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第三部 宰相閣下の婚約者
616 ブティック・エミリエンヌ(中)
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何の苦行かと思うほどの無言の馬車に少しの間揺られた後、王都中心街でもまだ来たことのなかった区画に、二人の淑女と足を踏み入れた。
全長、幅ともに旧ツェツィ・オンペルに似た規模のお店がそこにはあった。
ただちょっと面白いと思ったのは、入口がバームクーヘンを半分に切った断面を見ているかのようで、両端はガラス張りの窓があってドレスがそれぞれ展示されていて、入口の扉が半円の中央部分に作られていた。
先代フォルシアン公爵夫人の代からあるお店と聞いているから、当時の建築デザイナーは随分と前衛的な人だったに違いない。
そして中で縫物をしていた手を止めて立ち上がったのは、白のレース襟部分以外は、紫がかった赤一色、光の加減では暗赤色となるようなクラシックドレスに身を包んだ年配女性だった。
ただよく見れば、胸元には同色糸を使った精巧な刺繍が施されていて、留めるためと言うよりはデザインとしてのくるみボタンが十個以上、これもドレスと同じ色で留められている。
聞けば所謂冠婚葬祭の「葬」の部分での需要を担うことが多い店だそうで、他にも 婚姻関係にあったパートナーと死別したり離縁したりした後再婚せずにいる、日本で言うところの「寡婦(寡夫)」と呼ばれる人たちの衣装なんかをメインで仕立てているらしい。
なるほど〝ヘルマン・アテリエ〟や〝マダム・カルロッテ〟と、そんなところで差別化を図っているのかも知れない。
そう言えば先代フォルシアン公爵夫人は早くに夫を亡くしたと言うことだから、あまり装いが華美にならない、それでいて上品なドレスをと言うことで、ここの利用が多かったのかも知れなかった。
実際応対に出て来た女性も、よく見れば髪もきっちり結い上げられているし、どこかの教育係と言っても良さそうな雰囲気が溢れていて、このまま眼鏡をかけたら某家庭教師のCMで見た、ク〇ラの家の女性執事ロッテン〇イヤーさんとでも呼べそうな出で立ちの女性だ。
多分エリィ義母様やコンティオラ公爵夫人よりは幾分年は上だろう。
「まあ、エリサベト様。お久しぶりではございませんか?」
「お久しぶりですわ、レディ・エミリエンヌ。突然お尋ねしてごめんなさいね?」
後でエリィ義母様が教えてくれたところによると、店主は以前は、お隣りギーレン国のロラ男爵家と言う家名を持つ、貴族のご令嬢だったそうだ。
それが先代が散財し、身代を傾け、爵位を国に買い上げられた末に、離縁して平民となった母親と共に亡命。手先の器用さから店を立ち上げて、今も立派に店は続いている――と言うことらしい。
現時点では平民と言えど、かつて礼儀作法を叩きこまれた名残りは接客に充分に活かされており、アンジェス社交界の女性陣は、ある種の敬意をこめて「レディ」と呼んでいるそうだ。
かつて、ジュゼッタ・ピンクの色をまとって姫の悲劇に抗議の意思を示したように、アンジェス社交界は代々場に流されない、強い女性が多いのかも知れない。
「構いませんわ。ギーレン国王子の歓迎式典が終わって、受けている依頼も少し落ち着きましたから。何でも仰って下さいまし」
レディ・エミリエンヌはそう言って、ふわりと柔らかな笑みを見せた。
「私はまた、次の機会にゆっくりとお願いしますわね。今日は二人の服をそれぞれお願い出来ますかしら」
エリィ義母様も、レディ・エミリエンヌの微笑に合わせるかの様に、淑女の微笑みを垣間見せる。
「レディ、こちらはコンティオラ公爵夫人。ご実家のご家族の御病気で、急いで王都を発たれようとされていたところ、馬車の接触事故に巻き込まれたそうなの。私はたまたま、お相手と話し合いをされている場に遭遇しただけなのだけれど、旅行用のお着替えが何着かダメになってしまったと聞いたものだから、近場のこちらをご紹介しましたのよ」
エリィ義母様のお見事な「言い訳」に、私もコンティオラ公爵夫人も、黙って事の成り行きを窺っているしかない。
恐らくは、日頃の交流があまりないことくらいは、ドレスの仕立てで多くの貴婦人と接していれば、レディ・エミリエンヌも察している筈なのだ。
だから何故一緒にいるのか、既製品がなぜ必要なのか、と言う不自然な状況を覆い隠すために、馬車の事故と言う一部真実を織り交ぜることで、彼女を納得させようとしている。
しかも言葉の端々に、フォルシアン公爵家に非はないと仄めかせていた。
請求書はコンティオラ公爵家へ、と言うつもりだろうし、後日自警団や王都警備隊の事情聴取が仮にこの店にまで及んだとしても、フォルシアン公爵家は善意の第三者、通りすがりと主張も出来る。
「こちらのお店の既製品を、少し手直しする形でご用意して差し上げてくれないかしら」
そう畳みかけたエリィ義母様に、最終的には疑う様子を見せず、レディ・エミリエンヌは「承りますわ」と頷いて見せた。
「失礼ながら初めてお目にかかるかと存じます。ブティック・エミリエンヌの店主にございます。有難くも『レディ・エミリエンヌ』などと過分な呼称をいただいて、エリサベト様を始め皆さま方にご愛顧頂いております」
レディ・エミリエンヌはそう言って、コンティオラ公爵夫人に綺麗な「カーテシー」を披露した。
「……ヒルダ・コンティオラですわ。無理をお願いするお詫びは、後日改めてドレスをオーダーさせていただくことでご納得いただけないかと思うのですけれど。今日はどうしても急いで出発をしたくて」
レディ・エミリエンヌのカーテシーに表向き鷹揚に頷きながら、コンティオラ公爵夫人がエリィ義母様の話に合わせてきている。
――この瞬間、エリィ義母様がアンジェス社交界で事実上の頂点に立ったんじゃないだろうかと、私の頭の中をそんな妄想がよぎった。
全長、幅ともに旧ツェツィ・オンペルに似た規模のお店がそこにはあった。
ただちょっと面白いと思ったのは、入口がバームクーヘンを半分に切った断面を見ているかのようで、両端はガラス張りの窓があってドレスがそれぞれ展示されていて、入口の扉が半円の中央部分に作られていた。
先代フォルシアン公爵夫人の代からあるお店と聞いているから、当時の建築デザイナーは随分と前衛的な人だったに違いない。
そして中で縫物をしていた手を止めて立ち上がったのは、白のレース襟部分以外は、紫がかった赤一色、光の加減では暗赤色となるようなクラシックドレスに身を包んだ年配女性だった。
ただよく見れば、胸元には同色糸を使った精巧な刺繍が施されていて、留めるためと言うよりはデザインとしてのくるみボタンが十個以上、これもドレスと同じ色で留められている。
聞けば所謂冠婚葬祭の「葬」の部分での需要を担うことが多い店だそうで、他にも 婚姻関係にあったパートナーと死別したり離縁したりした後再婚せずにいる、日本で言うところの「寡婦(寡夫)」と呼ばれる人たちの衣装なんかをメインで仕立てているらしい。
なるほど〝ヘルマン・アテリエ〟や〝マダム・カルロッテ〟と、そんなところで差別化を図っているのかも知れない。
そう言えば先代フォルシアン公爵夫人は早くに夫を亡くしたと言うことだから、あまり装いが華美にならない、それでいて上品なドレスをと言うことで、ここの利用が多かったのかも知れなかった。
実際応対に出て来た女性も、よく見れば髪もきっちり結い上げられているし、どこかの教育係と言っても良さそうな雰囲気が溢れていて、このまま眼鏡をかけたら某家庭教師のCMで見た、ク〇ラの家の女性執事ロッテン〇イヤーさんとでも呼べそうな出で立ちの女性だ。
多分エリィ義母様やコンティオラ公爵夫人よりは幾分年は上だろう。
「まあ、エリサベト様。お久しぶりではございませんか?」
「お久しぶりですわ、レディ・エミリエンヌ。突然お尋ねしてごめんなさいね?」
後でエリィ義母様が教えてくれたところによると、店主は以前は、お隣りギーレン国のロラ男爵家と言う家名を持つ、貴族のご令嬢だったそうだ。
それが先代が散財し、身代を傾け、爵位を国に買い上げられた末に、離縁して平民となった母親と共に亡命。手先の器用さから店を立ち上げて、今も立派に店は続いている――と言うことらしい。
現時点では平民と言えど、かつて礼儀作法を叩きこまれた名残りは接客に充分に活かされており、アンジェス社交界の女性陣は、ある種の敬意をこめて「レディ」と呼んでいるそうだ。
かつて、ジュゼッタ・ピンクの色をまとって姫の悲劇に抗議の意思を示したように、アンジェス社交界は代々場に流されない、強い女性が多いのかも知れない。
「構いませんわ。ギーレン国王子の歓迎式典が終わって、受けている依頼も少し落ち着きましたから。何でも仰って下さいまし」
レディ・エミリエンヌはそう言って、ふわりと柔らかな笑みを見せた。
「私はまた、次の機会にゆっくりとお願いしますわね。今日は二人の服をそれぞれお願い出来ますかしら」
エリィ義母様も、レディ・エミリエンヌの微笑に合わせるかの様に、淑女の微笑みを垣間見せる。
「レディ、こちらはコンティオラ公爵夫人。ご実家のご家族の御病気で、急いで王都を発たれようとされていたところ、馬車の接触事故に巻き込まれたそうなの。私はたまたま、お相手と話し合いをされている場に遭遇しただけなのだけれど、旅行用のお着替えが何着かダメになってしまったと聞いたものだから、近場のこちらをご紹介しましたのよ」
エリィ義母様のお見事な「言い訳」に、私もコンティオラ公爵夫人も、黙って事の成り行きを窺っているしかない。
恐らくは、日頃の交流があまりないことくらいは、ドレスの仕立てで多くの貴婦人と接していれば、レディ・エミリエンヌも察している筈なのだ。
だから何故一緒にいるのか、既製品がなぜ必要なのか、と言う不自然な状況を覆い隠すために、馬車の事故と言う一部真実を織り交ぜることで、彼女を納得させようとしている。
しかも言葉の端々に、フォルシアン公爵家に非はないと仄めかせていた。
請求書はコンティオラ公爵家へ、と言うつもりだろうし、後日自警団や王都警備隊の事情聴取が仮にこの店にまで及んだとしても、フォルシアン公爵家は善意の第三者、通りすがりと主張も出来る。
「こちらのお店の既製品を、少し手直しする形でご用意して差し上げてくれないかしら」
そう畳みかけたエリィ義母様に、最終的には疑う様子を見せず、レディ・エミリエンヌは「承りますわ」と頷いて見せた。
「失礼ながら初めてお目にかかるかと存じます。ブティック・エミリエンヌの店主にございます。有難くも『レディ・エミリエンヌ』などと過分な呼称をいただいて、エリサベト様を始め皆さま方にご愛顧頂いております」
レディ・エミリエンヌはそう言って、コンティオラ公爵夫人に綺麗な「カーテシー」を披露した。
「……ヒルダ・コンティオラですわ。無理をお願いするお詫びは、後日改めてドレスをオーダーさせていただくことでご納得いただけないかと思うのですけれど。今日はどうしても急いで出発をしたくて」
レディ・エミリエンヌのカーテシーに表向き鷹揚に頷きながら、コンティオラ公爵夫人がエリィ義母様の話に合わせてきている。
――この瞬間、エリィ義母様がアンジェス社交界で事実上の頂点に立ったんじゃないだろうかと、私の頭の中をそんな妄想がよぎった。
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