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第二部 宰相閣下の謹慎事情

367 セラシフェラの咲く庭で(3)

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「レイナ様っ‼」

 スヴェンテ公爵邸の玄関ホールから団欒の間ホワイエに案内をされたところで、こちらに気付いたミカ君が、手を振りながら走り寄って来た。

「――公爵様も、こんにちは!あ、レイナ様、僕も今ちょうど来たところで、きっと今頃、スヴェンテ老公爵サマに知らせが入ったと思うから、それまで一緒に向こうで待とう…じゃなくて、待ちましょう!」

 慣れない敬語に奮闘中のミカ君が、そう言いながらエドヴァルドのエスコートを振り解くように、私の手をぐいぐいと応接用のソファまで引っ張って行く。

 えっと…今、背中側から舌打ちが聞こえたような?
 気のせい…で良いよね⁉

「レイナ様、ごめんなさい!僕、さすがにこれ以上伯爵領を留守にしない方が良いって言われて……もう、あの洋菓子店を手伝えそうになくて……」

 隣に腰を下ろすなり、しゅんとなったミカ君に、私も慌てて両手をぶんぶんと横に振った。

「大丈夫だよ、ミカ君!元はと言えば、私が将軍に残って欲しいと話しちゃったから、ミカ君が帰るタイミングを失くしたんだもの。イデオン公爵領の存続に関わる話だったって言えば、イリナ夫人もチャペックもきっと分かってくれるから!」

 私の言葉に、エドヴァルドがややきまり悪そうに視線を逸らした。

 エドヴァルドとしても、ギーレンから予定をオーバーしての帰国になったのは、自分の所為せいではないにしろ事実でもあるので、何も言えないと言ったところなんだろう。

 代わりに「ウルリック」と、背後に控えていたウルリック副長を手招きすると「着いたらこれを家令チャペックに」と、封蠟された手紙を渡していた。

 …きっと、色々「端折られたり」「盛られたり」「忖度されたり」した、絶妙な文章が中でこねくり回されていることだろう。

 そちらに関しては、私はもう、深く追求しない事にした。

「ああ、皆様もうお着きでしたか。これはお待たせをしてしまいましたな」

 そうこうしている内に、フィリプ・スヴェンテ公爵代理――通称・老公爵が、団欒の間ホワイエへとやって来た。

 私は〝カーテシー〟を、エドヴァルド以外の男性陣は〝ボウ・アンド・スクレープ〟で老公爵への敬意を示した。

 同じ公爵であり、更に宰相でもあるエドヴァルドは、鷹揚に頷いて見せただけだった。

 このあたり、つい年齢優先で動きがちな純日本人思考がまだどこかに残っているんだろうと思う。

「先に少し、曾孫ひまごのリオルを紹介させて貰えるか?まだ4歳故に学ばせている事も多くはないが、いずれはこのスヴェンテ公爵家を継ぐ者となる筈なのでな」

 …「魔の2歳」と呼ばれる「イヤイヤ期」の次に到来する「4歳の壁」。
 ちょうど自我が出て、会話が出来るようになり始めた頃だろうか。

「こ…こんにちは……リオル・スヴェンテ…です……」

 スヴェンテ老公爵の足元にしがみついていた少年が、一瞬だけ老公爵から離れて、右手を胸元にあてながら、おずおずとお辞儀をしてみせた。

 左腕は下がったままだけれど、4歳児にそれ以上を求めるのは酷以外の何物でもない。

 現時点で、この場で最も高位にあるエドヴァルドが挨拶を受ける形で、ベルセリウス将軍やウルリック副長、ミカ君――最後に私を、紹介していた。

 多分まだ爵位だ当主だと言われても、理解は怪しい年齢だろうけど、逆に子供向けに噛み砕いて説明をしなかったあたり、彼が次期スヴェンテ公爵と、エドヴァルドが認識をしていると老公爵や周囲の使用人達に知らしめる形になっていた。

 彼らが皆一様にホッとした表情を見せたのが、その証左だろう。

 スヴェンテ公爵家は、先代当主が政変時に第二王子に付いた事で、一時取り潰される寸前まで追い込まれた。

 あからさまにイデオン公爵家と対立しながらも、裏でひっそりとレイフ殿下を支援していたクヴィスト公爵家の方が、結果的には難を逃れていたあたり、当時は皮肉なものだと皆が思っていたらしい。

 ただこの期に及んでは、そのクヴィスト公爵家が、他国をたのんで当代公爵の交代を余儀なくされている。

 ……正しく〝因果応報〟と言うべきだろう。

「……イデオン公。もしわしが道半ばで斃れた場合には、リオルの事を少し気にかけて貰っても良いだろうか。何分、リオルの成人まで健在でいられるかと聞かれれば、こればかりは答えようもないのでな」

 もともとリオル・スヴェンテの命は、フィリプの後見と、リオルの実父を含めて、先代当主の子供世代は全て表舞台から退く事を条件に保障されている、綱渡りの状態だ。

 今はまだ、自分の祖父が何をして、自分が父や母と暮らせずに、曾祖父の下で暮らしているのか、完全には理解しきれていないように見える。

 それでも子供なりに周囲の空気は読めるのだろう。
 癇癪をおこしたり上から目線な発言をしたりするような事もなく、こちらの反応を気にしている様子がありありと感じられた。

「……もう、スヴェンテ家が置かれている現状の話を?」

 エドヴァルドも、そこは気になったらしく、答えの代わりに質問を先に投げかけていた。

 スヴェンテ老公爵は不快な表情は見せる事なく、武骨な手でやんわりと曾孫の頭を撫でていた。

「まあ……この子にも分かる単語で相当噛み砕きはしたがな。もう何年もすれば、より事実に即した説明を改めてする事になるだろうよ」

 どうやら「自分の祖父が、やって良いことと悪いことの区別がつかずに、国王陛下に迷惑をかけた」「ごめんなさいだけでは済まない程の事だった」「家が潰れない代わりに、自分と父は離れ離れに暮らすようにと言われて、曾祖父の下にいる」――と言った程度の説明は、何とか分かったらしく、それもあって癇癪をおこしたり居丈高な態度に出たりする事もなく、これまでは過ごしてきているらしい。

 ちなみにその説明はミカ君をも納得させられる程だったらしく、彼は黙って目を丸くしていた。

「そうか……今後のその子の努力と振る舞い方次第だな。せいぜい健在なうちに、高位貴族の義務を正しく自覚して、クヴィスト公の二の舞にならぬように教導してくれ。そうすれば、私以外の周囲とて自ずと手助けをするようになるだろう」

 エドヴァルドも高位貴族らしく「確約」と言う言質は与えずに、さりげない協力だけを仄めかしていたけれど、スヴェンテ老公爵も、それで充分とばかりに深く大きく頷いていた。

「…では早速、イデオン公とご令嬢は庭園の方へ案内させよう。途中にやや大きめのガゼボを作らせてあって、かつては庭園の散策者には、洩れなくそこでお茶と菓子を振る舞っていた。厨房の者達が、久々で腕が鳴ると、セラシフェラの実を漬け込んでおいて作る菓子や果実酒を、張り切って並べておるようだから、ぜひ立ち寄って味わってくれぬか。私もハルヴァラ伯爵令息とある程度話をさせて貰ったら、彼を連れてそこへ行かせて貰うのでな」

 ヨンナが、花が落ちた後に出来る実は食用にもなると言っていたのを思い出した。

 そして聞いているだけで美味しそうな事を言われて、私とミカ君は思わず顔を見合わせてしまった。

「……レイナ様、僕の分も残しておいて下さい!」
「分かったわ、任せて!」

 実が出来ていると言う事は、花自体はほぼ散っているのか、早咲きの種でもあるのか。

 エドヴァルドは、感情の見えない表情かおで「承知した」とだけ答えて、エスコートの為の手を私の方へと差し出した。
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