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第9章
遺恨と外泊 2
しおりを挟む日中はあんなに有頂天だったのに、誰もいない狭くて小汚い自分のアパートに帰ってくると一気に寂しさが襲ってくる。
3泊もしてしまったからかもしれない。白石さんと2人で過ごす時間が増えれば増えるほど、今までずっと1人で生活して来たはずなのに孤独感と違和感を強く覚える。
本当に酷い部屋だ…この家には白石さんをとてもじゃないけど呼ぶことはできない。
狭い上に散らかっているし、何より白石さんには説明しづらい感じの痕跡が多い…。
もう住み始めてから10年以上経ったし、退去費用もそこまで多くかからないだろう…と思いたい。
白石さんの家から職場までは本当に歩いてすぐで、今朝も白石さんに合わせて早く出たとは言ってもものすごく出勤が楽だった。時間と心の余裕が全然違う。
会社さえ近ければ駅から離れててもまあいいかなとは思うけど、あのあたりは賃料いくらぐらいなんだろう…調べたこともなかった。
引っ越ししたいと思っているだけでまだ何もしていない。とりあえず賃貸をぼちぼち探し始めて、更新の時期に合わせて引っ越しできるようにしていかないと…。
何より家近くなったら今よりもっと会いやすくなるし!いや今でも会おうと思えば毎日だって会えるんだけど。それこそ家が近所なら会わない理由が逆に無くなるな。
白石さんの方が仕事終わるの早いし俺は残業もぼちぼちあるから、帰り時間が被ることはないけど…
そういえば以前は買い物に出て来た白石さんとたまたま遭遇したんだよな。今なら迷いなく一緒に買い物しましょ~とか言って2人でスーパー回って…
なんか美味しそうな酒とか見付けて今度一緒にこれ飲みましょうよとか言って宅飲み計画とか…
うちにプレートがあるし、2人でたこ焼きパーティーとかお好み焼きパーティーとか、生春巻きパーティーなんかも楽しそうだ…
やばい、幸せな妄想をしてしまった。浮かれすぎてる。やめよう。
とりあえず妄想よりこの家だよこの家。引っ越すにしても今のうちからせめて何がどこにあるかは分かるような状態にしておかないと。
まず二日酔いとか体調不良の時に本当に困るので市販薬は市販薬でまとめておきたいし昔もらった処方薬はちゃんと捨てておきたい。
白石さんはいつもサッと色んなものがすぐに出て来てすごいな。あんな広い家なのに。俺はこんなに狭い部屋に住んでてもあらゆるものが一瞬で無くなるというのに…。
無くすたびに新しく買って来てしまうものだから、この部屋をひっくり返したら大量の痛み止めが出て来そうだ。こういう雑なの本当に良くない…。
と、その時、ちらっとベッドの上に置いたスマホの画面が光ったのが見えて思わず飛びつく。
白石さんか!?と思って通知を確認するが、非常に残念なことに公式アカウントからのメッセージだった…。
こういう時、いっそのことミュートにしてしまおうかとすら思う。白石さんだと思って期待して損した気分だ。
白石さんにはまた連絡しますと言って朝別れたわけだけど、どう連絡をしたら良いか分からない。
今まで白石さんとどうでもいいこと送り合ったりとかしたことないし。どちらかというと会う予定決めたりとか割と業務連絡感あったからなぁ…
恋人ってこういうのどうするんだっけ…
そして何より今週はどうするんだろうか。付き合ったからって毎週会うのはおかしいか?
最初から飛ばしすぎてもきっと良くないし…向こうから何か振られたら予定を立てればいいのかな。
まじで恋人ってこういうのどうするんだろう…恋人同士ってどんな連絡するの…?
けどさすがに今週末も会うとなると、連続で会いすぎだよな。もちろん会いたいんだけど、毎週会ってお互いしんどくなるのもどうかと思うし…
会うのも連絡も頻度をこれからどうしたら良いのか全く分からない。
恋愛偏差値があまりにも低すぎる。最後に付き合ってたのなんて10年前のことだから…その時どんなやりとりをどんな頻度でしてたかなんて全く思い出せない。
そもそも連絡なんて取り合ってたっけ…。
とりあえず今日は帰宅報告と、改めてのお礼のメッセージを送ってみることにする。
あ~…今朝まで一緒にいたはずなのに、もう寂しいし会いたい。これ良くないな、距離感おかしくなる。
メッセージを送信して、よしっとスマホを閉じようとすると突然着信。白石さんか!?と期待したが、見知らぬ番号からだ。
愚かにも、何も考えずに受話ボタンをタップしてしまう。
「…はい?どちら様…」
『あ、三芳!桃華だよ~ほんとに番号変わってないんだね』
「…!!」
スピーカー越しに聞こえてくる声と喋り方に、一気に血の気が引く。
も、元カノ…!
なんで?理解が追いつかない。なんでこいつから電話がかかってくるんだよ!?
