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第一章 序まり
弐.姿なき人斬り
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「また暗殺だよ」
夜が明けると、街では人々が口々に言いあっていた。
「今度は誰だ?」
「大蔵卿、高良康景様だそうだ。梅小路でのことらしい」
「恐ろしい、恐ろしい。将軍様が変わられてから、こんなことばかりだ」
人々の顔は皆、不安にゆがんでいる。
この国は今、動乱の中にある。
事の発端は、いわゆるお家騒動だ。
決して大きくはないこの島国が、戦国の世を経て今の形になり、二〇〇年余り経つ。
各国の国主は、独自に自国を治めながら、都にある中央政府に従っている。
その中央政府の頂点たるのが、将軍である。
その将軍が、突然死んだ。
原因はわからない。
分からない、とされている。
そしてすぐに、長男、冨康が跡を継いだ。
慣例の通り。
なんら不思議も問題もない。
だがその直後、この冨康が父である先代に毒をもったのだ、という噂が流れ、事態は一変する。
「大きな声では言えないが、冨康様が父君を手にかけたのだとしても…」
「ああ、おかしくはない」
「昔から、城の中では弟君の剛夕様を推す声が強かったらしいからな」
街の噂話は尽きない。
剛夕、とは、冨康の年の近い弟である。
この弟は文武両道に秀で、幼い頃から家臣たちの信頼も厚かった。
そして何より、冨康が側室の子であるのに対し、剛夕は正室の子なのだ。
問題は、ここにある。
二〇〇年前、戦国の乱世が終わりを告げ、この国は平和を手に入れた。
できて間もない中央政府は、「封国」と称して海外との国交を断つ政策に舵を切る。
それにより、海の外の敵までいなくなった。
あるのは、平穏と安定のみ。
結果、どうなったか。
この平和な世は、見事に支配者層を堕落させた。
今や武士たちに、下剋上のような大きな変化を望む者はいない。
実力主義など、平穏を乱す悪。
大事なのは、肩書だ。
家柄、階級、身分。
生まれた家で地位が決まり、生涯変わることはない。
「母君が側室ではな。正室の子の剛夕様にはどうしても劣る」
「長男が跡を取るという慣例があると言っても、万一と言うことがある」
冨康には、町人たちでさえ簡単に想像できるほどに、焦りがあった。
では剛夕を推すか。
いや、それも難しい。
問題は、剛夕の思想にある。
「剛夕様は、幼い頃から海外文化がお好きらしいからな」
「ああ、なんでも、外交に力を入れて、この国を強くしたいとお考えらしい。お武家様たちは、そういったことは好まれないだろう」
噂する声に、嫌味が混じった。
封国は、もはや武士社会の安定の象徴。
それを脅かす剛夕の思想は、武士たちにとって危険なのだ。
結果城内は、冨康を推す保守派と、剛夕を推す革新派に二分されることとなった。
「昨夜のこともやはり、アレの仕業かの」
人々はいっそう声を潜める。
「ああ、例の。開世隊の、人斬りだよ」
城内から広まった不安の影。
それは都中に広まり、さらなる闇を引き寄せた。
都のはるか西に、「萩」という国がある。
取り立てて何があるというわけでもない、山に囲まれ、田園風景広がる国だ。
そののどかな国に、跡目争いに揺れる中央政府の混乱を見逃さない者がいた。
楠木良淳。
下級役人のこの男が、自身が開いていた私塾「明倫館」の塾生を中心に「開世隊」を結成し、兵を挙げたのだ。
そしてするりと都に入ると剛夕と接触し、あっという間に同盟を結んだ。
そうして剛夕は、軍事力でも冨康に対抗しうるだけの力を得た。
以来兄弟はにらみ合ったまま、膠着状態が続いている。
結果、都の治安は悪化。
さらにここ四年、政府の要人が暗殺されるという事案が続き、人々の不安を一層あおっている。
「大蔵卿ともなれば、護衛はたくさんいたのだろう?」
「ああ。だが、また、見事に大蔵卿だけが殺られたらしい。護衛たちは怪我こそしたが、皆生きているそうだ。ただ、いつものように、下手人の姿を見た者はいないらしい」
「またか。風のような速さだと聞くが、本当か? 物の怪の類ではないのか。人の業とは思えん」
「ああ。気味が悪い」
噂が噂を呼び、不気味さばかり増していく。
「姿なき暗殺者か…」
人々は顔を見合わせた。
背中にヒヤリと冷たい物が走る。
「栗原様が失脚されてから、ろくなことがない。」
「まったくだ。戦なら、よそでやってもらいものだよ」
