2 / 24
第一章
第一章 ~『転生したら幼女になってました』~
しおりを挟むぼんやりとした意識の中で、リサはゆっくりと目を開ける。
天井に設置された蛍光灯は消えており、辛うじて割れた窓から差し込む自然光が、ぼんやりと機内を照らしている。
潮風の湿った空気が鼻をつく。頭がずきずきと痛み、身体は鉛のように重かった。
(飛行機が不時着したんでしたね……)
震える手で座席の肘掛けを掴み、リサは痛む身体を無理に引き起こす。金属の軋む音が、やけに耳に響いた。
周囲を見渡すと、座席の列が無残に歪み、通路には荷物が散乱している。だが人影はどこにもない。
(私だけ……でも、どうして……)
外に助けを呼びに行ったのか、それとも何か他の事情があるのか。現状に違和感を覚えていると、もう一つの異変に気づく。
着ていたはずのシャツが肩から滑り落ち、胸元までだらしなく垂れ下がっていたのだ。デニムパンツは腰で止まらず、ずるずると下がり、裸足になった足には脱げかけのスニーカーが引っかかっている。
「なに、これ……」
リサは震える指でポケットからスマートフォンを取り出す。ホームボタンを押し、インカメラを起動すると、画面に映ったのは金髪碧眼の幼い少女だった。
髪は黄金を溶かしたような輝きを放ち、瞳は深い湖のような青を湛えている。小さな顔に、あどけなさを残す少女。だがそれは紛れもなく、リサ自身だった。
「嘘……」
混乱と恐怖で胸が押し潰されそうになり、小さく震える声が漏れる。
だが、こんな時こそ冷静でいなければならない。
リサは必死に深呼吸を繰り返し、頭を整理する。今は自分がどうなったのかを追求するより、現実的な問題に対処するべきだ。
(服を……なんとかしないと……)
このままでは動くことさえ難しい。リサは周囲を見回し、子供服と靴が落ちているのを見つける。先ほどまで泣いていた子供の持ち物だろう。
リサはためらいながらも、今は非常事態だからと自分に言い聞かせて、服と靴を拝借する。袖と足を通すと、驚くほどぴったりだったが、勝手に借りた罪悪感は消えない。
せめてもの償いに、リサは財布から一万円札を取り出し、座席の上に置いた。
「いつか必ず返します。本当にごめんなさい」
着替えを終えたリサはスマートフォンを再び手に取る。助けを呼べるかもしれないと、通信状態を確認するが圏外になっている。通話も、メッセージも、位置情報も、すべてが使用不能だった。
(救助を呼ぶのは難しそうですね……)
リサは唇を噛んで、込み上げてくる涙を必死でこらえる。
こんな時でも、自暴自棄になってはいけない。
意を決し、非常口へ向かうと、ドアの外には絵に描いたような絶景が広がっていた。
澄んだ空にきらめく白砂のビーチ、そしてエメラルドグリーンに輝く海。視線の先には濃い緑に覆われたジャングルも波打っている。
リゾート地のように美しい景色だがリサの心は微塵も踊らない。金髪碧眼の幼女となり、周囲に誰もいない異様な状況。圏外で連絡も取れない絶望的な環境でバカンスを楽しめるはずもなかった。
(なんとかして……日本に帰らないと……)
リサは機体の下に降り立ち、砂浜を歩く。その時、奇妙な異変に気づく。
(足跡がありませんね……)
飛行機がここに不時着したのなら、他の乗客たちの歩いた痕跡があって然るべきだ。だがこの場所にはリサの小さな足跡以外、何一つ残っていない。
(他の乗客たちはいったいどこへ……)
まるで最初から誰も存在しなかったかのような状況に、リサは震える拳をぎゅっと握りしめる。
(もしかしたら私は長い時間、眠っていたのでしょうか……)
何週間も前に他の乗客たちが救助隊に救出され、自分だけが何らかの理由で取り残されたとしたら。
あり得ない話ではない。ただ釈然としない点も残る。どうして飛行機の残骸がそのままなのか。そして自分はなぜ幼女になってしまったのか。
(考えても答えはでませんね。まずは生き延びることを優先しましょう)
幸いにも、飛行機の機体はほぼ原形をとどめている。外板はところどころ剥がれ、窓ガラスも割れていたが、骨組みはしっかりしているため、雨風をしのぐ寝床としては、十分過ぎるほどだ。
(ですがあまり楽観はできませんね……)
救助がすぐに来るとは限らないし、もしかしたら地図にも載っていない孤島かもしれない。
リサが空を仰ぐと、太陽は真上よりやや傾き始めているが、夕方までにはまだ数時間ある。
(森を、見ておくとしましょう……)
体力があるうちに行動する。それはサバイバルの原則だ。白い砂浜を渡り、緑の生い茂るジャングルへと向かう。
森の入口に立ったとき、リサは改めて息を呑む。そこはまるで異世界のような光景が広がっていた。
巨大な葉を持つ木々。絡み合う蔓植物。足元を覆う見たことのない鮮やかな苔。湿った空気には、甘い花の香りと腐葉土の匂いが混ざっていた。
耳を澄ますと、遠くで鳥のような鳴き声と、何か大きな動物の唸るような声が聞こえてくる。
「大丈夫、大丈夫……」
自分に言い聞かせながら、リサは一歩、森の中へと足を踏み出す。地面は柔らかく、場所によってはぬかるんでいる。小枝を踏むたびに、パキリと小さな音が響いた。
注意深く歩きながら、リサは周囲を観察する。
目につくのは、赤い実をつけた低木や、鮮やかな黄色の花。だがそれらが食べられるかどうかは判別できない。下手に手を出せば、毒にやられる危険もある。
森の奥へ進むほど、光は遮られ、足元が暗くなっていく。ふと、何かが木陰を走り抜ける気配を感じ、リサはびくりと肩を跳ねさせた。
(何かいますね……野生動物でしょうか……)
緊張で手のひらに汗が滲む。リサはそっと足音を殺し、葉の陰に身を隠しながら気配がする方向に視線を向ける。
(――――ッ)
思わず声を発しそうになるほど巨大な銀の虎が、黒い牛の怪物と対峙していた。
虎はサーベルタイガーのような鋭い牙を持ち、しなやかな筋肉を波打たせながら、牛のような怪物を威嚇している。
怪物の方も負けていない。黒光りする皮膚と赤く光る瞳は、普通の動物と明らかに異なる。
二匹はにらみ合った後、同時に飛びかかった。衝突の衝撃で地面が震え、リサは思わず身を縮める。
虎は素早く怪物の脇腹に爪を立て、怪物は角を突き立てようとする。息を呑む攻防が続いた後、虎が大きく口を開いた。
その瞬間、轟音とともに、虎の口から火炎が噴き出す。リサは思わず両手で口を押さえた。目の前で起こっている出来事が信じられなかったからだ。
(火を……吹いた……)
炎に包まれた牛の怪物は悲鳴を上げ、のたうち回ったが、数秒後には力尽き、黒焦げになって地面に崩れ落ちる。
辺りに肉の焦げる匂いが立ち込める中、リサは震えながらじっと息を潜めた。
(もしかして……私はファンタジーの世界に迷い込んだのでしょうか?)
現実の虎が火を吹くはずがない。さらに幼女の姿に変貌していたのも、異世界に飛ばされたのだとしたら説明がつく。
(いや、こんなことを考えている場合じゃないですね! いますぐ逃げないと……)
虎は満足げに牛の亡骸に近づき、焼けた肉を前足で転がしながら、豪快にかぶりついている。むしゃむしゃという咀嚼音を聞きながら、リサはゆっくりと後退る。
(どうか……私には気づかないで……)
だが、そんな願いも虚しく、虎は突然に顔を上げた。銀色の瞳がリサの隠れている場所をまっすぐに捉える。
「――――ッ」
リサは反射的に後ずさり、足元の小枝を踏んでしまう。音が鳴り、存在に気づかれてしまうが、虎は動かない。再び牛の肉を無心で食べ始めた。より美味しそうな方を優先したのだろう。
(助かったのですね……)
機を見て、森の中を一目散に走り出す。枝が顔をかすめ、蔓が足に絡まる。しかし、そんなことに構ってはいられない。
(この森は……危険すぎます……)
リサは何度も転びそうになりながら、必死で森を駆け抜ける。背後で虎の咀嚼音がまだ響いているが、追ってくる気配はない。
心臓が破裂しそうなほど脈打ちながら、必死で森の中を進む。ようやく光が差し込む場所が見えてきた。
白い砂浜。リサにとっての唯一の安全圏。
リサは最後の力を振り絞り、砂浜に飛び出すと、膝から崩れ落ちる。荒い呼吸を繰り返しながら、震える手で顔を覆う。
(こ、怖かった……人生で一番、怖かった……)
だがそれでも生きている。深呼吸を何度も繰り返したリサは立ち上がり、波打ち際に、何かが打ち上げられているのを見つける。波が引くたびに、その物体は小さく動いていた。
最初は漂流した流木かと疑ったが、目を凝らして見るうちに、リサの表情が驚愕に変わる。それが人間だと気づき、無意識の内に駆け寄った。
それは少年だった。海水で濡れてもなお美しい金髪の持ち主で、まるで絵画から抜け出したかのような整った顔立ちをしていた。肌は青白く、波に洗われるたびに冷たさを増している。
「大丈夫ですか? 意識はありますか?」
肩を揺らしてみるが反応はない。焦りを感じながらも、リサは彼の胸に耳を当てる。鼓動の音はしっかりと耳に届いた。
(まだ……生きている……)
安堵と同時に、すぐに心臓マッサージを開始する。小さな身体で必死に体重をかけ、押し込んでいく。
(意識が戻りませんし、やるしかありませんね)
一瞬の躊躇の後、リサは覚悟を決めて、人工呼吸を行う。自分の小さな唇を彼の唇に重ね、空気を送り込む。
少年の胸がわずかに膨らむのを見て、リサはさらに続ける。数度目の人工呼吸を終えたその時、突然、彼の身体がびくりと跳ねた。
「ごぼっ、ごぼっ……」
彼は苦しげに水を吐き出し、激しく咳き込む。しばらく荒い呼吸を繰り返していたが、やがて重そうな瞼をゆっくりと持ち上げ、赤い瞳がぼんやりとリサを捉える。
「……君は?」
かすれた声で、少年は弱々しく問う。その疑問にリサは笑みで答えた。
「私はリサ。あなたと同じ、遭難者です」
161
あなたにおすすめの小説
【完結】 笑わない、かわいげがない、胸がないの『ないないない令嬢』、国外追放を言い渡される~私を追い出せば国が大変なことになりますよ?~
夏芽空
恋愛
「笑わない! かわいげがない! 胸がない! 三つのないを持つ、『ないないない令嬢』のオフェリア! 君との婚約を破棄する!」
婚約者の第一王子はオフェリアに婚約破棄を言い渡した上に、さらには国外追放するとまで言ってきた。
「私は構いませんが、この国が困ることになりますよ?」
オフェリアは国で唯一の特別な力を持っている。
傷を癒したり、作物を実らせたり、邪悪な心を持つ魔物から国を守ったりと、力には様々な種類がある。
オフェリアがいなくなれば、その力も消えてしまう。
国は困ることになるだろう。
だから親切心で言ってあげたのだが、第一王子は聞く耳を持たなかった。
警告を無視して、オフェリアを国外追放した。
国を出たオフェリアは、隣国で魔術師団の団長と出会う。
ひょんなことから彼の下で働くことになり、絆を深めていく。
一方、オフェリアを追放した国は、第一王子の愚かな選択のせいで崩壊していくのだった……。
婚約破棄された悪役令嬢、手切れ金でもらった不毛の領地を【神の恵み(現代農業知識)】で満たしたら、塩対応だった氷の騎士様が離してくれません
夏見ナイ
恋愛
公爵令嬢アリシアは、王太子から婚約破棄された瞬間、歓喜に打ち震えた。これで退屈な悪役令嬢の役目から解放される!
前世が日本の農学徒だった彼女は、慰謝料として誰もが嫌がる不毛の辺境領地を要求し、念願の農業スローライフをスタートさせる。
土壌改良、品種改良、魔法と知識を融合させた革新的な農法で、荒れ地は次々と黄金の穀倉地帯へ。
当初アリシアを厄介者扱いしていた「氷の騎士」カイ辺境伯も、彼女の作る絶品料理に胃袋を掴まれ、不器用ながらも彼女に惹かれていく。
一方、彼女を追放した王都は深刻な食糧危機に陥り……。
これは、捨てられた令嬢が農業チートで幸せを掴む、甘くて美味しい逆転ざまぁ&領地経営ラブストーリー!
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~
高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。
先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。
先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。
普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。
「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」
たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。
そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。
はちみつ色の髪をした竜王曰く。
「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」
番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
【完結】間違えたなら謝ってよね! ~悔しいので羨ましがられるほど幸せになります~
綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
ファンタジー
「こんな役立たずは要らん! 捨ててこい!!」
何が起きたのか分からず、茫然とする。要らない? 捨てる? きょとんとしたまま捨てられた私は、なぜか幼くなっていた。ハイキングに行って少し道に迷っただけなのに?
後に聖女召喚で間違われたと知るが、だったら責任取って育てるなり、元に戻すなりしてよ! 謝罪のひとつもないのは、納得できない!!
負けん気の強いサラは、見返すために幸せになることを誓う。途端に幸せが舞い込み続けて? いつも笑顔のサラの周りには、聖獣達が集った。
やっぱり聖女だから戻ってくれ? 絶対にお断りします(*´艸`*)
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2022/06/22……完結
2022/03/26……アルファポリス、HOT女性向け 11位
2022/03/19……小説家になろう、異世界転生/転移(ファンタジー)日間 26位
2022/03/18……エブリスタ、トレンド(ファンタジー)1位
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる