魔法少女レゾンデートル

宮本某

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7.明貴が往く

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 がらり、と教室の扉が開けられた。しかし誰かが入ってきた気配がしない。

 妙だと思って振り返った皆川の目に入ってきたのは、クラスメートの悠木堂明貴の姿だった。

 普段から物静かで物事をただ静観している男で、クラスの催しにも積極的に参加してくるのは稀だ。ただ、同じくクラスメートの小野ゆかりが関わっているとなると豹変したかのように口を手を出してきて、最初の段階では考えられないくらいに万事を完璧な状態にまで昇華してしまう実力を持った危険な男——言うなればこのクラスの裏学級委員にして、『歩く暴風雨』小野ゆかりの影である。そんな男がなぜ、こちらに関わるのか。それとも、たまたま教室に用事があったから戻ってきただけなのか。

「——そこまでにしておくんだ、皆川」

「ッ!!」

 思わず息を呑む。こちらに話し掛けてきた。これはどういうことなのか。小野ゆかりが関わっていないこの件に、まさか首を突っ込んでこようというのか。

「……なんだよ。俺たちは別に、こいつを虐めてるわけじゃねえ。ただ遊んでるだけさ。なあ、吉村?」

 ぎろり、と一睨みするだけで吉村は震え上がって何も言えなくなってしまう。そうだ。何を恐れる必要がある。俺はこのクラスの番長だ。誰であろうと、俺に勝てる奴なんていないのだ。

 教室へ足を踏み入れる明貴。少しずつ、その距離を縮めていく。

「——やめるんだ、皆川。互いにすれ違いがあったかも知れないけれど、だからといって手を出していいわけじゃない」

「ッ! うるせえッ!!」

 何も知らない奴が、俺たちの間に入ってくるんじゃない!

 距離を縮めたことが仇となったのか。明貴は皆川の豪腕の間合いに入り込んでしまっていた。

 突き出される皆川の鉄拳。ほぼ反応できずに、明貴の顔面へ直撃する。

 ……やった!

 上級生すら一撃で倒した必殺の拳。どんな相手もワンパンチでノックダウンだ。

 しかし——

「……ッ!?」

 明貴はそれをモロに食らいながらも、未だ倒れていない。それどころか、何らかの強い意志を感じさせる目を——殴られる前と変わらない目を——皆川に向けているではないか。そしてあろうことかつつ、と垂れた鼻血を片手で拭い、明貴は得体の知れない気配を漂わせながら再びジリジリと距離を縮め始めた。

 ……何なんだよこいつ……! なんで倒れないんだよ!

 もう一撃をお見舞いしてやろうと拳を振りかぶったが、その手が——今まで何人もの上級生を葬ってきた拳が——震えていることに気付いた。気付いてしまった。

 ——さぁ、もう争いはよすんだ……みんなで、仲良くしよう……そしてみんなひとつになるんだ……

「ひっ、ひぃっ!」

 背後に見えた何か——それを一瞬でも垣間見てしまい、皆川は震え上がった。

 ……こ、こいつ、イカれてやがる!

 明貴は立ち止まるわけにはいかなかった。なぜなら、彼にとって皆川と吉村は、これから洗脳を受けようとする被害者であるのだから。もしもこの説得が無為に終わるならば、本当に彼らは魔法の力によって無理矢理にでも仲直りさせられてしまうのだ。

 止めなければならない。そんな所業を自分の目の届く内でやらせるわけにはいかない。それも、よりによってゆかりの手によってなど!

 ……させるものか!

 どれほど殴られても、この身を槍で貫かれたとしても、明貴は足を止めるわけにはいかなかった。口の中に鉄の味が広がり、鼻孔は濃密な臭いと液体の溢れる違和感に支配される。それでもだ。愛する人の手を汚させるわけにはいかないのである。

「皆川……もう十分だろう……さぁ、握手をしよう……」

「く、来るな! 来るな!!」

 明貴の醸し出す圧力に怯え、少年たちは恐怖に立ちすくむ。上級生を一撃で倒してしまう皆川の拳で殴られても尚、笑顔さえ浮かべながらこちらを籠絡しようと説得を続ける悠木堂明貴——有り体に言って、チョー怖いのであった。

 得体の知れない存在がヒタヒタと這い寄ってくるような光景を幻視してしまい、皆川の背後にいる吉村も、怯えて震え上がっている。
 恐怖に耐えかねた皆川の取り巻きが、悲鳴を上げながら教室から逃げていく。

「ま、待てよ! 待てってば!」

 宇宙的恐怖に駆られた少年たちに、もはや皆川の声は届かなかった。廊下を駆けていく足音だけが教室にまで響いていた。

 ……勝てない。俺はこいつに、勝てない。

 ガクガクと震える足。頼もしいはずの右腕には、何かの重さを感じる。ああ、いつの間にか、背後にいた吉村がしがみついている。彼の体も恐怖に震え、今にも失神しそうな精神状態でありながら、必至で迫り来るこの異様な気配に対抗しようとしているのだ。その這い寄る恐怖に身を内から食い尽くされんというのに、こんな小さな体で——。

「わ……わかった……」

 皆川の口からは、今までの人生で口にしたことのない言葉が漏れ出してきた。

「わかった……やめ、やめる……こいつを虐めるのは、もうやめるから……!」

 頼むから、殺さないでくれ——そんな切なる願いの込められた、降参の宣言だった。

 その言葉を聞き届けると、明貴はぴたりと立ち止まる。

「そうか……ありがとう! ありがとう! 聞き入れてくれたのか!」

 先ほどまでの気配が消え、明貴は満面の笑みを浮かべた。

「さぁ! 仲直りの印に、外でサッカーでもしようじゃないか!」

 何なのだ。一体、何だというのだ。こいつは一体、何なんだ。

 あまりの身代わりの速さに、皆川と吉村はガクガクと頷いてしまう。

「お、おう」

 それを見て満足したのか、明貴は大きく頷きながら教室を出て行った。

 見送った二人はこっそりと目配せをし、お互いに安堵の表情を浮かべた。得体の知れない危機を乗り越えた者同士、奇妙な連帯感が生まれていたのだった。
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