白と黒

上野蜜子

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第5章

反省と宥恕 5

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そして忙しい日々が一瞬で時間を溶かしてゆき、ついに恐れていた金曜夜になってしまったわけなのですが…

せっかくのお誘いに対してこんなに後ろ向きな感情なのは本当に申し訳ないが、未だに多方面に対して葛藤しており…

近頃の自分があまりにも愚かで愚かで、全ての事象は自分によって引き起こされてしまっていることにやっと気付いたので、

とにかく今日は飲みすぎないこと、酔わないこと、仕事の延長線上の飲みだということをしっかり自覚し、発言には責任を持ち、つつがなく1日を終えることを目標にしようかと思う。

とりあえず、みどりさんから処分するよう言われていたハンカチは、お兄様である吉川さんに返すためにしっかり持って来た。包みにもちゃんと入れた。

吉川さんから送られて来た待ち合わせ場所にもちゃんと着いた。肩を上げて猫背を直す。

よし、大丈夫だ。今日は仕事!俺は総務部の黒原三芳!何を提案されても、どう営業をかけられても、上司と相談してみます。一択!期待させるような返事はしない!

これは遊びじゃなくて、仕事の飲み会!気合を入れて終わらせよう……

…あぁ……

気が重いな……

「あ、吉川さん!お世話になっております」

一瞬で猫背になった姿勢をぴしっと直し、会釈して近付いてくる吉川さんに向かって一礼。

「お世話になっております。すみません急なお誘いにも関わらず、お仕事終わりにお越しいただいて。ここ、迷いませんでしたか?」

「大丈夫です、目印なども送って下さっていたのですぐ分かりました」

「それはよかったです。バーはすぐそこにあるんです、行きましょうか」

しっかりまとまった髪型、ピシッと清潔感のあるシワのないスーツ、ものすごく爽やかな笑顔、無駄のない動き。

いつもの会社でのやりとりを知っているだけに、一挙手一投足が本当に洗練されており、ますますスーパー営業マンに見えてくる。

油断して変な返事をしないように…気を付けよう…

吉川さんの言う通り、3分ほど歩いた先に暖色系の光が漏れ出すいかにもお洒落なダイニングバーがあった。

ドアを開けると、とにかく暖色、赤茶色、薄明るいのに瓶に反射した光がキラキラ、言うなればラグジュアリー。カウンター席の奥に並ぶ酒の瓶も、もはや装飾品のように光を集めている。オシャレすぎて、日本語のメニューなんてないんじゃなかろうか。

カウンター席に1組、テーブル席に2組の先客がいるが、店内全員オシャレな錯覚すらある。吉川さんには似合う雰囲気だけど、俺この店入って大丈夫ですか??

案内されカウンター席に座るが、なんか俺だけ浮いてる気がする。やばい。帰りたい。オシャレすぎる。バーはバーでもカジュアルな雰囲気のところしか入ったことない。ここは俺にはあまりにも格調高すぎるのでは?いやけど吉川さんのオススメだし。いや、このイケメン営業のオススメって時点で入るのはこういうバーだと想定しておくんだった…

「さ、黒原さん何頼みますかね。苦手なものとかありますか?」

「あ、いや特には…吉川さん何か頼みたいものありますか?」

「そうですねぇ…あ、これ、ここのオリジナルカクテルなんですけどアペリティフとしてもおすすめですよ。もしお酒弱くなければこちらいかがです?」

ア…アペリティフってなんだ…?入ってすぐのアルコールだし、ニュアンス的に食前酒のことか?

そんなオシャレな言い方があるのか…けど空きっ腹だからな、酒弱いわけではない…と思うが、絶対飲み過ぎたくないし。どうするかな…

と時間にしては一瞬の間にグルグル悩んでいると、

「もし不安なら、これとか…さっぱりしてて、そこまで強くないものもありますよ」

どれもどんな酒なのか全くわからない名前をしている。

だめだワインぐらいしか分からな……いや、ワインも分からん。英語と下に書かれたカタカナの羅列。いや、英語かどうかも分からない。これ、よっぽどお酒好きとか詳しい人じゃないとまともに注文できないんじゃないの…

「じゃあ…胃が心配なので、そちらを頼ませて頂こうかな…」

「お料理は…ピザがシェアしやすいかと思いますが、他にも色々ありますよ。僕はソーセージ盛り合わせも好きです。サラダは2種類ですね、どちらか頼みますか」

「あ、…っと、サラダはシーザーサラダとかどうでしょう?ピザだと…オリーブとアンチョビのピザが美味しそうでいいですね…というか全部美味しそうなお料理名ですが…」

「シーザーサラダ、僕も好きです。チャームも日替わりで美味しいですよ、今日は何が出てくるか楽しみです」

チャーム…ってなんだ…

小学生の頃女子がカバンにちゃらちゃら付けてたやつしか思い出せない。

アペ…なんとかのカクテルと料理を頼むと、吉川さんが少し真面目な顔になる。

営業…く、来るか…?

「今日お誘いしたのは…もちろん、妹の件もあるのですが…」

なんだ…なんだ…?

「また後日改めてご挨拶の時にお伝えはしに行きますが、この度担当エリアが変わることになったんです。黒原さんにはとても良くして頂いていたし、挨拶してさよなら…にはしたくなかったので…勝手で本当にすみません」

「え!そうだったんですか…吉川さんには新店準備の際もこちらの色々な要求を通して頂いていたので…そうかぁ、残念です」

「また後任と一緒にご挨拶に伺います、正式な挨拶前に本当にすみません。黒原さんにだけはどうしてもお話ししておきたかったので、今日お誘いさせていただきました」

な、なんで俺だけ…?

