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第二部 宰相閣下の謹慎事情
357 職人ギルドの今昔
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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
「申し訳ない。この先は馬車通行禁止区域になりますので、徒歩でのお付き合いをお願い出来ますか。もしお嫌であれば、閣下におかれては、すぐ近くに待機用のカフェもございますが」
王都における一般市民居住区と言うのは、主に王都中心街の店舗に勤める従業員やギルド職員が住民の中心らしい。
後でエドヴァルドから聞いたところによると、かつて近道をしようとして無理に馬車を走らせた謁見前の貴族が、市民をはね飛ばした事を高圧的な態度で隠蔽しようとした結果、年末年始に開かれる市場「マルクナード」や王宮内で定期的に開かれる「ロッピア」で、その領の商品が締め出されると言う騒ぎが起きだそうだ。
はねられた当人だけだと圧倒的身分差で何も言えなかったかも知れないところが、国王以外に膝を折らないと表向きに定められているギルドの一声で、商品納入の一斉ボイコットが可能になったと言う訳だった。
これはもう、場所が場所であり、ギルド職員の目撃者までいた事が多分に起因していたと言って良かった。
もっとも当初先代国王は、騒ぎそのものに無関心だったところが「ロッピア」での商品の一斉ボイコットにより、先代王妃からの叱責を受けて、ようやく重い腰を上げたと言うのが、実際のところだったとか。
その上、先代国王がやった事と言えば、先代宰相に丸投げしただけだったらしく、命じられて事の成り行きを確認した先代宰相によって、一般市民居住区への馬車の立ち入りは禁止、住宅街の入口の複数個所に、乗合馬車や職人ギルドに用がある貴族の馬車留めを新たに設置すると言う方向で、当時は決着したらしかった。
無論、騒ぎを引き起こした当の貴族家は、その間にひっそりと当主交代が行われたんだそうだ。
何と言うか、当時の先代宰相の苦労が偲ばれる。
一事が万事その調子では、なかなか自分が高齢に差し掛かっても第一線からは退けなかっただろうし、ようやく後継になりそうだと目を付けたエドヴァルドを、何が何でもと手元に置いて育てようとしたのも頷けてしまう。
「いや。それではここまで彼女に付き添って来ている意味がない。職員や職人に私の方から居丈高に何かを命じるつもりもないから、このまま同行する。多少の距離なら王宮内で歩き慣れている」
思わず私もイフナースも頷いてしまうような事を、エドヴァルドは言った。
「そうですか。でしたらそれほど長い距離に感じられる事もないかと思いますよ。ああ、ただ、エスコートだけはなさらないで頂けますか。一般市民居住区の中ですので、無駄に目立ってしまいます」
そう言って「こちらです」と言いながら先を歩くイフナースに従って、煉瓦の敷き詰められた小路の様な道を歩いて行った。
テレビの旅番組で見た様な、イタリアのヴェッキオ橋の宝飾街に雰囲気は近いかも知れない。
「この辺りは既に卸売の店や修理工房なんかが並んでいますよ。職人たちの住居はもっと奥で共同住宅形式で暮らしている事が多いですね」
そう言って、とある角を曲がったところで「ここがアンジェス王都職人ギルドですよ」と、片手で指し示すように、立ち止まった。
「……素朴ですね」
もちろん、貶す気があった訳じゃない。
あくまで、どこかの大使館を彷彿とさせる様な王都商業ギルドに比べて、と言う意味だ。
同じ中世ヨーロッパの趣きが残る建物であっても、職人ギルドは――ドイツの古都ローテンブルグにあるレストラン付の宿に、雰囲気が酷似していた。
多分、比較される事に慣れているのか、イフナースも微かに口元を綻ばせただけだった。
「元は商業ギルドの傘下にあったとの事ですから、独立にあたって当てつけの意味で敢えて方向性の違う家屋にしたのかも知れませんね。まあ…今となっては誰にも分からない事ですが」
あえて入口で一度立ち止まったのは、中に入ってから、商業ギルドと職人ギルドを比較する様な事をうっかり言わないように…と言う意味もあっての事だったらしい。
「概ね職人と言う人種は、商売人が持つ柔軟な思考とは対極の所にいる事が多いですから。建物の細工一つ取っても、拘りのある人間が多いんですよ。毎年ギルドに採用される職員の内の何人かは、必ずと言って良いほど職人と衝突します。もはやある種の通過儀礼ですね」
そう言って面白そうに笑うのは、もしや私かエドヴァルドのどちらかが、衝突する事を期待していたりなんかするんだろうか。
気を付けないと。
そんなイフナースに続いて中に入ると、区役所みたいな商業ギルド内部とは異なり、パブのカウンターみたいな受付が中央で存在を主張していた。
「おや、イフナースじゃないか。今日はどうしたね」
そしてそこに居た、恰幅の良い「下町の食堂のおばちゃん」的な女性が、時候の挨拶くらいに気軽にイフナースに声をかけてきた。
「こんにちは、ウシュカさん。今日は身分証の氏名修正依頼ですよ。アズレート副ギルド長からの承認は貰っていますから、このままファルダさんの所に行っても?」
紹介状を片手に、こちらも気軽にイフナースが答えていた。
「それは珍しいね。最近は修正する事なんてほとんどなかっただろうに」
ウシュカ、と呼ばれた女性はそう返しながらも、それ以上話を踏み込むような事はしてこない。
職人ギルドとは言え、さすがに職員はその辺りの教育をキチンと受けているのだろう。
深入りは火傷の元、と。
「ファルダならさっき、今日の修理分を抱えて部屋に入ったところだから、行けば居る筈だけどね」
「有難うございます。それでは」
イフナースの会釈に合わせる様に、私も黙って頭を下げつつ、後に続いた。
「ファルダさんと言うのは、革職人の中で親方職に当たる人で、その中でも統括責任者の様な立ち位置にいらっしゃる方です。そこそこご高齢でいらっしゃるので、今はこのギルドに常駐されて、若手の指導や過去に販売された自らの製品の修理や手入れなんかを主になさっていらっしゃるんですよ」
歩きながらイフナースが、そんな個人情報を教えてくれた。
革製品に限らず、職人ギルドに常駐しているのは、似た立ち位置の人間がほとんどらしい。
ある意味、新人職員と衝突しがちだと言うのは、ちょっと納得する部分があった。
「ファルダさん、王都商業ギルドのイフナースです。失礼しますね」
受付から右奥に続いていた廊下の途中、一つの部屋の前で立ち止まったイフナースが、扉をノックするなり、そのまま返事を待たずに開けて中に入ろうとしていた。
ギョッとなる私やエドヴァルドを横目に「彼らは作業に没頭しがちですから、返答を待っていたらキリがないんです」と、微笑いながら歩を進めて行く。
ギルド長公認だとの話で、ようやくその後に続く事が出来た。
「――あ?イフナースの若造じゃねぇか。何しに来やがった」
年齢相応な感じに嗄れた声が耳に届く。
言葉遣いは荒いものの、特に不快さを感じさせる声ではなかった。
「すみません。ちょっと急ぎで身分証の革漉きをお願いしたくて。あ、一応コレがアズレート副ギルド長からの許可証です」
どうやらその態度に慣れているっぽいイフナースも、さっさと用件を告げている。
「ああ、分かった分かった。てめえがニセモノを持って来るとは思っちゃいねぇから、さっさと身分証出しな。革漉きは済ませておいてやるから、許可証はそっちでギルド長に出してくれ。急ぐなら、それが条件だ」
「はぁ…ここからギルド長室に行くくらい、大した距離でもないでしょうに…分かりましたよ、お願いしますね。レイナ嬢、身分証をお貸し頂けますか?このギルド内で良からぬ事を企む人間は、今のところいやしませんから、お預け頂いても大丈夫ですよ」
何でも本来は、職人本人が許可証を確認して、不正に革漉きを依頼された訳ではないと、ギルド長に申告に行くのが正式な手続きの流れらしい。
すぐに作業をさせたいのなら、その時間はそっちで短縮しろと言うのが職人側の言い分であり、イフナースも「今すぐ」と頼んでいる手前、そこで折れたと言う事だ。
「へぇ……嬢ちゃんが商売やんのかい。ま、頑張んな」
私と身分証をちらと一瞥しつつも、それ以上は何の関心もないと言った態で受け取っている。
男だ女だ年齢だと言った事を一切気にしていないのは、根っからの職人気質の持ち主なんだろう。
行きましょうか、とイフナースに促されて、今度は更に奥のギルド長室に足を向ける羽目になった。
「申し訳ない。この先は馬車通行禁止区域になりますので、徒歩でのお付き合いをお願い出来ますか。もしお嫌であれば、閣下におかれては、すぐ近くに待機用のカフェもございますが」
王都における一般市民居住区と言うのは、主に王都中心街の店舗に勤める従業員やギルド職員が住民の中心らしい。
後でエドヴァルドから聞いたところによると、かつて近道をしようとして無理に馬車を走らせた謁見前の貴族が、市民をはね飛ばした事を高圧的な態度で隠蔽しようとした結果、年末年始に開かれる市場「マルクナード」や王宮内で定期的に開かれる「ロッピア」で、その領の商品が締め出されると言う騒ぎが起きだそうだ。
はねられた当人だけだと圧倒的身分差で何も言えなかったかも知れないところが、国王以外に膝を折らないと表向きに定められているギルドの一声で、商品納入の一斉ボイコットが可能になったと言う訳だった。
これはもう、場所が場所であり、ギルド職員の目撃者までいた事が多分に起因していたと言って良かった。
もっとも当初先代国王は、騒ぎそのものに無関心だったところが「ロッピア」での商品の一斉ボイコットにより、先代王妃からの叱責を受けて、ようやく重い腰を上げたと言うのが、実際のところだったとか。
その上、先代国王がやった事と言えば、先代宰相に丸投げしただけだったらしく、命じられて事の成り行きを確認した先代宰相によって、一般市民居住区への馬車の立ち入りは禁止、住宅街の入口の複数個所に、乗合馬車や職人ギルドに用がある貴族の馬車留めを新たに設置すると言う方向で、当時は決着したらしかった。
無論、騒ぎを引き起こした当の貴族家は、その間にひっそりと当主交代が行われたんだそうだ。
何と言うか、当時の先代宰相の苦労が偲ばれる。
一事が万事その調子では、なかなか自分が高齢に差し掛かっても第一線からは退けなかっただろうし、ようやく後継になりそうだと目を付けたエドヴァルドを、何が何でもと手元に置いて育てようとしたのも頷けてしまう。
「いや。それではここまで彼女に付き添って来ている意味がない。職員や職人に私の方から居丈高に何かを命じるつもりもないから、このまま同行する。多少の距離なら王宮内で歩き慣れている」
思わず私もイフナースも頷いてしまうような事を、エドヴァルドは言った。
「そうですか。でしたらそれほど長い距離に感じられる事もないかと思いますよ。ああ、ただ、エスコートだけはなさらないで頂けますか。一般市民居住区の中ですので、無駄に目立ってしまいます」
そう言って「こちらです」と言いながら先を歩くイフナースに従って、煉瓦の敷き詰められた小路の様な道を歩いて行った。
テレビの旅番組で見た様な、イタリアのヴェッキオ橋の宝飾街に雰囲気は近いかも知れない。
「この辺りは既に卸売の店や修理工房なんかが並んでいますよ。職人たちの住居はもっと奥で共同住宅形式で暮らしている事が多いですね」
そう言って、とある角を曲がったところで「ここがアンジェス王都職人ギルドですよ」と、片手で指し示すように、立ち止まった。
「……素朴ですね」
もちろん、貶す気があった訳じゃない。
あくまで、どこかの大使館を彷彿とさせる様な王都商業ギルドに比べて、と言う意味だ。
同じ中世ヨーロッパの趣きが残る建物であっても、職人ギルドは――ドイツの古都ローテンブルグにあるレストラン付の宿に、雰囲気が酷似していた。
多分、比較される事に慣れているのか、イフナースも微かに口元を綻ばせただけだった。
「元は商業ギルドの傘下にあったとの事ですから、独立にあたって当てつけの意味で敢えて方向性の違う家屋にしたのかも知れませんね。まあ…今となっては誰にも分からない事ですが」
あえて入口で一度立ち止まったのは、中に入ってから、商業ギルドと職人ギルドを比較する様な事をうっかり言わないように…と言う意味もあっての事だったらしい。
「概ね職人と言う人種は、商売人が持つ柔軟な思考とは対極の所にいる事が多いですから。建物の細工一つ取っても、拘りのある人間が多いんですよ。毎年ギルドに採用される職員の内の何人かは、必ずと言って良いほど職人と衝突します。もはやある種の通過儀礼ですね」
