生き須玉の色は恋の色

せりもも

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第三章 月からの使者

30 果し合い

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 ぐらり。
 ひときわ大きく揺れた師直の頭から、今しも烏帽子が、滑り落ちようとした。危ないところで、沙醐は、それを押し留めた。


 「おお! 沙醐殿」

 襟首をがっちりつかまれたまま、涙目で、師直が振り返る。水干姿の沙醐に、目を剥いた。
 獲物の陥落寸前に邪魔が入り、アラマサこと、暁雅は、怒り狂った。

「邪魔するか? へなちょこの分際で!」
「へなちょこじゃないから!」
「女……」

声を聞き、アラマサは目を眇めた。

「貴様、女か」
「おんなおんな、言わないでよ! 見ればわかるでしょ」
「いや、わからんな」
「なんですって?」
「その姿ではな」

言われて、沙醐は、自分が男装していたことを思い出した。

「女の分際で、そのような、なりをするとは。生意気な!」

アラマサが吐き捨てた。沙醐は、かっとした。

「女で悪かったわね! あんたのお母さんも女でしょ!」
少し考えて付け足した。
「おばあさんも!」

「うるさい!」
暁雅は叫び、師直から手を離した。反動で、なよなよした体が、尻もちをつく。

「やるか、女」
「望むところ!」

沙醐は、袖をまくり上げた。


 「なんだなんだ」
あちこちから、たくさんの人が集まってくる。
「アラマサが、果たしあいだ」
見物した人が答える。

「うわお。なんだってまた」
「アラマサに逆らうとは、いい度胸だ」
「なんと、女じゃないか」
「男装の麗人だ」

 ……麗人?
こんな時だが、すこしだけ、沙醐の頬が緩んだ。

「うむ。橘師直を、アラマサと取り合って、」

 ……ん?
 ちょっと違うと、沙醐は思った。

「相撲で、決着をつけるようだ」

 ……え?


 暁雅が、にやりと笑った。
「相撲だ。さあ、女。衣を脱げ」

 そりゃ、相撲は、半裸で取り組むが……。

「あのう。そこまで本格的にならなくてもいいんじゃない?」
「いいや。こともあろうに、この暁雅に決闘を申し込んだのだ。しきたり通りにとり行ってもらうぞ」

「いいぞいいぞ!」
「脱げ、脱げーーー!」

 無責任に野次馬たちが騒ぎ立てる。
 というか、殆ど、酔っ払いの群れだ。

 暁雅がすごんだ。

「脱げないのか? なら、この勝負、俺の勝ちだ。師直には、漂の君に付け文した罰を、たっぷり受けてもらおうか」
「付け文のどこがいけないのよ?」
「かの君に対する、侮辱だ!」
「うーーーむ」

 沙醐はうなった。侮辱といわれると、なんとなく、そうかな、とも思える。それほど、漂の君と師直は、釣り合わなかった。

 いやいやいや。慌てて、沙醐は我に返る。
「恋愛は自由の筈よ!」


「沙醐殿……」

 尻もちをついたまま、師直は、殆ど、泣いている。
 その師直を、暁雅は、馬鹿にしきったように見下ろした。

「このような意気地なしが、帝の姪に手を出すとは!」
吐き捨てるように言うと、再び、沙醐を見据えた。
「さあ、女。勝負だ」
そして、勢いよく、もろ肌を脱いだ。

「えーと、」
「お前も脱げ! さもなくば……」

 この男に勝負を挑んだのは、自分だ。
 ……減るもんじゃなし。

 周囲は、酔っ払いばかりだ。きっと明日になれば、すべて忘れている筈……。
 沙醐は、衣の合わせ目に手を掛けた。



「許しません!」
叫んだのは、百合根だった。いつの間にか、沙醐のすぐそばにいた。
「蛍邸の使用人が、客人の前で肌をさらすなぞ……」

 彼女も、酔っているのだろうか。完全に目が座っている。ぐいぐいと、百合根は、沙醐を後ろに引き戻した。
「そのような失礼は、あってはならぬこと」

「失礼……?」
 ……助けてくれたんじゃなかったのか。


 ふと、百合根の酔眼が、もろ肌脱いだ暁雅の胸の辺りに止まった。
「あら。男の方にも、乳がございますのね」

意外そうにつぶやく。

「これは珍しい。ちょっと触らせてもらってもよろしいこと?」
そう言って、ふらふらと、歩み寄っていく。

「百合根殿、気をしっかり持って!」

 慌てて沙醐が引き戻そうとする。
 だが、酔っ払いのバカ力、すごい勢いで引きずられてしまった。

 伸ばされた指の先が、暁雅の、裸の胸に触れようとしたその時……。

「もういい!」
暁雅が叫んだ。
「戦意喪失だ! 帰る!」

吐き捨て、足音も荒々しく、その場から立ち去って行った。





 アラマサが立ち去った後、周囲は何事もなかったかのように、酒池肉林の世界に立ち戻っていた。

 「百合根! 見事な手際じゃ!」
高みの見物を決め込んでいた一睡が、駆け寄ってくる。

「一睡様」
百合根が柔らかく微笑んだ。
「どこにいらっしゃったのですか? おいしい揚げ菓子がございますよ」

「揚げ菓子? 頂戴!」
嬉しそうに飛び跳ねる一睡を連れ、百合根は立ち去って行った。







 ちなみに、百合根は、この時のことを何も覚えていないことが、翌朝、発覚した。






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