BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

33.キュプロークスの瞳

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 ――邪神ザルサス。

 その言葉がラァラの口から漏れたとき、俺はどこか背筋が寒くなるような感覚を覚えていた。
 ラァラがザルサスの名を口にする直前に魔除けの聖句を唱えていたことも、俺に心理的な影響を与えているのかも知れない。
 だが、どことなく禍々しい響きがするその名が、この俺に何らかのプレッシャーを与えている感覚があったのも、紛れもない事実だった。

 これまで神の存在や超常現象を一切信じてこなかった俺にとって、邪神など御伽噺おとぎばなしにしか出てこない存在。
 だが、同じ御伽噺であるはずの魔法が存在する世界だ。
 そして俺が地球を離れ、現在こんな場所に居ること自体が超常現象に他ならない。
 そんな異質な世界に送り込まれたせいで、臆病風に吹かれているのかも知れない。
 俺がこのとき感じたのは、情けないことに未知なる存在に対する恐怖心のような気がした。

「そうは言っても、結局のところ一緒だろ?」

 そんな言葉が漏れたのは俺の口からではない。
 いつの間に近付いてきたのか、コルトの口から出た言葉だった。
 最初から全部聞かれていたのかわからないが、少なくとも邪神の部分はコルトに筒抜けだったらしい。それどころかコルトの隣に居るジャックにも聞かれていたようだ。
 まあ、ラァラが聖句を唱えた時点でそれなりに大きな声を出していたので、周囲の人間に気付かれてもおかしくはないが。

「俺もコルトの言うとおりだと思う。アグランガル教のやつらが邪神を信奉しているのなら、どっちみち変わらないんじゃないのか?」
「アグランガル教徒が邪神を信奉しているという証拠はないわ」

 ジャックの言葉に対し、ラァラが珍しく語気を強めて反論する。

「イシュティール教典の第何章だったのかは忘れたが、裏切者のアグラが邪神に魂を売るくだりがあるだろ?」
「それは知っているけど、イシュティール教典にはアグラが裏切ったことが書かれてあるだけで、そのことを以ってアグランガル教徒が邪神を信奉しているという解釈にはならないと思うけど」
「ラァラ。そりゃあ、そうかも知れんが……」
「ジャック、聞いてちょうだい。別に私もアグランガル教が正義だなんてことは言ってないの。でも、アグランガル教徒だから亜人は邪悪という一方的な見方を私はしたくないのよ」

 話が二転三転し、しかも宗教観の話になってしまい、俺はほとんど会話に付いていけなくなっていた。
 ただ、そんな俺にもわかったことがいくつかある。
 コルトもジャックもザルサスという名こそ口には出さなかったが、邪神という呼び方はしている。
 となると、邪神と呼ぶだけならそこまで問題にならないということだろう。
 といっても、本来であればあまり口にすべき言葉ではないと考えるのが妥当かも知れないが。

 それとアグランガル教のアグラという部分が裏切者の名前だということも。
 コルトやジャックはおろか、ラァラまでもがその点を否定しなかった。
 問題はそういった認識をしているのがマガルムークの人間だけなのか、それともこの世界の大多数の人間にとっての共通認識になるかだ。
 それいかんによっては俺のほうも迂闊な発言ができないってことになる。
 ただ、ラァラの言葉の中で感じた疑問点については聞いても問題がないだろう。

「ひとつ疑問に思うことがあるんだが、ラァラは以前サシャとかいう住人のときにも、この印を見たんじゃないのか? 今の反応からすると、そのときとはまったくの別物だったということになりそうだが」
「いいえ、そうじゃないわ。サシャお婆さんのときは、早々に息子さんご夫婦がご遺体を埋葬されたので、私は直接この目で見ていないのよ。ディーディーたちが住んでいる地域の風習ではどうなのかわからないけど、この辺りではこういうふうに弔わないままでいると、死者の魂を邪神が連れ去ってしまうと言われているからね」
「ああ、そういやあんときは俺も見てないな。ジルの野郎がアグランガル教の刻印が刻まれていると大騒ぎしたんで、すっかりそういう話の流れになっちまったが。ジャック、おめえはどうだ?」
「俺は事件があったとき、たまたま現場の近くに居たんでこの目でしっかりと見ている。サシャ婆さんのときも今回とまったく同じ印だ」
「ほお。それで当の亜人たちはそのことについて何て言っていたんだ?」
「そりゃもちろん否定してたさ。アグランガル教にこんな刻印は存在しないってな」
「だけどよ。そんなことをあいつらが認めるわけないだろ。自分たちがサシャ婆さんをやったと白状するようなもんだしさ」
「まあな。で、水掛け論みたいになっちまって、結局はジルの主張を信じたやつが多かったって感じだな」
「なるほどね。だが、今の話を聞くと、亜人の仕業だとは限らなくなりそうだが」

 いつの間にか、周囲の村人たちの視線が俺たちのほうに向いていることに気付く。
 それほど大声で話していたというわけでもないが、ほかの連中は皆どことなく居心地が悪そうに黙ったままだったこともあって、俺たちの会話のほうに注目が集まってしまったのだと思う。

「ラァラやディーディーはこれが亜人の仕業ではないと?」

 少し離れた場所からダンがそんなことを問いかけてくる。

「ダン、そいつらの意見なんか聞く必要があるか? そいつらは所詮余所者なんだぞ」

 ありありと気に食わなそうな表情を浮かべ、そんな発言をするジル。
 だが、ダンのほうはジルの意見などまったく取り合おうとしなかった。
 まるっきりジルのことを無視し、俺に答えを促すよう顔で催促してくるダンに対し、俺は仕方なく返事をする。

「いや、そうは言ってない。だが、今の話を聞くかぎりでは一連の犯人を亜人だとする根拠は、前回サシャ婆さんと亜人が揉めていたってだけなんだろ? だが、今回亜人の姿を見かけた村人がまったく居ないのに同じような事件が起きた、と」
「まあ、そうだな」
「ジャック。あんたはバームと親しかったらしいが、バームが亜人と揉めていたなんてことは?」
「いや、ないな。そもそもバームが誰かと言い争っている場面は見たことがない。相手が亜人だとしても、争いになりそうならあっさりと引くような性格だ。みんなで亜人を追放したときにも、バームは一言も口を開いていないぐらいだからな」
「ラァラからもそんな感じの話を聞いているな。そうなるとバームには亜人に狙われる理由がなかったってことになるが?」

 俺のその言葉に対して、コルトが淡々と返してくる。

「相手なんて誰でもよかったんじゃねえのか?」
「それだとサシャ婆さんが亜人と揉めていたせいで殺されたって話もおかしくなっちまわないか?」
「何だよ、ジャック。お前はさっきまで亜人の仕業だと言い張ってた口じゃねえか。コロコロと意見を変えやがってよ」
「お、俺は別に亜人ではないって意見に鞍替えしたつもりはないぞ。ただ、相手が誰でもよかったってのはちょっとどうかなと思っただけだ」

 正直なところ、つい口を滑らせてしまったことを内心では後悔していた。
 どうせ明日には居なくなる身だ。
 ディララ村の問題には極力関わらないほうがいいのに、と。
 ただ、結果的にラァラの言い分のほうが正しいことは知っていたし、心情的にもラァラの味方をしたくなったというのがある。
 それに、ラウフローラにはディララ村の問題に首を突っ込む気はないと格好つけてみたものの、このまま亜人の仕業ということで片付けられるのも、どこか釈然としない気持ちが心のどこかにあったのも確かだ。
 そんな気持ちがあったからこそ、思わず余計な口を挟んでしまったのかも知れない。

「うーむ、ゲイツはどう思う?」
「さあな。俺は亜人がやったにせよ、他の誰かがやったにせよ、山狩りなど無駄な行為だと言いたいだけだ」
「そうか……。実を言うとな、俺もラァラやディーディーと同じように亜人がやったという話がだんだんと怪しく思えてきてな」
「ん、そうなのか?」
「ああ。まあ、言ってしまえば冒険者の勘ってやつに過ぎないのかも知れんがな」

 こうやってダンひとりが翻意したところで、ディララ村全体の意見がすぐに変わるわけではないことも俺は理解していた。
 アグランガル教を邪神と結び付けて考えている住人がことのほか多い様子だったからだ。
 それに、もしかしたら本当に亜人が邪神を信奉している可能性だってなくはない。
 現時点での情報だけでは何とも判断が付かない話だ。

 宗教的な対立か、それとも種族的な対立なのか。
 どちらにしろ、そこには俺の知らない歴史的な確執が隠されていることだけは確かだった。

「ああん? 亜人がやったんじゃないんだとすれば、いったい誰がやったと言うんだよ。もしかして、てめえはディララ村の住人の中に邪神を信奉している人間が居るとでも言いてえのか?」

 頼みのラカムに見放されたことですっかり意気消沈していたジルだったが、俺に対しては相変わらず強気の態度。
 ダンやラァラが同じような意見を言っているにもかかわらず、ジルの怒りの矛先は俺のほうに向いていた。
 
「俺は亜人の仕業とは限らないと言っただけだが?」
「そうね。北から避難してきた人もけっこう居たから、外部の人間ってことも考えられるし……」
「ふーん、外部の人間ねえ。だが、言われてみれば、そのとおりかも知れんなあ。エルセリアから来たという冒険者様が実は犯人ということだって、絶対にないとは言い切れねえんだからよ」
「ディーディーはサシャお婆さんのときもその前のときも、ディララ村には居なかったのよ?」
「いいや、前回と今回の犯人が同一人物とは限らねえんだ。それに、前のときはこっそりとどこかに隠れてやがっただけかも知れねえ。だいたい、今回バームのやつの一番近くに居たのはこの小僧って話じゃねえかよ。なあ、ダン。そうなんだよな?」
「確かにそれはそのとおりだが……」
「ほらな。ドレイクをおびき寄せるフリをして、裏でこっそりバームを殺るチャンスがこいつにはあったはずだ。それに言っちゃあ悪いが、ラァラちゃん。あんただって余所者でしかないんだ。疑わしき人物に入っているんだぜ」

 まるで鬼の首でも取ったかのように勝ち誇り、終いにはラァラのことまで疑い始めるジル。
 だが、同一犯じゃないと仮定すれば、俺たちが疑わしい位置に入るというジルの言い分は間違っていない。
 そのこともあって、亜人の仕業ということで片付いたほうが、俺たちにとって都合がいいこともわかっていたのだが。

「村の衆、聞いてくれ! 誰も亜人の姿を見掛けなかったと言うなら、今回は亜人の仕業じゃないのかも知れん。だが、それならいったい誰がバームを殺した? 村の住人か? それとも一年ほど前にふらりとこの村にやってきた踊り子か? いやいや、バームがこんなことになる直前、突如エルセリアからやって来た冒険者はどうなんだ?」

 そうジルが大声で問いかけた瞬間、お互いの顔を見合わせたディララ村の住人たち。
 そして、すぐ後ろでひそひそとした話し声が聞こえたと思うと、それを皮切りにさざ波のように囁き声が周囲へと広がっていった。

「ちっ、ジルの野郎!」
「気にするこたあねえ。あんなやつの言うことなんざ」
「それにしても一気に旗色が悪くなったみたい。さっきまでは村の英雄なんて持ち上げていたくせに、ずいぶんと勝手なものよね」

 コルトやジャックが俺たちのことを気遣う言葉が空虚にその場に響く。
 その言葉に重ねるようにポツリとラウフローラもそんなことを呟いていた。
 その呟きは俺に聞き取れないような遠くの村人の会話まで拾っているから出た言葉だろう。
 おそらく村人の中の何人かが、俺たちのことを疑っている様子が見られたのだと思う。俺の耳にも近くに居た住人の怪しむ声が聞こえたぐらいだ。
 どうやら俺たちの立場は、一瞬でドレイクを倒した英雄からバーム殺害の容疑者へと様変わりしてしまったらしい。
 ただ、俺はそんな村人たちの反応を身勝手だとまでは思わなかった。
 ディララ村の住人たちにとって、村の仲間を疑うより、余所者である俺たちのほうを疑いたくなる気持ちはわからなくもなかったからだ。

「ごめんなさい。ディーディーとローラちゃん。私が余計なことを言ったばかりに……」

 村人たちからの訝しむような視線を受け、ラウフローラが何のことを言っているのか気付いたのだろう。ラァラが俺たちに頭を下げて謝ってくる。

「ダン、コルト、ジャック、あんたらはどうなんだ? あんたらも俺たち兄妹を疑っているのか?」
「安心しろ。これでも人を見る目はあるつもりだ。お前たち兄妹はそんな人間ではないと思っている。それにドレイクとの戦闘を見れば、相当な手練れだってこともな。もしディーディーが邪教徒なら、自分たちに疑いがかかる場面でバームを殺すようなミスはしないはずだし、ディララ村のためにドレイクを退治する必要もなかったはずだ」
「ダンの兄貴、いくら何でもそりゃあ褒めすぎじゃねえか? こいつらの実力は確かに相当なもんだが、冒険者としての部分はまだまだ半人前もいいところだぞ。だがよ、そんな未熟者のお人好しが実は邪教徒で、俺たちに隠れてバームを殺してたっていうのか? 何ともアホくせえ妄想だわ」
「お、俺は正直わからねえ。亜人の仕業だとばかり思ってたから、それが違うと言われてもな……。といっても、別にディーディーやローラちゃんを疑っているわけでもないんだ」

 冒険者連中からはおおむね信用されていそうだが、他の住人の反応はよくて半々ぐらいか。
 それにしても、人望がなさそうなジルの話をそのまま鵜呑みにする村人が多いことに驚く。
 あまり自らの意見を持たない凡愚な農民が多いので、声がデカいだけのやつの意見がそのまままかり通ってしまうのだろうが。
 
「仕方がない。ローラ、あれを出してくれ」
「わかったわ、兄さん」

 ラウフローラが背嚢はいのうからある物を取り出す。
 それは念のため、あらかじめ用意していたものだった。
 大きさはグレープフルーツと同じくらいのサイズで球体。

 その球体に周囲の視線が集まっていた。
 それでなくても俺たち兄妹に注目が集まっていたのだ。
 そんな中、ラウフローラが取り出したその丸い物体に周囲の目が一気に集まったのも当然の成り行きだった。

「いったい何だ、そりゃ?」
「これはね、キュプロークスの瞳という人の記憶を写しだす魔道具よ」
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