30 / 50
第三章 月からの使者
30 果し合い
しおりを挟む
ぐらり。
ひときわ大きく揺れた師直の頭から、今しも烏帽子が、滑り落ちようとした。危ないところで、沙醐は、それを押し留めた。
「おお! 沙醐殿」
襟首をがっちりつかまれたまま、涙目で、師直が振り返る。水干姿の沙醐に、目を剥いた。
獲物の陥落寸前に邪魔が入り、アラマサこと、暁雅は、怒り狂った。
「邪魔するか? へなちょこの分際で!」
「へなちょこじゃないから!」
「女……」
声を聞き、アラマサは目を眇めた。
「貴様、女か」
「おんなおんな、言わないでよ! 見ればわかるでしょ」
「いや、わからんな」
「なんですって?」
「その姿ではな」
言われて、沙醐は、自分が男装していたことを思い出した。
「女の分際で、そのような、なりをするとは。生意気な!」
アラマサが吐き捨てた。沙醐は、かっとした。
「女で悪かったわね! あんたのお母さんも女でしょ!」
少し考えて付け足した。
「おばあさんも!」
「うるさい!」
暁雅は叫び、師直から手を離した。反動で、なよなよした体が、尻もちをつく。
「やるか、女」
「望むところ!」
沙醐は、袖をまくり上げた。
「なんだなんだ」
あちこちから、たくさんの人が集まってくる。
「アラマサが、果たしあいだ」
見物した人が答える。
「うわお。なんだってまた」
「アラマサに逆らうとは、いい度胸だ」
「なんと、女じゃないか」
「男装の麗人だ」
……麗人?
こんな時だが、すこしだけ、沙醐の頬が緩んだ。
「うむ。橘師直を、アラマサと取り合って、」
……ん?
ちょっと違うと、沙醐は思った。
「相撲で、決着をつけるようだ」
……え?
暁雅が、にやりと笑った。
「相撲だ。さあ、女。衣を脱げ」
そりゃ、相撲は、半裸で取り組むが……。
「あのう。そこまで本格的にならなくてもいいんじゃない?」
「いいや。こともあろうに、この暁雅に決闘を申し込んだのだ。しきたり通りにとり行ってもらうぞ」
「いいぞいいぞ!」
「脱げ、脱げーーー!」
無責任に野次馬たちが騒ぎ立てる。
というか、殆ど、酔っ払いの群れだ。
暁雅がすごんだ。
「脱げないのか? なら、この勝負、俺の勝ちだ。師直には、漂の君に付け文した罰を、たっぷり受けてもらおうか」
「付け文のどこがいけないのよ?」
「かの君に対する、侮辱だ!」
「うーーーむ」
沙醐はうなった。侮辱といわれると、なんとなく、そうかな、とも思える。それほど、漂の君と師直は、釣り合わなかった。
いやいやいや。慌てて、沙醐は我に返る。
「恋愛は自由の筈よ!」
「沙醐殿……」
尻もちをついたまま、師直は、殆ど、泣いている。
その師直を、暁雅は、馬鹿にしきったように見下ろした。
「このような意気地なしが、帝の姪に手を出すとは!」
吐き捨てるように言うと、再び、沙醐を見据えた。
「さあ、女。勝負だ」
そして、勢いよく、もろ肌を脱いだ。
「えーと、」
「お前も脱げ! さもなくば……」
この男に勝負を挑んだのは、自分だ。
……減るもんじゃなし。
周囲は、酔っ払いばかりだ。きっと明日になれば、すべて忘れている筈……。
沙醐は、衣の合わせ目に手を掛けた。
「許しません!」
叫んだのは、百合根だった。いつの間にか、沙醐のすぐそばにいた。
「蛍邸の使用人が、客人の前で肌をさらすなぞ……」
彼女も、酔っているのだろうか。完全に目が座っている。ぐいぐいと、百合根は、沙醐を後ろに引き戻した。
「そのような失礼は、あってはならぬこと」
「失礼……?」
……助けてくれたんじゃなかったのか。
ふと、百合根の酔眼が、もろ肌脱いだ暁雅の胸の辺りに止まった。
「あら。男の方にも、乳がございますのね」
意外そうにつぶやく。
「これは珍しい。ちょっと触らせてもらってもよろしいこと?」
そう言って、ふらふらと、歩み寄っていく。
「百合根殿、気をしっかり持って!」
慌てて沙醐が引き戻そうとする。
だが、酔っ払いのバカ力、すごい勢いで引きずられてしまった。
伸ばされた指の先が、暁雅の、裸の胸に触れようとしたその時……。
「もういい!」
暁雅が叫んだ。
「戦意喪失だ! 帰る!」
吐き捨て、足音も荒々しく、その場から立ち去って行った。
アラマサが立ち去った後、周囲は何事もなかったかのように、酒池肉林の世界に立ち戻っていた。
「百合根! 見事な手際じゃ!」
高みの見物を決め込んでいた一睡が、駆け寄ってくる。
「一睡様」
百合根が柔らかく微笑んだ。
「どこにいらっしゃったのですか? おいしい揚げ菓子がございますよ」
「揚げ菓子? 頂戴!」
嬉しそうに飛び跳ねる一睡を連れ、百合根は立ち去って行った。
ちなみに、百合根は、この時のことを何も覚えていないことが、翌朝、発覚した。
ひときわ大きく揺れた師直の頭から、今しも烏帽子が、滑り落ちようとした。危ないところで、沙醐は、それを押し留めた。
「おお! 沙醐殿」
襟首をがっちりつかまれたまま、涙目で、師直が振り返る。水干姿の沙醐に、目を剥いた。
獲物の陥落寸前に邪魔が入り、アラマサこと、暁雅は、怒り狂った。
「邪魔するか? へなちょこの分際で!」
「へなちょこじゃないから!」
「女……」
声を聞き、アラマサは目を眇めた。
「貴様、女か」
「おんなおんな、言わないでよ! 見ればわかるでしょ」
「いや、わからんな」
「なんですって?」
「その姿ではな」
言われて、沙醐は、自分が男装していたことを思い出した。
「女の分際で、そのような、なりをするとは。生意気な!」
アラマサが吐き捨てた。沙醐は、かっとした。
「女で悪かったわね! あんたのお母さんも女でしょ!」
少し考えて付け足した。
「おばあさんも!」
「うるさい!」
暁雅は叫び、師直から手を離した。反動で、なよなよした体が、尻もちをつく。
「やるか、女」
「望むところ!」
沙醐は、袖をまくり上げた。
「なんだなんだ」
あちこちから、たくさんの人が集まってくる。
「アラマサが、果たしあいだ」
見物した人が答える。
「うわお。なんだってまた」
「アラマサに逆らうとは、いい度胸だ」
「なんと、女じゃないか」
「男装の麗人だ」
……麗人?
