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律と一楓 兆し
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高校二年の二学期も後半になると、進路のことで教室全体が沈鬱になっている。そんな鬱屈した空気を払拭するのは、学祭の準備だった。
遅くまで学校に残っていると妙な一体感が湧き、テンションが上がって胸が高鳴る──と、律も数分前までは思っていた。
初冬の冷たい風を浴びながら、律は今、全速力で走っている。
寒空の下を一楓がひとり帰る姿を想像するだけで、胸が押し潰されそうだった。
学祭の準備中に一楓が昏倒したと聞いたのは、律が体育館で作業を終えて教室に戻った直後だった。
横っ腹に激痛を抱えながら、短い息を繰り返して慣れた道を進むと、薄闇の中に華奢な輪郭を見つけた。
一楓まであと数歩のところで、律は足を止めた。
立ち止まっている一楓が、どこか一点を見つめていたからだ。
月明かりに浮かぶその横顔は、金網の向こう側へと向けられている。
「いぶきっ」
律は駆け寄りながら名前を叫んだ。
「律……。ごめん、俺また心配かけたんだな」
一楓が顔を見るなり申し訳なさ気に睫毛を伏せた。
「謝るな。それより平気か」
「うん……」
「びっくりしたよ、倒れたって聞いたからさ」
強引に家まで送ると言い張った律が、自分のマフラーを寒そうな細い首に巻いてやりながら、何でさっき弓道場を見てたんだと、尋ねた。
「思い出してたんだ」
「何を?」
「律を初めて見た日のこと」
一楓の歩く速度に合わせていた律の足が止まった。
初めて? それっていつのことだ……。
「本当はね、この街に来た日、道場で律を見たのが初めてなんだ」
「マ、マジで?」
「うん、矢が的に当たる音が聞こえてさ。俺、弓道って見たことなかったから、感動したんだ」
「そうなんだ! 何だよ、言ってくれればよかったのに」
「だって……俺、その時から律のことが気になってたから……」
予想してなかった告白に、顔が急激に熱くなる。
「お、お前……いや、気になったって……。へへ」
嬉しすぎて表情筋が解けると、顔がだらしなく緩んでいるのが自分でもわかった。
「あー、律がいやらしい顔してる」
「いや、だって、てっきり京都の時かと思ってたからさ」
恥ずかしくて言えなかったんだ、と、照れ臭そうに言う一楓は、秘めていた思いの続きを口にしてくれた。
「親が死んで悲しくて、でも妹がいるから凹んでる場合じゃなかったし……。そんな時ここで律を見つけたんだ。放たれた矢が颯爽とした音で的に当たって、見てて凄く晴れやかな気分になったんだ」
「恥ず……俺ヘマしてなかったかな」
鼻頭をかきながら言うと、返事の代わりに一楓が静かに微笑んでいた。
「的当ての側でガーベラが揺れててさ、矢の当たる音と一緒に俺を励ましてくれてるように思えたんだ」
「そっか、だから弓道やってるの知ってたんだな。でもすっげ嬉しい。一楓が俺を見つけてくれてて。でもそんな花なんて咲いてたっけ」
「安土の側にね。9月にも咲いてたよ。俺あの花好きなんだ、母さんが庭で育ててたから」
寂しさを引き受けるよう、律は冷えた一楓の手を握り締めた。
お返しに一楓が微笑みを向けてくれる。
言葉にできない感情が、ジワッと胸に染み込んできた。
「知らなかったな。でも知れて良かった。一楓の好きな花も、俺が弓道をしてたのを知ってたのも」
一楓の笑顔は律を幸せにしてくれる。心の中いっぱいに、陽だまりが注がれるように。
月凍る空の下を温もりを分け合い歩いていると、半田家の外灯が見え、二人の足は自然と速度が遅くなる。
「……弓道してる律が、一番かっこいいな」
隣に本人がいるのに、独り言のように一楓が言う。
誰よりも一楓にそう思われるのが嬉しくて、ありがとうの代わりに冷えた手をギュッと握った。
名残惜しそうに指を絡ませ、「明日……迎えに来ようか?」と、聞いた。
一楓が心配なのはもちろんだけれど、少しでも一緒にいたかったのだ。
けれど返ってきたのは、平気だよの言葉と微笑みだった。
それ以上言えなくなって、そっか……と、律も微笑んで返した。
「学祭は来週なんだし、あんま無理すんなよ」
「大丈夫だよ。遅くなるから律もう行って」
真っ赤な鼻頭の一楓が別れを切り出す。
早く解放しないと、具合が悪いのに風邪まで引いたら学祭どころじゃない。分かっているけど、もう少し側にいたかった。
離れ難い気持ちを手に込め、「わかった。じゃまた明日な」と、最後の指先をゆっくり解いた。
「おやすみ、りつ」
手を振って見送ってくれる姿を、名残惜しそうに何度も振り返り、律はちぎれるほど手を振った。
遅くまで学校に残っていると妙な一体感が湧き、テンションが上がって胸が高鳴る──と、律も数分前までは思っていた。
初冬の冷たい風を浴びながら、律は今、全速力で走っている。
寒空の下を一楓がひとり帰る姿を想像するだけで、胸が押し潰されそうだった。
学祭の準備中に一楓が昏倒したと聞いたのは、律が体育館で作業を終えて教室に戻った直後だった。
横っ腹に激痛を抱えながら、短い息を繰り返して慣れた道を進むと、薄闇の中に華奢な輪郭を見つけた。
一楓まであと数歩のところで、律は足を止めた。
立ち止まっている一楓が、どこか一点を見つめていたからだ。
月明かりに浮かぶその横顔は、金網の向こう側へと向けられている。
「いぶきっ」
律は駆け寄りながら名前を叫んだ。
「律……。ごめん、俺また心配かけたんだな」
一楓が顔を見るなり申し訳なさ気に睫毛を伏せた。
「謝るな。それより平気か」
「うん……」
「びっくりしたよ、倒れたって聞いたからさ」
強引に家まで送ると言い張った律が、自分のマフラーを寒そうな細い首に巻いてやりながら、何でさっき弓道場を見てたんだと、尋ねた。
「思い出してたんだ」
「何を?」
「律を初めて見た日のこと」
一楓の歩く速度に合わせていた律の足が止まった。
初めて? それっていつのことだ……。
「本当はね、この街に来た日、道場で律を見たのが初めてなんだ」
「マ、マジで?」
「うん、矢が的に当たる音が聞こえてさ。俺、弓道って見たことなかったから、感動したんだ」
「そうなんだ! 何だよ、言ってくれればよかったのに」
「だって……俺、その時から律のことが気になってたから……」
予想してなかった告白に、顔が急激に熱くなる。
「お、お前……いや、気になったって……。へへ」
嬉しすぎて表情筋が解けると、顔がだらしなく緩んでいるのが自分でもわかった。
「あー、律がいやらしい顔してる」
「いや、だって、てっきり京都の時かと思ってたからさ」
恥ずかしくて言えなかったんだ、と、照れ臭そうに言う一楓は、秘めていた思いの続きを口にしてくれた。
「親が死んで悲しくて、でも妹がいるから凹んでる場合じゃなかったし……。そんな時ここで律を見つけたんだ。放たれた矢が颯爽とした音で的に当たって、見てて凄く晴れやかな気分になったんだ」
「恥ず……俺ヘマしてなかったかな」
鼻頭をかきながら言うと、返事の代わりに一楓が静かに微笑んでいた。
「的当ての側でガーベラが揺れててさ、矢の当たる音と一緒に俺を励ましてくれてるように思えたんだ」
「そっか、だから弓道やってるの知ってたんだな。でもすっげ嬉しい。一楓が俺を見つけてくれてて。でもそんな花なんて咲いてたっけ」
「安土の側にね。9月にも咲いてたよ。俺あの花好きなんだ、母さんが庭で育ててたから」
寂しさを引き受けるよう、律は冷えた一楓の手を握り締めた。
お返しに一楓が微笑みを向けてくれる。
言葉にできない感情が、ジワッと胸に染み込んできた。
「知らなかったな。でも知れて良かった。一楓の好きな花も、俺が弓道をしてたのを知ってたのも」
一楓の笑顔は律を幸せにしてくれる。心の中いっぱいに、陽だまりが注がれるように。
月凍る空の下を温もりを分け合い歩いていると、半田家の外灯が見え、二人の足は自然と速度が遅くなる。
「……弓道してる律が、一番かっこいいな」
隣に本人がいるのに、独り言のように一楓が言う。
誰よりも一楓にそう思われるのが嬉しくて、ありがとうの代わりに冷えた手をギュッと握った。
名残惜しそうに指を絡ませ、「明日……迎えに来ようか?」と、聞いた。
一楓が心配なのはもちろんだけれど、少しでも一緒にいたかったのだ。
けれど返ってきたのは、平気だよの言葉と微笑みだった。
それ以上言えなくなって、そっか……と、律も微笑んで返した。
「学祭は来週なんだし、あんま無理すんなよ」
「大丈夫だよ。遅くなるから律もう行って」
真っ赤な鼻頭の一楓が別れを切り出す。
早く解放しないと、具合が悪いのに風邪まで引いたら学祭どころじゃない。分かっているけど、もう少し側にいたかった。
離れ難い気持ちを手に込め、「わかった。じゃまた明日な」と、最後の指先をゆっくり解いた。
「おやすみ、りつ」
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