一よさく華 -幕開け-

いつしろ十蘿

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第一章 序まり

九.月夜に逃走る

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 かすかに、風を切る音。
 次の瞬間――!

「ぎゃっ!」

 目の前の男の悲鳴とともに、血しぶきが舞った。
 男は無抵抗に倒れ、首から血を吹き出しながら絶命している。

 と同時に、男の刀が消えた。

 闇の中で短い悲鳴のような声が続き、次々に男たちが倒れていく。
 見事に斬られている。

 何が起こっているのか分からない。
 皆うろたえ、脅え、やみくもに闇に刀を向ける。
 柚月と義孝は、動揺しながらも目を凝らし、気配をうかがった。

 何かいる。
 だが、何がいる。

 闇を睨む二人の前に、刀が一振り放られた。
 刀が地面に当たる音。
 二人ははじかれたように、その音の方を見た。

 誰もいない。

 だが、柚月はふわりと温かな風を感じ、同時に、腕を掴まれた。
 懐に誰かが入り込み、掴まれた腕が、その人物の肩にかけられる。

 知っている顔。
 だが、にわかには信じられない。

 椿だ。

 柚月は驚きで大きく目を見開き、声も出ない。
 椿は柚月を抱え起こすと、そのまま走り出した。

「お、追え!」

 事態に気づいた義孝が声を上げと、ほかの者たちが慌てて二人を追い始めた。
 椿は足場の悪い険しい道を、手負いの柚月を抱えながら器用に走り抜ける。

 速い。

 ケガをしているとはいえ、柚月はついていくのがやっとだ。
 とはいえ、肩を組んだ状態ではそう速くは走れない。
 追っ手がすぐそこまで迫ってきている。
 姿が見えた。
 追い付かれる。

 柚月が応戦しようと、椿から離れようとした瞬間、逆に椿が柚月を抱き寄せ、そのまま道から外れて、急勾配の斜面に突っ込んだ。

 低木の枝か、草か。
 なにか分からないものが、次々にぶつかってくる。
 少しでも体勢を崩せば、転がり落ちる。
 そうなれば、ただでは済まない。
 柚月は必死で全神経をとがらせた。

 一方椿は、柚月を支えながら器用に木を避け、時に斜めに伸びている木の根元を踏みつけて方向転換をし、どんどん下っていく。
 こんな急斜面なのに、滑っているのではない。
 走っている。

 男たちは、二人が飛び込んだ先を見下ろした。
 落ちていくような音は聞こえてくるが、それもどんどん小さくなっていく。
 姿は闇に消え、何も見えない。

「死んだな」

 一人がぼそりと漏らす。

「いや、死体を確認するまで安心するな」
「行くぞ」

 男たちは再び、険しい道を駆け出した。

 急斜面は、永遠に続くのではないかと思うほど長かった。

 ――…死ぬかと思った…。

 やっと平らな地面にたどり着き、柚月はへたり込んだ。
 椿は柚月を残し、近くの塀の陰から、あたりの様子をうかがっている。

 どうやら、都の端、町人たちの住居が立ち並ぶあたりらしい。
 幸い、まだ追っ手の気配はない。

 椿は素早く柚月の元に戻ってくると、座り込んでいる柚月を抱え起こし、歩き出した。
 柚月は義孝に刺された傷のせいで、左足にうまく力が入らない。
 ほとんど引きずるような状態だ。

 目がかすみはじめ、だんだん意識もぼやけてきた。
 出血がひどい。

 徐々に重くなっていく柚月を、椿は必死で支えた。
 進む速度も、だんだん落ちていく。

 大通りの近くまで来た時、人の気配に気づき、二人は家の陰に隠れた。
 数人。
 わずかに声も聞こえる。
 明らかに何かを探している。
 奴らだ。

 椿はあたりを警戒しながら、家の陰を選んで進んだ。
 歩を速める。
 だが、何かに躓き、柚月が倒れこんだ。
 呼吸が荒い。

 柚月はなんとか上体を起こすと、そのまま壁にもたれかかった。
 屋根の端に、月が見える。
 きれいな満月だ。

『殺せ』

 楠木の冷たい目が、脳裏によみがえる。
 捨てられた、という絶望。
 だが、頭のどこかで、いつかこうなるのではないかとも思っていた。
 「柚月」となった、あの夜から。

 ――もう、太陽を見ることは、ないかもな…。

 かすんでいく意識の中、そう思った。
 たどってきた道には、まるで道標のように血の跡が続いている。
 体は思うように動かない。
 追っ手の気配は近づいてきている。

 ――見つかるのも、時間の問題か。

 柚月は椿の肩を押した。

「行きな。あんた一人なら、逃げ切れるよ」

 振り向いた椿に、柚月は優しく微笑む。

「どこでもいい、武家屋敷に駆け込め。そこまで奴らは追ってこないから」

 柚月はもう、微笑みにも、手にも、力がない。
 だが、懸命に「行け」と言う。
 自分を置いて――。

 椿は柚月の腕をぐっと掴んだ。
 肩をかし、立ち上がる。

「もうすぐです」

 力強くそう言うと、柚月を抱えて再び歩き出した。
 武家屋敷が立ち並ぶあたりに来た頃には、柚月はほとんど、椿に引きずられるように歩いていた。

 追ってくる気配は、もうない。
 椿は邸の裏木戸の前に立ち止まると、周囲に人気が無いことを確認し、木戸を開けた。

 中に入るなり、柚月は力尽きたように椿の肩から滑り落ち、そのまま地面に倒れた。
 目の前に、敷き詰められた玉石が広がり、わずかに、湿った土の匂いがする。

「遅かったですね。心配しましたよ」

 男の声が降ってきた。
 穏やかな声だ。
 柚月はなんとか顔を上げ、声の方を見た。

 すぐそばに離れのような建物があり、男が一人、廊下に立っている。
 身なりのいい。
 見覚えがある。
 団子屋で椿と一緒にいたあの男だ。

「お通ししなさい」

 男は、椿にそう言うと去っていく。
 椿はその後姿に、かしこまって一礼した。
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