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第2章「ここから登る、坂の途中」~真乃×洋輔 編
第55話「おれの唯一の親友の妹」
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(Unsplashのzhang kaiyvが撮影)
妻の葬儀が終わってからしばらくの間は、渡部誠も毎日、自宅へ帰ってきた。
清春も気になるのか、夜勤がない日はなるべく松濤の家にやってきては、泊まっていった。
その気づかいが、かえって真乃をイラつかせた。
とくに父親には腹が立つ。妻が亡くなってから身を慎んでも意味がない、と真乃は思う。母が生きている間に大事にしてほしかった。
父親と異母兄にイラつき腹を立てながらも、真乃はコルヌイエで仕事をした。さすがに夜勤はやめているものの、休日出勤や早朝勤務はそれまで以上に取るようにした。
『仕事があれば、たいていのことは、なんとかなる』
清春の口癖が、初めて真乃に真実味をもって迫った。
仕事があれば気がまぎれる。自宅以外の場所で家族以外の人間と話すことが、ゆっくりと真乃を回復させていった。
そして、ひょんなことから真乃は趣味と呼べるものを見つけた。
深夜のバッティングセンターだ。
それまで真乃はとくにスポーツをしたことがなかった。運動神経は悪くないと思うもののチーム競技は性格上やりたくなかったし、運動部の汗くささと泥くささが嫌いだった。
その点、バッティングセンターには面倒な人間関係もない。あるのは、つぎつぎと来る球だけだ。
しかも真乃はバッティングセンスがあるとみえて、何回か通ううちにバットに当たるようになった。すると、がぜん面白くなる。
毎日通うわけではないが、仕事が終わってから誰も知り合いのいないバッティングセンターによって無心に球を打ち返し、帰宅することが増えた。
今日も、真乃は深夜近い時間に、ひたすら球を打った。仕立ての良いジャケットを脱ぎ、あえて低めのヒールをはいたままやってくる球を打ち返す。
すると、後ろから男の声が聞こえた。
「なんだよ、意外とやるじゃねえか」
振り返ると、清春の親友である深沢洋輔が、艶のある長身を見せていた。
「ふかざわさん」
「ホイトのやつが、深夜にやってきてはバカバカ打ち返している女がいるっていうから、のぞきに来た。へえ、見直したぜ」
「ホイト?」
「あ、ここの店長。おれの知り合いなの。なあ、よそ見しないほうが良いぜ、どんどん球が来るから」
「うん」
真乃は答えて、また球に集中した。
やがて球が止まると、真乃はジャケットとバッグをもって出てきた。深沢は煙草を吸いながら笑っていた。
「あんだけガンガン打てるなら、そろそろ心配いらねえな」
「しんぱい?」
真乃が聞き返すと、深沢は煙草をくわえたまま、
「キヨがさ、あんたのことを心配していたから。おふくろさんが亡くなったんだろ」
「そうよ。でももう二カ月も前よ。キヨちゃん、心配しすぎなのよ」
「そうはいってもな、あいつはアニキだから」
「アニキって言っても、うちの母とは血のつながりはなかったわよ」
「あんたのおふくろさんを気にしているんじゃない。キヨは、あんたが心配なんだ」
そういうと、深沢はくるりと後ろを向いた。
「帰るの?」
真乃が問うと、深沢は広い肩をひょいを上げて、
「あんたを送っていく」
「余計なお世話よ」
「なあ、おれの唯一の親友の妹が、昼間でもそう安全じゃねえ場所で球を打っている。おれだって、気にするだろ」
「そうなの? 昼間でも危ないところ?」
「まあ、なあ」
深沢は煙草をふかした。
「女一人で来こねえほうがいい。気づかなかったか」
「よく知らないから」
「そうだろうな」
深沢は最後の一息まで煙草を吸いきり、灰皿にぽいと捨てた。
「こいよ、大通りで車を拾ってやる」
真乃が小走りになって後をついて行くと、深沢は事務所らしきところのドアを開けて顔を突っ込み
「ホイト、Sige(シゲ)!」
とだけ言い、すたすたとバッティングセンターから出た。真乃は後ろを振り返り、
「ねえ、今、なんていったの?」
「Sige、挨拶だ」
「ふうん、何語?」
「タガログ。このあたりじゃあ、珍しくもねえ言葉だな」
そういうと深沢はすうっと真乃をかばうように、彼女の前に身体を持ってきた。
「あー、まのちゃん」
「なによ」
「これ持ってな、さっきのバッティングセンターに戻ってろ。すぐに行くから」
そういうと深沢は自分の上着を真乃に渡し、肘でこづいた。
「早くしろ、な、あんたがここにいると動くのに邪魔なんだよ」
