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第2章「ここから登る、坂の途中」~真乃×洋輔 編
第43話「男の『ヤル気』」
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(UnsplashのGeetanjal Khannaが撮影)
「はあ? なんであたしが、あんたのネクタイを直さなきゃならないのよ?」
深沢洋輔は、巨大なバンケット会場の雑然としたバックルームに立ち、真乃の鼻をつまんで笑った。
「ねんねはしょうがねえなあ。仕事に出る前の男がそう言ったら、ゆがんでなくてもネクタイにさわって、ついでに首筋くらい、なでておくもんだ」
「あんたの首を撫でたからって、どうなるのよ」
深沢は袖からのぞく白いシャツの幅を調整した。真乃はじっと百八十八センチもある深沢を見上げる。
「あたしがネクタイを直したら、何かいいことでもあるワケ?」
「何にもねえよ。ただ、男が『ヤル気』になる」
「やるき?」
真乃はおどろいて深沢を見た。いつだって日向《ひなた》の猫のように怠惰な男が、やる気を出す?
深沢はにやりと笑い、身長差が二十センチ以上ある小柄な真乃を見おろした。
「おれだって、たまにゃ本気になるってこった。まあ見てろ、この酒瓶の山をあと一時間半後にはカラにしてやる」
「そんなに時間がかかるなんて、たいした腕じゃないのね」
「バカだなあ、お嬢ちゃん。このパーティのゲストがはけるまでに、あと一時間半。そのあいだにこの在庫をそっくり売り切ってやる。そうすりゃ後片付けが楽だろ」
深沢は軽やかな足取りでバンケットルームへ出て行った。
片隅にしつらえたバーカウンターに深沢が立ち、グラスに赤ワインを注いだ瞬間から、周囲のゲストの目がカウンターにくぎ付けになった。
深沢は何も言わない。ただ、磨きたてたクリスタルのグラスに赤ワインを注ぎ、手近にいる女性ゲストににっこりと笑いかけただけだ。
それだけで、あたりに光が満ちた。
「あたらしい赤ワインはいかがですか、奥さまがた」
ええ、という声があちこちから沸き上がり、バーカウンターに赤ワインを求める列ができた。
深沢は先輩バーテンダ―と一緒に、手早くゲストの列をさばいていく。
その手は骨太でゴツゴツしているのに、ため息が出るほど繊細に動いた。次々と、グラスにルビーのような赤ワインを注いでいく。
ある程度赤ワインが減ったタイミングで、深沢はゲストに新しいカクテルをすすめはじめた。赤ワインとジンジャーエールを使ったかわいらしい酒『キティ』だ。
「キティはいかがですか? 女性の指が、一番きれいに見えるカクテルですよ」
「指とカクテルに何の関係があるのよ」
30代半ばくらいの美しい女が、笑いながらそう尋ねた。その指にも首にも、大きすぎるダイヤがついている。
深沢はカクテルグラスをすっと出し、女性ゲストに持たせる。
「赤いワインは、女性の指を飾るダイヤを一番引き立てると申します。それから、ダイヤがはまっている美しい指も。知的な女性はキティをお好みになりますね」
ふふ、と女性ゲストは笑ってグラスを受け取った。
その顔からは、とくに知性は感じられないと真乃は思う。知性よりも、美貌と色気で夫を手にいれたタイプの女だ。
深沢は次にきた年配の女性ゲストに対しては、
「奥さまのようなセンスのいい方には、やはり赤い酒をお勧めいたします。お着物とお色を合わせていらっしゃるんですね」
と、言い抜けた。
やや太りぎみの女性ゲストは、品の良い着物を着つけているが、何もかもを美容師と呉服屋に丸投げしているのがすぐに分かった。
それでも深沢は恥ずかしげもなくゲストのセンスをほめ、カクテルを手渡してしまった。
即席のバーカウンターで、深沢がしゃべって笑う。
その間に手早く作り上げた酒が、つぎつぎとゲストの手にわたっていった。
真乃がはじめて見るような高揚感がバーカウンターをおおっていた。それを生み出しているのは、たった一人の男だ。
多すぎると思った赤ワインの在庫が次々に消えていく。同じくらいのスピードで、よく冷えた白ワインもどんどん出ていった。
やがて、一瞬だけゲストの列が切れた。深沢は、すばやくスタッフエリアに入ってきて酒の残量を確認する。
「やべえ、ちょいと赤ワインを売りすぎた」
「追加しますか?」
真乃が尋ねると深沢は腕を組み、
「いや、酒はもう終わりだ。あれ以上に飲ませると面倒なことになる」
そういうと、はじめて横にいる真乃に気が付いたような顔つきで、
「あんた、キヨは見たのかよ?」
「……あっ」
真乃はようやく、バンケットルームへやって来た理由を思い出した。
そうだ、清春だ。美貌の異母兄は、どこにいる?
