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第一章 序まり
十.聞けない心
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大事な客でも来る予定だったのか、部屋には、一人分の座布団が用意されていた。
柚月はすでに、立っているのがやっとだ。
椿に肩を借りなければ、それも難しい。
促されるまま、拒むこともできず、用意されていた座布団に倒れ込むように腰を落とした。
「ここでお待ちください」
椿は客人に対するように静かにそう言うと、一礼し、部屋を出て行った。
障子戸に映る椿の影が、スーッと遠ざかっていく。
柚月は目だけでその影を追った。
なんとか座っているが、脇腹の傷をかばうように前かがみになったまま、上体を起こしきれない。
椿の影が障子戸の端に消えるのを見届けると、耐えきれずに畳に手をついた。
ただ座っているだけでも辛い。
だが、ここはいったいどこなのか。
二間続きの質素な部屋。
部屋を分ける襖は開け放たれ、奥の部屋に行燈が一つ灯されている。
それ以外に灯りはない。
床の間には水墨画のような掛け軸が掛けられ、上座には、この邸の主の物か、座布団と肘置きが一人分用意されている。
それなりの武家の邸、ということは確からしい。
しばらくすると、障子戸にまた影が映った。
スーッと廊下を回ってくる。
柚月の背後まで来ると、障子戸がすっと開き、木箱を持った椿が入ってきた。
「傷を見せてください」
椿は徐に柚月の襟元に手を掛け、ぐいと着物を引き下ろす。
柚月はされるがまま袖を抜いた。
だたそれだけのことでも、痛みで呼吸が乱れる。
椿は柚月を半ば強引にもろ肌脱ぎにすると、ろうそくに火をつけ、脇腹の傷口を照らした。
慣れているのか、ぱっくり割れた傷口を見ても、表情一つ変えない。
ろうそくを置くと、持ってきた木箱を開いた。
消毒液の匂いが鼻をつく。
「応急処置ですが」
そう言うと、手当てを始めた。
やはり、慣れている。
柚月が消毒の痛みに身震いし、顔をゆがめても、臆することもない。
淡々と、手際がいい。
柚月はその様子を見ながら、やはり何かが引っかかった。
ずっと引っかかっている。
何か分からないが、椿といると、何かが胸に引っかかる。
その正体が分からず、もどかしい。
柚月が考えている間に、椿は包帯を巻き終え、柚月が着物を着るのを助けた。
「ありがとう」
柚月の声に力はない。
が、自然と、微かにだが微笑んでいる。
椿はその微笑みから、すっと目をそらした。
「いえ」
淡白な声。
柚月の微笑みも、すっと消えた。
椿も頬や手に小さな傷がいくつもあり、着物もそうだが、首から頬にかけて、血が飛び散って汚れている。
その量は、椿の傷には不釣り合いだ。
頬や手の傷は山の斜面を駆け下りた時のものだろう。
だが、血の汚れの方は。
帯から、やや扇子が飛び出している。
柚月も見覚えがある。椿がいつも帯に差しているものだ。
それにも血が飛んでいる。
よく見ると、妙な扇子だ。
骨に不自然な線がある。
本来あるはずのない、真一文字の線。
その線を境に、血の飛び散り方が違う。
これまで帯に隠れていて気付かなかったが、普通の物よりやや大きい。
しかも、鉄扇のようだ。
いや。
と柚月は思った。
記憶の端に、これと同じようなものがある。
これは、仕込み刀だ。
聞きたいことも聞かなければいかないこともある。
だが、柚月は頭がうまく回らない。
出血のせいもあるが、なにより、もうこれ以上何かを知るのが、怖い。
「ケガ、大丈夫?」
結局核心に触れる勇気は出せず、代わりに椿を気づかった。
「え?」
聞き返した椿に、視線で教える。
椿の手の甲には、小さな傷がいくつかある。
「ええ、大したことありません」
椿は初めて自身の傷に気が付き、そっと手を袖に引っ込めて隠した。
「…そっか」
柚月がそう漏らしたきり、互いに言葉はない。
椿が手当てに使った物を片付か始め、消毒液の瓶の、カチャカチャという微かな音だけが響く。
「ありがとう」
柚月はもう一度礼を言った。
今度は、助けてもらった礼だ。
椿は一瞬手を止めただけで、答えなかった。
淡々と片付け終えると木箱を脇に置き、静かな間となった。
障子が月明かりに照らされ、ほんのりと白く輝いている。
対象に、二人の姿は黒く陰となり、動かない影絵のようだ。
ふいに柚月がピクリと反応し、その空気は破られた。
人の気配。
椿も気づき、さっと部屋の脇に退き、控えた。
廊下を歩く足音。
近づいてくる。
奥の間の障子戸が開き、男が一人入ってきた。
さっきの男だ。
柚月はすでに、立っているのがやっとだ。
椿に肩を借りなければ、それも難しい。
促されるまま、拒むこともできず、用意されていた座布団に倒れ込むように腰を落とした。
「ここでお待ちください」
椿は客人に対するように静かにそう言うと、一礼し、部屋を出て行った。
障子戸に映る椿の影が、スーッと遠ざかっていく。
柚月は目だけでその影を追った。
なんとか座っているが、脇腹の傷をかばうように前かがみになったまま、上体を起こしきれない。
椿の影が障子戸の端に消えるのを見届けると、耐えきれずに畳に手をついた。
ただ座っているだけでも辛い。
だが、ここはいったいどこなのか。
二間続きの質素な部屋。
部屋を分ける襖は開け放たれ、奥の部屋に行燈が一つ灯されている。
それ以外に灯りはない。
床の間には水墨画のような掛け軸が掛けられ、上座には、この邸の主の物か、座布団と肘置きが一人分用意されている。
それなりの武家の邸、ということは確からしい。
しばらくすると、障子戸にまた影が映った。
スーッと廊下を回ってくる。
柚月の背後まで来ると、障子戸がすっと開き、木箱を持った椿が入ってきた。
「傷を見せてください」
椿は徐に柚月の襟元に手を掛け、ぐいと着物を引き下ろす。
柚月はされるがまま袖を抜いた。
だたそれだけのことでも、痛みで呼吸が乱れる。
椿は柚月を半ば強引にもろ肌脱ぎにすると、ろうそくに火をつけ、脇腹の傷口を照らした。
慣れているのか、ぱっくり割れた傷口を見ても、表情一つ変えない。
ろうそくを置くと、持ってきた木箱を開いた。
消毒液の匂いが鼻をつく。
「応急処置ですが」
そう言うと、手当てを始めた。
やはり、慣れている。
柚月が消毒の痛みに身震いし、顔をゆがめても、臆することもない。
淡々と、手際がいい。
柚月はその様子を見ながら、やはり何かが引っかかった。
ずっと引っかかっている。
何か分からないが、椿といると、何かが胸に引っかかる。
その正体が分からず、もどかしい。
柚月が考えている間に、椿は包帯を巻き終え、柚月が着物を着るのを助けた。
「ありがとう」
柚月の声に力はない。
が、自然と、微かにだが微笑んでいる。
椿はその微笑みから、すっと目をそらした。
「いえ」
淡白な声。
柚月の微笑みも、すっと消えた。
椿も頬や手に小さな傷がいくつもあり、着物もそうだが、首から頬にかけて、血が飛び散って汚れている。
その量は、椿の傷には不釣り合いだ。
頬や手の傷は山の斜面を駆け下りた時のものだろう。
だが、血の汚れの方は。
帯から、やや扇子が飛び出している。
柚月も見覚えがある。椿がいつも帯に差しているものだ。
それにも血が飛んでいる。
よく見ると、妙な扇子だ。
骨に不自然な線がある。
本来あるはずのない、真一文字の線。
その線を境に、血の飛び散り方が違う。
これまで帯に隠れていて気付かなかったが、普通の物よりやや大きい。
しかも、鉄扇のようだ。
いや。
と柚月は思った。
記憶の端に、これと同じようなものがある。
これは、仕込み刀だ。
聞きたいことも聞かなければいかないこともある。
だが、柚月は頭がうまく回らない。
出血のせいもあるが、なにより、もうこれ以上何かを知るのが、怖い。
「ケガ、大丈夫?」
結局核心に触れる勇気は出せず、代わりに椿を気づかった。
「え?」
聞き返した椿に、視線で教える。
椿の手の甲には、小さな傷がいくつかある。
「ええ、大したことありません」
椿は初めて自身の傷に気が付き、そっと手を袖に引っ込めて隠した。
「…そっか」
柚月がそう漏らしたきり、互いに言葉はない。
椿が手当てに使った物を片付か始め、消毒液の瓶の、カチャカチャという微かな音だけが響く。
「ありがとう」
柚月はもう一度礼を言った。
今度は、助けてもらった礼だ。
椿は一瞬手を止めただけで、答えなかった。
淡々と片付け終えると木箱を脇に置き、静かな間となった。
障子が月明かりに照らされ、ほんのりと白く輝いている。
対象に、二人の姿は黒く陰となり、動かない影絵のようだ。
ふいに柚月がピクリと反応し、その空気は破られた。
人の気配。
椿も気づき、さっと部屋の脇に退き、控えた。
廊下を歩く足音。
近づいてくる。
奥の間の障子戸が開き、男が一人入ってきた。
さっきの男だ。
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