深沢がそういうのと、裏道の陰から数人の男が出てくるのがほぼ同時だった。
そしてバッティングセンターから若い男が飛び出し、真乃をセンターのプレハブに引きずり込んだのもほぼ同時だった。
妻の葬儀が終わってからしばらくの間は、渡部誠も毎日、自宅へ帰ってきた。
清春も気になるのか、夜勤がない日はなるべく松濤の家にやってきては、泊まっていった。
その気づかいが、かえって真乃をイラつかせた。
とくに父親には腹が立つ。妻が亡くなってから身を慎んでも意味がない、と真乃は思う。母が生きている間に大事にしてほしかった。
父親と異母兄にイラつき腹を立てながらも、真乃はコルヌイエで仕事をした。さすがに夜勤はやめているものの、休日出勤や早朝勤務はそれまで以上に取るようにした。
『仕事があれば、たいていのことは、なんとかなる』
清春の口癖が、初めて真乃に真実味をもって迫った。
仕事があれば気がまぎれる。自宅以外の場所で家族以外の人間と話すことが、ゆっくりと真乃を回復させていった。
そして、ひょんなことから真乃は趣味と呼べるものを見つけた。
深夜のバッティングセンターだ。
それまで真乃はとくにスポーツをしたことがなかった。運動神経は悪くないと思うもののチーム競技は性格上やりたくなかったし、運動部の汗くささと泥くささが嫌いだった。
その点、バッティングセンターには面倒な人間関係もない。あるのは、つぎつぎと来る球だけだ。
しかも真乃はバッティングセンスがあるとみえて、何回か通ううちにバットに当たるようになった。すると、がぜん面白くなる。
毎日通うわけではないが、仕事が終わってから誰も知り合いのいないバッティングセンターによって無心に球を打ち返し、帰宅することが増えた。
今日も、真乃は深夜近い時間に、ひたすら球を打った。仕立ての良いジャケットを脱ぎ、あえて低めのヒールをはいたままやってくる球を打ち返す。
すると、後ろから男の声が聞こえた。
「なんだよ、意外とやるじゃねえか」
振り返ると、清春の親友である深沢洋輔が、艶のある長身を見せていた。
「ふかざわさん」
「ホイトのやつが、深夜にやってきてはバカバカ打ち返している女がいるっていうから、のぞきに来た。へえ、見直したぜ」
「ホイト?」
「あ、ここの店長。おれの知り合いなの。なあ、よそ見しないほうが良いぜ、どんどん球が来るから」
「うん」
真乃は答えて、また球に集中した。
やがて球が止まると、真乃はジャケットとバッグをもって出てきた。深沢は煙草を吸いながら笑っていた。
「あんだけガンガン打てるなら、そろそろ心配いらねえな」
「しんぱい?」
真乃が聞き返すと、深沢は煙草をくわえたまま、
「キヨがさ、あんたのことを心配していたから。おふくろさんが亡くなったんだろ」
「そうよ。でももう二カ月も前よ。キヨちゃん、心配しすぎなのよ」
「そうはいってもな、あいつはアニキだから」
「アニキって言っても、うちの母とは血のつながりはなかったわよ」
「あんたのおふくろさんを気にしているんじゃない。キヨは、あんたが心配なんだ」
そういうと、深沢はくるりと後ろを向いた。
「帰るの?」
真乃が問うと、深沢は広い肩をひょいを上げて、
「あんたを送っていく」
「余計なお世話よ」
「なあ、おれの唯一の親友の妹が、昼間でもそう安全じゃねえ場所で球を打っている。おれだって、気にするだろ」
「そうなの? 昼間でも危ないところ?」
「まあ、なあ」
深沢は煙草をふかした。
「女一人で来こねえほうがいい。気づかなかったか」
「よく知らないから」
「そうだろうな」
深沢は最後の一息まで煙草を吸いきり、灰皿にぽいと捨てた。
「こいよ、大通りで車を拾ってやる」
真乃が小走りになって後をついて行くと、深沢は事務所らしきところのドアを開けて顔を突っ込み
「ホイト、Sige(シゲ)!」
とだけ言い、すたすたとバッティングセンターから出た。真乃は後ろを振り返り、
「ねえ、今、なんていったの?」
「Sige、挨拶だ」
「ふうん、何語?」
「タガログ。このあたりじゃあ、珍しくもねえ言葉だな」
そういうと深沢はすうっと真乃をかばうように、彼女の前に身体を持ってきた。
「あー、まのちゃん」
「なによ」
「これ持ってな、さっきのバッティングセンターに戻ってろ。すぐに行くから」
そういうと深沢は自分の上着を真乃に渡し、肘でこづいた。
「早くしろ、な、あんたがここにいると動くのに邪魔なんだよ」
深沢がそういうのと、裏道の陰から数人の男が出てくるのがほぼ同時だった。
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