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13、人恋しかったのです
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『魔女を月の牢獄に封印したところまでは話しましたね。その後、魔法と融合を果たした人類の科学は加速度的に進歩しました。それは、栄華を極めたといってもいいほどに。けれども、どんなものであれ、頂点に到達すれば、あとは下っていくだけです。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
ご存じでしょう。平家物語です。この冒頭の文章通り、人類はピークを迎えた後、ゆっくりと衰退していきます。理由なんてありません。いや、色々な要因はありました。けれども、どれも決定的な原因には至らなかった。ありとあらゆる要因が複合的に重なり合い、そして衰弱していくように人類はその数を減らしていったのです。きっと、それが人類という種そのものの寿命だったのでしょう。
私がいた日本中央図書館も、人がいなければどうすることもできません。人類が衰退し、数千年、数万年と経ち、私もきっと、このまま朽ちていくのだと思っていました。ですが、そこで出会いがありました。
人類最後の生き残りである一人の少女、ヒジリです。彼女はたった一人で、東京の密林をさまよい歩いていたのです。一日一日をなんとか凌ぎながら、ただ生きるためだけに。そうしてさまよい歩いていた彼女がたまたま訪れた、廃館どころか、もはや遺跡同然だった日本中央図書館で、私は彼女に拾われたのです。以降、彼女は私とともに行動をするようになりました。
もう何年も人と話していなかったという彼女は、私との出会いをとても喜んでくれました。私も、久しぶりに人の役に立てて、とても嬉しかったのを覚えています。
私に蓄積されていた情報により、彼女の暮らしはかなり改善されたと言っていました。もちろん、資源は限られています。彼女一人では石油の精製はできませんし、電気は貴重なものです。きっと、今のこの時代の生活の方がよほど快適だ。それでも、たった一人で生き抜くよりもずっとずっと、楽しくなった、と彼女は言ってくれました。
彼女のその言葉は、私にとって誇りでした。
ヒジリはとても大切に私を扱ってくれました。なにより、私を話し相手として対等に扱ってくれた。
そうして二人で旅をしながら暮らしていたある日、月から青い雫のようなものが滴り落ちるのが見えました。それはまるで、月の涙のようで、とても美しく煌めきながら月から地上へと降ってきたのです。
ヒジリと私はそれが何なのかを確かめに、落下点へと向かいました。月の涙は、比較的近くに落ちたように見えたのです。別に、生きる以外に他の目的もありませんでしたし、好奇心を優先するのはよくあることでした。たまたま見つけた洞窟に入り込んだり、高い場所に登ったり。人類の滅んだ世界ですからね。娯楽はほとんどありませんでしたから。心の向くままに、好奇心を満たすことこそが、最大の娯楽だったともいえるでしょう。
月の涙が落ちた方向へと歩いてみると、やはりそれはすぐ近くに落ちていました。五時間ほど密林を歩いた先の、小さな湖の近くに、小さなクレーターができていました。それは、明らかに隕石が落ちてできたようなものではありませんでした。
ならば、隕石ではなく、なにが月から落ちてきたのか。その答えは、クレーターのすぐ近くの湖にありました。湖のほとりに、ひとつの人影があったのです。
長く、黒く、風にたなびく美しい髪に、少しタイトな青のワンピースドレスを着た、ひとりの女性。
それが、青の魔女でした。月から落ちてきたのは彼女だったのです。
彼女は約三万年をかけて魔力を蓄積させ、月の牢獄から脱獄し、地球への帰還を果たしたのです。
