空色のツバサをください

春羅

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番外編 菊花の約

菊花の約

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 それ程に、彼女の帰りを待ち侘びていた。
 姿を見る前に、確信に近く呼びかけてしまうくらいに。
「……あ、一ノ瀬先生、お待たせして申し訳ございませんでした」
 違った。主催者側のスタッフだ。
 では、彼女はどうしたのだ?
 遅くなるにしても、連絡の一本も入れないなんて。こちらがいくら電話をしてもメールをしても反応がない、LINEの既読もつかない。
 本当は気付きたくなくて、無視をしたいような直感があった。
 走り出して、タクシーを拾う。
 大勢の人に声を掛けられたけど、呑気に受賞スピーチしている場合じゃないでしょ。


―…


「俺は作家だからね。おしゃべりは苦手なんだ。ハッキリ言うけど、自殺なんか絶対やめてね」
「もちろんです。沖田くん、トシサン……本当は生きていたかった、精一杯生きた皆さんに申し訳がないですから。この先、死にたくなるくらいツラいことがあっても、生きることをやめません」


―…


 あの言葉が噓だなんて思えない。
 何かトラブルがあったのだろう。
 例の人身事故の被害者が彼女……最悪な場面が頭の片隅にあるのを、無理矢理見ないようにする。
「……またかよ」
 悪夢を振り払う為に首を振ったところで、急激なブレーキ音が耳を劈く。
 運命を呪う。俺を翻弄する。これで三度目だ。もう許さない。


 ――……


「ねぇ……ねぇってば! だいじょうぶ?」
 どこだ、ここ。草ぼうぼうの川原。
 なんかすげぇカワイイ顔の、着物の女の子に見られてんだけど。
 確か俺、母さんと……ってことは、和風天使?
「……だれ?」
 あっぶな。天使? って聞きそうになっちゃった。ヤベェやつって思われちゃう。
「え、えっと、宗次郎。沖田宗次郎」
「……は? あー……、あ、男か」
 っつか沖田総司のガキの頃と同じ名前じゃん。
 あ、やべ。女と間違ったからか? すげぇ怒ってるっぽい。
 子犬とか、ちっちゃい動物みたいな顔してるくせに、かなりがんばってにらんでくる。
「なんで、こんなにぬれてるの? 川で遊んでたの?」
「いや、父親にぶん殴られて、母親にぶっ殺されかけた」
 天使は丸い目をもっと見開く。だよね。俺もびっくりしてる。
「ま、いいや。俺は一ノ瀬則宗。よろしくな」

 父親は、ろくでもない男だった。
 定職に就かずに酒ばかり呑み、母親に暴力を振るうこともあった。
 なんでこんな男を選んだのかと、母親すら憎くなった。
 家はいつも荒れていて、学校では図書室、休みの日は市の図書館で時間を潰した。
 悲劇自慢は嫌いだからね、インタビューとかでは話したことない。
 父親が暴れているから本を借りてくるなんてできなかったけど、ページをめくっている時だけは、クソみたいな現実を忘れられた。
 登場人物の活躍に引き込まれるような歴史モノが好きで、沖田くんと出会った日も、ちょうど前日に新選組小説を読んでいたから、彼の名を聞いてすぐに連想した。
 まさか、タイムスリップしているなんて十歳の俺はすぐには理解できなかったけど。
 幼少期の記憶はほとんどないが、多分あの日初めて、父親は俺にも手を挙げた。
 それをきっかけに、母親は壊れた。いや、正気になった、という見方もあるかな。
「わたしへの暴力なら、いくらでも耐える。愛してるもの。でも、わたしの命より大切な則宗、あなたに傷を付けるのは許せない。それでも、あのひとから離れることはできないの。あのひとは、わたしがいないと生きていられないから。わたしが離れて壊れてしまうあのひとを、遠くで見ているなんてできない。愛してるもの。だから、ごめんね。則宗、一緒にいこう?」
 母親は俺の手を引いて、海に身を投げた。
 それこそ覚えてないけど、苦しい息の中、眩しく光っているほうに向かって藻掻いて、目覚めたのがずぶ濡れの幕末、市谷甲良屋敷試衛館から少し離れた川辺にいた。
 ごくたまに訪れた祖父の家で見た時代劇ほぼそのままの風景と、本の虫少年なりに付けた知識で、ここは黒船来航を控えた日本で、あの天使みたいなのはホンモノの沖田総司だと数日掛けて理解した。
 自分に降りかかった奇跡に、恐怖も不安も感じていなかった。
 毎日毎日、ここから抜け出したいとか、どこかへ行ってしまいたいとか、あとは早く大人になりたいとか? 現実逃避ばかり一心に熱中していたから、現代に帰りたいなんて微塵も思わなかった。
 帰ったところで、母親は死んでいるだろうし、父親は俺を育てようなんて発想すらしないだろうしってね。
 その代わり、彼にまた会いたくなった。
 だってほら、いろんな歴史小説で読んできた登場人物が目の前に現れたんだから。
 十歳の子どもが胸躍らせるのも道理だろう。
「よっ!……って、なんで泣いてんの」
 居場所はわかってる。このくらいの日の高さだったら、試衛館で稽古でもしてるんじゃないかな、あわよくば天然理心流を継ぐ前の近藤勇や、まだ入門してる時期じゃないけどたまに来てたっていう土方歳三とかにも会えるかも、なんて期待しながら。
「……っあ、」
 涙をいっぱい溜めた大きな目を見開く幼い彼は、ちゃんと俺のことを覚えていてくれたらしい。
 イヤなヤツに見つかった、という風に即座に小さい両手を握って、真っ赤になった顔を力任せに拭った。
「よしよし」
と、茶色に透ける髪を撫でようと伸ばした右手は、声を出す一歩前に振り払われた。
 パシと乾いた音が響く。
「触らないで」
「……悪ぃ」
 手負いの獣……基、にゃんこみたいな彼はまた必死に睨みつけてきた。
 でもすぐに気まずそうに、稽古着が山積みになった洗濯桶の前にポツンとしゃがんでいた彼は、行儀良く合わせた両膝に顔を埋めた。
 当時は意識しなかったけど、流石は天才剣士の反応の速さだよね。
「た、たたいて、ごめんね」
