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1章 嫌われ王女、大国に嫁ぐ
幼王子はお年頃
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温かいパンにスープと、気のしれた仲間――ひとりですけれど――との朝食は、心を強くしてくれます。
王子の使者が私の元へ赴いたのは、そういった団欒のさなかでしたから、私ますます王子への苛立ちを収めることができませんでしたの。
王子の使者が言うのには、私を王子の奥様方に紹介するお茶会を開きたい、とのこと。
病で伏せる、という理由付けになるかもしれないとカリアに説得され、私は仕方なしにその場に赴きました。
「カリア、私の匂い、大丈夫かしら?」
「消臭の魔法と合わせて、リントを蒸して服に重ねました。王子とその奥様方がご用意された香水を多めに使用しておりますので、気づく者はいないかと」
そう言うカリアは、焼きたてのパン特有の、少し酸っぱくくて香ばしい匂いが漂っています。
「ごめんなさい、焼きはじめのパンの香りが定着しやすいのを、忘れていたわ」
「――いいえ」
香水は服にまぶし、私の服には一切触れておりません。香水は本来それぞれの体臭と混じり時間によって香りを変えるものですから、私はカリアの提案に乗り、消毒・消臭にもなるリントという植物の精油を蒸して服になじませております。これで一応、私なりの香りになるはずですわ。
カリアにも、と思ったのですけれど遠慮されてしまいました。
パン屋には馴染み深い香りも、過ぎれば毒となりますのに、私はやはり愚鈍ですわ。
本日の私のドレスは、ベルベットの赤。上出来な赤ワインのように、黒く赤く、これと同じように、きめ細やかなレースで包まれておりますの。
筋肉質な二の腕を隠すには、模様が複雑で歩くたびに揺れる黒いレースがぴったりですわ。もちろんそれだけでは悪役になってしまいますから、ベルベットで上品に艶のある深い赤色を選びました。
きつい化粧と相まって、私蝶のようにきらびやかですわ。ふふふ。こういった仮装も記念になりますわね。
私だって女の子ですもの。
毎日パンの粉に囲まれて、常連の冷やかし小僧にからかわれるような合間に、こういった華麗な装いにも憧れますわ。
王子の奥様方は、清楚が少しだけ色を付けたような、淡い色合いを好まれます。しかしながら上品な装飾はとても手が込んでいて、私の衣装担当の商会にもこの美しさはお伝えせねばなりません。
私の衣装はすこしばかり変わっていますけれど、その分挑戦ができると、前向きな言葉を出立前に耳にいたしましたし、そういった職人にはきちんと褒美をとらせねばなりません。
私の衣装は、この場では明らかに趣向が違いますので、皆様は少し驚かれた様子。それでも口元に笑みを浮かべる淑女の皆様に感嘆致します。
そう思いながら、私笑みを返しました。
布地と同じように、黒の混じった赤が綺羅びやかな口紅が、私の唇を彩ります。
ああ、そう言って最後に視線を合わせたお方。
その容姿は間違いなく、正妃アルミナ様です。
薄く柔らかな生地がふわふわと、細身のドレスに漂っていて、それはそれは上品ですわ。
その衣装に合うような、整えられた爪の色は青。
ゆったりと佇むそのお姿は、氷の女王か海の女神、といったところですの。
氷の女神と言っても、それは姿形だけで、その瞳には穏やかな色が浮かんでおります。
物語でしか想像のつかないような、そんな美しさがそこにありますの。
私パン屋の娘になる前に、ちょっとだけ、すこしだけ、王子様の人質嫁になったことを感謝いたしました。
二度と会うことの出来ない、そんな美しさがこの一室に込められておりますわ。
もちろん、リーダーとなっておられるアルミナ様以外にも、その場にいらっしゃいます。人数から見て、どうやら王子はすべての妃を紹介してくださるよう。皆様麗しくて羨ましいわ。
「ようこそ」
そう、声をかけられて、その鈴の鳴るような、キラキラと澄んだ声がお美しくて、私、ほうとため息をついてしまいました。
「私の名前はアルミナ・マルティミナ・アショーカと申します。
……クロヴィエ様の正妃として、貴女を歓迎いたします。
――こちらが、息子のジェイ。クロヴィエ様と似て、とても利発で好奇心が旺盛なのです。聖女様のお話も聞きたいと、貴女が来る前から楽しみにしていたのよ」
この王家のご息女様方は、お昼寝や勉強のため同席できないそうです。残念ですわ。
小さいこの子どもは、幼い頃の王子と似ていなくもありません。そう、私と顔見せをした八歳の誕生祝いのお茶会で微笑みかけてそのまま妹に見惚れたバカ王子の幼少期ですわ。
お子様に睨まれるという事態に、平然としていられますのは、そういった経験を重ねてのことです。
私この子どもと、後ろの従者の姿に少し見覚えがありまして、思わず眉をしかめてしまいましたわ。
「ジェイ――すみません、まだ人見知りをする時期で」
アルミナ様が、そう言って幼王子を下がらせます。奇しくも私と幼王子が微笑んだのは同時でした。こちらに向ける視線がうっとおしくて、私早口でお伝えしました。
「お気になさらず。
私、貧相な従者を連れた方とは、お話をしないことにしておりますの」
平静を装いながらも、一瞬だけよろめいたその従者は、明らかに体調を崩しております。
従者は主人の鏡。
従えるべき相手の体調も鑑みることのできないなんて、恥ずかしいとは思わないのかしら。――私も人のことは言えないけれど。
幼い王子に一度非難の目を向け、すぐに視界から外しました。
王子の使者が私の元へ赴いたのは、そういった団欒のさなかでしたから、私ますます王子への苛立ちを収めることができませんでしたの。
王子の使者が言うのには、私を王子の奥様方に紹介するお茶会を開きたい、とのこと。
病で伏せる、という理由付けになるかもしれないとカリアに説得され、私は仕方なしにその場に赴きました。
「カリア、私の匂い、大丈夫かしら?」
「消臭の魔法と合わせて、リントを蒸して服に重ねました。王子とその奥様方がご用意された香水を多めに使用しておりますので、気づく者はいないかと」
そう言うカリアは、焼きたてのパン特有の、少し酸っぱくくて香ばしい匂いが漂っています。
「ごめんなさい、焼きはじめのパンの香りが定着しやすいのを、忘れていたわ」
「――いいえ」
香水は服にまぶし、私の服には一切触れておりません。香水は本来それぞれの体臭と混じり時間によって香りを変えるものですから、私はカリアの提案に乗り、消毒・消臭にもなるリントという植物の精油を蒸して服になじませております。これで一応、私なりの香りになるはずですわ。
カリアにも、と思ったのですけれど遠慮されてしまいました。
パン屋には馴染み深い香りも、過ぎれば毒となりますのに、私はやはり愚鈍ですわ。
本日の私のドレスは、ベルベットの赤。上出来な赤ワインのように、黒く赤く、これと同じように、きめ細やかなレースで包まれておりますの。
筋肉質な二の腕を隠すには、模様が複雑で歩くたびに揺れる黒いレースがぴったりですわ。もちろんそれだけでは悪役になってしまいますから、ベルベットで上品に艶のある深い赤色を選びました。
きつい化粧と相まって、私蝶のようにきらびやかですわ。ふふふ。こういった仮装も記念になりますわね。
私だって女の子ですもの。
毎日パンの粉に囲まれて、常連の冷やかし小僧にからかわれるような合間に、こういった華麗な装いにも憧れますわ。
王子の奥様方は、清楚が少しだけ色を付けたような、淡い色合いを好まれます。しかしながら上品な装飾はとても手が込んでいて、私の衣装担当の商会にもこの美しさはお伝えせねばなりません。
私の衣装はすこしばかり変わっていますけれど、その分挑戦ができると、前向きな言葉を出立前に耳にいたしましたし、そういった職人にはきちんと褒美をとらせねばなりません。
私の衣装は、この場では明らかに趣向が違いますので、皆様は少し驚かれた様子。それでも口元に笑みを浮かべる淑女の皆様に感嘆致します。
そう思いながら、私笑みを返しました。
布地と同じように、黒の混じった赤が綺羅びやかな口紅が、私の唇を彩ります。
ああ、そう言って最後に視線を合わせたお方。
その容姿は間違いなく、正妃アルミナ様です。
薄く柔らかな生地がふわふわと、細身のドレスに漂っていて、それはそれは上品ですわ。
その衣装に合うような、整えられた爪の色は青。
ゆったりと佇むそのお姿は、氷の女王か海の女神、といったところですの。
氷の女神と言っても、それは姿形だけで、その瞳には穏やかな色が浮かんでおります。
物語でしか想像のつかないような、そんな美しさがそこにありますの。
私パン屋の娘になる前に、ちょっとだけ、すこしだけ、王子様の人質嫁になったことを感謝いたしました。
二度と会うことの出来ない、そんな美しさがこの一室に込められておりますわ。
もちろん、リーダーとなっておられるアルミナ様以外にも、その場にいらっしゃいます。人数から見て、どうやら王子はすべての妃を紹介してくださるよう。皆様麗しくて羨ましいわ。
「ようこそ」
そう、声をかけられて、その鈴の鳴るような、キラキラと澄んだ声がお美しくて、私、ほうとため息をついてしまいました。
「私の名前はアルミナ・マルティミナ・アショーカと申します。
……クロヴィエ様の正妃として、貴女を歓迎いたします。
――こちらが、息子のジェイ。クロヴィエ様と似て、とても利発で好奇心が旺盛なのです。聖女様のお話も聞きたいと、貴女が来る前から楽しみにしていたのよ」
この王家のご息女様方は、お昼寝や勉強のため同席できないそうです。残念ですわ。
小さいこの子どもは、幼い頃の王子と似ていなくもありません。そう、私と顔見せをした八歳の誕生祝いのお茶会で微笑みかけてそのまま妹に見惚れたバカ王子の幼少期ですわ。
お子様に睨まれるという事態に、平然としていられますのは、そういった経験を重ねてのことです。
私この子どもと、後ろの従者の姿に少し見覚えがありまして、思わず眉をしかめてしまいましたわ。
「ジェイ――すみません、まだ人見知りをする時期で」
アルミナ様が、そう言って幼王子を下がらせます。奇しくも私と幼王子が微笑んだのは同時でした。こちらに向ける視線がうっとおしくて、私早口でお伝えしました。
「お気になさらず。
私、貧相な従者を連れた方とは、お話をしないことにしておりますの」
平静を装いながらも、一瞬だけよろめいたその従者は、明らかに体調を崩しております。
従者は主人の鏡。
従えるべき相手の体調も鑑みることのできないなんて、恥ずかしいとは思わないのかしら。――私も人のことは言えないけれど。
幼い王子に一度非難の目を向け、すぐに視界から外しました。
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