こんな時だが、すこしだけ、沙醐の頬が緩んだ。
「うむ。橘師直を、アラマサと取り合って、」
……ん?
ちょっと違うと、沙醐は思った。
「相撲で、決着をつけるようだ」
……え?
暁雅が、にやりと笑った。
「相撲だ。さあ、女。衣を脱げ」
そりゃ、相撲は、半裸で取り組むが……。
「あのう。そこまで本格的にならなくてもいいんじゃない?」
「いいや。こともあろうに、この暁雅に決闘を申し込んだのだ。しきたり通りにとり行ってもらうぞ」
「いいぞいいぞ!」
「脱げ、脱げーーー!」
無責任に野次馬たちが騒ぎ立てる。
というか、殆ど、酔っ払いの群れだ。
暁雅がすごんだ。
「脱げないのか? なら、この勝負、俺の勝ちだ。師直には、漂の君に付け文した罰を、たっぷり受けてもらおうか」
「付け文のどこがいけないのよ?」
「かの君に対する、侮辱だ!」
「うーーーむ」
沙醐はうなった。侮辱といわれると、なんとなく、そうかな、とも思える。それほど、漂の君と師直は、釣り合わなかった。
いやいやいや。慌てて、沙醐は我に返る。
「恋愛は自由の筈よ!」
「沙醐殿……」
尻もちをついたまま、師直は、殆ど、泣いている。
その師直を、暁雅は、馬鹿にしきったように見下ろした。
「このような意気地なしが、帝の姪に手を出すとは!」
吐き捨てるように言うと、再び、沙醐を見据えた。
「さあ、女。勝負だ」
そして、勢いよく、もろ肌を脱いだ。
「えーと、」
「お前も脱げ! さもなくば……」
この男に勝負を挑んだのは、自分だ。
……減るもんじゃなし。
周囲は、酔っ払いばかりだ。きっと明日になれば、すべて忘れている筈……。
沙醐は、衣の合わせ目に手を掛けた。
「許しません!」
叫んだのは、百合根だった。いつの間にか、沙醐のすぐそばにいた。
「蛍邸の使用人が、客人の前で肌をさらすなぞ……」
彼女も、酔っているのだろうか。完全に目が座っている。ぐいぐいと、百合根は、沙醐を後ろに引き戻した。
「そのような失礼は、あってはならぬこと」
「失礼……?」
……助けてくれたんじゃなかったのか。
ふと、百合根の酔眼が、もろ肌脱いだ暁雅の胸の辺りに止まった。
「あら。男の方にも、乳がございますのね」
意外そうにつぶやく。
「これは珍しい。ちょっと触らせてもらってもよろしいこと?」
そう言って、ふらふらと、歩み寄っていく。
「百合根殿、気をしっかり持って!」
慌てて沙醐が引き戻そうとする。
だが、酔っ払いのバカ力、すごい勢いで引きずられてしまった。
伸ばされた指の先が、暁雅の、裸の胸に触れようとしたその時……。
「もういい!」
暁雅が叫んだ。
「戦意喪失だ! 帰る!」
吐き捨て、足音も荒々しく、その場から立ち去って行った。
アラマサが立ち去った後、周囲は何事もなかったかのように、酒池肉林の世界に立ち戻っていた。
「百合根! 見事な手際じゃ!」
高みの見物を決め込んでいた一睡が、駆け寄ってくる。
「一睡様」
百合根が柔らかく微笑んだ。
「どこにいらっしゃったのですか? おいしい揚げ菓子がございますよ」
「揚げ菓子? 頂戴!」
嬉しそうに飛び跳ねる一睡を連れ、百合根は立ち去って行った。
ちなみに、百合根は、この時のことを何も覚えていないことが、翌朝、発覚した。
0
あなたにおすすめの小説
【受賞作】小売り酒屋鬼八 人情お品書き帖
筑前助広
歴史・時代
幸せとちょっぴりの切なさを感じるお品書き帖です――
野州夜須藩の城下・蔵前町に、昼は小売り酒屋、夜は居酒屋を営む鬼八という店がある。父娘二人で切り盛りするその店に、六蔵という料理人が現れ――。
アルファポリス歴史時代小説大賞特別賞「狼の裔」、同最終候補「天暗の星」ともリンクする、「夜須藩もの」人情ストーリー。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる