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1 悪役令息
8.騒擾の気配
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※前話の最後に出て来た女官長の視点になります
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「ふうーーーーーっ」
泥の塊をふたつ、庭へ運び出し、女官長は大きなため息をついた。
この二つの泥の塊は、どっちがどっちかわからないが、畏れ多くも王子と、王弟殿下の御子息だという。
さすがに井戸に釣り下ろすわけにはいかず(飲用の井戸だ。不衛生ではないか)、中庭に大きな盥を用意させた。
泥ふたつは、わけのわからないことを口走って、ぎゃあぎゃあと泣きわめいている。
何を訴えているのかよくわからないが、どうやら王弟殿下を追っていきたかったらしい。そういえば今日は、彼の結婚式の日だったはずだが、いったいどうなってしまったのか。
全く訳が分からない。
「あ、失礼のないようにね」
メイド達に、女官長は一応、注意した。メイド達は泥の塊を力いっぱい突き飛ばして、盥の中に落とし込もうとしていたのだ。
「盥につける前に、水を掛けた方がいいんじゃないかしら」
アドバイスすると、メイド達は頷いた。いきなり水につけるなんて、全く近頃の女の子はなってないわ、と、女官長は心の中で思った。盥が一発で泥だらけになるじゃない。水がもったいないというものだわ。
もちろん、口には出さない。パワハラだと言われるからだ。
ばっしゃん。
手桶の水が音をたてて泥の塊に掛けられた。
ばっしゃん。
もう一つにも。
ばしゃーーーーっ。
すかさず次のメイドが、水がいっぱいに入った桶を、盥のそばのメイドに渡す。まるでバケツリレーのように、井戸から水がメイド達の間を通って、次々と泥の塊に浴びせられた。
「う、う、う、うぇーーーーーんっ!」
派手な泣き声が上がった。メイド達は一斉に耳を塞いだ。
「ちょっと、手が留守になっているわよ」
自分も耳を塞ぎながら、力いっぱい女官長は叫んだ。
「いいえ、女官長。両手は耳を塞いでおります」
上司の言わんとすることをだいたい察し、メイドの一人が言い返す。
「水を掛けるだけじゃだめよ。泥はこびりついてるじゃないの。少し擦ったらどうかしら」
「えええーーーっ」
一斉に上がる、不満そうな声。
「こすりなさい」
上司の威厳を見せ、女官長は命じる。
しぶしぶ、メイド達は浴布で泥の塊、もとい、二人の王子たちをこすり始めた。
くすぐったいのか、子ども達が笑い声をあげる。まったく、泣いたり笑ったり、忙しいことだ。
ようやく、メイド達は耳から手を外した。両手を使って熱心にこすり始める。子ども達はすっかり上機嫌で自分たちから両腕を上げたりして、メイド達に協力していた。
「ダメです、女官長。浴布が破れました」
まもなく声が上がった。
「まあ。しぶとい泥ね。たわしを使ったらどうかしら」
女官長は顔を顰めた。
「通常のたわしでは無理ですね。金たわしを使います」
頭の辺りをわしゃわしゃと擦っていたメイドが宣言した。
「こすってもこすっても、泥なんだもん……」
「金たわしって、あなた……」
女官長はためらった。一瞬だった。
「まず、ホライヨン王子からこすったらどうかしら。お兄ちゃんだから、すこしぐらい痛くてもお泣きにはなりませんよね?」
最後の方は、大きい方の塊に向けて話しかけた。
なぜか、小さい方が頷いた。
「女官長。佳き知らせです」
しばらくして、大きい方の泥を金だわしでこすっていたメイドが声を上げた。
「次期国王陛下が決定いたしました」
「まあ! ホライヨン王子の肌の色が緑に変わられたのですね!」
泥に近寄り、女官長は、覗き込んだ。腕と思しき辺りの、僅かにこそげ落とされた泥の下から、黄緑色に変色した肌が見える。
慶事を女官長は寿いだ。
「さっそく、ダレイオ陛下にお知らせしなければ。おめでとうございます、ホライヨン王子殿下」
「はーーい」
間の抜けた返事がした。
返事をしたのは、小さい方の塊だった。ようやく口の周りの泥が取れたのだ。
「あら!」
驚き、女官長は小さい方に駆け寄った。相対的に小さく見えたのだが、3歳児くらいの泥の塊は、まぎれもなく、ダレイオ王の息子、ホライヨンだった。そして、泥の落ちた彼の口元の肌の色は、あいかわらずの茶褐色、この国の民と同じ色だった。
「では、こちらは……。この緑の……」
不吉な影が、全員の上に広がっていった。
きゃっきゃとはしゃぐ子どもから、大きな泥が、層をなして剥がれ落ちていく。とくに、足裏と頭のてっぺんの層が厚かった。
「ルーワン殿下……」
掠れた声で、女官長は名を呼んだ。
「はーい」
従兄に倣い、幼児が返事をする。腕だけではなく、その顔も、足も、泥が落とされたその肌は、うっすらと緑色を帯びていた。
「サハル=カフラー王弟殿下の御子息が、なぜ……」
「しっ!」
鋭い歯間音でもって、女官長は部下のメイドを黙らせた。
緑色の肌の子どもは、王の息子にしか生まれない。なぜならその子は、王の正当な後継者だから。
ならばこの子ども、王弟の息子だと皆が信じているこの子どもは……。
彼の留守中に生まれた、この幼児は……。
中庭にいた女性たちは、騒擾の気配を感じた。
「とにかく、最初にダレイオ陛下にご報告しなければ」
再び女官長は口走った。さっきと違って、掠れた声だった。
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「ふうーーーーーっ」
泥の塊をふたつ、庭へ運び出し、女官長は大きなため息をついた。
この二つの泥の塊は、どっちがどっちかわからないが、畏れ多くも王子と、王弟殿下の御子息だという。
さすがに井戸に釣り下ろすわけにはいかず(飲用の井戸だ。不衛生ではないか)、中庭に大きな盥を用意させた。
泥ふたつは、わけのわからないことを口走って、ぎゃあぎゃあと泣きわめいている。
何を訴えているのかよくわからないが、どうやら王弟殿下を追っていきたかったらしい。そういえば今日は、彼の結婚式の日だったはずだが、いったいどうなってしまったのか。
全く訳が分からない。
「あ、失礼のないようにね」
メイド達に、女官長は一応、注意した。メイド達は泥の塊を力いっぱい突き飛ばして、盥の中に落とし込もうとしていたのだ。
「盥につける前に、水を掛けた方がいいんじゃないかしら」
アドバイスすると、メイド達は頷いた。いきなり水につけるなんて、全く近頃の女の子はなってないわ、と、女官長は心の中で思った。盥が一発で泥だらけになるじゃない。水がもったいないというものだわ。
もちろん、口には出さない。パワハラだと言われるからだ。
ばっしゃん。
手桶の水が音をたてて泥の塊に掛けられた。
ばっしゃん。
もう一つにも。
ばしゃーーーーっ。
すかさず次のメイドが、水がいっぱいに入った桶を、盥のそばのメイドに渡す。まるでバケツリレーのように、井戸から水がメイド達の間を通って、次々と泥の塊に浴びせられた。
「う、う、う、うぇーーーーーんっ!」
派手な泣き声が上がった。メイド達は一斉に耳を塞いだ。
「ちょっと、手が留守になっているわよ」
自分も耳を塞ぎながら、力いっぱい女官長は叫んだ。
「いいえ、女官長。両手は耳を塞いでおります」
上司の言わんとすることをだいたい察し、メイドの一人が言い返す。
「水を掛けるだけじゃだめよ。泥はこびりついてるじゃないの。少し擦ったらどうかしら」
「えええーーーっ」
一斉に上がる、不満そうな声。
「こすりなさい」
上司の威厳を見せ、女官長は命じる。
しぶしぶ、メイド達は浴布で泥の塊、もとい、二人の王子たちをこすり始めた。
くすぐったいのか、子ども達が笑い声をあげる。まったく、泣いたり笑ったり、忙しいことだ。
ようやく、メイド達は耳から手を外した。両手を使って熱心にこすり始める。子ども達はすっかり上機嫌で自分たちから両腕を上げたりして、メイド達に協力していた。
「ダメです、女官長。浴布が破れました」
まもなく声が上がった。
「まあ。しぶとい泥ね。たわしを使ったらどうかしら」
女官長は顔を顰めた。
「通常のたわしでは無理ですね。金たわしを使います」
頭の辺りをわしゃわしゃと擦っていたメイドが宣言した。
「こすってもこすっても、泥なんだもん……」
「金たわしって、あなた……」
女官長はためらった。一瞬だった。
「まず、ホライヨン王子からこすったらどうかしら。お兄ちゃんだから、すこしぐらい痛くてもお泣きにはなりませんよね?」
最後の方は、大きい方の塊に向けて話しかけた。
なぜか、小さい方が頷いた。
「女官長。佳き知らせです」
しばらくして、大きい方の泥を金だわしでこすっていたメイドが声を上げた。
「次期国王陛下が決定いたしました」
「まあ! ホライヨン王子の肌の色が緑に変わられたのですね!」
泥に近寄り、女官長は、覗き込んだ。腕と思しき辺りの、僅かにこそげ落とされた泥の下から、黄緑色に変色した肌が見える。
慶事を女官長は寿いだ。
「さっそく、ダレイオ陛下にお知らせしなければ。おめでとうございます、ホライヨン王子殿下」
「はーーい」
間の抜けた返事がした。
返事をしたのは、小さい方の塊だった。ようやく口の周りの泥が取れたのだ。
「あら!」
驚き、女官長は小さい方に駆け寄った。相対的に小さく見えたのだが、3歳児くらいの泥の塊は、まぎれもなく、ダレイオ王の息子、ホライヨンだった。そして、泥の落ちた彼の口元の肌の色は、あいかわらずの茶褐色、この国の民と同じ色だった。
「では、こちらは……。この緑の……」
不吉な影が、全員の上に広がっていった。
きゃっきゃとはしゃぐ子どもから、大きな泥が、層をなして剥がれ落ちていく。とくに、足裏と頭のてっぺんの層が厚かった。
「ルーワン殿下……」
掠れた声で、女官長は名を呼んだ。
「はーい」
従兄に倣い、幼児が返事をする。腕だけではなく、その顔も、足も、泥が落とされたその肌は、うっすらと緑色を帯びていた。
「サハル=カフラー王弟殿下の御子息が、なぜ……」
「しっ!」
鋭い歯間音でもって、女官長は部下のメイドを黙らせた。
緑色の肌の子どもは、王の息子にしか生まれない。なぜならその子は、王の正当な後継者だから。
ならばこの子ども、王弟の息子だと皆が信じているこの子どもは……。
彼の留守中に生まれた、この幼児は……。
中庭にいた女性たちは、騒擾の気配を感じた。
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再び女官長は口走った。さっきと違って、掠れた声だった。
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