一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第一章 序まり

参.出遇う

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 噂の嵐が吹きすさぶ中、柚月ゆづきは一人、腰の刀に肘をかけ、街を歩いていた。

 すべての音が遠い。
 人々の、噂しあう声も。
 行きかう足音も。

 まるで柚月の周りにだけ、音が近寄ってこないようだ。
 その中を、突然、陽気なノリが貫いて来た。

「よう! 柚月」

 声と同時に勢いよく肩を組まれ、その衝撃と重みで柚月はハッと我に返った。

「なんだよ、義孝よしたか

 振り向いた柚月の顔は、見事なしかめっ面だ。
 その顔に、肩を組んできた青年はニッと笑った。

 瀬尾義孝せおよしたか

 この軽いノリの親友は、加減を知らない。
 いつものことだが、肩を組んでくる勢いがよすぎて、首が痛い。
 そしてこれもいつものことだが、義孝の方は柚月の眉間の皺など気にしていない。

「まぁまぁ、そう照れんなって」

 そう言って、柚月よりもやや整った、だが、同じく無造作な短髪の頭を、柚月の頭にぴったりくっつけた。
 その視線は、噂話に懸命な人たちに向けられている。

「ま~た人斬りが出たってよ。街中その話で持ち切りだぜ」

 義孝は楽しそうにそう言うと、柚月の顔を覗き込んだ。
 その目は、一変して、鋭い。

「昨日は、大変だったな」

 声も低くなっている。
 柚月は空に向かって一息つくと、義孝の腕から逃れ、そばにあった団子屋の長椅子に腰かけた。

「お姉さーん、団子とお茶、二つ」

 義孝が店先にいる団子屋の娘に向かって声を張る。

「はーい」

 商売人らしい、愛想の良い返事だ。
 義孝は、いそいそと店に入って行く娘の姿を見届けると、柚月の隣に腰を下ろした。

雪原麟太郎ゆきはらりんたろうが、陸軍総裁りくぐんそうさいになったらしい」

 義孝の声は、周囲を警戒するように低い。

「雪原、麟太郎?」

 柚月はピンとこない。
 義孝と同じく、低い声で聞き返す。
 聞きなれない名だ。

「まあ、知らねえよな。俺もそうだった。雪原家の五男坊らしい。代々政府の中枢を担うあの雪原家も、五男坊ともなれば影が薄い。外務職がいむしょくだったらしいからな。横浦よこうらで、外交官をしていたらしい」
「外交官から、陸軍総裁に?」

 柚月は驚いた。
 封国をしているこの国も、政府が認めた数か所の港でわずかに貿易をしている。
 横浦はその一つ、都の東隣り、都から一番近い港だ。

 だが、政府が外交に本腰を入れていないこともあり、貿易含め、外交にあたる外務職は政府内でも地位が低い。
 左遷された者が配属されることもあるくらいだ。

 一方陸軍は、この国の軍事力そのもの。
 もちろん海軍も存在するが、海外と戦などしないこの国にとって、その役目は薄い。
 軍と言えば陸軍だ。

 その長たる総裁など、従軍している者でもそうそうなれるものではない。
 まして、一外交官が任命されるなど。

 異例すぎる出世だ。

「つまり、政府が、海外の力を借りることにしたってことだろ。覚えてるか? 舶来の銃の性能の高さ。この国の銃なんて、おもちゃみたいなもんだ。違いすぎる」

 海外とのつながりが強い者を軍の中枢に置き、その力を借りて、軍事力を一気に強化する。
 その目的は、つまり。
 柚月は嫌な予感がした。

「本格的に、開世隊を武力で潰す気だ」

 義孝が柚月の心を代弁し、柚月の顔が苦々しくゆがむ。

「だとすると、いくさになる」
「それしかないだろう。それが一番手っ取り早い」

 義孝の目が、ギラリと鋭く光った。

「お待ちどうさま」

 柚月は何か言おうとしたが、団子屋の娘の愛想のいい声に遮られ、張り詰めた空気が一瞬で緩んだ。

「ありがとう。そのかんざし、初めて見るな。似合ってるよ」

 義孝の調子のいい言葉に、娘は「お上手ですね」などと照れてはいるが、嬉しそうだ。
 義孝は、そういう細かいところに、本当によく気づく。
 柚月は感心した。
 というより、あきれた、という方が正しい。
 我関せずと、一人静かに茶に口をつけた。
 その横で、二人の話は盛り上がっている。

「義孝さんと柚月さんって、ほんとに仲いいですよね。いつも一緒で」
「そりゃそうだよ。ガキの頃からの、大・親・友! だから」

 そう言って、義孝が勢いよく柚月の肩に手をまわし、茶を持つ柚月の手が大きく揺れた。

「おいっ! 茶ぁこぼれるだろ!」

 柚月はイラっとしてグイッと義孝を押しのけたが、義孝の方は楽しそうにヘラヘラ笑っている。

「まあまあ、そう怒んなよ。濡れたところで、ボロ服じゃん?」

 反省の色もない。

「うっせ、お前もだろ!」

 柚月ばかりムキになっている。
 確かに二人とも、着物も袴も随分着古した物で、薄汚れている。
 武士の象徴である刀を持っているので、一応武士と分かる。が、脇差わきざしはなく、長刀一本だけ。
 二人そろって、貧乏丸出しである。
 だが二人とも、それを悲観する様子は微塵もない。

「まぁまぁ。団子でも食えよ」

 義孝は、まだ柚月にじゃれついている。

「それ、お前の食いかけだろ⁉」

 二〇歳手前の男二人。
 団子屋の席でギャアギャアうるさい。
 だが、やはり仲がいい。
 団子屋の娘はおかしくなった。

「ごゆっくり」

 そう言って娘が店に戻っていくと、入れ替わりに女が一人、すっと通りかかった。
 その姿。

「あ」

 柚月は思わず声が出た。
 女の方も気づいたらしい。
 笑みを見せると、柚月に丁寧に頭を下げた。

「昨日は、本当にありがとうございました」

 昨夜、柚月が出逢った女だ。

「え、何、知り合い?」

 義孝は驚いて、団子を手に持ったまま、柚月と女を交互に見ている。
 無理もない。

 女は、年のころは十六・七。
 身なりからして中級の武家の娘、といったところ。本来なら、自分たちとは接点がない人間だ。

 いやなにより、かわいい。

 透き通るような白い肌。
 結い上げられた髪は絹糸の様に繊細で、やや明るく茶色がかっているのも目を引く。
 よく見ると、目の色も珍しく緑が混ざっている。

 義孝は興味津々。
 目が、誰だよ? と聞いている。

 柚月は困って頬を掻いた。
 昨夜逃げている時に会った、とも言えない。

「あ…っとぉ」

 言葉を探していると、女の後ろから男が顔を出した。
 三十代半ばから後半といったところのその男は、身なりがよく、帯刀しているところを見ると、中級か、いやそれ以上。

 それなりの家柄の武士だ。

「どうかしましたか? 椿」

 穏やかな声だ。身なりを裏切らず、落ち着きと品がある。
 そしてこの女は、椿つばき、という名らしい。

「この方が、昨日、やしきの近くまで送ってくださったのです」

 椿が紹介するように柚月を差すと、男は、ゆるりと柚月に視線を向けた。
 その瞬間。
 柚月の肩がビクリと震えた。
 
 男の目が、鋭い。

 だか、それは一瞬のこと。
 柚月は、椿との関係を変に誤解されたか、と焦ったが、そう思った次の瞬間には、男の目から鋭さがすっと消えた。
 そしてそのまま男の視線は、今度は柚月の身分でも確かめようとしたのか、柚月の刀の方に移った。

 使い込まれた、古いだけの無名の刀。
 持ち主が下級武士であることを表す以外、大した価値があるようにも思えない。

 だがその刀を見た瞬間、男の目が、わずかに見開かれた。
 ただ、それもまた、ほんの一瞬。
 男は穏やかに微笑むと、柚月に向かって丁寧に頭を下げた。

「ご親切に。ありがとうございました。帰りが遅いので心配していたのです。最近、市中も物騒ですので」
「あ、いえ」

 柚月は慌てて立ち上がり、頭を下げた。
 むしろ、巻き込んでしまって申し訳ない。とは、言えない。

「では」

 男は義孝の方にも会釈をすると、その場を後にした。
 椿も男にならい、その後ろについて行く。
 二人は街の雑踏に混ざって、見えなくなった。

「お前、どこであんなかわいい子と知り合ったんだよ?」

 義孝が茶化してきたが、柚月には義孝の声が遠い。

「…椿」

 そうつぶやくと、二人が消えた雑踏を、ずっと、じっと、見つめていた。

 胸に、何か引っかかる。
 不思議な引っかかりだ。
 だが、それが何なのか。
 分からないまま――。
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