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第二部 宰相閣下の謹慎事情
【バリエンダール王宮Side】王太子ミランの訣別(7)
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「それを貴殿が聞いてどうすると言うのだ、フォサーティ宰相」
それは世に知られた「鉄壁」「冷徹」宰相そのものの表情と、声だった。
「うむ。この待機時間での雑談と思ってくれれば良いが、貴殿の宰相と言う職位や公爵と言う立場を考えれば、例えば我が国の王女殿下や公爵家の令嬢なりを傍に置かれる方が、国内外での立場も強化されるのではないかと考えたまでのことなのだ。貴殿さえよければ、仲立ちに入るのもやぶさかではない、と」
「…………ほう」
「「⁉」」
その瞬間、私の机の上に置かれていた羽根ペンや封蝋の道具、机回りの物にいきなり霜が降りた。
執務室の体感温度が一気に下がり、私もフォサーティ宰相も無意識のうちに身震いをしていた。
「ああっ、いや待てイデオン宰相!公爵家の令嬢云々の話はさておいても、ミルテの――妹のことは真に受けなくて良い!アレはまだ社交界デビューもしていない!その年齢まで待たせるような無茶は言わん!」
どう考えても、この霜の原因は目の前のアンジェスの宰相だ。
私自身は多少の風の魔力を操れる程度だし、フォサーティ宰相も似たようなものだった筈だ。
物理的に部屋の中を凍り付かせるような芸当など、出来る筈がない。
「殿下、ですが双方の国の利益を考えれば、イデオン宰相かあちらの国王陛下との縁を繋ぐのが最も国内の反発が少ないのでは?ユングベリ商会の商会長であれば、我が義理の息子ジーノと娶わせるのも一案。アレも元は貴族の出自を持っていませんから、当人同士気後れもせずに済むのではないかと」
フォサーティ宰相が口を開けば開くほど、部屋の中に降りた霜が範囲を広げていく。
義理とは言え息子を思っての親バカが前に出ているのかも知れんが、男女の機微に疎すぎるだろう、この男‼
「殿下も王女殿下を大事に思っていらっしゃるのは分かりますが――」
「……っ、其方は少しその口を閉じろ!ジーノといい其方といい、ユングベリ嬢の側に脈がない限り、私は動かぬと言ったろうが!」
恐らくきっかけはフォサーティ宰相だっただろうが、ダメ押しをしたのは、私自身の発言だったかも知れない。
「…………王太子殿下」
イデオン宰相の、地を這うようなその声に「しまった!」と思った時には既に手遅れだった。
「ご説明願います」
「……っ」
応接テーブルの上の水差しに、ピシリとひびが入る音がした。
ここへ来てようやくフォサーティ宰相も、周囲の空気が冷え切っていることに気が付いたらしかった。
年寄りは気温の変化に疎いのか⁉ と叫びたいのをかろうじて堪える。
「いや、まあ、公式の場ではない、その場限りの戯言だったから、気にせずとも――」
「――ご説明を」
イデオン宰相が一言口にするたびに、部屋の備品が少しずつ凍り付いていく。
どうしろと言うのか。
寒さのせいではなく、頭痛がひどくなってきた。
「……婚約者殿は、生半可な貴族令嬢など足元にも及ばぬほどの智謀があるだろう?公の場での機転も利く。ウチの妹が心酔しているのもあるが、それ以外にも方々から目をかけられているようだ」
――例えば、宰相の義理の息子とか。
私がそう言った……言わざるを得なかったその瞬間、部屋の窓枠もカーテンも、言わば人間以外と言って良いくらいの物が、霜さえも通り越して凍り付いた。
これで〝扉の守護者〟ではないと言うのが、にわかに信じられないほどの魔力量だった。
「…………レイナ・ユングベリは私の半身だ」
もはやこれは〝転移扉〟の再整備を待つ間の歓談などではない。
氷の魔力が周囲を席捲していると言うのに、放たれた声はむしろ熱と激情を帯びていた。
「彼女を望む私が万難を排すのが当然であって、私の立場も地位も、妻となる人間に保証して貰わねばならぬほど弱いものではない。貴殿は何か勘違いをしているのではないか?」
説明をしたのは私だが、この時点でのイデオン宰相の視線は、元々の発言主であるフォサーティ宰相の方へと向けられている。
さすがにフォサーティ宰相も、顔色を悪くして応接用のソファに座り込んでいた。
「寝言は寝てから言って貰えるか、フォサーティ宰相」
「……っ」
そしてその瞬間、執務室の木製の扉にひびが入り――粉々に砕けた。
机の上にあったものも、軒並み役立たずとなっている。
「閣下!いったい何が――」
さすがに、部屋の外で待機していたとしても、扉が崩れた事態は見過ごせなかったに違いない。
イデオン宰相の護衛らしき者たちが、中に入ろうと姿を見せていた。
中でも最も年若いと思われる護衛が「しまった、遅かった……」などと片手で額を覆っているからには、もしかすると、ユングベリ嬢なりテオドル大公なりから、イデオン宰相の魔力暴走への注意を促されていたのかも知れない。
「えー……閣下、お嬢様が後で気に病みますから、ちょっとその辺りで……」
そして、かけられた声に対するイデオン宰相の反応もかなり顕著で、放たれた魔力で浮き上がっていた髪や上着が、ゆるやかに元の状態へと戻ろうとしていた。
「イデオン宰相、私からも謝罪を。いらぬお節介だったと言うべきだろう。どうか忘れてくれ。それで……これらの氷は、片づけて貰えるものなのだろうか」
あっと言う間に蒸発でもしてくれれば良いのだが、世の中そう都合よく事態は転がらないようだ。
「……人間にまで影響が及ばなかったのが、私のギリギリの善意と解釈願いたい。そしてそれは、ここにいない宰相夫人への敬意と礼と取って貰って構わない」
イデオン宰相の声はいっそ冷ややかに過ぎたほどだったが、どうやらフォサーティ宰相にとっては、突然浮上したキアラ夫人の名前に面食らう方が、割合としては大きかったのかも知れなかった。
「妻を……ご存知で……?」
「夫人にはひとかたならぬ恩がある。その内容はここで貴殿に語ることではないがな」
「そう……ですか……」
もともとフォサーティ宰相には、後継が育てば中央から退きたいと言う意思が見え隠れしている。
そして私が国王となる際には、右腕となるのは次代、つまりジーノになるだろう。
バリエンダールも、そろそろ世代の交代を考えねばならぬ時期にきているのかも知れなかった。
それは世に知られた「鉄壁」「冷徹」宰相そのものの表情と、声だった。
「うむ。この待機時間での雑談と思ってくれれば良いが、貴殿の宰相と言う職位や公爵と言う立場を考えれば、例えば我が国の王女殿下や公爵家の令嬢なりを傍に置かれる方が、国内外での立場も強化されるのではないかと考えたまでのことなのだ。貴殿さえよければ、仲立ちに入るのもやぶさかではない、と」
「…………ほう」
「「⁉」」
その瞬間、私の机の上に置かれていた羽根ペンや封蝋の道具、机回りの物にいきなり霜が降りた。
執務室の体感温度が一気に下がり、私もフォサーティ宰相も無意識のうちに身震いをしていた。
「ああっ、いや待てイデオン宰相!公爵家の令嬢云々の話はさておいても、ミルテの――妹のことは真に受けなくて良い!アレはまだ社交界デビューもしていない!その年齢まで待たせるような無茶は言わん!」
どう考えても、この霜の原因は目の前のアンジェスの宰相だ。
私自身は多少の風の魔力を操れる程度だし、フォサーティ宰相も似たようなものだった筈だ。
物理的に部屋の中を凍り付かせるような芸当など、出来る筈がない。
「殿下、ですが双方の国の利益を考えれば、イデオン宰相かあちらの国王陛下との縁を繋ぐのが最も国内の反発が少ないのでは?ユングベリ商会の商会長であれば、我が義理の息子ジーノと娶わせるのも一案。アレも元は貴族の出自を持っていませんから、当人同士気後れもせずに済むのではないかと」
フォサーティ宰相が口を開けば開くほど、部屋の中に降りた霜が範囲を広げていく。
義理とは言え息子を思っての親バカが前に出ているのかも知れんが、男女の機微に疎すぎるだろう、この男‼
「殿下も王女殿下を大事に思っていらっしゃるのは分かりますが――」
「……っ、其方は少しその口を閉じろ!ジーノといい其方といい、ユングベリ嬢の側に脈がない限り、私は動かぬと言ったろうが!」
恐らくきっかけはフォサーティ宰相だっただろうが、ダメ押しをしたのは、私自身の発言だったかも知れない。
「…………王太子殿下」
イデオン宰相の、地を這うようなその声に「しまった!」と思った時には既に手遅れだった。
「ご説明願います」
「……っ」
応接テーブルの上の水差しに、ピシリとひびが入る音がした。
ここへ来てようやくフォサーティ宰相も、周囲の空気が冷え切っていることに気が付いたらしかった。
年寄りは気温の変化に疎いのか⁉ と叫びたいのをかろうじて堪える。
「いや、まあ、公式の場ではない、その場限りの戯言だったから、気にせずとも――」
「――ご説明を」
イデオン宰相が一言口にするたびに、部屋の備品が少しずつ凍り付いていく。
どうしろと言うのか。
寒さのせいではなく、頭痛がひどくなってきた。
「……婚約者殿は、生半可な貴族令嬢など足元にも及ばぬほどの智謀があるだろう?公の場での機転も利く。ウチの妹が心酔しているのもあるが、それ以外にも方々から目をかけられているようだ」
――例えば、宰相の義理の息子とか。
私がそう言った……言わざるを得なかったその瞬間、部屋の窓枠もカーテンも、言わば人間以外と言って良いくらいの物が、霜さえも通り越して凍り付いた。
これで〝扉の守護者〟ではないと言うのが、にわかに信じられないほどの魔力量だった。
「…………レイナ・ユングベリは私の半身だ」
もはやこれは〝転移扉〟の再整備を待つ間の歓談などではない。
氷の魔力が周囲を席捲していると言うのに、放たれた声はむしろ熱と激情を帯びていた。
「彼女を望む私が万難を排すのが当然であって、私の立場も地位も、妻となる人間に保証して貰わねばならぬほど弱いものではない。貴殿は何か勘違いをしているのではないか?」
説明をしたのは私だが、この時点でのイデオン宰相の視線は、元々の発言主であるフォサーティ宰相の方へと向けられている。
さすがにフォサーティ宰相も、顔色を悪くして応接用のソファに座り込んでいた。
「寝言は寝てから言って貰えるか、フォサーティ宰相」
「……っ」
そしてその瞬間、執務室の木製の扉にひびが入り――粉々に砕けた。
机の上にあったものも、軒並み役立たずとなっている。
「閣下!いったい何が――」
さすがに、部屋の外で待機していたとしても、扉が崩れた事態は見過ごせなかったに違いない。
イデオン宰相の護衛らしき者たちが、中に入ろうと姿を見せていた。
中でも最も年若いと思われる護衛が「しまった、遅かった……」などと片手で額を覆っているからには、もしかすると、ユングベリ嬢なりテオドル大公なりから、イデオン宰相の魔力暴走への注意を促されていたのかも知れない。
「えー……閣下、お嬢様が後で気に病みますから、ちょっとその辺りで……」
そして、かけられた声に対するイデオン宰相の反応もかなり顕著で、放たれた魔力で浮き上がっていた髪や上着が、ゆるやかに元の状態へと戻ろうとしていた。
「イデオン宰相、私からも謝罪を。いらぬお節介だったと言うべきだろう。どうか忘れてくれ。それで……これらの氷は、片づけて貰えるものなのだろうか」
あっと言う間に蒸発でもしてくれれば良いのだが、世の中そう都合よく事態は転がらないようだ。
「……人間にまで影響が及ばなかったのが、私のギリギリの善意と解釈願いたい。そしてそれは、ここにいない宰相夫人への敬意と礼と取って貰って構わない」
イデオン宰相の声はいっそ冷ややかに過ぎたほどだったが、どうやらフォサーティ宰相にとっては、突然浮上したキアラ夫人の名前に面食らう方が、割合としては大きかったのかも知れなかった。
「妻を……ご存知で……?」
「夫人にはひとかたならぬ恩がある。その内容はここで貴殿に語ることではないがな」
「そう……ですか……」
もともとフォサーティ宰相には、後継が育てば中央から退きたいと言う意思が見え隠れしている。
そして私が国王となる際には、右腕となるのは次代、つまりジーノになるだろう。
バリエンダールも、そろそろ世代の交代を考えねばならぬ時期にきているのかも知れなかった。
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