
コーラやファンタ、サイダーなどの定番飲料も瓶入りから250ml缶に次々と鞍替えしていたが、新登場のジャンルであるスポーツドリンクーーポカリスエットやアクエリアス、あるいはバブル時代ならではのコンセプトで続々発売される後発の炭酸飲料に私達は「ナウい」と飛びついた。
当時、同世代の絶対的な支持を集めていた旬のアイドルやアーティスト達がそれらのCMに入れ替わり立ち替わり登場しては爽やかに喉を鳴らしていた。効果は絶大だ。
この高校に入学した時、それらの飲料を売っている自販機や軽食を売る購買が校内にあるというだけで、ずいぶん大人になった気がしたものだ。中学校の頃は給食があるから売店もなかったし、集金以外の現金を学校に持って来ることも行き帰りの買い食いも禁じられていた。
とは言え、そこで買った飲み物を授業中に飲むのはもちろん禁止だ。一方で授業の合間の早弁には先生方も育ち盛りだからと片目をつぶって寛容だった。
生活指導担当の号令一下、生徒会や生活委員会を従えて毎朝校門に立ち、登校時間ギリギリに滑り込もうとする生徒の目の前でかっきり時計通りに校門を閉ざしていた時代とは思えない温情措置ぶりだ。
もっとも、今振り返ってみるとそんな不毛なチェイスに挑むエネルギーがあるならあと五分早く起きなよ、と当時の自分に説教してやりたくはあるがーーと、また話が逸れた。
よその家のお財布事情なんてよく知らないが、一億総中流と言われた時代に医者の子、共稼ぎの勤め人の子、商店の子、農家の子ーーとクラスには色々な家庭の子が集まってたはずなのに、皆、金銭感覚は似通っていて一様に質素だった。当時発売されたばかりの一本百円の飲料を、毎日買って飲んでる子はまずいなかった。
だが、土曜の放課後や日曜の部活の昼休みは別だ。開放感や特別感、今風に言うところの「自分へのご褒美」気分も手伝って、よく購買前の自販機や校門前の売店に走った。
この時は確か、文化祭準備で午前の授業の後に居残ることになった土曜日の昼休みだったと思う。
何の気なしに「梅干し取り替えっこしよう」と言い出したのは咲ちゃん本人だったのに、私は何だか申し訳ないような気になった。
「そんなに塩っぱいかな?ウチの梅干し……」
そして釈然としない。
「咲ちゃん家のと変わらないような気がするんだけど」
本人のいない所で陰口を言ったニュアンスにならないよう、その場で一緒に昼食を食べていた数人の誰に向かってでもなく、大きな独り言でそうこぼした。
「私達、食べてないからわかんないけど」
いつも調整役のクミちゃんがおっとりと苦笑した。
「咲ちゃんとは親戚なんでしょ?梅干しの味だって似るんじゃないの?」
妹分的なムードメーカーのマユっぺが丸い目を楽しそうにくるくるさせる。
「いや、親戚っても遠縁だからねぇ。それにお父さんやお祖父さんは梅干し作らないでしょ」
「そりゃそうだ」
咲ちゃんも戻ってきて、箸どころか丸太が転げた勢いでわけもなく大笑いーー世は空前のバブル景気でふるさと創生やらリゾート法やらで沸いていたらしいが、この街だけはやれゴルフ場建設やテーマパーク誘致の大計画が降って沸いたりも、それに伴うブナ森の伐採反対運動なんかも起こったりする事もなかった。
昭和半ば風味のまま北上山地とやませの冷気に閉じ込められたタイムカプセル状態で、何十年経とうとびくとも変わらずそこに横たわっているんだろうと、皆んなきっと信じて疑ってなかったーー永遠の輝きじみたモラトリアム時間の、穏やかで麗かな昼下がり。
話はそこから何故か、「お祖母ちゃんがわざわざ作ってくれる不味いもん」のお題で異様に盛り上がるーー逆にその頃美味しかったものが身体にいいとは限らないし、大人になってから美味しさがわかったものだってあるんだけどーー北三陸のおばあちゃん達、ごめん。代表で謝っておく。
「おばあちゃんって、何にでも砂糖入れるよね。麦茶とかたくあんとかポテトサラダとか」
「ポテトサラダに砂糖はキツイわー」
あはははは……
「うちは麦茶は砂糖入れないからさ。友達の家に行った時、出されて困った。残すと悪いと思って」
「しーちゃんちの麦茶はまだマシだね」
「お母さんが麦茶作ってるからかも」
「うちは砂糖じゃなくて、味の素だね」
「麦茶に?」「違うよ!」
ゲラゲラゲラゲラ……
「砂糖さえかけておけば孫も喜ぶって思いこんでて、いくら言っても直してくれない」
「年だから仕方ないよ。戦争の時に飢えてた反動なのかなあ」
「不味いって言えばーー小さい頃よく作ってくれた『豆しとぎ』だね」
「それそれ!」
「青臭くてもそもそして、べたっと甘いの」
「砂糖入れ過ぎなんだよねえ」
もしかすると各家庭によって味が違うのかもしれないが、この時は満場一致だった。
そしてこの時にはもう、誰のおばあちゃんも悪名高い「豆しとぎ」を現役で作ってはいなかった。
未熟な私達は昭和暗黒史の悪習をスペースシャトルで宇宙の彼方に葬り去った万能感すら感じていたーーいや、実際は老朽化した校舎の片隅で「いい加減始めるよ」と他のグループに釘を刺されるまで、ニッチな「あるある話」に花を咲かせてバカ笑いしていただけなのだが。
「豆しとぎ」とはこの地方に伝わる郷土菓子で、「青豆」を煮て潰し、米粉と砂糖を加えて羊羹状に成形した物だ。戦前生まれの祖母がこしらえる「豆しとぎ」は子どもの舌にはボソボソと青臭く、甘過ぎた。
ーーと書くと、お砂糖たっぷりの昔ながらの保存食のように思えるかもしれない。食べ物が完全に腐る寸前、酸えた感じに悪くなることを北三陸の言葉で「あめる」と言う。
「豆しとぎ」は「あめ」やすい。父の好物だった「田楽豆腐」と並んで「あめやすい実家グルメ」2トップに挙げられるくらい、日持ちがしなかった。
もっと後年まで祖母が作っていた味噌や梅干し、「凍み」系の食材に比べても確かにコストパフォーマンスは低い。
残念な属性と「手間暇かけた割に誰も(特に孫が)喜ばない」といったことも、年を重ねた祖母が豆しとぎを作らなくなった要因だろう。それまで自宅で作っていた青豆の栽培ごとやめてしまったに違いない。幼かったとはいえ何だか気の毒なような、申し訳ないような気がする。
いい大人になった今ならきっと、お祖母ちゃんの豆しとぎをありがたくお茶請けにいただけただろうにーーこれも時代の隔たりが産んだ、地球の片隅のごく小さな悲劇だ。
ローカルな伝統食というのはこうして、日本の片隅の一地域でいつの間にかひっそりと、人知れず消えていくのだろう。
後年、ふと思い出して「豆しとぎ」についてネットでも調べてみた。
私は長年これを枝豆で作った夏のお菓子だと思い込んでいたが、「青豆」という別な種類の豆で作られるものだ。収穫期は秋で、熟しても黄色くならず青い。
古来、年末年始に「しとぎ」という米で作られた菓子を神前に備える風習があるそうなのだが、寒冷地で米が穫れない北三陸の近辺では雑穀や豆で代用した。青豆で代用したのが「豆しとぎ」だという。ネットにはレシピまである。
しかしそれらがお祖母ちゃんが使っていた材料や製法と同じとは限らないし、幼児の頃の記憶におぼろげにしか残っていない祖母の味を再現するのはもう無理だろう。が、試しにチャレンジしてみる価値はありそうだ。
原料の青豆(青大豆)は低脂肪で甘味と独特の風味に優れ、イソフラボンやサポニン、植物繊維に富む、とある。雪に閉ざされ、海の時化やすい半農半漁の集落では、貴重なタンパク源でもあっただろう。
青豆も一時期、栽培する農家自体が減っていたそうだが、リゾート開発政策がコケた後のSDGs的地域おこしとお取り寄せグルメブームの波に乗り、再認識されつつある。
実家近くの道の駅でも、ごく稀に、どうにか消滅を免れ商品化された「豆しとぎ」を見かける事がある(らしい)
旅行で北東北に行ったがそれらしい菓子を見かけなかった、味だけでも知りたいという方が中にはいるかもしれない。製菓会社がお土産として売っている「豆銀糖」や南東北で有名な「ずんだ」が味としてはおそらく近い。
了
本作は別な文学賞に応募して選外だった作品に加筆修正したものです。一通り完結させる事ができてホッとしていたら、タイトルの「まめしとぎ」についての詳しいエピソード部分がほぼ抜け落ちていた事に気づきました。
あとがき代わりに番外編として掲載します。
※※※※※
「しーちゃんちの梅干し、キツい!」
そう言って顔をしかめた咲ちゃんはまるで「Dr.スランプ アラレちゃん」に出てくる「梅干し食べたスッパマン」みたいな表情だった。
「そうかなぁ?」
私は自分のお弁当に入っていたそれと取り替えたばかりの、咲ちゃんちの梅干しを噛み砕きながら首を傾げた。
「そんなに酸っぱい?」
「じゃなくて。塩っぱすぎ」
お弁当のお供にしていた250mlのマウンテン・デューは空だったらしい。お水飲んでくる、と咲ちゃんはお弁当を置いて立ち上がり、グループで腰掛けていたベランダから教室を抜けて廊下の水飲み場に向かった。
遡ることゆうに四半世紀以上、半世紀未満といったところの、昭和の高校生時代。
学校に水分補給のための水筒を持参する、というような習慣はなかった。むしろ運動系の部活や体育の授業では「バテるから水を飲むな」と真顔で指導されていた時代だ。
その頃、購買や学校前の売店で売られていたのはお馴染みの紙パック牛乳や乳酸飲料の他に、一律250ml入りのスチール缶入りのお茶やジュース類だった。新顔のペットボトル飲料は1.8Lや2.0L入りが三~四百円くらいで売られていて、350mlのアルミ缶はまだ登場前だった。
牛乳も甘い飲み物も大人のビールも、瓶入りが当たり前という子ども時代を送っていた世代には缶入りの飲料自体が目新しく、大人の若者のシンボルのように思えていた。
「缶のお茶」だって私の幼児時代にはなかった、十分画期的な商品だ。
子どもの頃、母の買い物に付き合う途中でよく喉が渇いた記憶がある。その頃、駅前や市街地の片隅に進出し始めた大規模スーパーや(やや名前倒れ感のある)駅前デパートには、似たような子ども連れを意識してかちゃんとウォータークーラー式の水飲み場が設置してあったーーただし、高さも仕様も純然とした大人向けのそれで、爪先立ちか抱え上げてもらわないと目的を達せない代物だったーーが、商店街の個人店や中途半端な規模の店にはそれがなかった。
例えば母の行きつけの大衆向けよりは少しお洒落向けに触れた老舗洋品店などがそうだった。子ども用の十円入れたら動く動物型の乗り物や、自動販売機(当時の大人も若者も五文字の単語を「自販機」なんて三文字に略したりはしなかった)なんかは置いてあったのに。
それで母からは当然のように「缶ジュースを買ってあげようか」と返されるのだが、その時の絶望感ときたらーー当時のジュースはせいぜい果汁が20パーセント入っていれば上等な砂糖入りの色水だった。さすがによく冷えてはいるが、水が欲しい子どもがそんな甘ったるく浸透圧の高い物を飲んでも、喉の渇きが止まるわけがない。
まさに「大人は何にもわかってくれない」なのである。
今思うと親子揃って「お出かけの時は水筒を持って行こう」という発想にならなかったのは不思議だーー当時の子ども向けの水筒はマンガのキャラクターなんかがついた、ぶら下げ式の丸っこいプラスチック製で、特別高価な物ではなかったと思うのだがーーやはり遠足や運動会といった「特別な日」にわざわざ使う「イベントグッズ」であり、それを日常使いするという発想が二人ともなかったのだろうーーと、何だか話が逸れた。
その時、友人同士の昼休み時間に私がチョイスしたのは、ガラス瓶からプラ容器にリニューアルし、リバイバル再販を果たした懐かしの味、スノーラックだった。新発売の炭酸飲料、アンバサとずいぶん迷った。
コーラやファンタ、サイダーなどの定番飲料も瓶入りから250ml缶に次々と鞍替えしていたが、新登場のジャンルであるスポーツドリンクーーポカリスエットやアクエリアス、あるいはバブル時代ならではのコンセプトで続々発売される後発の炭酸飲料に私達は「ナウい」と飛びついた。
当時、同世代の絶対的な支持を集めていた旬のアイドルやアーティスト達がそれらのCMに入れ替わり立ち替わり登場しては爽やかに喉を鳴らしていた。効果は絶大だ。
この高校に入学した時、それらの飲料を売っている自販機や軽食を売る購買が校内にあるというだけで、ずいぶん大人になった気がしたものだ。中学校の頃は給食があるから売店もなかったし、集金以外の現金を学校に持って来ることも行き帰りの買い食いも禁じられていた。
とは言え、そこで買った飲み物を授業中に飲むのはもちろん禁止だ。一方で授業の合間の早弁には先生方も育ち盛りだからと片目をつぶって寛容だった。
生活指導担当の号令一下、生徒会や生活委員会を従えて毎朝校門に立ち、登校時間ギリギリに滑り込もうとする生徒の目の前でかっきり時計通りに校門を閉ざしていた時代とは思えない温情措置ぶりだ。
もっとも、今振り返ってみるとそんな不毛なチェイスに挑むエネルギーがあるならあと五分早く起きなよ、と当時の自分に説教してやりたくはあるがーーと、また話が逸れた。
よその家のお財布事情なんてよく知らないが、一億総中流と言われた時代に医者の子、共稼ぎの勤め人の子、商店の子、農家の子ーーとクラスには色々な家庭の子が集まってたはずなのに、皆、金銭感覚は似通っていて一様に質素だった。当時発売されたばかりの一本百円の飲料を、毎日買って飲んでる子はまずいなかった。
だが、土曜の放課後や日曜の部活の昼休みは別だ。開放感や特別感、今風に言うところの「自分へのご褒美」気分も手伝って、よく購買前の自販機や校門前の売店に走った。
この時は確か、文化祭準備で午前の授業の後に居残ることになった土曜日の昼休みだったと思う。
何の気なしに「梅干し取り替えっこしよう」と言い出したのは咲ちゃん本人だったのに、私は何だか申し訳ないような気になった。
「そんなに塩っぱいかな?ウチの梅干し……」
そして釈然としない。
「咲ちゃん家のと変わらないような気がするんだけど」
本人のいない所で陰口を言ったニュアンスにならないよう、その場で一緒に昼食を食べていた数人の誰に向かってでもなく、大きな独り言でそうこぼした。
「私達、食べてないからわかんないけど」
いつも調整役のクミちゃんがおっとりと苦笑した。
「咲ちゃんとは親戚なんでしょ?梅干しの味だって似るんじゃないの?」
妹分的なムードメーカーのマユっぺが丸い目を楽しそうにくるくるさせる。
「いや、親戚っても遠縁だからねぇ。それにお父さんやお祖父さんは梅干し作らないでしょ」
「そりゃそうだ」
咲ちゃんも戻ってきて、箸どころか丸太が転げた勢いでわけもなく大笑いーー世は空前のバブル景気でふるさと創生やらリゾート法やらで沸いていたらしいが、この街だけはやれゴルフ場建設やテーマパーク誘致の大計画が降って沸いたりも、それに伴うブナ森の伐採反対運動なんかも起こったりする事もなかった。
昭和半ば風味のまま北上山地とやませの冷気に閉じ込められたタイムカプセル状態で、何十年経とうとびくとも変わらずそこに横たわっているんだろうと、皆んなきっと信じて疑ってなかったーー永遠の輝きじみたモラトリアム時間の、穏やかで麗かな昼下がり。
話はそこから何故か、「お祖母ちゃんがわざわざ作ってくれる不味いもん」のお題で異様に盛り上がるーー逆にその頃美味しかったものが身体にいいとは限らないし、大人になってから美味しさがわかったものだってあるんだけどーー北三陸のおばあちゃん達、ごめん。代表で謝っておく。
「おばあちゃんって、何にでも砂糖入れるよね。麦茶とかたくあんとかポテトサラダとか」
「ポテトサラダに砂糖はキツイわー」
あはははは……
「うちは麦茶は砂糖入れないからさ。友達の家に行った時、出されて困った。残すと悪いと思って」
「しーちゃんちの麦茶はまだマシだね」
「お母さんが麦茶作ってるからかも」
「うちは砂糖じゃなくて、味の素だね」
「麦茶に?」「違うよ!」
ゲラゲラゲラゲラ……
「砂糖さえかけておけば孫も喜ぶって思いこんでて、いくら言っても直してくれない」
「年だから仕方ないよ。戦争の時に飢えてた反動なのかなあ」
「不味いって言えばーー小さい頃よく作ってくれた『豆しとぎ』だね」
「それそれ!」
「青臭くてもそもそして、べたっと甘いの」
「砂糖入れ過ぎなんだよねえ」
もしかすると各家庭によって味が違うのかもしれないが、この時は満場一致だった。
そしてこの時にはもう、誰のおばあちゃんも悪名高い「豆しとぎ」を現役で作ってはいなかった。
未熟な私達は昭和暗黒史の悪習をスペースシャトルで宇宙の彼方に葬り去った万能感すら感じていたーーいや、実際は老朽化した校舎の片隅で「いい加減始めるよ」と他のグループに釘を刺されるまで、ニッチな「あるある話」に花を咲かせてバカ笑いしていただけなのだが。
「豆しとぎ」とはこの地方に伝わる郷土菓子で、「青豆」を煮て潰し、米粉と砂糖を加えて羊羹状に成形した物だ。戦前生まれの祖母がこしらえる「豆しとぎ」は子どもの舌にはボソボソと青臭く、甘過ぎた。
ーーと書くと、お砂糖たっぷりの昔ながらの保存食のように思えるかもしれない。食べ物が完全に腐る寸前、酸えた感じに悪くなることを北三陸の言葉で「あめる」と言う。
「豆しとぎ」は「あめ」やすい。父の好物だった「田楽豆腐」と並んで「あめやすい実家グルメ」2トップに挙げられるくらい、日持ちがしなかった。
もっと後年まで祖母が作っていた味噌や梅干し、「凍み」系の食材に比べても確かにコストパフォーマンスは低い。
残念な属性と「手間暇かけた割に誰も(特に孫が)喜ばない」といったことも、年を重ねた祖母が豆しとぎを作らなくなった要因だろう。それまで自宅で作っていた青豆の栽培ごとやめてしまったに違いない。幼かったとはいえ何だか気の毒なような、申し訳ないような気がする。
いい大人になった今ならきっと、お祖母ちゃんの豆しとぎをありがたくお茶請けにいただけただろうにーーこれも時代の隔たりが産んだ、地球の片隅のごく小さな悲劇だ。
ローカルな伝統食というのはこうして、日本の片隅の一地域でいつの間にかひっそりと、人知れず消えていくのだろう。
後年、ふと思い出して「豆しとぎ」についてネットでも調べてみた。
私は長年これを枝豆で作った夏のお菓子だと思い込んでいたが、「青豆」という別な種類の豆で作られるものだ。収穫期は秋で、熟しても黄色くならず青い。
古来、年末年始に「しとぎ」という米で作られた菓子を神前に備える風習があるそうなのだが、寒冷地で米が穫れない北三陸の近辺では雑穀や豆で代用した。青豆で代用したのが「豆しとぎ」だという。ネットにはレシピまである。
しかしそれらがお祖母ちゃんが使っていた材料や製法と同じとは限らないし、幼児の頃の記憶におぼろげにしか残っていない祖母の味を再現するのはもう無理だろう。が、試しにチャレンジしてみる価値はありそうだ。
原料の青豆(青大豆)は低脂肪で甘味と独特の風味に優れ、イソフラボンやサポニン、植物繊維に富む、とある。雪に閉ざされ、海の時化やすい半農半漁の集落では、貴重なタンパク源でもあっただろう。
青豆も一時期、栽培する農家自体が減っていたそうだが、リゾート開発政策がコケた後のSDGs的地域おこしとお取り寄せグルメブームの波に乗り、再認識されつつある。
実家近くの道の駅でも、ごく稀に、どうにか消滅を免れ商品化された「豆しとぎ」を見かける事がある(らしい)
旅行で北東北に行ったがそれらしい菓子を見かけなかった、味だけでも知りたいという方が中にはいるかもしれない。製菓会社がお土産として売っている「豆銀糖」や南東北で有名な「ずんだ」が味としてはおそらく近い。
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