14 / 39
第14話
しおりを挟む
あろうことか褐色肌の少女は、集落に着くなり男たちに没収された関流鉄砲を携えていたのだ。
銃床の部分を無造作に摑みながら肩に添えるように持っている。
「た、頼む! その鉄砲を返してくれ!」
血相を変えた宗鉄は金属の格子に走り寄ると、鉄砲を持っていた少女に懇願した。
てっきりもう返ってこないと危惧していた鉄砲が、どこにも損傷が見られない五体満足な姿で目の前に存在していた。
鉄砲こそ自分の魂と考えている宗鉄にしてみれば、何を置いても取り戻したかったのは言うまでもない。
「お前が例の余所者か? ふむ、想像以上に奇妙な格好と髪型をしている」
だが褐色肌の少女は宗鉄の懇願を軽く聞き流し、自分の要求だけを淡々と述べていく。
「おい、余所者。お前の魂胆は一体何だ? 何の目的でコンディグランドに現れた?」
またその質問か。
宗鉄は自分と褐色肌の少女を分け隔てている格子を忌々しく摑む。
もう幾度訊かれたかは忘れたが、目的も何も自分でもなぜこんな場所に来てしまったのか見当もつかない。
心の師と仰ぐ平賀源内邸を訪ねたまでは覚えているが、その後の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。
それ故に何度同じことを訪ねられようとも答えることができない。
宗鉄は格子を摑んでいる両手を力任せに揺さぶった。
「俺の話も少しは聞いてくれ。俺はあんたらが疑っているような賊の一味でもないし妙な魂胆もない。気づいたらなぜかこんな場所にいただけだ。だから頼む。その鉄砲だけでも返してくれ」
宗鉄の必死な訴えを聞いた直後、褐色肌の少女は見るからに表情を一変させた。
「気づいたらこのコンディグランドにいただと?」
「そうだ。妙に思われるのも仕方ないがこれは紛うことない事実だ。だから――」
格子の隙間から鉄砲に向かってそっと宗鉄が腕を伸ばす。
「なるほど。事情はよくわかった」
褐色肌の少女は宗鉄に背中を向け、数歩分だけ牢屋から遠ざかる。
そのせいであと一尺(三十センチ)足らずで鉄砲に届いたであろう宗鉄の腕は虚しく空を摑んだ。
牢屋から少しだけ遠ざかった褐色肌の少女は、やがてぴたりと歩みを止めて身体ごと振り向いた。
直後、褐色肌の少女はにっこりと微笑む。
「ようこそ、コンディグランドへ。〈アスラ・マスタリスク〉によってこの地に導かれた異世界のアスラよ。わたしはお前を歓迎する」
「は?」
宗鉄は大きく面食らった。褐色肌の少女は宗鉄など眼中になく、大きな瞳を天井付近に向けていた。
宗鉄は首を柔軟に動かして褐色肌の少女の視線を目で追うと、そこには空中に静止しているエリファスの姿があった。
「え? あ、あたし?」
褐色肌の少女と視線が交錯したエリファスは、あまりの驚きに開いた口が塞がらないようであった。阿呆のように口を半開きにして目を点にしている。
「お初にお目にかかる。わたしの名前はウィノラという。以後、お見知りおきを」
慇懃深くエリファスに対して頭を下げたウィノラ。口調はやや粗暴だが、それでも最低限の礼儀作法を学んでいる節が見られた。
「アスラって何? わたしはエリファスっていう名前のアルファルなんだけど」
「そうか、異世界では精霊をアルファルというのか。うむ、それは勉強になった」
何度も頷いたウィノラは、「では、こちらもアルファルを紹介しよう」と言って顔だけを後方に振り向かせた。その何気ない仕草に引かれて宗鉄とエリファスはほぼ同時にウィノラが顔を向けた場所に意識を集中させる。
すると何もなかったはずの地面に円形の影が出現し、その影の中から立派な体躯をした一匹の動物が浮かび上がってきた。
四足歩行で昔から愛玩用として親しまれたその動物は、第五代将軍・徳川綱吉公が制定した悪法――生類憐みの令の中で目付職まで設置して重宝した犬であった。
感情を表現するという尻尾を左右に箒を掃くが如き振っている。
しかし、影の中から出てきた犬が普通の犬のはずがない。
現にその犬の毛並みは宵闇のような明るい黒をしており、全身隅々にまで唐草模様のような白い文様が浮かんでいた。
しかもよく見ると愛くるしいはずの双眸は燃えるような緋色である。これは絶対に普通の犬ではない。
「こ、こいつも物ノ怪か!」
宗鉄は犬に向かって猛々しく叫んだ。
「モノノケ? 何を言っている。こいつはクアトラ。わたしの相棒だ」
ウィノラに紹介されたクアトラは、よたよたと牢屋に近寄ってきて宗鉄たちに向かって小さく吼えた。
「わん」ではなく「にゃ~」と。
「なんだそれは! 犬か猫かはっきりしろ!」
髪を激しく掻き毟る宗鉄をウィノラは無表情で眺める。
「理解が足りない異世界人だな。クアトラは歴とした精霊だ。わたしの部族ではアスラというのだが、そなたたちの世界ではアルファルというのだったな」
ウィノラの疑問には宗鉄ではなくエリファスが答えた。
「いや、アルファルというのはわたしの種族のことでね。向こうの世界では精霊を一般的にアルファルって呼ぶんじゃないのよ」
空中を泳ぐように飛んだエリファスは、格子の隙間を掻い潜ってウィノラの眼前で静止した。
「む、そうなのか? では、そなたたちの世界では精霊を何と呼ぶのだ?」
「さあ、そのまんまで精霊じゃない。わたしも詳しいことはよくわからないけど、人間たちは学んでいる魔術体系によって様々な呼び方をするのよ。自然を構成する四大元素を精霊に見立ててエレメンタルなんて呼ぶ人間もいるしね」
「ほうほう。では、向こうの世界にはそなたのように人間に近しい身体を持った精霊も多く存在するのか?」
エリファスは細い指を顎先に乗せ、思案げな表情で虚空を見つめる。
「さあね。他の種族に遭う機会なんてあまりなかったからよくわからない。でも、結構な数がいるはずよ。まあ、黙っていても増殖する人間よりは遥かに少ないと思うけど」
「そうか……だが、そなただけでもこちらの世界に来てくれたのは重畳だ」
一人納得しているウィノラを見て、エリファスは大きく首を捻る。
「それって一体どういうこと? そう言えばさっきもアスラ何とかによって導いたとか言ってたけど」
ウィノラは「そうだ」と大仰に頷いた。
「そなたはわたしが行ったアンカラ族の秘舞――〈アスラ・マスタリスク〉によってこの地に導かれた救世主なのだ」
エリファスは自分に指を差し向けながら激しく驚愕した。
「きゅ、救世主ですって! わ、わたしが!」
「うむ。本来、異世界からアスラを呼び寄せる〈アスラ・マスタリスク〉は数人の舞手で行う特別な踊りなのだが、故あって今回はわたし一人で行った。それで本当に成功したのかずっと気掛かりだったがそれは杞憂だったらしい。こうして異世界の精霊がピピカ族の集落に現れたのだから」
そう言ったウィノラは、空中に浮かんでいたエリファスの身体を手厚く握った。再び人間に身体を拘束されたエリファスは苦しそうに顔を宗鉄に向ける。
「ちょっと待って。じゃあ、あいつはどうなの? この世界に来たのはわたしだけじゃないんだけど」
と、エリファスは先ほどから蚊帳の外だった宗鉄に話題を振った。
「こいつはただの人間だろ? 悪いがわたしたちに必要なのは異世界に住まう強大な力を持つという精霊だけだ。たとえ異世界人とはいえ普通の人間には興味がない」
あまりのひどい言われように宗鉄は言葉を失った。だが、それでも二つばかりわかったことがある。
先ほどからじっくりと話を聞いていた限りでは、どうやら自分がこんな場所に来たのは彼女が舞った特殊な踊りが原因らしい。
しかも必要だったのはエリファスだけで自分は用無しなのだという。
ならば、自分が述べることはただ一つ。
「じゃあ、俺を今すぐここから解放してくれ! お前たちが用のあるのはエリファスだけで俺は無関係なんだろ!」
宗鉄は断固としてウィノラに意見した。
ウィノラたちが必要としているのはエリファスであって自分ではない。
だったら今すぐこの牢屋から出して自分だけでも元の世界に帰してほしい。
「ふむ、そうしたいのは山々なのだが……」
なぜかウィノラは宗鉄から目線をそっと外し、悪戯現場を目撃された子供のように罰が悪そうな表情を浮かべた。
そして一拍の間を置いたあと、ウィノラの口からは思いもよらぬ事実が漏れた。
「すまんな、奇妙な格好と髪型をした異世界人。お前だけを今すぐ元の世界に帰すことは不可能なんだ。なぜなら、〈アスラ・マスタリスク〉を行えるのは十五年に一度の祭秋の日だけと決まっていてな」
「な……」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだった。
ということは、自分が江戸に戻れるのは必然的に十五年後ということに……。
ウィノラは哀れな野良犬を見るような目で宗鉄を見つめた。
「そういうわけだ。こちらもなぜただの人間を呼び寄せてしまったのかは不明だが、これも運命だったと思って諦めて――」
と、言い終わろうとした直後であった。
「何だ」
ウィノラは颯爽と振り向き、夕餉の支度をしているはずの集落を一望した。
緋色に染まる夕日を受けて赤茶けた大地がより一層赤く染まり、夕餉の時刻ということもあって家族や親類ごとに住んでいる住居からは香しい食事の匂いが漂っていた。
ふと耳を澄ませば乾いた風に乗って一家団欒の楽しい会話が聞こえてくる。
何の変哲もない日常の光景。だが、ウィノラの耳にははっきりと聞こえた。
凶暴な猛気を抑えられない野獣の猛々しい咆哮を――。
聞き間違えではない。
ウィノラは相棒のクアトラに顔を向けると、大地の精霊の一種であるクアトラは集落の入り口に向かって唸り声を上げていた。
クアトラの威嚇。それは何かよからぬモノが近づいてくる証であった。
「お前の話はまた後だ。この集落に何らかの危険が迫っている」
そう言うとウィノラは大地を蹴って走り出した。
「おい、待て! まだ俺との話は終わってないぞ! 諦めろとは何のことだ!」
宗鉄は腹の底から声を発したが、強靭な脚力を有していたウィノラを留めるには至らなかった。
住居の合間を次々に通り抜けてウィノラの姿はあっという間に見えなくなる。
呆然とウィノラを見送った宗鉄は、しばらくしてからはたと気づく。
「俺の鉄砲返せよ!」
長閑に夕餉の支度を整えていたピピカ族の集落だったが、入り口付近に建てられた櫓から響き渡る太鼓の音により一変した。
集落全体に響き渡る太鼓の音は異変を知らせる警鐘である。
しかも盛大に鳴らされている太鼓の響き具合により、異変の強弱が測れるようになっていた。
牢屋から集落の入り口に到着したウィノラは、見張り役が知らせた異変の正体を見て驚愕した。
「ま、まさか……なぜ、ガマラがこんなところに」
広場の役割も果たしていた集落の入り口には、大型の獲物であったムルガよりも一回りも巨躯なガマラがいた。
漆黒の体毛には白い渦巻き模様が入っており、推定体重は成人男性の何十人分に及ぶだろう。
先端が鋭く尖っている爪や口内から覗き見える牙も人間の五体など糸も簡単に引き裂ける威力がひしひしと感じられた。
銃床の部分を無造作に摑みながら肩に添えるように持っている。
「た、頼む! その鉄砲を返してくれ!」
血相を変えた宗鉄は金属の格子に走り寄ると、鉄砲を持っていた少女に懇願した。
てっきりもう返ってこないと危惧していた鉄砲が、どこにも損傷が見られない五体満足な姿で目の前に存在していた。
鉄砲こそ自分の魂と考えている宗鉄にしてみれば、何を置いても取り戻したかったのは言うまでもない。
「お前が例の余所者か? ふむ、想像以上に奇妙な格好と髪型をしている」
だが褐色肌の少女は宗鉄の懇願を軽く聞き流し、自分の要求だけを淡々と述べていく。
「おい、余所者。お前の魂胆は一体何だ? 何の目的でコンディグランドに現れた?」
またその質問か。
宗鉄は自分と褐色肌の少女を分け隔てている格子を忌々しく摑む。
もう幾度訊かれたかは忘れたが、目的も何も自分でもなぜこんな場所に来てしまったのか見当もつかない。
心の師と仰ぐ平賀源内邸を訪ねたまでは覚えているが、その後の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。
それ故に何度同じことを訪ねられようとも答えることができない。
宗鉄は格子を摑んでいる両手を力任せに揺さぶった。
「俺の話も少しは聞いてくれ。俺はあんたらが疑っているような賊の一味でもないし妙な魂胆もない。気づいたらなぜかこんな場所にいただけだ。だから頼む。その鉄砲だけでも返してくれ」
宗鉄の必死な訴えを聞いた直後、褐色肌の少女は見るからに表情を一変させた。
「気づいたらこのコンディグランドにいただと?」
「そうだ。妙に思われるのも仕方ないがこれは紛うことない事実だ。だから――」
格子の隙間から鉄砲に向かってそっと宗鉄が腕を伸ばす。
「なるほど。事情はよくわかった」
褐色肌の少女は宗鉄に背中を向け、数歩分だけ牢屋から遠ざかる。
そのせいであと一尺(三十センチ)足らずで鉄砲に届いたであろう宗鉄の腕は虚しく空を摑んだ。
牢屋から少しだけ遠ざかった褐色肌の少女は、やがてぴたりと歩みを止めて身体ごと振り向いた。
直後、褐色肌の少女はにっこりと微笑む。
「ようこそ、コンディグランドへ。〈アスラ・マスタリスク〉によってこの地に導かれた異世界のアスラよ。わたしはお前を歓迎する」
「は?」
宗鉄は大きく面食らった。褐色肌の少女は宗鉄など眼中になく、大きな瞳を天井付近に向けていた。
宗鉄は首を柔軟に動かして褐色肌の少女の視線を目で追うと、そこには空中に静止しているエリファスの姿があった。
「え? あ、あたし?」
褐色肌の少女と視線が交錯したエリファスは、あまりの驚きに開いた口が塞がらないようであった。阿呆のように口を半開きにして目を点にしている。
「お初にお目にかかる。わたしの名前はウィノラという。以後、お見知りおきを」
慇懃深くエリファスに対して頭を下げたウィノラ。口調はやや粗暴だが、それでも最低限の礼儀作法を学んでいる節が見られた。
「アスラって何? わたしはエリファスっていう名前のアルファルなんだけど」
「そうか、異世界では精霊をアルファルというのか。うむ、それは勉強になった」
何度も頷いたウィノラは、「では、こちらもアルファルを紹介しよう」と言って顔だけを後方に振り向かせた。その何気ない仕草に引かれて宗鉄とエリファスはほぼ同時にウィノラが顔を向けた場所に意識を集中させる。
すると何もなかったはずの地面に円形の影が出現し、その影の中から立派な体躯をした一匹の動物が浮かび上がってきた。
四足歩行で昔から愛玩用として親しまれたその動物は、第五代将軍・徳川綱吉公が制定した悪法――生類憐みの令の中で目付職まで設置して重宝した犬であった。
感情を表現するという尻尾を左右に箒を掃くが如き振っている。
しかし、影の中から出てきた犬が普通の犬のはずがない。
現にその犬の毛並みは宵闇のような明るい黒をしており、全身隅々にまで唐草模様のような白い文様が浮かんでいた。
しかもよく見ると愛くるしいはずの双眸は燃えるような緋色である。これは絶対に普通の犬ではない。
「こ、こいつも物ノ怪か!」
宗鉄は犬に向かって猛々しく叫んだ。
「モノノケ? 何を言っている。こいつはクアトラ。わたしの相棒だ」
ウィノラに紹介されたクアトラは、よたよたと牢屋に近寄ってきて宗鉄たちに向かって小さく吼えた。
「わん」ではなく「にゃ~」と。
「なんだそれは! 犬か猫かはっきりしろ!」
髪を激しく掻き毟る宗鉄をウィノラは無表情で眺める。
「理解が足りない異世界人だな。クアトラは歴とした精霊だ。わたしの部族ではアスラというのだが、そなたたちの世界ではアルファルというのだったな」
ウィノラの疑問には宗鉄ではなくエリファスが答えた。
「いや、アルファルというのはわたしの種族のことでね。向こうの世界では精霊を一般的にアルファルって呼ぶんじゃないのよ」
空中を泳ぐように飛んだエリファスは、格子の隙間を掻い潜ってウィノラの眼前で静止した。
「む、そうなのか? では、そなたたちの世界では精霊を何と呼ぶのだ?」
「さあ、そのまんまで精霊じゃない。わたしも詳しいことはよくわからないけど、人間たちは学んでいる魔術体系によって様々な呼び方をするのよ。自然を構成する四大元素を精霊に見立ててエレメンタルなんて呼ぶ人間もいるしね」
「ほうほう。では、向こうの世界にはそなたのように人間に近しい身体を持った精霊も多く存在するのか?」
エリファスは細い指を顎先に乗せ、思案げな表情で虚空を見つめる。
「さあね。他の種族に遭う機会なんてあまりなかったからよくわからない。でも、結構な数がいるはずよ。まあ、黙っていても増殖する人間よりは遥かに少ないと思うけど」
「そうか……だが、そなただけでもこちらの世界に来てくれたのは重畳だ」
一人納得しているウィノラを見て、エリファスは大きく首を捻る。
「それって一体どういうこと? そう言えばさっきもアスラ何とかによって導いたとか言ってたけど」
ウィノラは「そうだ」と大仰に頷いた。
「そなたはわたしが行ったアンカラ族の秘舞――〈アスラ・マスタリスク〉によってこの地に導かれた救世主なのだ」
エリファスは自分に指を差し向けながら激しく驚愕した。
「きゅ、救世主ですって! わ、わたしが!」
「うむ。本来、異世界からアスラを呼び寄せる〈アスラ・マスタリスク〉は数人の舞手で行う特別な踊りなのだが、故あって今回はわたし一人で行った。それで本当に成功したのかずっと気掛かりだったがそれは杞憂だったらしい。こうして異世界の精霊がピピカ族の集落に現れたのだから」
そう言ったウィノラは、空中に浮かんでいたエリファスの身体を手厚く握った。再び人間に身体を拘束されたエリファスは苦しそうに顔を宗鉄に向ける。
「ちょっと待って。じゃあ、あいつはどうなの? この世界に来たのはわたしだけじゃないんだけど」
と、エリファスは先ほどから蚊帳の外だった宗鉄に話題を振った。
「こいつはただの人間だろ? 悪いがわたしたちに必要なのは異世界に住まう強大な力を持つという精霊だけだ。たとえ異世界人とはいえ普通の人間には興味がない」
あまりのひどい言われように宗鉄は言葉を失った。だが、それでも二つばかりわかったことがある。
先ほどからじっくりと話を聞いていた限りでは、どうやら自分がこんな場所に来たのは彼女が舞った特殊な踊りが原因らしい。
しかも必要だったのはエリファスだけで自分は用無しなのだという。
ならば、自分が述べることはただ一つ。
「じゃあ、俺を今すぐここから解放してくれ! お前たちが用のあるのはエリファスだけで俺は無関係なんだろ!」
宗鉄は断固としてウィノラに意見した。
ウィノラたちが必要としているのはエリファスであって自分ではない。
だったら今すぐこの牢屋から出して自分だけでも元の世界に帰してほしい。
「ふむ、そうしたいのは山々なのだが……」
なぜかウィノラは宗鉄から目線をそっと外し、悪戯現場を目撃された子供のように罰が悪そうな表情を浮かべた。
そして一拍の間を置いたあと、ウィノラの口からは思いもよらぬ事実が漏れた。
「すまんな、奇妙な格好と髪型をした異世界人。お前だけを今すぐ元の世界に帰すことは不可能なんだ。なぜなら、〈アスラ・マスタリスク〉を行えるのは十五年に一度の祭秋の日だけと決まっていてな」
「な……」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだった。
ということは、自分が江戸に戻れるのは必然的に十五年後ということに……。
ウィノラは哀れな野良犬を見るような目で宗鉄を見つめた。
「そういうわけだ。こちらもなぜただの人間を呼び寄せてしまったのかは不明だが、これも運命だったと思って諦めて――」
と、言い終わろうとした直後であった。
「何だ」
ウィノラは颯爽と振り向き、夕餉の支度をしているはずの集落を一望した。
緋色に染まる夕日を受けて赤茶けた大地がより一層赤く染まり、夕餉の時刻ということもあって家族や親類ごとに住んでいる住居からは香しい食事の匂いが漂っていた。
ふと耳を澄ませば乾いた風に乗って一家団欒の楽しい会話が聞こえてくる。
何の変哲もない日常の光景。だが、ウィノラの耳にははっきりと聞こえた。
凶暴な猛気を抑えられない野獣の猛々しい咆哮を――。
聞き間違えではない。
ウィノラは相棒のクアトラに顔を向けると、大地の精霊の一種であるクアトラは集落の入り口に向かって唸り声を上げていた。
クアトラの威嚇。それは何かよからぬモノが近づいてくる証であった。
「お前の話はまた後だ。この集落に何らかの危険が迫っている」
そう言うとウィノラは大地を蹴って走り出した。
「おい、待て! まだ俺との話は終わってないぞ! 諦めろとは何のことだ!」
宗鉄は腹の底から声を発したが、強靭な脚力を有していたウィノラを留めるには至らなかった。
住居の合間を次々に通り抜けてウィノラの姿はあっという間に見えなくなる。
呆然とウィノラを見送った宗鉄は、しばらくしてからはたと気づく。
「俺の鉄砲返せよ!」
長閑に夕餉の支度を整えていたピピカ族の集落だったが、入り口付近に建てられた櫓から響き渡る太鼓の音により一変した。
集落全体に響き渡る太鼓の音は異変を知らせる警鐘である。
しかも盛大に鳴らされている太鼓の響き具合により、異変の強弱が測れるようになっていた。
牢屋から集落の入り口に到着したウィノラは、見張り役が知らせた異変の正体を見て驚愕した。
「ま、まさか……なぜ、ガマラがこんなところに」
広場の役割も果たしていた集落の入り口には、大型の獲物であったムルガよりも一回りも巨躯なガマラがいた。
漆黒の体毛には白い渦巻き模様が入っており、推定体重は成人男性の何十人分に及ぶだろう。
先端が鋭く尖っている爪や口内から覗き見える牙も人間の五体など糸も簡単に引き裂ける威力がひしひしと感じられた。
0
あなたにおすすめの小説
クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。
よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。
そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
アイテムボックスの最も冴えた使い方~チュートリアル1億回で最強になったが、実力隠してアイテムボックス内でスローライフしつつ駄竜とたわむれる~
うみ
ファンタジー
「アイテムボックス発動 収納 自分自身!」
これしかないと思った!
自宅で休んでいたら突然異世界に拉致され、邪蒼竜と名乗る強大なドラゴンを前にして絶対絶命のピンチに陥っていたのだから。
奴に言われるがままステータスと叫んだら、アイテムボックスというスキルを持っていることが分かった。
得た能力を使って何とかピンチを逃れようとし、思いついたアイデアを咄嗟に実行に移したんだ。
直後、俺の体はアイテムボックスの中に入り、難を逃れることができた。
このまま戻っても捻りつぶされるだけだ。
そこで、アイテムボックスの中は時間が流れないことを利用し、チュートリアルバトルを繰り返すこと1億回。ついにレベルがカンストする。
アイテムボックスの外に出た俺はドラゴンの角を折り、危機を脱する。
助けた竜の巫女と共に彼女の村へ向かうことになった俺だったが――。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
レベルアップは異世界がおすすめ!
まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる