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第二部 宰相閣下の謹慎事情
269 「懲りる」と「手加減」の攻防
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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
夕食の後、エドヴァルドは決裁の必要な領関係の執務があると言うので、私は隣の自分用の部屋で、キノコ&山菜狩りでアップデートされた、公爵邸敷地内の植物情報をまとめる事にした。
庭師達の中で、日頃から手入れにあたって必要な情報を書き残す事に長けた者がいると聞いたため、絵や特徴を書き記して貰ったのだ。
いったん、今までの図鑑の綴じ紐を解いて、今は存在していないらしい植物を除けて、新たに見つかった植物の情報との差し替え作業を黙々と行う。
「――なるほど、公爵邸内の植物図鑑の差し替えか」
「⁉」
よっぽど作業に集中していたらしい。
どのくらい経っていたのか、私はエドヴァルドが部屋の中に入って来ていた事に気が付いていなかった。
「あっと、すみません!気が付かなくて……」
「ああ、いや。ヨンナとセルヴァンが『今夜はレイナ様を旦那様のお部屋にはお連れ致しません!ええ、何が何でも!』と結託して首を縦に振らないものだからな。かと言って、なかなか扉の外に漏れる灯りも消えないものだから、様子を見に来てしまったんだ」
もちろん正面から。
そう言ってエドヴァルドは微笑った。
「ああ……私は灯りの魔道具を触れませんから、基本、当番の侍女が夜に灯りをつけてくれたら、朝までそのままなんですよ。取るに足らない話だと、誰もエドヴァルド様に説明しなかったのかも知れないですね」
「なるほど、そう言う事か……まだ『懲りる』が旅から戻らないかと、少し期待して来てみたんだが」
「……っ」
慌てて机の上の紙の束を片付けようとする私に、エドヴァルドが低く笑う。
「心配せずとも、今日は何もしない」
「……今日は」
「あまりしつこくそう言った事を強要すると、本人への好悪の感情とは別に、夜を過ごす事そのものに恐怖を覚えて、結果的に破局をする場合があると、経験者の侍女が有難い助言をくれたからな」
本人の名誉の為に名前は伏せておこう、とエドヴァルドは言う。
10歳時点で既に父親も母親も失っていると言う事もあってか、公爵邸内では誰も、所謂「閨教育」を率先して行ってはこなかったらしい。
「北の館」で寝台から出られなかった時に、ため息まじりにヨンナが教えてくれたところによれば、年頃になって、いずれかのご令嬢に目を留めたり、公爵邸に招き入れたりしだすようなら、そう言った方面の教師も手配すべきかと、先代家令と先代侍女長とが話し合っていたところが、良くも悪くも公務一直線で、逆にご令嬢方を遠ざけるようになって、そのままになっていたんだとか。
ある意味、ちゃんと教師を呼んで「ほどほど」を教育して頂くんでした、と言われてこちらが赤面したくらいだ。
ただ、王宮内や王都中心街での事はヨンナ達には伝わらない為、エドヴァルド自身が今までにそう言った経験があったのかなかったのかは、本人のみぞ知る――と言う事らしい。
どうやら都市伝説的に、王都学園に通うのならば、大っぴらには吹聴していないが「保健体育」的な授業がひっそりと存在していて、特に跡取りとなるような子息を中心に、教本的なモノを見せたり、ハニートラップに引っかからないよう、過去にあった醜聞なんかはそこで語られているとか、いないとか。
普通に聞けば「どういう授業だ」と思わなくもないけど、ある意味貴族社会の中では必要な事なのかも知れない。
ハニトラ対策は大事だよね、うん。案外本当に存在していそうな授業だ。
ギーレンでもそう言う授業がもしあれば、パトリック王子に「元」の文字がつく事はなかったんだろうか。
もしかしたら、ボードリエ伯爵から、授業で話すべきネタとして、今頃は秘密裡に話が提供されているかも知れない。
もちろん、名前は伏せてあるだろうけど。
そんなこんな、私の思考があらぬ方向に飛んでいる間に、それに…と、エドヴァルドが言葉を続けていた。
「魔力のない貴女と、世間一般と比べても魔力の多い私とを同じに考えてはいけないと、セルヴァンも言っているしな。閨での事と関連があるのかどうか定かではないにしろ、度が過ぎて貴女に嫌悪感を持たせてしまっては、私はアロルド・オーグレーンの二の舞だ。それは私が最も忌避したい事でもある」
本当に、無理強いは私の本意ではない――そう言って私の手を、エドヴァルドの手が包みこむ。
「だからせめて、隣で眠る事を許してくれるか?さすがにそこまでを避けられると、私も少しキツイ」
「……っ」
ち、近い近いっ!
間近でそんな事を囁かれて、拒否出来る人間が果しているだろうか。
勢い良く首を縦に振ってしまった私に、エドヴァルドがホッとした様に微笑んだ。
夜中に目を醒ました時の為にお水を持って来てくれたヨンナが、部屋にいたエドヴァルドを見て、呆れ半分感心半分の表情を見せていたけれど、ゴメンナサイ、私にはすげない拒否とか、荷が重いんです……。
ヨンナの「もしまた無体を働かれるようでしたら、今度は入口の扉にも内鍵をつけますからね?」と、私には十年以上早そうな笑顔の説得の結果、結局今夜は、私の居る方の部屋でそのまま、すっぽりと抱きすくめられた姿勢で、眠る事になった。
最初こそ「眠れるワケない―!」と心臓がロップイヤー状態だったところが、薄手の寝間着越しに聞こえてきた、エドヴァルドの安定した心音が徐々に子守唄代わりになったのか、気付けばトロトロと眠りの園へと誘われていた。
小動物に懐かれた気分だな…などと言う呟きと共に、額に口づけが落とされたけれど、それは眠りに落ちた瞬間に、きれいさっぱり記憶からは抜け落ちたのだった。
* * *
翌朝は、私が寝起きする部屋にそのまま、ルームサービスよろしく朝食が運ばれた後は、エドヴァルドは謹慎の話が忘れ去られたかの如く、通常通りの時間に王宮へと向かった。
私はと言えば、やれ散歩だ訓練もどきだと言ったメニューを朝しばらくこなした後は、残っていた植物図鑑の差し替えを完成させた。
良い機会でしたね、と最後少し手伝ってくれていた、家令補佐のユーハンも一緒に満足気だ。
セルヴァンはと言えば、何やら必要な書類があるのだと、朝一番で王都法院へと出かけたとの事だった。
「……王都法院?」
「地方法院の王都版ですね。高等法院は、小競り合いレベルの地方法院案件で決着がつかなかった場合や、高位貴族が絡む場合など、大きな案件を手掛けるのが常ですが、地方法院は各地方領主の権限で裁ける程度の案件をこなします。王都法院はその観点から言いますと、王都中心街における揉め事や、王都在住者の冠婚葬祭の手続き管理を取り扱ったりします」
身近な例としてユーハンが説明してくれたのは、エドヴァルドの謹慎の原因となっている、コヴァネン子爵が殺害された事件。
これが子爵領下で起きた事であれば地方法院案件、王都内で殺されたのがタダのゴロツキならば王都法院案件、今回は王都内でイデオン公爵領下に属する貴族が殺されたと言う事で、高等法院案件になるらしい。
事件次第で、管轄争いとか色々と大変そうなのが、聞いているだけで察せられる。
ちなみにオルセン侯爵と夫人の離婚裁判が勃発した場合はどうなるんだろうと思ったら、ユーハンが苦笑しつつも、恐らくですが――と説明してくれた。
「侯爵家の婚姻や離縁となりますと、当然最初から高等法院案件となるでしょうね。これがオルセン侯爵領下の子爵家や男爵家における話であれば、まずは地方法院に提出されて、揉めた場合にのみ高等法院に上げられると言う形になるでしょうけれども」
なるほど、だからブレンダ夫人も、ヤンネに声をかけていた訳かと、私もようやく腑に落ちた。
「コヴァネン子爵の話は、一応決着したと思っていたけど、セルヴァンがわざわざ出かけるような何かがあったのかな?」
「いえ。多分別件だと思いますよ。現時点で私ごときが詳しく申し上げる訳にもいきませんが……」
困った様にユーハンが微笑うそこへヨンナが現れて、何やらユーハンに耳打ちをした。
「――分かりました。レイナ様、少々御前を失礼致します」
「ああ…うん」
一礼してユーハンが下がっていき、どうしたんだろうと思っていると、表情から察してくれたのかヨンナが「王宮からの使者ですよ」と教えてくれた。
「いくら玄関ホールにたまたま居たと言えど、侍女や侍女長が使者と応対する訳にはいきませんから。それは家令あるいは家令補佐の役目となります」
例え自分が用件を聞く方が早くとも、そのあたりの作法は疎かにすべきではないと、ヨンナは言う。
やがてそう間を置かずに、ユーハンも中へと戻って来た。
「レイナ様。王宮にいらっしゃる旦那様からの封書だとの事です。こちら、ご確認下さいますか」
「……エドヴァルド様から?」
定例報告の時期も過ぎて、今は〝転移扉〟で王宮と繋がっている訳ではない。
考えてみれば、用があれば王宮から手紙として届くのは当然と言うべきだった。
私は、ユーハンから手渡された手紙の封蝋を、ゆっくりと外した。
