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犯行現場
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「キドさん、もう八時を過ぎたのに誰も来ませんね」
隣で身を縮める錦戸に声をかけたが、彼の唇は真一文字に結ばれたままだ。
無駄な単語を吐かない相方に慣れてはいるが、今日の錦戸のそれはいつもの無口ではない。緊張感のようなものが、ひしひしと伝わってくる。
構内に人気がなくなるまで、門叶達はひっそりと張り込みを続けていた。
誰にも会わぬよう、息をひそめているのは、キャンパス内に滞在していることを、大学側に黙っていたからだ。
もし許可を取れば、糸峰の耳に入るかもしれない。彼女が他人に頼んでまで律を呼び出す理由が読めない今、鉢合わせでもして手がかりを無駄にしたくはない。
だが、待てど暮らせど、律や糸峰の姿は現れない。
図書館が見える階段の踊り場で、かれこれ一時間過ごしていたが、人が来る気配は全くなかった。
「本当に繪野君は来るんでしょうか。まさか、あの東雲って生徒が嘘を……」
「お前は冗談に思えなかったんだろ」
潜めた声で言う錦戸に、門叶は深く頷いた。
糸峰に言われるがまま千歳に声をかけた自分のせいで、彼女が殺害されていたらと、怯えていた東雲が嘘をつくはずがない。けれど、指定の時間は大幅に過ぎている。
予定でも変更したのかと考えを巡らせていると、ふと、ある男の顔を思い出した。
「キドさん、生方さんってまだ残ってないですかね。いつも最後に大学を出るって言ってたし」
「今日は出張らしいが、日帰りと言っていたな」
「取り敢えず行ってみませんか。もしかしたら、まだ戻ってるかもしれません」
門叶の言葉を合図に二人は一旦図書館を離れ、生方の部屋へ向かった。
見覚えのあるドアの隙間から、在室を示す灯りが溢れている。
ホッとした門叶は部屋をノックした。
「生方先生、こんばんは。門叶です、いらっしゃいますか」
中から物音と足音が聞こえ、ドアが開くと生方が顔を覗かせた。
「刑事さん、こんな時間に……」
「すいません、もうお帰りでしたか?」
生方の肩越しに見える机の上に、帰り支度を匂わせるカバンが置いてあるのが見えた。
「はい。もう誰もいませんので、戸締りして帰ろうかと」
「え、誰もいない?」
門叶と錦戸は顔を見合わせた。
「どうかしました?」
無造作に髪を掻き上げる生方に、門叶は東雲から聞いた話を手短に説明した。
「それじゃ千歳は糸峰さんに呼び出されたと言うんですか? そ、それって彼女が──」
「いえ、まだそこまでは……。ただ東雲君はまた糸峰さんから指示を受けた。それでさっきまで図書館を見張ってたんですが誰も来る気配がなく、生方先生なら何か聞いてるんじゃないかと……」
生方は首を捻りながら「今日の申請は出てませんよ」と断言した。
「え? 出てない? あ、でも先生今日は出張だったんでしょ? だったら別の先生が──」
「確かに今日は出張に行きました。でも講演する方が事故に遭って中止になったんです。なので夕方には大学に戻って部屋にずっといましたよ。癖で申請を確認しましたが、今日の分はなかったので」
「じゃ、糸峰さんは無断で図書館を使用するつもりだったんでしょうか……」
三人が頭を突き合わせていると、生方のカバンから着信音が聞こえてきた。生方が失礼と言い、カバンからスマホを取り出す。
門叶は生方の仕草に目をやりながら、部屋の中を見渡していた。
以前ここへ来た時はブルーシートの上に本が散乱し、足の踏み場もなかった。だが今は真新しい本棚に全て収まり、シートも畳まれて部屋の隅に積んである。
「だれだろ、知らない番号だな。もしもし」 何度か呼びかけた生方が、スマホを片手に首を捻っている。通話口の向こうで、ガサガサと音がするだけだと言い、生方が電話を切ろうとした。門叶は、待ったと声を張り、生方の手を止めると、そのまま自らの方へ引き寄せて自分の耳にスマホを近付けた。
『……ダロ……。オマエ……ハ……』
微かに人の声のようなものが聞こえ、門叶はスピーカーフォンに切り替えて音量を上げた。
『……ツオ……セ。ウ……ゴ……』
「今の、人の声……ですよね、よく聞き取れませんでしたが」
眉間にしわを寄せて黙考している生方に、「さっきの声に聞き覚えありますか?」と聞いてみたが、生方の首は左右に振られた。
若い男の声だった。だが、何かに包まれているのか、聞こえた声はくぐもって聞こえた。
門叶はもう一度スマホに耳を寄せた。
同じように生方も顔を寄せる。すると今度は、何かがぶつかる荒々しい物音がはっきりと聞こえた。そしてその音は、リアルな音として部屋の外から耳に飛び込んできた。
「キドさん、何か激しい音がしました。それに、部屋の外からも同時に音が聞こえた。もしかしてその電話って、大学の中からかけてきてるんじゃ──」
「しっ」と、錦戸が門叶の声を静止させると、人差し指を口元にあて、スマホに耳を傾けるよう、無言で合図を送った。
『……めろ! 律、りつー! 起きっ──』
今度ははっきり聞こえた。
激しい物音も、叫んでいた名前も、三人の耳にしっかりと。
「り……つ。キドさん、今のって繪野君のことですよっ! きっと繪野君がどこかにっ!」
叫んだと同時に門叶は身を翻し、生方の部屋を飛び出した。
廊下に出て音が聞こえた先を見据えると、「生方先生、こっちには何がありますか」と声を潜めて聞いた。
学部ごとに建物が分かれ、それを渡り廊下で繋ぐ構造の地図を門叶は頭に叩き出した。
「そ、そっちは国際学部や経済学部の教授室が──」
生方の言葉を最後まで聞かず、門叶は廊下を駆け出していた。
律や叫んでいた声の人物もこの瞬間、危険な目に遭っているかも知れない。
一瞬耳にしただけの微かな音を求め、門叶は慎重に足を進めた。
隣で身を縮める錦戸に声をかけたが、彼の唇は真一文字に結ばれたままだ。
無駄な単語を吐かない相方に慣れてはいるが、今日の錦戸のそれはいつもの無口ではない。緊張感のようなものが、ひしひしと伝わってくる。
構内に人気がなくなるまで、門叶達はひっそりと張り込みを続けていた。
誰にも会わぬよう、息をひそめているのは、キャンパス内に滞在していることを、大学側に黙っていたからだ。
もし許可を取れば、糸峰の耳に入るかもしれない。彼女が他人に頼んでまで律を呼び出す理由が読めない今、鉢合わせでもして手がかりを無駄にしたくはない。
だが、待てど暮らせど、律や糸峰の姿は現れない。
図書館が見える階段の踊り場で、かれこれ一時間過ごしていたが、人が来る気配は全くなかった。
「本当に繪野君は来るんでしょうか。まさか、あの東雲って生徒が嘘を……」
「お前は冗談に思えなかったんだろ」
潜めた声で言う錦戸に、門叶は深く頷いた。
糸峰に言われるがまま千歳に声をかけた自分のせいで、彼女が殺害されていたらと、怯えていた東雲が嘘をつくはずがない。けれど、指定の時間は大幅に過ぎている。
予定でも変更したのかと考えを巡らせていると、ふと、ある男の顔を思い出した。
「キドさん、生方さんってまだ残ってないですかね。いつも最後に大学を出るって言ってたし」
「今日は出張らしいが、日帰りと言っていたな」
「取り敢えず行ってみませんか。もしかしたら、まだ戻ってるかもしれません」
門叶の言葉を合図に二人は一旦図書館を離れ、生方の部屋へ向かった。
見覚えのあるドアの隙間から、在室を示す灯りが溢れている。
ホッとした門叶は部屋をノックした。
「生方先生、こんばんは。門叶です、いらっしゃいますか」
中から物音と足音が聞こえ、ドアが開くと生方が顔を覗かせた。
「刑事さん、こんな時間に……」
「すいません、もうお帰りでしたか?」
生方の肩越しに見える机の上に、帰り支度を匂わせるカバンが置いてあるのが見えた。
「はい。もう誰もいませんので、戸締りして帰ろうかと」
「え、誰もいない?」
門叶と錦戸は顔を見合わせた。
「どうかしました?」
無造作に髪を掻き上げる生方に、門叶は東雲から聞いた話を手短に説明した。
「それじゃ千歳は糸峰さんに呼び出されたと言うんですか? そ、それって彼女が──」
「いえ、まだそこまでは……。ただ東雲君はまた糸峰さんから指示を受けた。それでさっきまで図書館を見張ってたんですが誰も来る気配がなく、生方先生なら何か聞いてるんじゃないかと……」
生方は首を捻りながら「今日の申請は出てませんよ」と断言した。
「え? 出てない? あ、でも先生今日は出張だったんでしょ? だったら別の先生が──」
「確かに今日は出張に行きました。でも講演する方が事故に遭って中止になったんです。なので夕方には大学に戻って部屋にずっといましたよ。癖で申請を確認しましたが、今日の分はなかったので」
「じゃ、糸峰さんは無断で図書館を使用するつもりだったんでしょうか……」
三人が頭を突き合わせていると、生方のカバンから着信音が聞こえてきた。生方が失礼と言い、カバンからスマホを取り出す。
門叶は生方の仕草に目をやりながら、部屋の中を見渡していた。
以前ここへ来た時はブルーシートの上に本が散乱し、足の踏み場もなかった。だが今は真新しい本棚に全て収まり、シートも畳まれて部屋の隅に積んである。
「だれだろ、知らない番号だな。もしもし」 何度か呼びかけた生方が、スマホを片手に首を捻っている。通話口の向こうで、ガサガサと音がするだけだと言い、生方が電話を切ろうとした。門叶は、待ったと声を張り、生方の手を止めると、そのまま自らの方へ引き寄せて自分の耳にスマホを近付けた。
『……ダロ……。オマエ……ハ……』
微かに人の声のようなものが聞こえ、門叶はスピーカーフォンに切り替えて音量を上げた。
『……ツオ……セ。ウ……ゴ……』
「今の、人の声……ですよね、よく聞き取れませんでしたが」
眉間にしわを寄せて黙考している生方に、「さっきの声に聞き覚えありますか?」と聞いてみたが、生方の首は左右に振られた。
若い男の声だった。だが、何かに包まれているのか、聞こえた声はくぐもって聞こえた。
門叶はもう一度スマホに耳を寄せた。
同じように生方も顔を寄せる。すると今度は、何かがぶつかる荒々しい物音がはっきりと聞こえた。そしてその音は、リアルな音として部屋の外から耳に飛び込んできた。
「キドさん、何か激しい音がしました。それに、部屋の外からも同時に音が聞こえた。もしかしてその電話って、大学の中からかけてきてるんじゃ──」
「しっ」と、錦戸が門叶の声を静止させると、人差し指を口元にあて、スマホに耳を傾けるよう、無言で合図を送った。
『……めろ! 律、りつー! 起きっ──』
今度ははっきり聞こえた。
激しい物音も、叫んでいた名前も、三人の耳にしっかりと。
「り……つ。キドさん、今のって繪野君のことですよっ! きっと繪野君がどこかにっ!」
叫んだと同時に門叶は身を翻し、生方の部屋を飛び出した。
廊下に出て音が聞こえた先を見据えると、「生方先生、こっちには何がありますか」と声を潜めて聞いた。
学部ごとに建物が分かれ、それを渡り廊下で繋ぐ構造の地図を門叶は頭に叩き出した。
「そ、そっちは国際学部や経済学部の教授室が──」
生方の言葉を最後まで聞かず、門叶は廊下を駆け出していた。
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一瞬耳にしただけの微かな音を求め、門叶は慎重に足を進めた。
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