 今でさえ上手くなったとは言えないし、これもあの両親のせいだとか言い訳したい気にもなるけど、他人の気持ちを汲む力なんてほぼ皆無で、空気を読むなんて知らないし距離感も掴めない俺は、気にせず隣にしゃがんで覗き込む。
「ねぇ、今いくつ?」
「……じゅっさい」
 藪から棒に何だと怪訝に思っているだろうに、声を籠らせて答えてくれて、会話を続けてくれることへの感謝もなく、俺は
「へぇ。やっぱり天保十三年生まれ説がホントだったんだ」
と呟いた。
 警戒して脇から目線を上げる彼にニヤリと笑いかける。
「俺とタメじゃん。仲良くしようぜ」
「……やだ」
「はぁ? なんで!」
 また膝にピッタリ額を付けて続ける。再会した沖田くんはいつも袴を履いていたけど、この時は子どもらしく丸い膝小僧を出していたっけ。
「……ぼく、ここで内弟子をさせてもらってるから。することがたくさんあるんだ。きみと遊んだりできない」
 内弟子、ね。近藤勇の養母にスゲェいじめられて、雑用させられまくってたってのもホントなのかよ。この様子じゃ、まだ剣術の稽古もしてないかな。
「じゃあさ、たまーに来てやっから。しゃべろうぜ」
 あまり頻繁に来たりすると、ってか手伝ったりもしてやりたいけど、もし女将さんに見つかったら怒られるのは沖田総司だよな、とか子どもなりに考えて出した妥協案だった。
「……いいけど」
 ぎゅうと身を縮めたまま、沖田くんはやっと聞こえるくらいの声で言った。
 大人になった沖田くんが壬生の子どもたちと遊んだのは、少年期にあまり遊べなかった反動かな、とか今になって思ったりする。あの気質だから、単に子どもに好かれるってだけかもしれないけど。
 それからは二回目と同じように、思うさま史跡巡りというか現地調査に明け暮れた。
 実際に見てみたいと思う場所がたくさんあったから。
 この時代の人間じゃないこと、だからこの時代に家族も住む場所もない自由人だということも、沖田くんには話してあった。
 ぽっかり口を開けて聞いていたから、本当に伝わっているかどうかは微妙だったけど。
 それでも、住む場所がないことについてはかなり心配してくれていた。うちにおいでと言える立場じゃないことも嘆いてくれた。
「ほら、俺この顔だからさ。困った声で行くところがないって言えば泊めてもらえるし。転々としながら気楽にやってるよ」
 その日もまた、沖田くんは洗濯物を干して、次は薪を割って、必死に働いていた。夏は汗まみれになって、冬は手をカサカサにして。
「すごいね」
 沖田くんはたぶん、変な逞しさを褒めてくれたのだろうけど、
「顔の造りなんて自分の手柄じゃないし。俺の父親はイカれたクソオヤジだけど、見てくれだけはイイからさ」
 恥ずかしながら十歳の俺は、顔を褒められたと勘違いしたらしい。
「沖田くんのほうが、よっぽどスゲェよ」
 心から、そう思っていた。まぁ、今でも思ってるけど。
 彼は軽い音を立てて薪をパクリと割った。随分と馴れている鮮やかな手つきだ。
「……ぼくなんか。なんにもできないもん」
「笑った顔。君が笑うと、周りが光ってるみたいじゃん」
 我ながら歯の浮くようなセリフだけど、人見知りの極みみたいな沖田くんはコロコロよく笑うようになっていて、もう随分仲良くなっていた。
 何故か、ずっとこのまま、この時代にいる気がしていた。
 現代に何の未練もなかったし、真っ昼間から眠かろうが、それが帰らされる前兆だなんて知りもしなかったし。
 突然訪れる、別れの直前だった。