連絡先変わってないかとは聞かれたけど、まさか本当にかけてくるとは思わないだろ。
やばい、電話出るんじゃなかった。
普段は登録していない番号からの電話は調べてから出るはずなのに。
今日に限って浮かれて、完全に油断していた。
変な汗が出てくる。鳥肌が立っている。
何も返事が出来ずにいると、くすくすと電話口から笑い声が聞こえてくる。
『レストランでもそうだったね…何も喋らないの?私のこと忘れちゃったわけじゃないよね?』
やばい。やばい。やばい。
何か喋らないと。
いや、むしろ何も喋らずに切るべきか?
けどそんなことしたらどんな目に遭うか分からない。
そもそもこの女はなんで何事もなかったかのように連絡して来れるんだよ…。
わけがわからない。むしろ何もかも忘れてんのはお前の方だろと言いたい。
頭に白石さんの顔が浮かぶ。
あの時は白石さんが横にいてくれてたけど…今は1人だ。自分でなんとかしないと…!
「…な、何の用…?」
喉から搾り出すようになんとか口に出す。
たったそれだけの返事をしただけなのに、もう息苦しい。
落ち着いて息しないと…白石さんは吸うより吐くようにあの時言ってたよな。落ち着け自分…!
白石さんの真似をして、胸に手を当ててマイクから口を離し、ゆっくり息を吐く。
吐き切って吸うを繰り返すんだよな。白石さんありがとう…!
『久しぶりに三芳の声聞いた気がするね~。なんか飲みに行きたいな~と思ってさ。最近婚活してるんだけどやっぱ三芳が1番優しかったな~って思い出したんだよね』
息を整えながら、スラスラと出てくる突飛な発言をなんとか鼓膜で捉える。
何言ってんだこいつ…?
婚活と俺と、何の関係があるんだよ…!?
意味が分からない。全く俺に連絡してきた理由になっていない。一から十まで全て理解ができない。
ふうーっと息を吐く。
「…悪いけど忙しい、から、他当たってほしい。もう連絡もしないでほしい」
酸素と勇気を振り絞って切実な思いを伝えたはずなのに、
『……あはは!何か勘違いさせちゃった?別に三芳とヨリ戻したいとかじゃなくて、ただまた飲みたいなって思っただけなんだけど!』
「………」
少しの間の後で、軽い笑い声がスピーカーに響く。
やばい…この女と意思の疎通が取れる気がしない。
勘違いとかヨリとか飲みたいとかそういう話じゃなくて、もう連絡しないように言ったはずなんだけど…
しかしもう一押しするする勇気がもう湧いてこないし、何を言ったら良いのか何も頭に浮かばない。
こういう時…白石さんは…白石さんなら…
『…ねえ~、紺野くんはさぁ…知ってるの?全部』
「…は?」
なんで紺野…?
『三芳が出て来れないなら紺野くん誘おうかな。三芳忙しいんだもんね?』
何を言っているのか理解ができない。
『紺野くんとサシ飲み、初めてだな~。でもしょうがないよね。もう三芳には連絡しないよ』
「ちょっと…意味が分からないんだけど…」
紺野に会って何話すつもりだよ…
紺野には付き合っている間のことも別れた理由も詳しく話をしていない。
唯一の共通の知人だから?なんで?なんで今、俺なの?他にも男の知り合いなんてたくさんいるだろ、散々遊んできた相手が他にいるだろ…
『あ~あ。週末、三芳が暇だったらな~と思って連絡したんだけど。じゃあ、紺野くんに連絡しちゃって良い?』
本当に意味が分からない。
なんで俺がダメなら紺野?
これ、俺の勘違いじゃなければ脅されてるよな?
周りに知られたくない過去のことを人質に取られてるってことだよな?
なんでそこまでして俺に会う必要がある…?俺に執着する理由なんて何一つないはずだろ、考えないといけないのに…頭が全く働かない。どうしよう…どうすれば…
『ねえ、聞いてる~?』
「……俺と今更会って…どうするんだよ…」
『また仲良くしたいだけだよ。三芳はどうしたいかな』
どうしたいって…
もう関わりたくないだけなんだけど…
そうすると紺野に全部話される?なんで?何のために?桃華に何の得がある…?
どう考えても全員に損しかない行動だと思うんだけど。桃華はなんのつもりで…
働かない頭を使って考え込んでいると、
『週末、予定あるの、ないの?来れるの?来れないの?どっち?』
と追撃がきた。
だめだ何も分からない。けど一つ分かるのは、俺に選択肢なんて最初から用意されていないということ…
「………どこに行けばいい?」
『さすが三芳!SMS送るから返事してね、会えるの楽しみにしてるから!』
そう言うと、一方的に電話が切れる。
訳が分からない。
なんで紺野が出てくるんだよ…
どう考えても紺野の名前が出てくる理由が分からない。
なんで今更会わないといけないのか分からない。
俺があのレストランをチョイスしたのが悪かったってことか?
仮にもう少し時間がずれてたらこうはならなかった?
そもそも遠くに引っ越してたら会う機会もなかった?
でもそうすると白石さんと出会うこともなかった…
分からない。全く分からない。
人の生活をめちゃくちゃにしておいて、どうして今更になってこんな軽い電話がかけられるものなのか。
だめだ。理解できない。頭が痛い。
頭がおかしい。
頭がおかしくなる…
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