都のにぎやかな通り。
行きかう人々の顔は、曇天のようだ。
夜が明けると、街では人々が口々に言いあっていた。
「今度は誰だ?」
「大蔵卿、高良康景様だそうだ。梅小路でのことらしい」
「恐ろしい、恐ろしい。将軍様が変わられてから、こんなことばかりだ」
人々の顔は皆、不安にゆがんでいる。
この国は今、動乱の中にある。
事の発端は、いわゆるお家騒動だ。
決して大きくはないこの島国が、戦国の世を経て今の形になり、二〇〇年余り経つ。
各国の国主は、独自に自国を治めながら、都にある中央政府に従っている。
その中央政府の頂点たるのが、将軍である。
その将軍が、突然死んだ。
原因はわからない。
分からない、とされている。
そしてすぐに、長男、冨康が跡を継いだ。
慣例の通り。
なんら不思議も問題もない。
だがその直後、この冨康が父である先代に毒をもったのだ、という噂が流れ、事態は一変する。
「大きな声では言えないが、冨康様が父君を手にかけたのだとしても…」
「ああ、おかしくはない」
「昔から、城の中では弟君の剛夕様を推す声が強かったらしいからな」
街の噂話は尽きない。
剛夕、とは、冨康の年の近い弟である。
この弟は文武両道に秀で、幼い頃から家臣たちの信頼も厚かった。
そして何より、冨康が側室の子であるのに対し、剛夕は正室の子なのだ。
問題は、ここにある。
二〇〇年前、戦国の乱世が終わりを告げ、この国は平和を手に入れた。
できて間もない中央政府は、「封国」と称して海外との国交を断つ政策に舵を切る。
それにより、海の外の敵までいなくなった。
あるのは、平穏と安定のみ。
結果、どうなったか。
この平和な世は、見事に支配者層を堕落させた。
今や武士たちに、下剋上のような大きな変化を望む者はいない。
実力主義など、平穏を乱す悪。
大事なのは、肩書だ。
家柄、階級、身分。
生まれた家で地位が決まり、生涯変わることはない。
「母君が側室ではな。正室の子の剛夕様にはどうしても劣る」
「長男が跡を取るという慣例があると言っても、万一と言うことがある」
冨康には、町人たちでさえ簡単に想像できるほどに、焦りがあった。
では剛夕を推すか。
いや、それも難しい。
問題は、剛夕の思想にある。
「剛夕様は、幼い頃から海外文化がお好きらしいからな」
「ああ、なんでも、外交に力を入れて、この国を強くしたいとお考えらしい。お武家様たちは、そういったことは好まれないだろう」
噂する声に、嫌味が混じった。
封国は、もはや武士社会の安定の象徴。
それを脅かす剛夕の思想は、武士たちにとって危険なのだ。
結果城内は、冨康を推す保守派と、剛夕を推す革新派に二分されることとなった。
「昨夜のこともやはり、アレの仕業かの」
人々はいっそう声を潜める。
「ああ、例の。開世隊の、人斬りだよ」
城内から広まった不安の影。
それは都中に広まり、さらなる闇を引き寄せた。
都のはるか西に、「萩」という国がある。
取り立てて何があるというわけでもない、山に囲まれ、田園風景広がる国だ。
そののどかな国に、跡目争いに揺れる中央政府の混乱を見逃さない者がいた。
楠木良淳。
下級役人のこの男が、自身が開いていた私塾「明倫館」の塾生を中心に「開世隊」を結成し、兵を挙げたのだ。
そしてするりと都に入ると剛夕と接触し、あっという間に同盟を結んだ。
そうして剛夕は、軍事力でも冨康に対抗しうるだけの力を得た。
以来兄弟はにらみ合ったまま、膠着状態が続いている。
結果、都の治安は悪化。
さらにここ四年、政府の要人が暗殺されるという事案が続き、人々の不安を一層あおっている。
「大蔵卿ともなれば、護衛はたくさんいたのだろう?」
「ああ。だが、また、見事に大蔵卿だけが殺られたらしい。護衛たちは怪我こそしたが、皆生きているそうだ。ただ、いつものように、下手人の姿を見た者はいないらしい」
「またか。風のような速さだと聞くが、本当か? 物の怪の類ではないのか。人の業とは思えん」
「ああ。気味が悪い」
噂が噂を呼び、不気味さばかり増していく。
「姿なき暗殺者か…」
人々は顔を見合わせた。
背中にヒヤリと冷たい物が走る。
「栗原様が失脚されてから、ろくなことがない。」
「まったくだ。戦なら、よそでやってもらいものだよ」
都のにぎやかな通り。
行きかう人々の顔は、曇天のようだ。
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