そう言って面白そうに笑うのは、もしや私かエドヴァルドのどちらかが、衝突する事を期待していたりなんかするんだろうか。
気を付けないと。
そんなイフナースに続いて中に入ると、区役所みたいな商業ギルド内部とは異なり、パブのカウンターみたいな受付が中央で存在を主張していた。
「おや、イフナースじゃないか。今日はどうしたね」
そしてそこに居た、恰幅の良い「下町の食堂のおばちゃん」的な女性が、時候の挨拶くらいに気軽にイフナースに声をかけてきた。
「こんにちは、ウシュカさん。今日は身分証の氏名修正依頼ですよ。アズレート副ギルド長からの承認は貰っていますから、このままファルダさんの所に行っても?」
紹介状を片手に、こちらも気軽にイフナースが答えていた。
「それは珍しいね。最近は修正する事なんてほとんどなかっただろうに」
ウシュカ、と呼ばれた女性はそう返しながらも、それ以上話を踏み込むような事はしてこない。
職人ギルドとは言え、さすがに職員はその辺りの教育をキチンと受けているのだろう。
深入りは火傷の元、と。
「ファルダならさっき、今日の修理分を抱えて部屋に入ったところだから、行けば居る筈だけどね」
「有難うございます。それでは」
イフナースの会釈に合わせる様に、私も黙って頭を下げつつ、後に続いた。
「ファルダさんと言うのは、革職人の中で親方職に当たる人で、その中でも統括責任者の様な立ち位置にいらっしゃる方です。そこそこご高齢でいらっしゃるので、今はこのギルドに常駐されて、若手の指導や過去に販売された自らの製品の修理や手入れなんかを主になさっていらっしゃるんですよ」
歩きながらイフナースが、そんな個人情報を教えてくれた。
革製品に限らず、職人ギルドに常駐しているのは、似た立ち位置の人間がほとんどらしい。
ある意味、新人職員と衝突しがちだと言うのは、ちょっと納得する部分があった。
「ファルダさん、王都商業ギルドのイフナースです。失礼しますね」
受付から右奥に続いていた廊下の途中、一つの部屋の前で立ち止まったイフナースが、扉をノックするなり、そのまま返事を待たずに開けて中に入ろうとしていた。
ギョッとなる私やエドヴァルドを横目に「彼らは作業に没頭しがちですから、返答を待っていたらキリがないんです」と、微笑いながら歩を進めて行く。
ギルド長公認だとの話で、ようやくその後に続く事が出来た。
「――あ?イフナースの若造じゃねぇか。何しに来やがった」
年齢相応な感じに嗄れた声が耳に届く。
言葉遣いは荒いものの、特に不快さを感じさせる声ではなかった。
「すみません。ちょっと急ぎで身分証の革漉きをお願いしたくて。あ、一応コレがアズレート副ギルド長からの許可証です」
どうやらその態度に慣れているっぽいイフナースも、さっさと用件を告げている。
「ああ、分かった分かった。てめえがニセモノを持って来るとは思っちゃいねぇから、さっさと身分証出しな。革漉きは済ませておいてやるから、許可証はそっちでギルド長に出してくれ。急ぐなら、それが条件だ」
「はぁ…ここからギルド長室に行くくらい、大した距離でもないでしょうに…分かりましたよ、お願いしますね。レイナ嬢、身分証をお貸し頂けますか?このギルド内で良からぬ事を企む人間は、今のところいやしませんから、お預け頂いても大丈夫ですよ」
何でも本来は、職人本人が許可証を確認して、不正に革漉きを依頼された訳ではないと、ギルド長に申告に行くのが正式な手続きの流れらしい。
すぐに作業をさせたいのなら、その時間はそっちで短縮しろと言うのが職人側の言い分であり、イフナースも「今すぐ」と頼んでいる手前、そこで折れたと言う事だ。
「へぇ……嬢ちゃんが商売やんのかい。ま、頑張んな」
私と身分証をちらと一瞥しつつも、それ以上は何の関心もないと言った態で受け取っている。
男だ女だ年齢だと言った事を一切気にしていないのは、根っからの職人気質の持ち主なんだろう。
行きましょうか、とイフナースに促されて、今度は更に奥のギルド長室に足を向ける羽目になった。
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