桜はそっと淡く咲く

久遠ユウ(くおんゆう)

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律と一楓 千歳

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 練習試合で部活が長引き、慌てて弓道場へ向かったものの、部員はひとりもいなくて湊は肩を落とした。

 靴底に不機嫌さを表す歩き方で家路へ向かっていると、「みーなーと!」と、威勢のいい声で呼ばれた。
 声の主を浮かべながら振り返り、「久しぶりだな、千歳ちとせ」と、名前を口にすると、頬が自然と緩んだ。
「元気だった、湊。二年になってから初じゃない? 会うのって」
 息を切らして駆け寄る千歳を、湊は笑顔で迎えた。

「だな。お前は部活か? 相変わらずのへっぽこバレー」
 肩を並べながら歩き、湊の腕に自然と手を絡ませる千歳が、顔いっぱいに疲弊を表していた。
「さっき終わったー。もうヘトヘト。でも二年になったから、やっと球拾いから解放されたんだ。これで心置きなくレギュラー目指せる──ってか、へっぽこって何よ」
 シューズケースをブンっと空に投げ、片手で器用にキャッチし、千歳がニッと白い歯を見せた。

「お前な、俺がゲイだって知ってるからって、気軽に腕組んでくるなよ」
「いいじゃない、湊は弟みたいなもんだし。幼馴染みの特権よ。あ、もしかして照れてる? かわいーね、湊」
「はあ? バッカじゃないの、お前。バレーボール頭に当たってアホになれ」
「あはは、ひっどいなぁ。でもあながち間違いではないんだ、今日当たったんだよねー」
 額を労わりながら、千歳がぶつけたことをアピールしている。

「やっぱり。だからアホになったんだ。そんなんじゃいつまで経っても彼氏なんてできないぞ」
 道路側にいた千歳を庇いながら、湊は本気で活発な幼馴染を心配した。
「あれ、心配してくれてる? さすが十年以上の仲だわ。でも大丈夫、高校の間はバレーひと筋ですから。男は湊だけで十分」
「何だそれ。オバはんになって、まだひとりでも俺は嫁に貰わないからな」
「そんなこと言って、湊が優しいの私知ってるんだから。小さい時なんて苛めっ子を撃退してくれたこともあったしさ」
 無邪気に笑う千歳の頭をくしゃりと撫で、「バーカ」と言う。
 気心しれた心地いい距離感に、落ちていた湊の心は少し癒されていた。





 濡れた手でシンクの縁を掴むと、一楓は体重を支えるようにそこへ縋った。
 叔母は美琴と出掛けていて、その間に夕飯の準備をしようと台所に立った途端、倦怠感に襲われた。
 熱っぽさを感じながら、包丁を握ってはみたが再び眩暈を覚え、一楓は台所でしゃがみこんでしまった。
「また風邪かな……。熱も少しあるかも」
 ふと、医者の言葉が浮かんだ時、玄関の開く音が聞こえ、一楓の全身は一気に硬直した。
「ただいま──って、あれ一楓だけ? 母さんは」
 雨が降っていたのか、亮介が濡れて重そうなカバンをリビングに放り投げて言った。
「……おばさんは、さっき美琴と一緒に買い物に行ったよ」
 冷蔵庫からペットボトルを取り出し、「ふーん」と意味深な返事の後、亮介が水を勢いよく喉に流し込んでいる。その様子から視線を逸らすと、一楓はシンクへ向き直り、忙しさを装ってじゃがいもを手に取った。

「じゃ、今二人なんだな……」
 亮介の言葉で剥きかけの芋をゴトリと落とし、全身が強張った。
 じっとりとした視線を背中に感じ、恐る恐る振り返ってみると、口元の水滴を拭いながら亮介がすぐ後ろまで来ていた。
 ジャージのファスナーを下げる音と、のやれよ、と不快な命令を下される。手にしていた包丁を奪われ、次に肩と腰を掴まれると、強引に引き寄せられて、一楓は咄嗟に顔を逸らした。

「へー、無視するのか。律とはヤってたくせに」
 言葉の意味が分からず、訝しげに亮介を見ると、顔が近付き耳朶をべろりと舐められた。
「ひっ。や、やめ──」
「区の道場で何してた。あんな丸見えのとこ──ああ、そうか。誰かに見て欲しかったのか」
 淫靡いんびな声音で語られた言葉に瞠目し、おもいっきり亮介を跳ね退けた。

 雪景色の中、弓道技姿の美しい律に抱き締められ、何度も口付けをした。それをよりによって亮介に見られていたとは。
「早くやれよ。この家に居たいんだろっ。ああ、そうだ。今日は最後までやるか。繪野は体がデカいからあっちも相当だろ。だったら慣れてるよな、お前のケツ穴」
 下品な言い方に、思いっきり顔を歪めた。
「い、嫌だ。もうしたくないっ」
 リビングへ逃げ込むと、クッションを掴んで盾にし、ソファの隙間へ身を寄せた。
 狩猟本能を刺激された雄は、一楓の抵抗を楽しむように飛び掛かってくる。

 隙間から引っ張り出され、ソファに抑え込まれると、覆い被さってきた亮介の胸にこぶしを叩きつけた。抵抗してもびくともしない涼介に全体重をかけられ、ソファと板挟みになって逃げ場がなくなる。
 気怠い体で応戦しても息は切れ、両腕は亮介の片手で簡単に組み敷かれてしまった。
 間髪入れずもう一方の手で顎を掴まれると、生ぬるい舌が口腔内に侵入してくる。
 千切れるほど首を振って抵抗していると、リビングのドアが開き、反射的に振り返った亮介が慌てて一楓の体から飛び降りた。

「りょ、亮介君……何をしてるんだ」
「せ、せんせ……ど、どうして。今日カテキョの日じゃ──」
 東郷の出現に驚き、亮介が動揺している隙に一楓はリビングの隅へと逃げ込んだ。
「今日……夕飯に呼ばれたんだ。けど、チャイム鳴らしても誰も出ないし、鍵開いてたから……」
「ふ、不法侵入かよ!」
 顔を真っ赤にして虚勢を張る亮介は、逃げるように自室へと走り去って行った。

 近づいて来る東郷に一楓が警戒していると、彼は着ていたパーカーを脱いで肩にかけてくれた。
「君……イブキ君? 大丈夫かい?」
 優しい声で問われた瞬間、目の端で踏み止まっていた涙が溢れた。
 膝を抱えて蹲っている自分の視線に合わせてくれ、「大丈夫、誰にも言わないよ」と、慰めるように頭を撫でてくれた。
「あ、ありが……とうござい……ます」
 精一杯の声に対し、「亮介君には俺から話すから」と言い残し、東郷は二階へと向かった。
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