12 / 38
第一章 ~『料理と金縛り』~
しおりを挟む調理実習の講義が始まる時間になったが、美冬はまだ研究室に残っていた。血走った眼で一冊の本に夢中になっている。
「美冬、そろそろ行かないと……」
美冬に付き添って、残ってくれていた明智が、時計をチラチラと確認する。焦っているのが表情からも伝わってきた。
「もうちょっとなの。あと三分もあれば読み終わるから。由紀は先に調理室へ行っておいて」
「……本なら調理室へ持っていけばいいじゃない」
「それは恥ずかしいわ……」
「美冬が料理できないことなんて周知の事実じゃない。今更本を読みながら調理しても、誰も何とも思わないわよ」
「でも本はこれよ」
読んでいた本を掲げる。そこには『小学生でもできる初めてのお料理本』と記されていた。
「確かにこれは恥ずかしいわね……」
「でも読みやすいのよ。イラスト付きだし、解説もひらがなで書かれているから読めない漢字もないのよ」
「あなた、よくこの大学に受かったわね……」
明智は仕方ないと鞄から鍵を取り出し、美冬に手渡す。
「研究室の鍵を渡しておくから。戸締りしてから来なさいよ」
「うん。ありがとう♪」
一足先に調理室へ向かった明智を見送ると、調理本をジッと見つめて、内容を頭に叩き込む。
「ふむふむ。砂糖とみりんはどちらも甘味にしたいときに使うけど、後者は独特の旨味や風味が生まれると……あれ? お汁粉にはどっちを使えばいいのかな……」
疑問を残しつつも、本を読み進める。過ぎていく時間に焦りながらも、何とか読了した彼女は、急いで研究室を飛び出そうとするも、やるべきことを思い出して足を止める。
「戸締りを忘れるところだったわ」
窓や扉の鍵がかかっていることを確認すると、調理室へと急ぐ。調理室内では生徒たちが割り当てられた食材の前で雑談をしていた。まだ講義は始まっていないと知り、安堵の息を漏らす。
「美冬、こっち、こっち!」
明智が手をあげて、声をかけてくれる。彼女がいる調理台へ向かうと、そこには西住の姿もあった。
「やぁ、東坂さん」
「西住くん! どうして私たちのグループに!?」
「ははは、ほら、僕って友達いないからさ。明智さんが一緒のグループに混ぜてくれたんだよね。迷惑だったかな?」
「迷惑だなんて、そんなことないわよ」
「ありがとう。東坂さんは優しいね」
西住の爽やかな笑顔にドキリとさせられる。顔が赤くなっているのを誤魔化すように、調理室を見渡した。
「あれ? 立川先生はいないのね……」
「今日の講義は助手の人がやるそうよ」
「……体調でも悪いのかしら?」
「料理が下手で教えられないからだそうよ」
何だか親近感を覚える理由だった。続くように、助手の女性が講義開始の合図を送る。レシピがプロジェクタで投影され、材料通りに作るよう指示される。
「美冬、レシピ通りに作るのよ。間違っても隠し味とか入れたら駄目だからね」
「え? そうなの?」
「初心者は失敗しないことを優先すべきよ」
「残念ね。折角、隠し味にバナナを用意してきたのに……」
「注意しておいて正解だったわ……」
レシピに従い、こし餡、水、砂糖を鍋に投入し、木べらでかき混ぜていく。トースターで餅を焼いている間、ゆっくりと中火で加熱していく。
(次の手順は……塩を少々ね。でも少々ってどれくらいなのかな? この匙で一杯分くらい?)
料理下手の美冬は感覚が分からずに、塩を大匙で掬い上げる。するとそれを制するように、手が固まって動かなくなる。
「あ、あれ、手が……」
「どうかしたの?」
「金縛りになったみたいに手が動かないの」
西住は美冬の手に握られた大匙の塩を見て、何かを察したように納得の笑みを浮かべる。
「それはきっとあやかしの仕業だね」
「善狐さんの仕業なの!?」
「うん。君の調理が間違っていることを教えてくれたのさ」
西住の言葉で美冬の金縛りは解除される。大匙に盛られた塩を元に戻すと、西住が見本を示すように一つまみした塩を自分の鍋に入れる。
「塩はこれくらいで十分だよ」
「そんなに少なくていいのね」
「塩の役割は味覚を敏感にさせるためだからね。ほら、西瓜に塩を入れると甘くなるだろ。あれと原理は同じさ。塩を混ぜると少ない砂糖でも甘く感じられるんだ」
西住の助言と善狐の助けに感謝し、お汁粉づくりを再開する。レシピに従って作られたお汁粉は、甘い香りで彼女たちを包み込んだ。
「これで完成ね」
出来上がったお汁粉を赤い茶碗に注ぎ、焼けた餅を投入する。
「僕の方もできたよ、お互いのお汁粉、交換しようか?」
「う、うん」
美冬は西住にお汁粉を手渡す。彼は茶碗に口を付けると、餡子の味を楽しむように啜る。
「うん。とっても美味しくできているよ」
「本当に?」
「嘘なんか吐かないさ。僕にご馳走するために、東坂さんが頑張ってくれたことが伝わる一杯だったよ」
美冬の料理は店で出せるレベルではないが、それでも料理下手な彼女が精一杯努力したと感じられる味に仕上がっていた。愛情は最大のスパイスになるように、美冬の頑張りが、味を何倍にも引き上げてくれていた。
「僕のも食べてみてよ」
「うん♪」
西住からお汁粉を受け取り、それに口を付ける。丁度良い甘みと、餅の香ばしい匂いが食欲を掻き立てた。
「このお汁粉、プロ顔負けの味ね」
「一人で暮らしているからね。料理は得意なんだ」
「私より美味しいのが悔しいわね……けど完璧超人の西住くんになら負けても仕方ないわ」
「僕なんて完璧からほど遠いよ。東坂さんならすぐにでも追いつけるさ」
「本当に?」
「うん。なんなら今度料理を教えるよ」
「いいの!?」
「任せてよ。こう見えても人に教えるのは得意なんだ」
「それじゃあ、よろしくね、西住先生♪」
美冬は西住の好意に甘えることを決め、彼から貰ったお汁粉を飲み干す。優しい甘さが口の中に広がるのだった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる