聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

651 欠陥だらけの投資講座

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「……投資は何のためにするのか?この前ご説明申し上げましたね」

 応接間ドローイングルームからは、落ち着いた大人の男性の声が聞こえる。

 私たちは、続き扉で繋がる部屋のその扉を少しだけ開けて、声が洩れ聞こえてくるようにした。

 ええ、と若い女性の声がそれに答えていた。

「将来に向けてお金を増やしたり、商品の値段が上がってお金の価値が下がるような事態が起きた時のために、資産を蓄えておくこと……でしたわよね?」

「その通りです。我々が宿に戻ってからも『学び』を続けて下さっていたようで何よりです」

「将来まとまったお金が必要となったり、急激な物価上昇が起きてしまった時に、それまでの資金だけでは対応できないケースが生まれるから、今からでも備えておくべきだ、と」

「仰る通りです。そのため、投資をすることが大切なのです」

 なるほど、言っている内容としては間違ってない。

 単語としては存在しないようだけど、物価上昇すなわちインフレだ。
 インフレに備えるため、投資をする。

 将来に向けてお金を増やすには、投資をすることが大切なのではないか。
 ――上辺だけ聞いていると、うっかり頷いてしまいそうな内容だ。

 何せ「投資とは」と言う論点に絞るのであれば、その言葉は嘘ではないのだから。

 だけど本来、投資は目的や目標のある人間が、本人の余剰資金でやることであって、将来を見据えて投資をすることが、領政における必須項目と言う訳では決してない。

 投資とはあくまで「利益の獲得を見込んで事業や金融商品などに自己資金を出すこと」でしかなく、必ず利益を残せるものではないのだ。

 大きな声を出せないので、黙って聴き耳を立てることしか出来ないけれど、お義兄様ユセフやヒース君の顔色を見る限りは、私と同じ理解でいるものと思われた。

「ジェイの新たな漁場の話が公に広まれば、確実に経済は回り、物価にも影響が出てきます。みすみす隣国の公爵家に権利を奪われてしまっては、コンティオラ公爵家の名折れと思われませんか?」

「「……っ」」

 この部屋と隣の部屋とで、姉と弟が図ったように息を呑んでいた。

 けれど弟・ヒース君の方は「知った風な口を……!」と地獄の底からでも響いていそうな声を低く発しながら、両の拳をギリギリと握りしめていた。

 ああっ、せっかく手当して貰った傷がまた……!

「ええ、ええ、そうですわね!これで『家』のために資産が残せる者だと周りに示すことが出来れば、もきっとわたくしに興味を持って下さいますわ……!」

「……っ」

 私が思わず顔をしかめたところに、今度はお義兄様ユセフとヒース君の視線がこちらに突き刺さった。

 ヒース君の掌の力が緩んだことは良かったかも知れないけど――もの凄く複雑な気分だ。

 ここに誰もいなければ「持つわけないでしょ」と、零してしまいたくなるところだった。

 新たな漁場が仮に本当に計画があったとして、隣国の公爵家まで話に絡んできそうと言うなら、それは既に外交案件であり、一個人の手に余る話になる。

 マリセラ嬢としては、確実な儲けを出してから父親に言いたかったのかも知れないけれど、このまま黙っていたなら、いずれ父親の公務に差し障ることを本来気が付かないといけない。

 宰相であるエドヴァルドにしてみれば、興味どころか怒髪天ものの話だ。

「イレネオ、頼んでおいたお金をここに」

 コンティオラ家の家令には、いったんはお金を渡すようにヒース君が事前に頼んでいた。

 家令イレネオはさすがのプロフェッショナル、まるで感情を読み取らせない声で「承知しました」と答えているのが聞こえた。

 お嬢様のお小遣いの範囲で……との話だったし、この部屋からはお金が見えるわけではない。ただヒース君がこめかみを痙攣ひきつらせているところからすると、そこそこの額ではあるのかも知れない。

 後でヒース君に聞いたところだと、コンティオラ公爵は王宮に詰めていることが多く、あまり家にいない負い目もあってか、どうやらそこそこのお小遣いを娘に渡していたらしい。

 さすがに無尽蔵に宝石やドレスを買い与えるわけではなかったものの、茶会があるとか誰かの誕生日だとか、それなりの理由があれば買い物に「否」と言うことはあまりなかったんだそうだ。

 現場を見たわけではないものの、自分に対してもそうだから、恐らくマリセラ嬢も似た環境の筈と、その時のヒース君は言った。

 不自由をさせているつもりはないと、本人は思っている。
 日本でも、そんなタイプの父親は一定数存在する。
 明らかな「ダメパパ」だ。
 
 これを機に、コンティオラ公爵家はぜひ家族のあり方を見直して貰いたい。
 ……私に言えた義理ではないけれど。

 ともかく今はただ、お金のやりとりがなされているのを半ばイライラとしながら隣室から見守っていた。

 もっと投資によるリスクとか、どのくらいまで価値が上がったら売るのかとか、売りたいとおもった時には誰に声をかけるのかとか、逆に価値が下がった時の損切りラインはどこにするのかとか、お金を渡す前に聞くことは山ほどあるだろうに――!

 とは、多分隣室で聞き耳を立てる全員が思っていたことだろう。

 儲かると言われて、ホイホイお金を渡すとか、投資初体験にしても問題がありすぎる。

「ご夫人もいかがですか?お嬢様とご一緒に資産形成なさいませんか」

 多分、儲けを力説しておきながら、マリセラ嬢にだけ進めているのでは怪しまれると思ったのかも知れない。

 相手は付き添いを装うデリツィア夫人にも、同じように声をかけた。

「……いえ。わたくしは夫を通さずに自由に出来る資金は持っておりませんので、この場では……」

「…………」

 一瞬、ピリリとした空気が場を満たした。

 多分それは「父親に話をした方が良い」と言うデリツィア夫人からの、今できる精一杯の警告であり、夫人自身からの「夫の声が聴きたい」と言う密かな主張のように思えた。

「そ、そうですか、それは残念ですね」

 偽教師の痙攣ひきつった声が聞こえる。
 どうやらクレト・ナルディーニ卿が人質同然になっていると言う点での信憑性が増したように思えた。

「ではお嬢様はこちらの書面に署名をお願い出来ますか。次にお会いする時には、きっと良い報告が出来ると思いますよ」

「まあ、楽しみですわ」

 バカ姉……っと、呻いているのが隣から聞こえるけれど、うん、かなりの小声。
 ヒース君のためにも聞かなかったことにしておいてあげようと思った。

 契約書は上から斜め読みしただけで、ブロッカ商会なりシャプル商会なりの話の方を鵜呑みにしてサインしたようなものだから、それはヒース君もブチギレたくなるかも知れない。

「では今日は、これをセルマの街で待つ商会の者に渡して、早速漁場周辺の土地のや漁場そのものの契約を進めさせましょう。投資は時と場合が大事ですからね。ではお嬢様、また改めて」

 ここまでの流れるような話し口調からして、偽教師自身も貴族――ブロッカ商会長と言うことで良いのだろうか。

 まあ、捕まえてみれば分かることだ。

 外で身を隠しているコンティオラ公爵家の護衛たちとタイミングを合わせるべく、今度は〝鷹の眼〟たちが真剣な表情と空気を漂わせ始めた。

 お金を持った商会関係者が邸宅やしきを出る――そこからが、勝負だ。
 そしてこちらは……

「フォルシアン公爵令息、公爵令嬢。もう、向こうの部屋に入っても構いませんね……?」

 どうやらマグマ煮えたぎるヒース君を、一度ガス抜きさせないといけないようだ。
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