「クソガキが! 俺の財布盗もうとしやがった!」
「違うって! たいして中身も入ってねぇくせに、誰が盗るもんか!」
 夜店にふらりと、これも現地取材と称して見物がてら遊びに来ていた時だった。
 山みたいに図体のデカい男にぶつかり、その拍子に財布が落ちたものだからスリと勘違いされたらしい。
 人混みに紛れてすぐに逃げればいいものを、気ばかり強くて調子に乗っている、まさにクソガキタイプの俺は真っ向から突っかかっていった。
 その腰に、大小二振りをしっかり佩いているのすら意識せず。しかも数人の手下を引き連れていた男は、いとも容易く抜刀した。
 武士にもピンキリだ。
 買ったばかりの刀の試し斬りと野犬を斬るような輩から、終始お飾りとして腰にぶら下げておく者、簡単に抜かないのを美徳とする武芸者など。
「そこに直れぃ! 手を付いて謝れば許してやる!」
 たくさんの店が立ち並び、赤い提灯が明るく照らしていた。
 悲鳴と罵声と野次と歓声、そして好奇の眼に包まれていた。
 火事と喧嘩は江戸の華ってね。まさか体験できるとは思ってなかったけど。
「うっせぇハゲ! 悪いこともしてねぇのに土下座なんかするわけねぇだろ!」
 勿論、禿ではなくて月代だ。血の気が多い上に酒の臭いぷんぷんの若武者だったからね。
 こんなクソ生意気だったのに、よくあのクソ親父は俺を一発殴るだけで済ませていたよな、なんて思う。
「言わせておけば……刀の錆にしてやる!」
 あ、この定番セリフってマジでいうヤツいるんだ。
 せめて、今宵の虎徹は血に飢えている、とか聞いてみたかったな、せっかく幕末に来たんだから。
 振り下ろされる刃に流石に委縮して、咄嗟に眼を瞑った刹那のことだった。
 鈍い鋼鉄の音がして、また見開いた俺の目の前には、朱塗りの鞘で刀を受け止めた少年がいた。
 小さい背中なのに、片膝を付いた姿勢で美しいと賛じたくもなるように綺麗に構えている。雑踏から俺の姿を見つけて駆け付けてくれて、抜刀する暇がなかったのか、それとも。
 息を切らして走って来たのは彼の大事な先生だ。名ばかりの武士に情けを掛けたのか、客でごった返す夜店でこれ以上騒ぎを大きくしない為か、やっぱり、近藤勇に見られたくなかったのかもな。
 人を斬る姿を、まだ見られるわけにはいかなかったんだよね。
「そ、宗次郎!」
 喜んだような怯えたような裏返り声を上げたのが、多分近藤勇だったと思う。何せ星月天地そのままひっくり返したような大歓声で聞き取れなかった。
男は会いたくて会いたくての理由以外でわなわな震えていたけれど、怒りというか恐怖だったのだろう。
 苦し紛れに何か叫びながらまた斬りかかろうと振り上げる合間、沖田くんは俺の手を引っ掴んで一目散に走った。
 背後にはまだ負け犬の遠吠えが聞こえていたけど、幸運な命拾いをしたね、あの男は。
 本を読んでばかりの上、栄養失調気味のモヤシっ子だった俺はものの数分で息を切らして、やっとで着いた場所はあの川原だった。
 力尽きて大の字に転がった。もうかなり見慣れていたけれど、高層ビルも電線も夜景の煩さもない、透き通るように広く深い幕末の星空だ。
「バカじゃないの」
 対して呼吸ひとつ乱さずに立っている沖田くんは、キツイお叱りの割に涙声だった。
「……ごめ、ん」
 悪いと思えば謝りもするさ。ゼェハァ息をしながらの、完全寛ぎモードの体勢に見えているだろうけど。
 彼は横に腰を下ろして、さっきの刀を右脇に置いた。
「それ、もしかして非人清光?」
「先生に買ってもらったばっかりの。鞘に傷が付いた加州清光」
「ごめんって」
 ぅおおやっぱり! 沖田総司愛刀・加州金澤住長兵衛藤原清光! と、俺にしては珍しく少し興奮気味になりながら、近藤勇が漸く本気で、彼に剣術を学ばせようとしているのを察した。
「ぼく、皆さんが稽古しているのを見ていたんだ。ずっと、毎日毎日。先生が、宗次郎もおいでって、言ってくれて。夜店でも一言、キレイって言ったら、じゃあ買ってやるって。先生あんまりお金ないのに」
 彼は、俺がもらうことができなかった、これからも、もらうことなんてない、親のような存在からの無償の愛を、やっと知り始めていた。
「強く、なりたいな。そして、先生の進む道を守りたい」
 でも俺は、歴史を知っている。
 友が、いずれ時代の表舞台に飛び出し、華々しい活躍の絶頂を迎え、その引き換えにしたように天をも恨むような数々の苦しみに遭うことを。
 そう、鬼神のような強さの引き換えにしたように、病魔に侵され、志半ばで生涯を終えることを。
 それも一瞬で散る命じゃない。血を喀いて、じわじわと苦しみ抜いて、ひとりで死ぬ。
「先生に、頼りにされたい。信じていてほしい、宗次郎はいつも傍にいるって」
 止めるなら今だ。
 近藤勇達に従って上洛なんかしなければいい。
 天然理心流五代目として試衛館を継ぐなり、あの腕前だ、新流派を立ち上げることだってできるだろう。
 ……いや、剣に出逢わなければ。
 そもそもこの腕を見出されなければ。
 自らの才能に気付かなければ。
 役目なんて、使命なんて、己の道なんていらないだろ。
 ただ、生きているだけでいい。生きていてくれるだけで。
「先生の、力になりたい」
 止めるなら今だ。
 すぐに試衛館を、江戸を出ればいい。
 俺と一緒に。
「……なぁ。もしも、さ。近藤勇……君の先生についていったら、哀しいこととか、苦しいことがいっぱいあるって言ったら」
 もしも、だなんて。俺は未来から来たんだから確実にそうなる、って言っているのと同じだ。これ程当たる占いはないんだから。
 それに気付かないような鈍感な子じゃない。むしろ寒気がするくらいに敏い子だった。俺が、エスパーかよって突っ込んだくらいだからね。
「弟子なんて、やめる?」
 驚くと顰め面になるひともいるけど、彼は最初にここで見たように、丸い目をパチパチするひとだ。
「どうして?」
 どうしてって……人の話聞いてたのかよ。
 俺が驚く時にする顔は、顰め面のほうだ。
「誰かと、友だちになるとき。いつか来る別れがツライからって、友だちになるのをやめたりしないでしょ」
 十歳の俺は、確かにそうだ、なんてまんまと納得させられて、これ以上の説得ができなくなってしまった。
 うーん、今でも、反論するのは難しいかもな。
 ひとを愛するとき、どんなに仲睦まじくても一度の喧嘩さえしなかったとしても別れを選ばなくても永遠を誓ったとしても、死というカタチで、百年以内の未来に別れは確実に用意されている。
その時に身を裂かれるような想いで哀しみ苦しむとわかっていても、愛することはやめない。
 共に生きることを、やめたりしない。

 ――……

 目を覚ますと、俺は病院のベッドにいた。

 折れているらしい脚が吊られている。良かった。商売道具の頭と手が無事で。

 三度目の奇跡は、彼女の方に起きたってことかな。

 そうだと、いいんだけど。

 ――……


「……おかえり」
 この場所は、知ってる。
 高めの塀の内側に桜の大木があって、他にも小振りの可愛い植木が並んでいる。
 眩しいくらいの葉桜の木漏れ日の下、横になっていた。
 遠くに水車の回る音が心地よく聞こえる。
 縁側があって、続く部屋に蒲団を敷いて座って、ちょっと、ううん、かなり驚いて眼を丸くしてこちらを見ている。
 何度も何度も、ここに来たい、行かなきゃって。
 夢にまで見た。え、夢じゃないですよね?
「沖田くんっ!」
 その姿を見たらもう、止まらなかった。
 わたしは、彼に逃げられないようにというわけでもないのに、また縺れる脚で走って、また出逢った頃みたいに抱きついてしまった。
「おおっ! 誰でぇそのムスメさんはっ? ボウヤのコレかぇ」
 ヒィ! 他に人が入って来たの気付かなかった!
 この景気のいい江戸っ子は、ニヤニヤしながら小指を立ててる幕府御典医松本良順さんですね。
 病み窶れ真只中のわたしを診てくれていたけど、かなりの動体視力がないと追えないわたしの俊足で顔が見えなかっただろうし、有り余るこの健康ぶりで、わたしとは気付かないみたい。

「……妹みたいなもんです」
 弟って言われないだけ、ありがたいと思わないと。
 良順さんは
「そうかぇ、兄妹で積もる話もあらぁな。また明日診に来てやっから、イイコで寝てろよ!」
と、わざとらしくニヤケ顔で出て行った。大きな鞄を散切り頭の少年に持たせた、史実通りツルツル頭の明治を代表するお医者さんだ。
 相変わらずのチビヒョロにパンツ姿だけど髪は伸びたから、ほんの少しだけ女らしくなったかも。
 さぁさぁ、惚れ直してもいいんですよ、沖田くん!
「治ったら、元気すぎてウザさが増したね」
 あ、ヤッバ最後の声に出してた。
「いや満面の笑顔でヒドイこと言いますね。『沖田氏縁者異聞』の沖田さんの優しさ見習ってくださいよ」



 番外編  

 もう一度、空色のツバサをください



 以前のわたしとは違う。わたしは、学んでしまった。幕末の歴史を。
 あなたの、最期の日を。
「今、何年ですか?」
 ここは紛れもなく千駄ヶ谷の植木屋平五郎さん宅の離れだ。そしてこの気持ちいいはずの暖かさに、嫌な予感がしていた。
「慶応四年四月二十五日」
 流山で投降した近藤局長が、斬首された日だ。
「……相変わらず、すぐ顔に出るんだから」
 咄嗟に両手で顔を隠した。沖田くんは吹き出したけど。
 相変わらずって、そうか、わたしは一年ちょっとぶりだけど、沖田くんからしたら離れてから三年にもなるんだ。
 碌な裁判もせずに、しかも三日も御級を晒すなんて。その歴史を知った時を思い出して、そしてこんな日に飛ばされてきたのが如何にも嘲弄されているようで、あまりの怒りで逆に青くなっていたかも。
このことを、沖田くんは知らないままだったはず。そのほうが、絶対にいい。エスパーにだって、隠し通してみせる。
「ちゃんとお勉強してきたんだね。エライエライ」
 良順さんに釘を刺されたのに、再会して一度も寝ないまま、別れた頃と同じように少し猫背で座っている。
 すぐ脇で正座するわたしの頭を、ふわりと撫でた。
 きっと沖田くんは、もうひとつの意味でわたしが青くなったんだと思ったんですよね。
「僕と、もう一度お別れする覚悟はできてる?」
 そんなこと、笑いながら言わないでください。こっちは泣きまくる前提で答えちゃうじゃないですか。
 小綺麗な部屋で、開け放ってある縁側から緑の香りが混ざった風が吹く。
「……っお、沖田くんこそ、わたしが帰ってしまった時、泣いたんじゃないですか?」
「あっはは。おもしろいこと言うね」
 否定も肯定もしないんですね。笑いごとじゃないですよ、もう。
「わたしのほうがっまた、先に帰ってしまうかもしれませんよ」
 そんな繰り返し、厭だけど。
「そんなに早く帰るの? まだ眠くないでしょ?」
 そんなに早くって……最期がいつか知ってるみたいに。
 さっきから、少し痩せた顔してずっと微笑んで。言わないでください。泣かせるようなことばかり。
「わかるよ。だって、しんどいし。ツバサの子守りなんてできないくらい」
 流石に膨れっ面の不細工三割増しにならざるを得なくなって、その頬を人差し指でつつかれた。
「ツバサ、治ったんだよね。良かった」
「……あ!」
 せっかく、やっとしんみり言ってくれたけど、お構いなしに身体中バシバシ乱暴に叩いて探した。
「な、ない」
 きっとまた会えるって、信じていた。だからいつ会えても大丈夫なように、肌身離さず薬を持っていたのに。
 今日だって、スーツの胸ポケットに入れてあったのに。
 なくなってる。
 どこかで落としたのか、それとも。
 歴史を変えたりしないように、奪われたのかも。
 わたしを何度も翻弄する、カミサマみたいなやつに。
 駅のホームでわたしを突き落としてまでタイムスリップさせておいて。
 あまりに勝手が過ぎるんじゃない?
 ガクリと項垂れるわたしに、きっと沖田くんは、またツバサが変なことやってるとか思いながら続ける。
「則宗は、新選組僕たちのこと書いたの?」
 わたしはパッと顔色を変えてしまう。我ながら単純だ。
「はい! ものすごい傑作ですよ! 有名ドコロ文学賞総ナメだったんです! 敏腕編集者のわたしもいろんなパーティーにお呼ばれしちゃいました!」
 やっぱり、感謝、すべきなのかな。悔しいけど。
 治してあげることはできなくても、傍にいられる。
 別れる時を、怖れはしない。
 愛さなければよかったとか、出逢わなければよかったとか、決して思えないのだから。
 どんなに苦しくても、傍にいられる時を、大切にする。
「へぇ。作り手ばっかり賞賛されたわけだ」
 どこが好きかとか、理由を挙げるなら全部好き。
 今みたいに、本当は優しいのに、イジワルそうに笑うところも。
「演者にも、ご褒美ちょうだい」
 別れの、覚悟はできているか。
 できていなければ、もう一度会いたいなんて思わない。
 あなたは確認するように訊いたけど。
「沖田くんこそ。最後まで笑わせてさしあげますから、覚悟してください」

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