13 / 115
序章篇
5 現実は定められた未来へ-2-
しおりを挟む
アシュレイは短い瞑想から抜け出し、冷水を顔にぶつけた。
刺すような冷たさが皮膚を叩く。
いずこかへと飛ばしていた意識が戻ってくる。
が、気分は晴れないままだった。
「お疲れのようですね。襟も曲がっていますよ」
彼の身の回りの世話をする女が言った。
衣服の調達や武具の手入れ、その他の雑用が彼女の仕事だ。
「この国の人間なら皆、いつも疲れてるよ。きみもそうだろう?」
ねぎらいも込めてアシュレイは言った。
「疲れる、だけならよいのですが……」
彼女は朝日を眺めて呟いた。
ここからでは空が少し濁っていて、陽光の美しさを拝むことができない。
「そう不安になるな。ただの視察だよ。危険なことは何もないんだ」
彼は半分は自分に対して言った。
「私にできるのはお世話と心配だけですから」
女は悲観と皮肉を交えて返す。
「それで充分だ。人にはそれぞれ役割があるからね」
この男は誰に対しても優しい。
重鎮と持て囃され、ペルガモンにも一目置かれる存在だからといって、安易に驕ったりはしない。
「行ってほしくはありませんが、そろそろお時間です……」
動きやすい衣服にマントを羽織ったアシュレイは窓を閉めた。
任地に赴く者はその所属に応じた制服の着用が義務づけられているが、文官武官の枠を超越した存在という意味で、重鎮だけは自由な服装を認められている。
彼らは敵を含めて周囲に威圧感を与えないように、武力を表す軍服は極力避けてきた。
「荷物は私が持って行くよ。軽かっただろう?」
これは簡単な任務だと主張するように、彼は片手に持ったバッグを上下させた。
「はい……」
この瞬間が彼女には最もつらい。
こう言って宮殿を後にし、“戦没者報告”と書かれたたった一枚の紙切れとなって帰ってきた者は数えきれない。
今はアシュレイのために宛がわれているこの部屋も、かつて戦死した者が寄宿していた場所だった。
「どうか、どうかお気をつけて」
不安そうな彼女に紳士的な笑みを見せ、彼は離着陸場に向かった。
(役割……)
彼はたった今、自分が発した言葉を頭の中で繰り返した。
胸を痛める彼女にかけた励ましだったが、元はミス・プレディスが使った言葉だ。
(プラトウで何かが起こる。私たちはその時、そこにいるのか? それとも……)
すぐに起こるのか、あるいは何年後かに起こるのか、彼は考えた。
ミス・プレディスの珍しく不明瞭な予知能力は、プラトウで起こることはもちろん、その時期についても明らかにはできなかった。
彼女の家で見たあの眩い光は、もしかしたらアシュレイたちが天寿を全うした後の出来事かもしれないのだ。
(仮に居合わせたとして、私に何ができるんだ? 私の役割は……?)
思い悩むのは役割の問題だけではない。
あの出来事の背景にある恐ろしい事実だ。
(エルディラントの軍が町を攻撃したのはなぜだ……?)
未来を見通す力は彼女には遠く及ばない。
その彼女でさえ分からないことを彼が分かるハズがなかった。
「遅かったな」
先に離着陸場に来ていたグランは、普段着ともいえる紺色のケープを羽織っている。
「ちょっと考え事をしていたんだ」
遅れた理由を説明した彼に、
「私もしていたが5分でやめた」
グランは遅れなかった理由を説明した。
「分からないことばかりだ。悩むだけ無駄だと悟ったよ」
あれこれ思案するアシュレイとは反対に、彼は思考を手短にまとめたがる傾向がある。
二人は待機している艦の間を縫うように歩いた。
何隻かの艦を迂回した先に、彼らの乗る巡洋艦が待機している。
旧式だが速力があり、装甲も厚いため現在でも生産されている人気の型だ。
「お待ちしておりました。皇帝に命じられ、準備はできております」
艦長のレイーズが二人の姿を認めて敬礼した。
この女はまだ若いが、上官の命令に忠実で且つ、非常時の判断に優れている。
プラトウに赴くにあたってグランが同行を希望した人物だった。
「ああ、すまなかった。すぐに飛べるか?」
「はい、至急と伺っていますので、今すぐにでも」
「きみを推薦してよかった」
職務に誠実な彼女を持たせたことを、グランは申し訳なく思った。
「お乗りください。お部屋まで案内させます」
艦は起動状態に入っており、指示があればただちに浮上、航行が可能だ。
このエリミータ級巡洋艦は戦線を拡げる目的で建造された。
同時期に開発された巡洋艦に比して火力は劣るものの航行速度に優れている。
反面、構造上の問題からAGSの動力源であるミストの変換効率が悪く、稼働には大量の石が必要となる。
しかし少々の燃費の悪さは運用の支障にはならない。
足りなければ搾り取ればよいだけだ。
二人はそれぞれの部屋に通され、浮上までのわずかな時間を外を眺めて過ごした。
室内には必要なものがひととおり揃っているが、特に関心を引くものはない。
そもそも有事に備えて休息をとるための場所であるから、重鎮のために設えられたとはいえ内装も質素だ。
アシュレイは離着陸場の向こうを見やった。
ミス・プレディスの話によればあの時、溢れ出した光は世界を呑み込んだという。
となれば今、視界の中にあるこの光景もまるごと光に覆われることになるが、はたしてそんなことがあるのだろうか。
彼が再び思考の渦に沈みかけた時、艦内放送が離陸する旨を伝えた。
(行けば分かるか……)
考えることを止め、アシュレイは代わりに昨日のやりとりを思い出した。
刺すような冷たさが皮膚を叩く。
いずこかへと飛ばしていた意識が戻ってくる。
が、気分は晴れないままだった。
「お疲れのようですね。襟も曲がっていますよ」
彼の身の回りの世話をする女が言った。
衣服の調達や武具の手入れ、その他の雑用が彼女の仕事だ。
「この国の人間なら皆、いつも疲れてるよ。きみもそうだろう?」
ねぎらいも込めてアシュレイは言った。
「疲れる、だけならよいのですが……」
彼女は朝日を眺めて呟いた。
ここからでは空が少し濁っていて、陽光の美しさを拝むことができない。
「そう不安になるな。ただの視察だよ。危険なことは何もないんだ」
彼は半分は自分に対して言った。
「私にできるのはお世話と心配だけですから」
女は悲観と皮肉を交えて返す。
「それで充分だ。人にはそれぞれ役割があるからね」
この男は誰に対しても優しい。
重鎮と持て囃され、ペルガモンにも一目置かれる存在だからといって、安易に驕ったりはしない。
「行ってほしくはありませんが、そろそろお時間です……」
動きやすい衣服にマントを羽織ったアシュレイは窓を閉めた。
任地に赴く者はその所属に応じた制服の着用が義務づけられているが、文官武官の枠を超越した存在という意味で、重鎮だけは自由な服装を認められている。
彼らは敵を含めて周囲に威圧感を与えないように、武力を表す軍服は極力避けてきた。
「荷物は私が持って行くよ。軽かっただろう?」
これは簡単な任務だと主張するように、彼は片手に持ったバッグを上下させた。
「はい……」
この瞬間が彼女には最もつらい。
こう言って宮殿を後にし、“戦没者報告”と書かれたたった一枚の紙切れとなって帰ってきた者は数えきれない。
今はアシュレイのために宛がわれているこの部屋も、かつて戦死した者が寄宿していた場所だった。
「どうか、どうかお気をつけて」
不安そうな彼女に紳士的な笑みを見せ、彼は離着陸場に向かった。
(役割……)
彼はたった今、自分が発した言葉を頭の中で繰り返した。
胸を痛める彼女にかけた励ましだったが、元はミス・プレディスが使った言葉だ。
(プラトウで何かが起こる。私たちはその時、そこにいるのか? それとも……)
すぐに起こるのか、あるいは何年後かに起こるのか、彼は考えた。
ミス・プレディスの珍しく不明瞭な予知能力は、プラトウで起こることはもちろん、その時期についても明らかにはできなかった。
彼女の家で見たあの眩い光は、もしかしたらアシュレイたちが天寿を全うした後の出来事かもしれないのだ。
(仮に居合わせたとして、私に何ができるんだ? 私の役割は……?)
思い悩むのは役割の問題だけではない。
あの出来事の背景にある恐ろしい事実だ。
(エルディラントの軍が町を攻撃したのはなぜだ……?)
未来を見通す力は彼女には遠く及ばない。
その彼女でさえ分からないことを彼が分かるハズがなかった。
「遅かったな」
先に離着陸場に来ていたグランは、普段着ともいえる紺色のケープを羽織っている。
「ちょっと考え事をしていたんだ」
遅れた理由を説明した彼に、
「私もしていたが5分でやめた」
グランは遅れなかった理由を説明した。
「分からないことばかりだ。悩むだけ無駄だと悟ったよ」
あれこれ思案するアシュレイとは反対に、彼は思考を手短にまとめたがる傾向がある。
二人は待機している艦の間を縫うように歩いた。
何隻かの艦を迂回した先に、彼らの乗る巡洋艦が待機している。
旧式だが速力があり、装甲も厚いため現在でも生産されている人気の型だ。
「お待ちしておりました。皇帝に命じられ、準備はできております」
艦長のレイーズが二人の姿を認めて敬礼した。
この女はまだ若いが、上官の命令に忠実で且つ、非常時の判断に優れている。
プラトウに赴くにあたってグランが同行を希望した人物だった。
「ああ、すまなかった。すぐに飛べるか?」
「はい、至急と伺っていますので、今すぐにでも」
「きみを推薦してよかった」
職務に誠実な彼女を持たせたことを、グランは申し訳なく思った。
「お乗りください。お部屋まで案内させます」
艦は起動状態に入っており、指示があればただちに浮上、航行が可能だ。
このエリミータ級巡洋艦は戦線を拡げる目的で建造された。
同時期に開発された巡洋艦に比して火力は劣るものの航行速度に優れている。
反面、構造上の問題からAGSの動力源であるミストの変換効率が悪く、稼働には大量の石が必要となる。
しかし少々の燃費の悪さは運用の支障にはならない。
足りなければ搾り取ればよいだけだ。
二人はそれぞれの部屋に通され、浮上までのわずかな時間を外を眺めて過ごした。
室内には必要なものがひととおり揃っているが、特に関心を引くものはない。
そもそも有事に備えて休息をとるための場所であるから、重鎮のために設えられたとはいえ内装も質素だ。
アシュレイは離着陸場の向こうを見やった。
ミス・プレディスの話によればあの時、溢れ出した光は世界を呑み込んだという。
となれば今、視界の中にあるこの光景もまるごと光に覆われることになるが、はたしてそんなことがあるのだろうか。
彼が再び思考の渦に沈みかけた時、艦内放送が離陸する旨を伝えた。
(行けば分かるか……)
考えることを止め、アシュレイは代わりに昨日のやりとりを思い出した。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
莫大な遺産を相続したら異世界でスローライフを楽しむ
翔千
ファンタジー
小鳥遊 紅音は働く28歳OL
十八歳の時に両親を事故で亡くし、引き取り手がなく天涯孤独に。
高校卒業後就職し、仕事に明け暮れる日々。
そんなある日、1人の弁護士が紅音の元を訪ねて来た。
要件は、紅音の母方の曾祖叔父が亡くなったと言うものだった。
曾祖叔父は若い頃に単身外国で会社を立ち上げ生涯独身を貫いき、血縁者が紅音だけだと知り、曾祖叔父の遺産を一部を紅音に譲ると遺言を遺した。
その額なんと、50億円。
あまりの巨額に驚くがなんとか手続きを終える事が出来たが、巨額な遺産の事を何処からか聞きつけ、金の無心に来る輩が次々に紅音の元を訪れ、疲弊した紅音は、誰も知らない土地で一人暮らしをすると決意。
だが、引っ越しを決めた直後、突然、異世界に召喚されてしまった。
だが、持っていた遺産はそのまま異世界でも使えたので、遺産を使って、スローライフを楽しむことにしました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
彼女が望むなら
mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。
リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる