聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
743 / 785
第三部 宰相閣下の婚約者

777 銀の骸と向き合う覚悟(4)

しおりを挟む
 鉱山の毒が原因となった公害病は、他の四大公害病、すなわち工場排水が劇症に直結したメチル水銀中毒や、大気汚染よる集団喘息障害に比べると症状の悪化が緩やかだった。
 そのため被害の広がりがより潜在化し、社会問題として発覚するのが大きく遅れた。

 恐らくそれは、アルノシュト伯爵領の鉱山周辺においても、同じ道を辿っていたのだ。

「呪いと言うのは我々医療従事者からするともちろん眉唾な話だと思うし、それを声高に叫べと言うならそれもやぶさかではないが……感染性がないと言うのも、間違いないのだろうか?」

 風評被害を抑えて欲しいと呻いた私の声を耳にしたガールシン医局長が、大事なことだと言わんばかりにこちらに確認をしてくる。

 エドヴァルドの服の袖をギュッと握りしめたまま、私は何とか首を縦に振って、それを肯定した。

「不適切な採掘で流れ出た有毒成分が、作物や飲料水を汚染したんです。その成分は、何よりもまず骨を脆くします。それから身体の機能のあらゆるところを壊していくんです。だから感染じゃないんです。土壌と水場が改善されるまでは、そこに住んではいけないんです。何故なら口にするあらゆる物が、遅効性の毒と化しているから」

「……っ」

 医局長が息を呑み、先刻コップ一杯とは言え水を飲み干したエドヴァルドのこめかみがわずかに動く。

 ファルコは私の言葉には直接反応をしなかった代わりに、ただ強く拳を握りしめていた。

「遅効性、とは? 具体的にはどのくらいの量で症状となって表れるものなのだろうか?」

「それは……口にした当人の体質によるんじゃないでしょうか。それまでに持病があれば更に個人差が大きくなる気もしますし……」

 真摯と言うよりも悲愴と言った方がいいかも知れない医局長の表情を見ていると、ただ「分からない」で済ますことはとても出来なかった。

「あっ、あの、ホントにコップ一杯では何ともないですから……」

 ただ、それだけは私にも分かっているので、医局長と言うよりは、エドヴァルドの方を向いてそこは力説をしておく。
 エドヴァルドは、一瞬だけこちらを向いて僅かに目元をほころばせたものの、口に出してはなにも言わなかった。
 宰相として、公爵として、決して安堵したとは言えなかったのかも知れない。

「レイナ……貴女が元いた国で同じ症状の病人を見たことがあると言うのは、よく分かった。では、治療法や薬についての情報を尋ねるのは……酷な話になるか?」

「エドヴァルド様……」

 私は大学で経済を学ぼうとしていた人間であって、医学や薬学を学ぼうとしていたわけではなかった。
 エドヴァルドも、私が医学や薬学に関しては門外漢だと察した上で、なるべく罪悪感を持たないように、そんな聞き方をしてくれたに違いなかった。

「その……私が医療従事者じゃないと言うことを抜きにしても、技術的に難しいことが山積しているのは間違いないです……」

 キレート剤の投与による鉱毒の体外排出促進、ビタミンD2やD3の接種による低カルシウム、低蛋白状態の体質改善……などと、とても説明出来た代物ではないし、何ならビタミンの抽出方法すらさっぱり分からない。

 思いつくとしたら、食品経由での栄養摂取と言うことくらいだ。

「食品……?」
「レイナ?」

 ネットでパパっと確認出来ないことがもどかしくて仕方がない。受験勉強の延長で補足資料に目を通した記憶を引っ張りだすことしか出来ないのだ。

 ビタミンD2はキノコ、とりわけシイタケやマイタケ、霊芝に紫外線をあてたり熱を加えたりすることで変化するんじゃなかっただろうか?
 ビタミンD3は半乾燥のシラスや生のイクラ、焼き紅鮭に多く含まれて……いたような。

 キレート剤は、金属を溶出しやすくするキレート効果があると言う意味での名称でしかなく、実際にはアミノ酸の一種であるグリシンの成分を利用していたはずで――

「グリシン……湿疹や皮膚炎、肝機能回復、だよね? 確か内蔵成分が豊富なのは魚介類……ほたて、かに、えび……って、ホタテ!?」

 最後いきなり声を荒げてしまった私に、その場にいた皆が驚いたようにこちらをガン見した。

「エドヴァルド様!」
「あ、ああ」

「本来は症状を悪化させない、あるいは予防のための成分なんです。即効性は一切ありませんし、煮ればいいのか焼けばいいのか、蒸せばいいのかも分かりません。単なる気休めでしかないのかも知れません。ですが――」

「カトル・アルノシュトの症状悪化を防げるかも知れない食材がある、と?」

 エドヴァルドは、私がぶつぶつとキノコや魚介類の名前を隣で呟くのが嫌でも耳に入ったんだろう。
 私の言いたいことにあたりをつけるのは、容易かったようだ。

「今回の漁場投資詐欺の責任を取って貰う形で、ナルディーニ侯爵家でもコンティオラ公爵家でもいいんですけど、鉱毒の症状改善の研究のために、ほたてジェイ筆頭に素材の永年無料提供をして貰うのはどうですか?」

ジェイほたてが鉱毒に冒された人々の症状改善に役立つのか」

「あくまで記事――文献で目にしただけなので、確実に効果があるとは断言出来ません。これからの研究になると思います」

 何なら殻を砕いて土に撒く実験だって、してもいいのかも知れない。

 カトルの居た村は、既にカトル以外全ての人間がこの世を去ってしまった。
 それ以前、川の上流に住まう人々も、ファルコの姉同様に、間に合わなかった。
 けれど今年の報告書から名前の出て来た村ならば。あるいは、その下流の村ならば。

「本来であれば、アルノシュト伯爵領が発端の話だ。咎を負うのであれば、真っ先に私であらねばならない筈だ。だが――」

「エドヴァルド様……もう、ヤーデルード鉱山を始めイデオン公爵領の外の鉱山にも調査を依頼して、土壌改善の研究をギーレンの王立植物園にも持ち掛けています。ほたてジェイも役に立つかも知れません。間に立って、これらを繋いで貰うのがエドヴァルド様のお役目――では、いけませんか?」

 仲立ちと交渉も、存外骨の折れる仕事だ。三国会談だって控えている。
 エドヴァルドが背負うものとて、決して軽いものではない。

「レイナ……」

 眉根を寄せるエドヴァルドの表情は、決して納得のいっているものではない。

 鉱毒混じりの水を、何の躊躇もなく飲み干したくらいには、彼は罪悪感を抱えている。
 私とファルコが、それまでずっとエドヴァルドの関与を阻んできたがために、尚更。

 だけど私の名前を呼びはしたものの、私が折れないと言うことにも気が付いたんだろう。
 何とも言えないと言わんばかりの表情と、その視線を、今度はファルコの方へと向けていた。

「ファルコ」
「……っ」

 カトルの方に視線を固定させたままのファルコは、返事の代わりにビクリと肩を震わせていた。

 こればかりは、私にも口は挟めない。
 かつて姉を亡くし、公爵領を束ねる者としてのエドヴァルドを恨む気持ちを抱えたまま、ここまで来ていたのだ。

 もしかしたら、私と言う緩衝材が入ることでその気持ちが解けようとしているのかも知れない。けれどそれは、私が確認したり強要したりすることじゃない。

 ファルコが決断し、エドヴァルドが受け止めなければならないことなのだ。

 だからエドヴァルドは待っている。
 ――ファルコの口から、語られる言葉を。
しおりを挟む
感想 1,464

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

事情があってメイドとして働いていますが、実は公爵家の令嬢です。

木山楽斗
恋愛
ラナリアが仕えるバルドリュー伯爵家では、子爵家の令嬢であるメイドが幅を利かせていた。 彼女は貴族の地位を誇示して、平民のメイドを虐げていた。その毒牙は、平民のメイドを庇ったラナリアにも及んだ。 しかし彼女は知らなかった。ラナリアは事情があって伯爵家に仕えている公爵令嬢だったのである。

お前は家から追放する?構いませんが、この家の全権力を持っているのは私ですよ?

水垣するめ
恋愛
「アリス、お前をこのアトキンソン伯爵家から追放する」 「はぁ?」 静かな食堂の間。 主人公アリス・アトキンソンの父アランはアリスに向かって突然追放すると告げた。 同じく席に座っている母や兄、そして妹も父に同意したように頷いている。 いきなり食堂に集められたかと思えば、思いも寄らない追放宣言にアリスは戸惑いよりも心底呆れた。 「はぁ、何を言っているんですか、この領地を経営しているのは私ですよ?」 「ああ、その経営も最近軌道に乗ってきたのでな、お前はもう用済みになったから追放する」 父のあまりに無茶苦茶な言い分にアリスは辟易する。 「いいでしょう。そんなに出ていって欲しいなら出ていってあげます」 アリスは家から一度出る決心をする。 それを聞いて両親や兄弟は大喜びした。 アリスはそれを哀れみの目で見ながら家を出る。 彼らがこれから地獄を見ることを知っていたからだ。 「大方、私が今まで稼いだお金や開発した資源を全て自分のものにしたかったんでしょうね。……でもそんなことがまかり通るわけないじゃないですか」 アリスはため息をつく。 「──だって、この家の全権力を持っているのは私なのに」 後悔したところでもう遅い。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

継子いじめで糾弾されたけれど、義娘本人は離婚したら私についてくると言っています〜出戻り夫人の商売繁盛記〜

野生のイエネコ
恋愛
後妻として男爵家に嫁いだヴィオラは、継子いじめで糾弾され離婚を申し立てられた。 しかし当の義娘であるシャーロットは、親としてどうしようもない父よりも必要な教育を与えたヴィオラの味方。 義娘を連れて実家の商会に出戻ったヴィオラは、貴族での生活を通じて身につけた知恵で新しい服の開発をし、美形の義娘と息子は服飾モデルとして王都に流行の大旋風を引き起こす。 度々襲来してくる元夫の、借金の申込みやヨリを戻そうなどの言葉を躱しながら、事業に成功していくヴィオラ。 そんな中、伯爵家嫡男が、継子いじめの疑惑でヴィオラに近づいてきて? ※小説家になろうで「離婚したので幸せになります!〜出戻り夫人の商売繁盛記〜」として掲載しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。