あやかし古書店の名探偵

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第一章 ~『炊き込みご飯と自慢の弟』~

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「ふわぁ~、もう朝なのね」

 瞼を擦りベッドから起き上がると、目覚まし時計の時刻を確認する。大学の講義が始まるまでに随分と余裕があった。

「おはよう、夏彦」
「おはよう、姉ちゃん」

 ダイニングに顔を出すと、夏彦が朝食の準備を整えていた。本日の献立は厚焼き玉子と炊き込みご飯だった。

「うわぁ~美味しそうね♪」

 席に座ると、さっそく炊き込みご飯に手を伸ばす。醤油と松茸の旨味が口の中に広がった。

「この炊き込みご飯、松茸が入っているわ!」
「昨日の詫びさ……姉ちゃんには失礼なことを言ったからな」
「あれは私も悪かったのに……」
「でも何か形に残るもので詫びがしたかったんだ」
「……分かったわ。ありがたく受け取っておく。ただしお返しに、今度ケーキでも買ってくるわね」
「楽しみに待っているよ」

 朝食を食べ終わった美冬は食器を片付け、大学へ行く身支度を整える。

「じゃあ行ってくるわね」
「弁当作ったから持っていけよな」
「いいの?」
「俺の分を作るついでだよ、ついで」
「ふふふ、ありがとう。夏彦は自慢の弟だよ♪」

 弁当箱を受け取ると、夏彦は何か言いたげな表情を浮かべる。

「あ、あのさ、姉ちゃん……」
「どうしたの?」
「……バナナも持っていけよな。好物だろ」
「うん。ありがとう♪」

 弁当を鞄に入れると家を出る。サラリーマンたちの通勤時間から少しずれた時間帯のため通学路に人の姿はない。大学生にだけ許された静かな道のりだった。

「いつもなら一人での通学だけど、いまの私には善狐さんが憑いているのよね」

 銀髪の美青年が傍で自分を見守ってくれている。その安心感が足取りを普段よりも軽くした。

「ゆっくりしすぎたせいで、講義の時間まで余裕がなくなっちゃったわね」

 大学に到着すると、時刻は講義時刻に迫っていた。研究室のある研究棟まで急ぐ。

「炊き込みご飯を三杯もお代わりしたのが理由ね……でもあんなに美味しいのだから、仕方がないわよね」

 研究室へ辿りついて扉を開けると、美冬は自席へと腰を付ける。他人から好かれる魅力の呪いはまだ有効なのか、男たちの視線が突き刺さる。

「おはよう、由紀」
「おはよう、美冬。今日は何か良いことでもあったの?」
「ん? どうして?」
「ニヤニヤと気持ち悪い笑い方をしていたから……」
「え~、気持ち悪くないわよ」
「それで? どうして笑っていたの?」
「……傍に大切な人がいてくれたからね」
「まさか美冬にも彼氏ができたの?」
「それこそまさかよ。銀髪イケメンのあやかしがね、私の傍にいてくれるの♪」
「……美冬、アニメの話を現実でしないでよ」
「違うの。本当にあやかしはいるのよ」
「大丈夫、私は理解しているわ。男に飢えて、アニメに逃げたのよね。でもね、それは一時的な逃避でしかないのよ。果ては秋葉みたいになっちゃうからね」
「絶対理解してないわよね!」

 視線の先にいる秋葉はアニメキャラの人形を眺めながらニヤニヤと笑みを浮かべている。整った顔のおかげで醜悪さは感じない。イケメンなのに勿体ないと、明智は残念そうにため息を漏らす。

「おはよう、霧崎さん」
「おはようございます、霧崎さん」

 研究室の扉を開けて、霧崎が姿を現すと、取り巻きの女子たちが一斉に挨拶を送る。しかし彼女は俯くだけで返事を返そうとしない。

「霧崎さん、何かあったのかな……」

 美冬の声が聞こえたのか、霧崎は顔を上げて、鋭い視線を向ける。憎悪が入り混じった瞳は、ゾクリとさせられるほどに恐ろしかった。

「ねぇ、美冬、霧崎さんに何かしたの?」
「してないわよ。昨日、仲直りもしたのよ」
「でもあの血走った目、まるで獲物を見つけた狼みたいだったわよ」
「本当に心当たりがないのよ……まさか私の好物のバナナを狙って……いるはずないわよね」
「当たり前でしょ」

 美冬には霧崎から恨まれる心当たりがなかった。しかしその疑問を解消するように、霧崎の恋人である山崎が姿を現す。

 山崎は恋人の霧崎を一瞥すらせずに、美冬の元へとやってくると、ヘラヘラと笑みを浮かべながら、小さく頭を下げる。

「昨日はカッとなって悪かったな」
「気にしないで。それよりも霧崎さんとは仲直りしたの?」
「あいつはもういいから」
「もういい?」
「顔が良いだけの女はうんざりというか。飽きてきたんだよなぁ」
「あ、飽きた?」
「まぁいいや。とにかくそういうことだから」

 そろそろ講義開始時刻になるからか、山崎は自席へと戻る。美冬と明智は彼の発言に言葉を失ってしまう。

「もしかして霧崎さん……邪推は駄目よ。確証がないもの」
「なんの確証がないの?」
「西住くん!」
「おはよう、東坂さん。今日も元気だね」

 山崎と入れ替わるように西住が研究室に顔を出す。爽やかな笑顔は傷んだ美冬の心を癒してくれる。

「たいしたことじゃないから気にしないで。それよりも昨日はありがとね。西住くんのおかげで大切なモノを失わずに済んだわ」

 もし西住がいなければ『宮川舎漫筆《きゅうせんしゃまんぴつ》』を手放し、善狐とも離れ離れになっていた。

「東坂さん、やっぱり何か起きたよね?」
「どうしてそう思うの?」
「……あやかしが悲しそうな顔をしているんだ」
「もしかして私が何かしちゃったのかな。いびきが五月蠅かったとか?」
「それはないと思うよ……あやかしは常に君の味方だからね。悲しむのは君に関すること……つまり君の身に起きる危機を案じているんだと思う」
「な、何か私によくないことが起こるの!? バナナの値段が高騰するとか!?」
「何が起きるかは僕にも分からない。でも注意した方がいいよ。あやかしは人と違う世界を生きている。僕らが気づけない危険も彼らなら気づける。危機の予兆を感じ取っているのは間違いないからね」

 ゴクリと息を呑み、起こりうる危険について思考を巡らせる。

「……もしかして私に迫る危険ってあれかな?」
「バナナとは関係ないと思うよ」
「西住くん、さすがの私も学ぶよ」
「ごめん、ごめん」
「今日の講義は調理実習でお汁粉を作るのよね」
「文豪が愛したスイーツを作ろうって講義だね」

 お汁粉は芥川龍之介の好物で、『しるこ』というタイトルで短編の随筆を残しているほどだ。その内容は如何に『しるこ』が美味しいかを語ったものだが、その内容から当時の食文化を知ることができる。

 本を読むだけでなく、調理の実体験と結びつけることで、頭ではなく、体で学ぶことを趣旨とした講義だ。普段は講義を聞き流しているような生徒でも、実体験となると、真剣に参加しないわけにはいかない。

「文豪には甘党が多い。漱石はイチゴジャムを瓶のまま舐めていたそうだよ」
「頭を使う仕事だから糖分が欲しかったのかしら……そんなことよりも、この調理実習は危険よ。なにせ私が料理をしないといけないんだから」
「それのどこが危険なんだい?」
「私、自分でもビックリするくらい調理が下手で、以前料理で弟を病院送りにしたことがあるの……」
「……料理って格闘技じゃないよね?」
「それくらい私の料理は危険なの。さすがに作った料理を食べないわけにもいかないし、きっと私は自分の料理に殺される運命なんだわ」
「それなら、いい解決策があるよ」
「解決策?」
「僕の作ったお汁粉と交換しようよ。それなら東坂さんが死ぬことはないでしょ」
「で、でもそれだと西住くんが私の料理を食べる羽目に……」
「大丈夫。東坂さんは頑張り屋さんだから、きっと料理の腕も昔より上達しているよ」

 自分の身を犠牲にした西住の励ましは美冬の勇気を掻き立てる。その心意気に応えないわけにはいかない。

「私、頑張ってみるわ。あと……死んだらごめんね」
「美味しいお汁粉、楽しみにしているから」

 西住は期待を含んだ笑みを浮かべる。この笑顔を守るためにも美味しいお汁粉を作らねばと、彼女は意気込むのだった。

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