「はあ? なんであたしが、あんたのネクタイを直さなきゃならないのよ?」
深沢洋輔は、巨大なバンケット会場の雑然としたバックルームに立ち、真乃の鼻をつまんで笑った。
「ねんねはしょうがねえなあ。仕事に出る前の男がそう言ったら、ゆがんでなくてもネクタイにさわって、ついでに首筋くらい、なでておくもんだ」
「あんたの首を撫でたからって、どうなるのよ」
深沢は袖からのぞく白いシャツの幅を調整した。真乃はじっと百八十八センチもある深沢を見上げる。
「あたしがネクタイを直したら、何かいいことでもあるワケ?」
「何にもねえよ。ただ、男が『ヤル気』になる」
「やるき?」
真乃はおどろいて深沢を見た。いつだって日向《ひなた》の猫のように怠惰な男が、やる気を出す?
深沢はにやりと笑い、身長差が二十センチ以上ある小柄な真乃を見おろした。
「おれだって、たまにゃ本気になるってこった。まあ見てろ、この酒瓶の山をあと一時間半後にはカラにしてやる」
「そんなに時間がかかるなんて、たいした腕じゃないのね」
「バカだなあ、お嬢ちゃん。このパーティのゲストがはけるまでに、あと一時間半。そのあいだにこの在庫をそっくり売り切ってやる。そうすりゃ後片付けが楽だろ」
深沢は軽やかな足取りでバンケットルームへ出て行った。
片隅にしつらえたバーカウンターに深沢が立ち、グラスに赤ワインを注いだ瞬間から、周囲のゲストの目がカウンターにくぎ付けになった。
深沢は何も言わない。ただ、磨きたてたクリスタルのグラスに赤ワインを注ぎ、手近にいる女性ゲストににっこりと笑いかけただけだ。
それだけで、あたりに光が満ちた。
「あたらしい赤ワインはいかがですか、奥さまがた」
ええ、という声があちこちから沸き上がり、バーカウンターに赤ワインを求める列ができた。
深沢は先輩バーテンダ―と一緒に、手早くゲストの列をさばいていく。
その手は骨太でゴツゴツしているのに、ため息が出るほど繊細に動いた。次々と、グラスにルビーのような赤ワインを注いでいく。
ある程度赤ワインが減ったタイミングで、深沢はゲストに新しいカクテルをすすめはじめた。赤ワインとジンジャーエールを使ったかわいらしい酒『キティ』だ。
「キティはいかがですか? 女性の指が、一番きれいに見えるカクテルですよ」
「指とカクテルに何の関係があるのよ」
30代半ばくらいの美しい女が、笑いながらそう尋ねた。その指にも首にも、大きすぎるダイヤがついている。
深沢はカクテルグラスをすっと出し、女性ゲストに持たせる。
「赤いワインは、女性の指を飾るダイヤを一番引き立てると申します。それから、ダイヤがはまっている美しい指も。知的な女性はキティをお好みになりますね」
ふふ、と女性ゲストは笑ってグラスを受け取った。
その顔からは、とくに知性は感じられないと真乃は思う。知性よりも、美貌と色気で夫を手にいれたタイプの女だ。
深沢は次にきた年配の女性ゲストに対しては、
「奥さまのようなセンスのいい方には、やはり赤い酒をお勧めいたします。お着物とお色を合わせていらっしゃるんですね」
と、言い抜けた。
やや太りぎみの女性ゲストは、品の良い着物を着つけているが、何もかもを美容師と呉服屋に丸投げしているのがすぐに分かった。
それでも深沢は恥ずかしげもなくゲストのセンスをほめ、カクテルを手渡してしまった。
即席のバーカウンターで、深沢がしゃべって笑う。
その間に手早く作り上げた酒が、つぎつぎとゲストの手にわたっていった。
真乃がはじめて見るような高揚感がバーカウンターをおおっていた。それを生み出しているのは、たった一人の男だ。
多すぎると思った赤ワインの在庫が次々に消えていく。同じくらいのスピードで、よく冷えた白ワインもどんどん出ていった。
やがて、一瞬だけゲストの列が切れた。深沢は、すばやくスタッフエリアに入ってきて酒の残量を確認する。
「やべえ、ちょいと赤ワインを売りすぎた」
「追加しますか?」
真乃が尋ねると深沢は腕を組み、
「いや、酒はもう終わりだ。あれ以上に飲ませると面倒なことになる」
そういうと、はじめて横にいる真乃に気が付いたような顔つきで、
「あんた、キヨは見たのかよ?」
「……あっ」
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そうだ、清春だ。美貌の異母兄は、どこにいる?
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