新店の件だって、一番やりとりしていたのは社長と部長のはずだし、俺って言ってしまえばそこまで濃い関わりはなかったと思うんだけど…

「ではまだ…社内では他言しないようにしますね。環境が変わるとお忙しくなるでしょうから、無理されずに過ごしてください」

とりあえず当たり障りのない返事をするが、なぜ俺?何かしたっけ?酒飲めるって話から?他に何の話したっけ。ペットの話とか生活の話とか少しだけした気がするけど…余計なことは極力話さないようにしてるから、何を話したか全然思い出せない。

「お心遣い、痛み入ります。黒原さんはいつもお優しいですね。取引先の方に言うことではないのかもしれないのですが、黒原さんには何度も救われてきましたよ」

「ええ?いやいやそんな!僕は何も…」

ちょっぴりしんみりとした雰囲気になりかけたところで、失礼いたします、とカクテルと何だかオシャレな…チーズ?バター?が目の前に置かれる。

「キールロワイヤルと、アペロールです。本日のチャームはクリームチーズのサラミになります」

クリームチーズの…サラミ…!

サラミといえば太いカルパスみたいなものしか見たことがなかったので、白いサラミもあるのだと衝撃を受けた。

「暗い雰囲気にしてしまって、すみません。頂きましょうか」

「いえ、とんでもないです…頂きましょうか。乾杯」

そっとグラスを合わせて、キールロワイヤルという初めて見る、初めて飲むカクテルをくいっと口につける。

…う!!

…うまい!!

「黒原さん、お味はいかがです?」

「コレ…すごい飲みやすいですね!甘みはあるけどさっぱりしてて、炭酸も優しい…」

「良かったです、お勧めした手前、お口に合わなかったらどうしようかと!」

「良かったです、お勧めされたものを頼んでおいて…こちらも頂きます」

クリームチーズのサラミにフォークを通す。

むちっとしたテクスチャー。フルーツとナッツが入っているのか?綺麗な見た目…

「…ん!!これも美味い…」

濃厚なクリームチーズに、ドライフルーツの甘味が良いアクセント…細かいナッツの食感も良い!

「でしょう!よかった、気に入っていただけて。お酒飲まれるって伺ってから、ずっとご一緒したくて。喜んでいただけたなら嬉しいです」

「いや、こちらこそ!こんな美味しいところに連れてきていただけて、嬉しいです」

これ、めっちゃくちゃ美味いぞ!

多分チャームって、お通しって意味なんだろうな!!

クリームチーズのこってりした後味が、カクテルでさーっと流されていく…

なんだこの食べ合わせ。飲み合わせ?これはやばい。進みすぎる。怖いぞコレ。

「先ほど胃のこと心配されてたので、これが出てきてちょうど良かったですね。確かチーズってアルコールと組み合わせが良いんですよ」

「へぇ!そうなんですか…じゃあ安心ですね。ここは行きつけなんですか?」

「恥ずかしながら、1人でよく来てます…パートナーがいるわけでもないので、自由に飲み食いしてます。おかげ様でどんどんメニューに詳しくなってきてしまいました」

にこっと、仕事中には見られないような緊張感の抜けた笑顔。

本来はこういう笑顔の人なんだな…。酒の場ってすごいよな、普段見られないような表情が簡単に見えるんだから。

そしてやばい、このチーズのサラミとやら…美味すぎてカクテルがどんどん減っていく…ペース早くなるな。気を付けないと。

「あ、お次は何にしますか?そろそろ料理も来ると思いますよ」

「えー…っと、そうですね…お酒詳しくなくて、何かオススメありますか?」

「そうですね…テキーラに抵抗とかあります?」

「て、テキーラは…!飲んだことも数回しかないですが、強すぎてちょっと僕には無理かも…」

「はは、そうですよね。僕も同じです!そのままだと僕もちょっと厳しいんですけど…」

メニュー表を指差しながら吉川さんが続ける。

血管張った、ゴツゴツした手。長い指の先に目をやる。

「このマルガリータっていうカクテル、テキーラベースなんですけど、ライムジュースが入っていて薄まってるし、僕でもすごい飲みやすいんです。美味しいのでオススメですよ」

マルガリータは聞いたことあるぞ。確か塩がくっついてるやつだ。飲んだことないけど。

「本当ですか?吉川さんのオススメなら…それにしようかな。吉川さんは何を頼まれるんですか?」

「僕は…黒原さんのキールロワイヤル見てたら、スプリッツァー飲みたくなってきたかな。ある程度のカクテルなら風味とかも分かるんで、遠慮なく言ってくださいね」

お、おおお…!心強い…

吉川さんがいなければ、スマホでいちいち検索しないとどんな酒なのかも全く分からないところだった。

いや、吉川さんがいなければこんな洒落てる店にはそもそも入らないんだろうけど。

実はワインやウイスキーよりもカクテルの方が好きだったりするので、色々教えて勧めてくれるのはありがたい。

吉川さんも、営業は全く仕掛けてこない。

酒が回ってきているのか、何となく気分も高揚してきている。

段々と、今の状況が楽しくなってきている自分がいる。まずい、安心しきることなく、ちゃんと仕事の一環だと思って臨まないと…。

段々とほどけていく思考になんとなく気付きながらも、酒の力には抗えない。どこまでも愚かな俺…

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