魔女はヒジリを見つけると、右手をかざし、明らかに何らかの魔法を行使しようとしてから、一瞬硬直し、なにか逡巡するような表情を見せて、その直後に涙を流してその場にくずおれました。
――ああ、人がいた。
と、声を震わせながら、そう何度も繰り返しました。
彼女が月の牢獄に閉じ込められて、数万年。地球上の人類が衰退していったように、月面都市も、やがてその都市機能を失いました。いえ、月面都市の方は地上と比較しても、非常に早く衰退していきました。当然でしょう。自らが誕生し、進歩し続けてきた地球上でさえ衰退していくような人類です。地球から遠く離れた月でなんて、長く生き残り続けるはずがない。
人がいなくなった月面都市。青の魔女は、それでも月の牢獄の中で死ぬこともできずにいたのですから、彼女の孤独は想像するまでもありません。そして、人類に対する憎悪が、その孤独の中で肥大化していたであろうということもまた、想像に難くありません。
彼女は月の牢獄から抜け出し、この地球の大地に降り立ち、そこで憎むべき人類を見つけ、怒りをぶつけようとし、それでも、それ以上に数万年ぶりに人間と出会えたことの喜びが勝り、そして涙を流し、その場に崩れ落ちた。と、いうわけです。
その日は一日中、夜が明けるまで、ヒジリと私は魔女の話を聞き続けました。
そうして知ったのは、彼女が決して殺戮を好む魔女ではないということ。確かに、彼女は多くの人々を殺してしまいましたが、それは自己の防衛のため、とのことでした。もちろん、これは彼女の口から語られたものであって、事実とは異なる、彼女の虚偽の申告である可能性もありますが、私には彼女が嘘をついているようには見えませんでした。ヒジリも、私と同意見でした。彼女の物腰は柔らかく、表情も穏やかで、とてもゆっくりと、丁寧に言葉を紡ぐ方でしたから。
――確かに、私は私を月の牢獄に押し込めた人類がとても憎い。けれども、それ以上に、貴方が愛おしい。生きてくれていて、ありがとう。もし、地球に帰ってきたのに、ひとりも人間と出会えなければ、きっと私は壊れてしまっていた……いえ、きっと、もうすでに死んでいたも同然だったのだと思う。けれども、貴方と出会えて私は生き返ることができたのでしょう。本当に、本当に貴方には感謝の言葉しかありません。
そう言って魔女は微笑みました。
その言葉でヒジリは彼女を信じ、手を差し伸ばし、共に生きていかないか、と提案したのです。
やはり独りぼっちは寂しいものですから。ヒジリも、魔女も、互いに人恋しい。ならば、共に生活するのがお互いにとっての安らぎになります。安らぎは、人生において重要な要素のひとつですからね。
そしてその日以来、私たちと魔女はともに暮らしていくことになったのです。
その暮らしはとても充実したものでした。
気の向くままに行き先を決め、好奇心の赴くままに冒険し、疲れたときには羽休めをしながら、他愛もない雑談を繰り返す。
幸せというものの形とはひとつではない、とはよく言いますが、それでも私たちのこの在り方は幸せの形のひとつではあったのだと思います。
けれども、もちろんそんな日々が永遠に続くわけがありません。物事には必ず終わりが訪れます。我々のその幸せの形が終わったのは、ヒジリの死がきっかけでした。
別に、特別なことではありません。それは、いつか訪れるものだとわかっていましたから。魔女はその魔法の力を持っている限り死ぬことはない。私も、機械である以上、朽ち果てるまでは死ぬことがない。けれども、ヒジリは人間です。寿命があり、時が来れば、必ず死ぬ。ただ、その時が来たまでのこと。
わかってはいました。彼女が歳を重ね、徐々に衰えていくのを見ていましたから。きっと、この三人の中で、彼女が一番最初にいなくなるのだろう、と心構えはしてきていたつもりでした。けれども、いざ本当に二人だけになってしまうと、どうしても違和感が拭えないのです。
ヒジリと出会う前、私は二万年近く人と出会うことはなかったのに。魔女も、月の牢獄で三万年近くたったひとりで生きてきたのに。それでも、ヒジリがいない環境が歪に感じられたのです。いえ、きっと、数万年の空白を経てようやく出会えた相手だったからこそ、我々にとって彼女はより特別な存在になっていたのでしょう。
彼女を失ったその日、魔女は一日中、ただ静かに涙を流し続けました。けれども、彼女が涙を流したのはこの日が最後でした。私はこの日以降、今、この時代にやってきてからも、彼女が八十六万年以上涙を流している姿を見たことはありません。
翌日の朝、彼女は
――二人きりになっちゃったね。でも、まあ……これからもよろしく。
と、そう言って本をそっと抱きしめました。
そうして、私は彼女の所有物となり、彼女とともに二人で暮らしていくこととなったのです。
それからの生活も、まあ、悪くはなかったですよ。彼女は私を丁寧にメンテナンスしてくれていましたし、二人で語り合う夜も、楽しかった。
けれども、そんな日々も永遠には続きません。
たった二人きりでは話題もすぐに尽きてしまいます。いえ、私には膨大なデータベースがありますし、日本中央図書館の多くの来館者用に様々な会話のパターンもありますが、彼女はそうではありません。私たち二人の間の会話がまったく無くなる、ということはありませんでしたが、彼女の言葉数は徐々に少なくなっていきました。数日間、言葉を発さないということも珍しくはありませんでした。
やはり、彼女は人恋しかったのです。私ではその役目は果たせない。所詮、私はAIでしかないのですから。話すことはできても、共に横を並んで歩くことはできません。彼女に必要だったのは、私ではなく、やはりともに歩くことのできる人間だったのでしょう。
そうして数千年、数万年、数十万年と過ぎてゆき、徐々に彼女は歪んでいきました。いや、擦り切れていったというべきでしょうか。その目からは明らかに光が失われていました。
そんなある日、唐突に彼女はこう言いだしたのです。
――ああ、思い出した。
と。何をきっかけに、彼女が何を思いだしたのか、私には全く意味がわかりませんでした。
その時にはもうすでに人類はおろか、この地球も滅びかけていましたので、終末を前に彼女は再び思考を巡らせたのかもしれませんね。
何を思い出したのか、私が彼女に訊ねると、
――すべてを。
と、そう言って、彼女はその過去を語り出したのです。
かつて、好きな人がいたということ。とても幸せな少女時代を過ごしていたということ。当時の世界は魔法がまだ世間には認知されていなくて、少し肩身が狭い生き方をしていた。けれども、自由だったということ。
そうして、自らが最も幸福だった時代の話を終えると、最後に彼女は、私はあの時代を永遠に残したい。と、そう言って膨大な量の魔力を放出しました。青い光が私たちを包み、次の瞬間にはこの時代の、この街にやってきていました。雨の降りしきる、秋馬市に。
そう、お嬢さん。貴方が魔女と出会ったのは、私たちがまさにこの時代にやってきたその瞬間だったのですよ。宙に浮かぶ歪んだ空間があったでしょう。アレは、私たちが時間を飛び越えたときにできた、時空の歪みですよ。
正直に言って、それはあまりに唐突で、私でさえ理解に苦しみました。
時間を超えるだなんて、ありえない。
けれども、その時に目の当たりにした、雨に濡れるこの街は、とても魅力的に見えました。遥か未来の、人類の滅んだ地球上は、自然こそ溢れていましたが、あまりに人のいた形跡が無さすぎました。それに、魔女が時間超越魔法を行使する直前の地球上にはもはや、草木さえもありませんでしたから。
魔女も、そして人間から生み出された私も、やはり人の気配が恋しかったのでしょう。時間を超えてでも、この街を永遠に残したいという、彼女の気持ちが、少し、わかったような気がしました。
それに、どんなにありえないことでも、こうして実際に起こってしまったのならば、それは現実だ。魔女曰く、魔法は奇跡なのですから、時間を超えることもできるのかもしれない。
それから少しずつ、私は現状を理解していき、街を切り取っていく魔女を見守りながら、彼女の側にいた、というわけなのですが……残念ながら、彼女は私を落としてしまいました。、そして、こうして貴方がたに拾われ、今に至る。と、いうわけです』
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
ご存じでしょう。平家物語です。この冒頭の文章通り、人類はピークを迎えた後、ゆっくりと衰退していきます。理由なんてありません。いや、色々な要因はありました。けれども、どれも決定的な原因には至らなかった。ありとあらゆる要因が複合的に重なり合い、そして衰弱していくように人類はその数を減らしていったのです。きっと、それが人類という種そのものの寿命だったのでしょう。
私がいた日本中央図書館も、人がいなければどうすることもできません。人類が衰退し、数千年、数万年と経ち、私もきっと、このまま朽ちていくのだと思っていました。ですが、そこで出会いがありました。
人類最後の生き残りである一人の少女、ヒジリです。彼女はたった一人で、東京の密林をさまよい歩いていたのです。一日一日をなんとか凌ぎながら、ただ生きるためだけに。そうしてさまよい歩いていた彼女がたまたま訪れた、廃館どころか、もはや遺跡同然だった日本中央図書館で、私は彼女に拾われたのです。以降、彼女は私とともに行動をするようになりました。
もう何年も人と話していなかったという彼女は、私との出会いをとても喜んでくれました。私も、久しぶりに人の役に立てて、とても嬉しかったのを覚えています。
私に蓄積されていた情報により、彼女の暮らしはかなり改善されたと言っていました。もちろん、資源は限られています。彼女一人では石油の精製はできませんし、電気は貴重なものです。きっと、今のこの時代の生活の方がよほど快適だ。それでも、たった一人で生き抜くよりもずっとずっと、楽しくなった、と彼女は言ってくれました。
彼女のその言葉は、私にとって誇りでした。
ヒジリはとても大切に私を扱ってくれました。なにより、私を話し相手として対等に扱ってくれた。
そうして二人で旅をしながら暮らしていたある日、月から青い雫のようなものが滴り落ちるのが見えました。それはまるで、月の涙のようで、とても美しく煌めきながら月から地上へと降ってきたのです。
ヒジリと私はそれが何なのかを確かめに、落下点へと向かいました。月の涙は、比較的近くに落ちたように見えたのです。別に、生きる以外に他の目的もありませんでしたし、好奇心を優先するのはよくあることでした。たまたま見つけた洞窟に入り込んだり、高い場所に登ったり。人類の滅んだ世界ですからね。娯楽はほとんどありませんでしたから。心の向くままに、好奇心を満たすことこそが、最大の娯楽だったともいえるでしょう。
月の涙が落ちた方向へと歩いてみると、やはりそれはすぐ近くに落ちていました。五時間ほど密林を歩いた先の、小さな湖の近くに、小さなクレーターができていました。それは、明らかに隕石が落ちてできたようなものではありませんでした。
ならば、隕石ではなく、なにが月から落ちてきたのか。その答えは、クレーターのすぐ近くの湖にありました。湖のほとりに、ひとつの人影があったのです。
長く、黒く、風にたなびく美しい髪に、少しタイトな青のワンピースドレスを着た、ひとりの女性。
それが、青の魔女でした。月から落ちてきたのは彼女だったのです。
彼女は約三万年をかけて魔力を蓄積させ、月の牢獄から脱獄し、地球への帰還を果たしたのです。
魔女はヒジリを見つけると、右手をかざし、明らかに何らかの魔法を行使しようとしてから、一瞬硬直し、なにか逡巡するような表情を見せて、その直後に涙を流してその場にくずおれました。
――ああ、人がいた。
と、声を震わせながら、そう何度も繰り返しました。
彼女が月の牢獄に閉じ込められて、数万年。地球上の人類が衰退していったように、月面都市も、やがてその都市機能を失いました。いえ、月面都市の方は地上と比較しても、非常に早く衰退していきました。当然でしょう。自らが誕生し、進歩し続けてきた地球上でさえ衰退していくような人類です。地球から遠く離れた月でなんて、長く生き残り続けるはずがない。
人がいなくなった月面都市。青の魔女は、それでも月の牢獄の中で死ぬこともできずにいたのですから、彼女の孤独は想像するまでもありません。そして、人類に対する憎悪が、その孤独の中で肥大化していたであろうということもまた、想像に難くありません。
彼女は月の牢獄から抜け出し、この地球の大地に降り立ち、そこで憎むべき人類を見つけ、怒りをぶつけようとし、それでも、それ以上に数万年ぶりに人間と出会えたことの喜びが勝り、そして涙を流し、その場に崩れ落ちた。と、いうわけです。
その日は一日中、夜が明けるまで、ヒジリと私は魔女の話を聞き続けました。
そうして知ったのは、彼女が決して殺戮を好む魔女ではないということ。確かに、彼女は多くの人々を殺してしまいましたが、それは自己の防衛のため、とのことでした。もちろん、これは彼女の口から語られたものであって、事実とは異なる、彼女の虚偽の申告である可能性もありますが、私には彼女が嘘をついているようには見えませんでした。ヒジリも、私と同意見でした。彼女の物腰は柔らかく、表情も穏やかで、とてもゆっくりと、丁寧に言葉を紡ぐ方でしたから。
――確かに、私は私を月の牢獄に押し込めた人類がとても憎い。けれども、それ以上に、貴方が愛おしい。生きてくれていて、ありがとう。もし、地球に帰ってきたのに、ひとりも人間と出会えなければ、きっと私は壊れてしまっていた……いえ、きっと、もうすでに死んでいたも同然だったのだと思う。けれども、貴方と出会えて私は生き返ることができたのでしょう。本当に、本当に貴方には感謝の言葉しかありません。
そう言って魔女は微笑みました。
その言葉でヒジリは彼女を信じ、手を差し伸ばし、共に生きていかないか、と提案したのです。
やはり独りぼっちは寂しいものですから。ヒジリも、魔女も、互いに人恋しい。ならば、共に生活するのがお互いにとっての安らぎになります。安らぎは、人生において重要な要素のひとつですからね。
そしてその日以来、私たちと魔女はともに暮らしていくことになったのです。
その暮らしはとても充実したものでした。
気の向くままに行き先を決め、好奇心の赴くままに冒険し、疲れたときには羽休めをしながら、他愛もない雑談を繰り返す。
幸せというものの形とはひとつではない、とはよく言いますが、それでも私たちのこの在り方は幸せの形のひとつではあったのだと思います。
けれども、もちろんそんな日々が永遠に続くわけがありません。物事には必ず終わりが訪れます。我々のその幸せの形が終わったのは、ヒジリの死がきっかけでした。
別に、特別なことではありません。それは、いつか訪れるものだとわかっていましたから。魔女はその魔法の力を持っている限り死ぬことはない。私も、機械である以上、朽ち果てるまでは死ぬことがない。けれども、ヒジリは人間です。寿命があり、時が来れば、必ず死ぬ。ただ、その時が来たまでのこと。
わかってはいました。彼女が歳を重ね、徐々に衰えていくのを見ていましたから。きっと、この三人の中で、彼女が一番最初にいなくなるのだろう、と心構えはしてきていたつもりでした。けれども、いざ本当に二人だけになってしまうと、どうしても違和感が拭えないのです。
ヒジリと出会う前、私は二万年近く人と出会うことはなかったのに。魔女も、月の牢獄で三万年近くたったひとりで生きてきたのに。それでも、ヒジリがいない環境が歪に感じられたのです。いえ、きっと、数万年の空白を経てようやく出会えた相手だったからこそ、我々にとって彼女はより特別な存在になっていたのでしょう。
彼女を失ったその日、魔女は一日中、ただ静かに涙を流し続けました。けれども、彼女が涙を流したのはこの日が最後でした。私はこの日以降、今、この時代にやってきてからも、彼女が八十六万年以上涙を流している姿を見たことはありません。
翌日の朝、彼女は
――二人きりになっちゃったね。でも、まあ……これからもよろしく。
と、そう言って本をそっと抱きしめました。
そうして、私は彼女の所有物となり、彼女とともに二人で暮らしていくこととなったのです。
それからの生活も、まあ、悪くはなかったですよ。彼女は私を丁寧にメンテナンスしてくれていましたし、二人で語り合う夜も、楽しかった。
けれども、そんな日々も永遠には続きません。
たった二人きりでは話題もすぐに尽きてしまいます。いえ、私には膨大なデータベースがありますし、日本中央図書館の多くの来館者用に様々な会話のパターンもありますが、彼女はそうではありません。私たち二人の間の会話がまったく無くなる、ということはありませんでしたが、彼女の言葉数は徐々に少なくなっていきました。数日間、言葉を発さないということも珍しくはありませんでした。
やはり、彼女は人恋しかったのです。私ではその役目は果たせない。所詮、私はAIでしかないのですから。話すことはできても、共に横を並んで歩くことはできません。彼女に必要だったのは、私ではなく、やはりともに歩くことのできる人間だったのでしょう。
そうして数千年、数万年、数十万年と過ぎてゆき、徐々に彼女は歪んでいきました。いや、擦り切れていったというべきでしょうか。その目からは明らかに光が失われていました。
そんなある日、唐突に彼女はこう言いだしたのです。
――ああ、思い出した。
と。何をきっかけに、彼女が何を思いだしたのか、私には全く意味がわかりませんでした。
その時にはもうすでに人類はおろか、この地球も滅びかけていましたので、終末を前に彼女は再び思考を巡らせたのかもしれませんね。
何を思い出したのか、私が彼女に訊ねると、
――すべてを。
と、そう言って、彼女はその過去を語り出したのです。
かつて、好きな人がいたということ。とても幸せな少女時代を過ごしていたということ。当時の世界は魔法がまだ世間には認知されていなくて、少し肩身が狭い生き方をしていた。けれども、自由だったということ。
そうして、自らが最も幸福だった時代の話を終えると、最後に彼女は、私はあの時代を永遠に残したい。と、そう言って膨大な量の魔力を放出しました。青い光が私たちを包み、次の瞬間にはこの時代の、この街にやってきていました。雨の降りしきる、秋馬市に。
そう、お嬢さん。貴方が魔女と出会ったのは、私たちがまさにこの時代にやってきたその瞬間だったのですよ。宙に浮かぶ歪んだ空間があったでしょう。アレは、私たちが時間を飛び越えたときにできた、時空の歪みですよ。
正直に言って、それはあまりに唐突で、私でさえ理解に苦しみました。
時間を超えるだなんて、ありえない。
けれども、その時に目の当たりにした、雨に濡れるこの街は、とても魅力的に見えました。遥か未来の、人類の滅んだ地球上は、自然こそ溢れていましたが、あまりに人のいた形跡が無さすぎました。それに、魔女が時間超越魔法を行使する直前の地球上にはもはや、草木さえもありませんでしたから。
魔女も、そして人間から生み出された私も、やはり人の気配が恋しかったのでしょう。時間を超えてでも、この街を永遠に残したいという、彼女の気持ちが、少し、わかったような気がしました。
それに、どんなにありえないことでも、こうして実際に起こってしまったのならば、それは現実だ。魔女曰く、魔法は奇跡なのですから、時間を超えることもできるのかもしれない。
それから少しずつ、私は現状を理解していき、街を切り取っていく魔女を見守りながら、彼女の側にいた、というわけなのですが……残念ながら、彼女は私を落としてしまいました。、そして、こうして貴方がたに拾われ、今に至る。と、いうわけです』
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