聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第二部 宰相閣下の謹慎事情

458 乗るのは仔牛じゃなく

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 もし、アンジェスの先代宰相の婚約者だった姫が身を投げたと言う湖の近くに、その姫の親族なり関係者がいて、騒動のほとぼりが冷めるまでテオドル大公を保護しようとしてくれているのなら。

 イラクシ族にしろ、他の少数民族の人間にしろ、行ったところで信用されない可能性がある。
 実はイラクシ族の回し者ではないかとの疑いを晴らすのに、時間がかかるかも知れない。

 テオドル大公と面識があると言う事でジーノ青年が仮に行ったとしても、少数民族側とも王宮側とも取れてしまう彼は、余計に警戒されかねない。

「しかし、ユングベリ嬢……!」

「その、偵察に行かれたと言う方々が近付けなかったと言うからには、基本的に誰が行ってもダメだと思うんですよ」

 そこで言い争いになって、今、内輪揉めをしているイラクシ族の者達の注意が向く様な事になっては困る。

『うむ。出来ればジーノには、商業ギルドのシレアン殿と、隣の部屋にいる二人をダルジーザ族の者に託す方に回って貰いたいしな』

『⁉』

 そこに思いがけず、カゼッリ族長からの横槍も入りジーノ青年は顔色を変えた。

『伯父上……』

 シレアンさんが名指しされるからには、サレステーデ側の一族とも知り合いなんだろうか。

 私がそんな視線を向ければ、言いたい事が分かったのか「向こうのギルドにいた頃の知り合いが、まだ何人かいる筈だから」と、シレアンさんが頷いていた。

 ガエターノ族長自身は、イラクシ族の包囲あるいは説得に回ると言うのなら、確かにシレアンさんがロサーナ公爵の息子と、サレステーデの宰相の娘さんを送り届けるには適任になるのかも知れなかった。

 そしてサレステーデに渡るにあたって、ロサーナ公爵令息の身元を保証するのは、ジーノ青年にしか出来ない事だ。

「カゼッリ族長の言う通り、私とジーノ君が共に動いた方が良いと思うよ」

 他意なくダメ押しをしていると思われるシレアンさんに、何故かウルリック副長がクスリと口元を歪めていた。

「……副長?」

 首を傾げた私に「ところで」と、周囲に聞こえない声で囁いてくる。

「レイナ嬢、乗馬のご経験はおありなんですか?どうやって、その湖とやらに行くつもりなんですか。あともしかしたら、古傷を抱えるマトヴェイ卿も、乗馬がお得意ではない可能性もありますよ」

「え……誰もそんな公爵家基準の馬車がゴロゴロ存在しているとかは、思ってないですよ。って言うか、土地柄そんな大きな馬車なんて通れないでしょうし」

 幌馬車とか、それがダメでも最低限、干し草運ぶ荷馬車くらいはあるでしょう?と私が返せば、今度は副長がちょっと絶句していた。

「荷馬車……」

「馬を何頭も急ぎで走らせていても、それはそれで怪しまれるかも知れないですし、まだ荷馬車移動の方が不自然には思われないですよ、きっと」

「……乗った事、おありです?」

「いや、ないですけど」

 日本に住んでいて、馬車に乗る機会なんてある筈がない。
 この世界に来てからも、乗った馬車は無駄に豪華なイデオン公爵家の馬車か、それには及ばなくとも、それなりの造りはしているギルドの馬車だ。

 荷馬車になんて乗って、耐えられるのかと思われているのは間違いなかった。

「でも、四の五の言える状況じゃないと思うんです。干し草とか食料積んでる様に見える麻袋でも積んで、ちょっと急ぐ程度に行くしかないでしょう?」

「本来なら、ここに残る事を強く勧めたいところですが……確かに、部族抗争を避けて、あの方を匿いつつ引きこもっている家があると言うのが間違いなければ、アンジェス王宮の正式な使者の一人であるマトヴェイ卿と、商会長の肩書を持つレイナ嬢が行くと言うのは、最も理に適った選択肢ではあるんですよね……」

「何もむやみやたらに出発するとは言ってないですよ?リファちゃんが、ちゃんと場所の特定をしてきてくれてから動く形で、とりあえず準備だけ進めればどうかと」

 不可抗力への対処法は考えたつもりですよ?と小首を傾げて見せたら、副長の表情が苦虫をまとめて何匹も嚙み潰したかの様になっていた。

「くくっ……」

 思わず、と言った態でベルセリウス将軍が口元を押さえて笑いを堪えている。

「さすが我らが〝貴婦人〟は、ケネトですらやりこめるか!」

「……っ、どんな地獄耳ですか、と言うか、せっかくこちらでコソコソと話していた事が台無しじゃないですか」

「コソコソ話だったのは、認めるのだな!」

 度量の大きい将軍は、ウルリック副長の、半ば負け惜しみ的なセリフを微笑わらって受け止めていた。

「今ちょっと確認に行かせておいたが、荷馬車自体は何台かあるようだぞ。あとは馬が揃うかどうかじゃないか?」

 将軍の「荷馬車」の一言に、この場の皆それぞれが反応を見せた。
 と言うか将軍、動きが早いです。察しが良すぎです。

『まさか、荷馬車でヘルガ湖畔へ?』
『いや、普通に食料を運んでいると、確かに何も知らぬ者が見れば思うだろう』
『我々が逆に馬で走れば、イラクシ族の連中がいたとしても我らに目が向くか』

 三族長がそんな声を交し合っているからには、全てとは言わないまでも、多少はバリエンダール語が理解出来ると言う事なんだろう。
 他の遊牧民たちはともかくとして、族長としては、今は多少なりと言葉が出来ないといけないのかも知れない。

「「……荷馬車?」」

 逆にジーノ青年とマトヴェイ外交部長は、ウルリック副長に近い、ちょっと唖然とした表情になっていた。

 すみません……と、とりあえずマトヴェイ外交部長には頭を下げておく。

「国に名だたる英雄閣下を、そんなところにお乗せするのは本当に申し訳ないのですが」

「いや……私とて、元は軍の人間だ。常に至れり尽くせりの物を食して、移動出来る訳ではない事くらいは理解をしている。そうではなく――」

「深窓のご令嬢でもないんで、こんなところで我儘言いませんって。ただ、さすがに馬には一度も乗った事がないので、誰かに乗せて貰うにしても、それくらいなら荷馬車かな……と」

 荷馬車を引くくらいなら馬も慣れているだろうけど、二人乗りは馬に負担がかかる。
 何より荷馬車の方が怪しまれない。

 私がそう言うと、マトヴェイ外交部長も「諸手を挙げて賛成する訳ではないが、最初から敵と見做されない為には、その方が良いのか。私も、もう長く馬には乗っていないしな……」と、最後には折れた。

 どうやら大ケガをしてからは、やはり乗馬からは遠ざかっていると言う事なんだろう。

「ふふっ、じゃあ、一緒に仲良く揺られて行きましょう」

 別に売られて行くワケでもないけれど、まさかリアルにドナドナ体験が出来るとは思わなかったな……。

『まあ、話がまとまったところ悪いが、今からここを出ても途中で日が暮れてしまうだろうから、あまり推奨は出来ない。あの体調の悪い女性の様子も一晩は見た方が良いだろうし、行くのなら明日の朝一番にした方が良い。その間に、我々の間で馬を振り分けておこう。もちろん何か危急を告げる様な続報が入ったりした場合には、すぐに知らせる』

 近隣の地理や時間的位置関係は、私にはよく分からない。
 この村の責任者でもあるカゼッリ族長が言うのであれば、従った方が良い様には思えた。

『荷馬車、お貸しいただけるんですか、カゼッリ族長?』

『うむ。これに関しては我らは手出しをせん方が良いのだろう。もちろん、だからと言って手を貸さないとは言っていない。我ら遊牧民族、そこまで我を通してこの地域で孤立して暮らしたい訳ではないからな』

 共存共栄だ――。
 そう、カゼッリ族長は呟いた。
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