聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

641 勇者、その名は……

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「来るか、待つか……か。あるいは、その両方かも知れないな」

 天井を見上げたまま少し考えていたお義兄様ユセフが、不意にそんなことを呟いた。

「ウリッセの妹を連れて来るには、途中で逃げられたり奪われたりする恐れがある。ブロッカ商会の商会長は、本人にせよ部下にせよ「投資を教える」者としてコンティオラ公爵邸に行かないことには話が始まらない。恐らく妹はそのままで、何名か見張りを残してセルマに置いてくるんじゃないかと思うんだが……」

 お義兄様ユセフの話には説得力がある。
 確かに、と私も頷いた。

「人数の減ったその状態なら、宿に立ち寄った『勇者』が妹さんを救ったとしても、荒唐無稽には思われないかも……?」

 十中八九、勇者=ナルディーニ侯爵家の関係者だろう。

 ブロッカ商会の関係者、しかも破落戸ゴロツキでガチガチに固められた状態から妹を救い出すのには、無理がある。

 妹プラス護衛数名なら、勇者ご一行、せいぜい数名で人助けをしたとて、不自然に思われにくい。

 ナルディーニ侯爵の弟が倒れたとでも嘘をついて、それをコンティオラ公爵邸滞在中の夫人に伝えに来たとでも言えば、セルマに立ち寄ることも決して不自然なことではないと取られる。

「お義兄様、多分、説で間違いないと思います。その為にナルディーニ侯爵の弟さんは領地に留め置かれて、奥様とお子さんだけでコンティオラ邸に来させられたんです。そう考えれば辻褄合いますから」

 下手をすれば不良在庫と化しているであろう〝痺れ茶〟を飲まされて、身動きが取れなくなっている可能性すらある。

「……っ」

 多分お義兄様ユセフは、性格的にそう言う卑怯な手段は大嫌いな筈だ。
 見れば案の定、こめかみを盛大に痙攣ひきつらせていた。

「あっ、お義兄様! あくまで予想ですから!多分その、セルマに滞在中の面子を捕まえないコトには確かめようがないと思います!」

 今現在コンティオラ公爵邸を囲んでいる連中や、王都内の宿を確保している面々は、恐らく雑魚だ。

 そこを捕まえても、下手をすれば蜥蜴の尻尾切りになる可能性がある。
 落とすべき本陣は――セルマの兵だ。

 そう言った私に、お義兄様ユセフの眉間の皺が増々深くなった。

「戦力分散が必須となると、今ある戦力で足りるか……?」
「え、でも、これ以上引っ張りだしたら、対外的に伏せておけませんよ?」

 陛下に関しては、公爵が三人も揃えばさすがに何とかする、と言うか妥協点を見つけるだろう。

 ただこちらが、これ以上自警団や王都警備隊の人手を借りるとなると、大捕り物の途中で、どこでどんな人々に目撃をされるか分からない。

 さらに言えば、人の口に戸は立てられない。
 十人が関わって十人全員が、口を閉ざしたままでいてくれる保証はないのだ。

 現にコンティオラ公爵邸の護衛は、理由はあるにせよ、主家を危機に晒す行動をとっている。

「しかし……」

「単にコンティオラ公爵が何か恨みを買って、邸宅おやしきが襲撃されかけた――みたいな噂が広がるくらいなら良いですけど、ご令嬢や公爵夫人のことであらぬ噂がたったら、詐欺が未遂に終わったとしても、取り返しがつかなくなりますよ?」

 相手がナルディーニ侯爵家でなくなるだけで、邪な申し出をしてくる家が他に出て来るかも知れない。

 それが例えば、当代侯爵や令息が下ろされた先の、伯爵家以下の家だったりしたら、結局は同じことだ。

 私の指摘に、お義兄様ユセフは微かに目を瞠っていた。
 見れば、エリィ義母様も同じ様な表情を浮かべている。

「……だが、コンティオラ公爵令嬢はイデオン公爵との縁組を熱望していた令嬢だろう?」

 お義兄様ユセフの一言に、今度はこちらが目を瞠る番だった。

「ええっ⁉ だからって、悪意の海に沈めて『ざまぁみろ』なんて言うわけないじゃないですか! だいたいコンティオラ公爵令嬢がエドヴァルド様を熱望していたって言っても、その話自体が他人ひとから聞くだけで、私自身が直接何かを言われたりされたりしたわけじゃないんですよ?」

 もちろん一人や二人から聞く話じゃないので、その話自体は嘘ではないと思うものの、レイフ殿下の伝手で王宮の食堂の従業員を抱き込んで、エドヴァルドに媚薬を盛ったトゥーラ・オルセン侯爵令嬢の方がよほど悪質だろう。

 ……ここでは言わないけど。

「ただ、自領についての勉強不足で詐欺に引っかかって、公爵家そのものを危機に晒しかけた点は反省した方が良いと思いますけどね? 正しく、自分がしでかしたことの責だけを負えば良いじゃないですか。必要以上に貶められるのは違うと思いますよ?」

 トゥーラ嬢も、しかるべきところで、しかるべき責を負えば良い。
 父親の実家での蟄居でも、遠方への婚姻でも。
 私があれこれ言うことじゃない。

 マリセラ嬢も、父親に叱られるなり、しばらく社交禁止を言い渡されるなり、訳ありの縁組がまとまるなり――それも、私が口を挟むことじゃない。

「……そ、そうか」

「え、もしかして私が何か嫌がらせで進言をするとでも? それはさすがに失礼でしてよ、お義兄様?」

 語尾だけちょっぴりエリィ義母様風に上げてみたところが、お義兄様ユセフはちょっと口元をひくつかせていた。

「い……いや、キヴェカス法律事務所に間断なく積み上がる書類を見ていると、そんなこともあるかと……」

 多分、うっかり口が滑ったんだろう。
 ユセフ……と、片手を額に当てたエリィ義母様に、お義兄様ユセフはちょっと慌てていた。

「あ、いや、今のは……」
「お・・様」

 だからにっこり微笑わらって、説明しておいた。

わたくし、申し上げましたわ。正しく自分がしでかしたことの責を負え――と。キヴェカス卿の所にある書類は、三日徹夜した分のささやかなお返しでしてよ?」

「え」
「三日⁉」

 さすがにこのあたりは、エリィ義母様もお義兄様ユセフと同じように驚かされている。

「その辺りは、私とエドヴァルド様とキヴェカス卿との間のヒミツです。いつか気が向いたらキヴェカス卿が事務所で語ったり……は、しないでしょうね」

 あはは、と笑う私の乾いた笑い声が半分厭味であることくらいは、さすがにお義兄様ユセフにも理解は出来たみたいだった。

「つまり、今夜徹夜したくらいではビクともしない……と?」

「しませんねー……って言ったらエドヴァルド様に怒られてしまうので、これはここだけの話でお願いしますね」

 お義兄様? と念を押した私に、お義兄様ユセフは絶句したままだった。
 ……エリィ義母様でさえも。
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