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第一部 宰相家の居候

182 シーカサーリ王立植物園(3)

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 キスト室長から「短期留学生」として、私とイザクとイオタ(シーグ)が紹介された時、研究員たちの反応はある意味予想通りだった。

 無関心と敵視だ。

『チッ…どうせ室長目当てのお遊びで来たんだろうが。こっちはヒマじゃないってのに』

 うん、まあ、初日くらいネコかぶっても良かったんだけど、ちょっと無理かな。
 聞こえるような小声なら、言わないか、もう普通に話すかすれば良いと思う。

 よりによって室長。
 そこは自分のためにも、室長への研究員の態度としても、無視スルーしておいて良い話ではない。

『テルン・スヴェンソン研究員――自分の容姿が人並み以下な八つ当たりを、こちらに向けるのは筋違いではありません?私は家業のためにこちらに来ております。まあ、室長のアタマの中身を目当てにさせて頂いている点は否定しませんし、アナタの器がとても小さくて、アタマの中身さえ目当てに出来ないと言う事は充分に理解しましたけれど。私もヒマじゃありませんので、初日からひとつ学習出来てよかったですわ』

 と言うか、室長の取柄が頭よりも「顔」だと言っているようなものだと気付いた方が良い。
 それって私を下げているようで、室長も下げているのに。

『文句がおありなら、ユングベリ商会までどうぞ。まあご実家で、嗜好品が取引中止の憂き目にあってもよろしければ――ですけど』

 胸元のネームプレートを見ながら、ふふふ…と微笑わらうと、何故か部屋全体がどよめいた。

 小娘が言い返したのがそれほど意外なのかと思ったら、理由はまるで違うところにあった。

「ユングベリ嬢は……ヴェサール語が話せるのかい?」

「えっ?」

 キスト室長の言葉に、ハッと周囲を見渡すと、色々な方向から驚愕の視線が向けられている。

「王都からは遠く離れた海上の島国で、島民の中には共通語を話せない人も多い。上層部が王宮に来る際には、通訳の日程を確保するのも毎回一苦労で、一度は島出身の、そこのスヴェンソンすら呼ばれた事がある難しい言語なんだが……」

 しまった。どうやら「補正」に気付かず、カチンときたまま相手の言葉に言い返した結果、自爆ぎみに注目を浴びる結果になったらしい。

 聞こえない、あるいは理解出来ないだろうと思って悪口を言うとか、どれだけ器が小さいんだと、思わず舌打ちしそうになった。

「……これでも商会の跡取りですから。読み書きに関しては、まだ勉強中の国も多いですけれど、話す事に関しては、ほぼ不自由がないようにしています。契約とて、まずは話をしなければ成り立たない事でしょう?」

 果たして「商会の跡取りですから」でどこまで押し切れるだろうか。

「なるほど……ユングベリ嬢の前では、うっかり内緒話も出来ないと言う事だ」

「男性同士の恋愛話くらいでしたら、ちゃんと聞かなかった事にしますけど?」

 私がそう言ってニコリと笑えば、一瞬、虚を突かれた表情を見せたものの、キスト室長もすぐに可笑しそうに笑い声をあげた。

「だ、そうだ。皆よかったな。それとスヴェンソン、まあこの研究棟に、研究目的以外の女性が度々押しかけてきている事は確かだが、そんな人種はそもそも『留学生』と認めてはいないのだから、一括りにして考えるのは、私にも彼女にも失礼だよ。もう少し視野を広くした方が良い。――本業に支障をきたす前に」

 ただし最後の一言からは、その笑いは消え失せていて、言われた方はもうすっかり顔色が変わっていた。

「……あの、難しい言語と仰いましたけど、何気に室長もご理解されていらっしゃるのでは?」

 答えの代わりに向けられた、キラキラと言う形容詞が当てはまりそうな笑顔は、ヤバいと言う部類に区分される気がした。

「研究の邪魔をされるのが嫌で、今までは知らないフリをして、王宮が通訳を探している時にもとぼけてきたのに……ユングベリ嬢のおかげで、隠し通せなくなってしまった。今度その機会があったら、私からユングベリ嬢を推薦するから、留学が終わってからも、ぜひ交流は続けさせて貰いたいな」

「……っ」

 墓穴掘ってるな…と言う表情のイザクと、私がそのヴェサール語とやらを話した驚きに目を見開いているシーグは、どうにも助けにならなそうだった。

「まあ、ここはこのくらいにして、ユングベリ嬢は新しい研究、あとの二人は既存のところを学びたいと言う事で良いのか?その二人はサンダールにしばらくは付いて貰おうか。彼はこの施設の次席研究員だから、聞けば大抵の事は答えてくれるだろう」

 別に、何故首席じゃないのかとケチをつけたい訳じゃないけど、純粋な疑問はあった。

 そんな私の微妙な表情を読み取ったのか、キスト室長は端的で的を射た回答を投げて寄越してきた。

「別に君たちに含むところがある訳ではないんだ。単にウチの首席研究員は天才肌なものだから、誰かにモノを教えると言う事が壊滅的に出来ないだけなんだ。だから次席のサンダールにした。それだけの事だ」

 …よく分かりました。
 たまにいますね、そんな人。

 そうして私たちはそれぞれ、別の部屋に案内される形となった。

 私も、室長と一対一べったりと言う訳ではないようだったので、じゃあ良いかとなったのだ。

「ちなみに、あの廊下の奥が書庫だ。名札は入館証も兼ねているから、それを見えるところに付けて、書庫に入る時と出る時に名前と時間を書き記すようになっている。まあそっちも、ちょっとした蔵書量は誇っていると思う」

「あの……こちらでは、本の作成や印刷ってどうされているんですか?それだけの蔵書量だと、単に書き写すと言った訳にはいきませんよね?」

 私がさりげなく探りを入れてみれば「さすが商会のお嬢さんは、面白いところに着目する」と、キスト室長が柔らかい微笑と共に振り返った。

「私はあまり詳しくはないが、鉛で出来た文字を一文字ずつ拾い、組み合わせた版の出っ張っている部分にインクを付けて、紙にインキを転写する――とか、業者の人間が以前に言っていたかな?気になるなら、週に何度か納品に来る本の業者に聞いてみると良い」

 どうやらギーレン国内では、じわじわと活版印刷が広がりつつある途中らしかった。

 これなら、思ったより早く記事はばら撒けそうだ。

「そうさせて下さい」

 どうにも見た目通りじゃなさそうな室長ながら、やはり懐に入り込むだけの価値はありそうだと思った。
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