夕食の後、エドヴァルドは決裁の必要な領関係の執務があると言うので、私は隣の自分用の部屋で、キノコ&山菜狩りでアップデートされた、公爵邸敷地内の植物情報をまとめる事にした。
庭師達の中で、日頃から手入れにあたって必要な情報を書き残す事に長けた者がいると聞いたため、絵や特徴を書き記して貰ったのだ。
いったん、今までの図鑑の綴じ紐を解いて、今は存在していないらしい植物を除けて、新たに見つかった植物の情報との差し替え作業を黙々と行う。
「――なるほど、公爵邸内の植物図鑑の差し替えか」
「⁉」
よっぽど作業に集中していたらしい。
どのくらい経っていたのか、私はエドヴァルドが部屋の中に入って来ていた事に気が付いていなかった。
「あっと、すみません!気が付かなくて……」
「ああ、いや。ヨンナとセルヴァンが『今夜はレイナ様を旦那様のお部屋にはお連れ致しません!ええ、何が何でも!』と結託して首を縦に振らないものだからな。かと言って、なかなか扉の外に漏れる灯りも消えないものだから、様子を見に来てしまったんだ」
もちろん正面から。
そう言ってエドヴァルドは微笑った。
「ああ……私は灯りの魔道具を触れませんから、基本、当番の侍女が夜に灯りをつけてくれたら、朝までそのままなんですよ。取るに足らない話だと、誰もエドヴァルド様に説明しなかったのかも知れないですね」
「なるほど、そう言う事か……まだ『懲りる』が旅から戻らないかと、少し期待して来てみたんだが」
「……っ」
慌てて机の上の紙の束を片付けようとする私に、エドヴァルドが低く笑う。
「心配せずとも、今日は何もしない」
「……今日は」
「あまりしつこくそう言った事を強要すると、本人への好悪の感情とは別に、夜を過ごす事そのものに恐怖を覚えて、結果的に破局をする場合があると、経験者の侍女が有難い助言をくれたからな」
本人の名誉の為に名前は伏せておこう、とエドヴァルドは言う。
10歳時点で既に父親も母親も失っていると言う事もあってか、公爵邸内では誰も、所謂「閨教育」を率先して行ってはこなかったらしい。
「北の館」で寝台から出られなかった時に、ため息まじりにヨンナが教えてくれたところによれば、年頃になって、いずれかのご令嬢に目を留めたり、公爵邸に招き入れたりしだすようなら、そう言った方面の教師も手配すべきかと、先代家令と先代侍女長とが話し合っていたところが、良くも悪くも公務一直線で、逆にご令嬢方を遠ざけるようになって、そのままになっていたんだとか。
ある意味、ちゃんと教師を呼んで「ほどほど」を教育して頂くんでした、と言われてこちらが赤面したくらいだ。
ただ、王宮内や王都中心街での事はヨンナ達には伝わらない為、エドヴァルド自身が今までにそう言った経験があったのかなかったのかは、本人のみぞ知る――と言う事らしい。
どうやら都市伝説的に、王都学園に通うのならば、大っぴらには吹聴していないが「保健体育」的な授業がひっそりと存在していて、特に跡取りとなるような子息を中心に、教本的なモノを見せたり、ハニートラップに引っかからないよう、過去にあった醜聞なんかはそこで語られているとか、いないとか。
普通に聞けば「どういう授業だ」と思わなくもないけど、ある意味貴族社会の中では必要な事なのかも知れない。
ハニトラ対策は大事だよね、うん。案外本当に存在していそうな授業だ。
ギーレンでもそう言う授業がもしあれば、パトリック王子に「元」の文字がつく事はなかったんだろうか。
もしかしたら、ボードリエ伯爵から、授業で話すべきネタとして、今頃は秘密裡に話が提供されているかも知れない。
もちろん、名前は伏せてあるだろうけど。
そんなこんな、私の思考があらぬ方向に飛んでいる間に、それに…と、エドヴァルドが言葉を続けていた。
「魔力のない貴女と、世間一般と比べても魔力の多い私とを同じに考えてはいけないと、セルヴァンも言っているしな。閨での事と関連があるのかどうか定かではないにしろ、度が過ぎて貴女に嫌悪感を持たせてしまっては、私はアロルド・オーグレーンの二の舞だ。それは私が最も忌避したい事でもある」
本当に、無理強いは私の本意ではない――そう言って私の手を、エドヴァルドの手が包みこむ。
「だからせめて、隣で眠る事を許してくれるか?さすがにそこまでを避けられると、私も少しキツイ」
「……っ」
ち、近い近いっ!
間近でそんな事を囁かれて、拒否出来る人間が果しているだろうか。
勢い良く首を縦に振ってしまった私に、エドヴァルドがホッとした様に微笑んだ。
夜中に目を醒ました時の為にお水を持って来てくれたヨンナが、部屋にいたエドヴァルドを見て、呆れ半分感心半分の表情を見せていたけれど、ゴメンナサイ、私にはすげない拒否とか、荷が重いんです……。
ヨンナの「もしまた無体を働かれるようでしたら、今度は入口の扉にも内鍵をつけますからね?」と、私には十年以上早そうな笑顔の説得の結果、結局今夜は、私の居る方の部屋でそのまま、すっぽりと抱きすくめられた姿勢で、眠る事になった。
最初こそ「眠れるワケない―!」と心臓がロップイヤー状態だったところが、薄手の寝間着越しに聞こえてきた、エドヴァルドの安定した心音が徐々に子守唄代わりになったのか、気付けばトロトロと眠りの園へと誘われていた。
小動物に懐かれた気分だな…などと言う呟きと共に、額に口づけが落とされたけれど、それは眠りに落ちた瞬間に、きれいさっぱり記憶からは抜け落ちたのだった。
* * *
翌朝は、私が寝起きする部屋にそのまま、ルームサービスよろしく朝食が運ばれた後は、エドヴァルドは謹慎の話が忘れ去られたかの如く、通常通りの時間に王宮へと向かった。
私はと言えば、やれ散歩だ訓練もどきだと言ったメニューを朝しばらくこなした後は、残っていた植物図鑑の差し替えを完成させた。
良い機会でしたね、と最後少し手伝ってくれていた、家令補佐のユーハンも一緒に満足気だ。
セルヴァンはと言えば、何やら必要な書類があるのだと、朝一番で王都法院へと出かけたとの事だった。
「……王都法院?」
「地方法院の王都版ですね。高等法院は、小競り合いレベルの地方法院案件で決着がつかなかった場合や、高位貴族が絡む場合など、大きな案件を手掛けるのが常ですが、地方法院は各地方領主の権限で裁ける程度の案件をこなします。王都法院はその観点から言いますと、王都中心街における揉め事や、王都在住者の冠婚葬祭の手続き管理を取り扱ったりします」
身近な例としてユーハンが説明してくれたのは、エドヴァルドの謹慎の原因となっている、コヴァネン子爵が殺害された事件。
これが子爵領下で起きた事であれば地方法院案件、王都内で殺されたのがタダのゴロツキならば王都法院案件、今回は王都内でイデオン公爵領下に属する貴族が殺されたと言う事で、高等法院案件になるらしい。
事件次第で、管轄争いとか色々と大変そうなのが、聞いているだけで察せられる。
ちなみにオルセン侯爵と夫人の離婚裁判が勃発した場合はどうなるんだろうと思ったら、ユーハンが苦笑しつつも、恐らくですが――と説明してくれた。
「侯爵家の婚姻や離縁となりますと、当然最初から高等法院案件となるでしょうね。これがオルセン侯爵領下の子爵家や男爵家における話であれば、まずは地方法院に提出されて、揉めた場合にのみ高等法院に上げられると言う形になるでしょうけれども」
なるほど、だからブレンダ夫人も、ヤンネに声をかけていた訳かと、私もようやく腑に落ちた。
「コヴァネン子爵の話は、一応決着したと思っていたけど、セルヴァンがわざわざ出かけるような何かがあったのかな?」
「いえ。多分別件だと思いますよ。現時点で私ごときが詳しく申し上げる訳にもいきませんが……」
困った様にユーハンが微笑うそこへヨンナが現れて、何やらユーハンに耳打ちをした。
「――分かりました。レイナ様、少々御前を失礼致します」
「ああ…うん」
一礼してユーハンが下がっていき、どうしたんだろうと思っていると、表情から察してくれたのかヨンナが「王宮からの使者ですよ」と教えてくれた。
「いくら玄関ホールにたまたま居たと言えど、侍女や侍女長が使者と応対する訳にはいきませんから。それは家令あるいは家令補佐の役目となります」
例え自分が用件を聞く方が早くとも、そのあたりの作法は疎かにすべきではないと、ヨンナは言う。
やがてそう間を置かずに、ユーハンも中へと戻って来た。
「レイナ様。王宮にいらっしゃる旦那様からの封書だとの事です。こちら、ご確認下さいますか」
「……エドヴァルド様から?」
定例報告の時期も過ぎて、今は〝転移扉〟で王宮と繋がっている訳ではない。
考えてみれば、用があれば王宮から手紙として届くのは当然と言うべきだった。
私は、ユーハンから手渡された手紙の封蝋を、ゆっくりと外した。
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