一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第三章 手繰り寄せた因果

四.静かなる下剋上

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「今回の急なお呼び出し、一体何事か」

 参与の一人が、隠すこともなく、不満をありありと浮かべた顔をした。
 ほかの者も同じである。

 一年ほど前になる。
 横浦で外交官をしていた雪原の元に、突然、将軍、冨康から呼び出しがあった。

 国政会議が行われる、天上之間てんじょうのま
 その続きにある控えの間に、雪原は通された。

 ふすまは開け放たれ、天上之間に集まった参与達と雪原は、互いの姿が見える状態にはあった。
 が、雪原は深々と頭を下げてあげず、参与達の方は雪原のことなど目の端にも留めてはいない。

 いや、参与達にとって控えの間にいる者など、人とも思っていない。
 気に留める価値もないのだ。
 よって、雪原に聞かれているなど微塵みじんも気にすることもなく、急な招集への不満を口々に言いあっている。

「なんでも、陸軍総裁を置き換えるらしい」
「ほお。あの開世隊かいせいたいとかいう下民の集まりを、退治してくれる者がおるのか」
「それが…」

 参与の一人が声を潜める。

雪原麟太郎ゆきはらりんたろうとかいう者らしい」
「麟太郎? 雪原家に、そんな人間はいましたかな」

 さらに低い声になる。

「五男坊ですよ」
「ああ。あの。確か、外務職がいむしょくに自ら志願したとかいう。子供のころから、貿易船に乗り込んで、海外に行ったりしておったとかいう。あの変わり者ですか」
「あの雪原家も、五男ともなれば、どうしようもないですな」

 参与達は、すぐそばに本人がいることにも気づかず、好き勝手なことを言っている。
 だが雪原は慣れたものだ。頭を下げたまま、微動だにしない。

「そんな者に、この非常時を任せるとは。やはり冨康とみやす様も、器ではないな」

 そう言うなり、急に静かになったのは、参与の一人、雪原の長兄、正勝まさかつが入室してきたからだ。
 正勝は参与の中でも議長を務め、宰相を置かない今、実質将軍に次ぐ地位にあった。

「これはこれは、正勝殿。この度は弟君のご昇進、誠におめでとうございます」

 こびへつらった声を出したのは、つい先ほど、雪原を「変わり者」と嘲笑ちょうしょうした者だ。
 ほかの者もそれに続く。
 参与達は一変して、次々に正勝に祝いの言葉をかけた。

 その後冨康が入室し、その日は、雪原麟太郎を陸軍総裁に任命することが告げられて散会となった。
 控えの間にいる男が麟太郎本人と知れた時には、参与達は皆一様に驚いた。
 だが、面の皮が厚い。
 散会後、廊下に出たとたん、皆雪原にすり寄った。

「ご活躍、期待しておりますぞ」

 その顔には期待など全くない。
 こんな若造に何ができるのだ、というさげすみと、異例の出世、それも、自分よりはるか下だと見下していた人間の出世への、嫉妬だけだ。
 最後に肩をたたいてきたのは、正勝だった。

「期待している」

 間違っても雪原の名を汚すなよ。
 正勝の顔は、そう言っている。

「分かっていますよ、兄上」

 雪原は、久しぶりにこの男を「兄上」と呼んだ。
 そして、約一年。
 雪原は再び天上の間に呼ばれ、やって来た。

 同じく天上之間に集められた参与達は、ばかばかしいほどに脅え、救いを求める目を雪原に向けている。

 それは冨康も同じだ。
 冨康は参与達の前で、雪原に帝への謁見えっけんを命じた。

 参与、しかも、議長を務める兄、正勝ではなく、陸軍総裁の麟太郎の方にその下知が下ったのは、雪原にしても意外なことだった。

 だが、喜ばしいことではない。
 むしろ雪原は、さらに政府に幻滅した。

「麟太郎殿しか、頼りはない」
「どうか、この国を救ってくだされ」

 参与達は、次々に雪原に懇願する。
 だが、彼らが救ってほしいと言っているのは、「この国を」ではない。「我々を」だ。

 ――その腰の刀は、何のために下げているのか。

 雪原は微笑を返しながら、その腹のうちは怒りに煮えた。
 彼らの刀は、どれも名の知れた名刀ばかり。
 平和に腐ったこの国で、己の権力を誇示するためだけのお飾りだ。

 正勝までもが、苦々しい顔で、だが、「お前しか、頼りが無い」と言う。
 自分を差し置いて、この五番目の弟が大命を任される。
 この兄にとって、こんな屈辱はない。
 だが今、その思いをみ潰し、頭を下げている。

 ずっと、見下してきた弟に。
 ずっと、追ってきた兄が。

「ご期待に沿えるよう、努めてまいります」

 雪原が幼い頃から抱いていた、密かな目的は達せられた。
 だが、晴れるはずの心は、暗く曇っている。
 それは、任務の重さからではない。

旧都きゅうとへ、ですか?」

 雪原の別宅。
 柚月は雪原から供を命じられ、不思議そうに聞いた。
 わざわざ旧都へ行く理由が分からない。

 旧都とはその名の通り、現在の都ができる前、都だったところだ。
 かつて国の政は、帝を中心として貴族たちが行っていた。
 しかし、戦国の世を経て、勢力図が変わり、武士が国を取り仕切る時代となって、都もうつった。
 以来、旧都には帝と貴族たちがひっそりと暮らしている。

「ええ。まあ、お決まりの行事ですよ。この国は一応、今も帝の物ですから、武士たちが勝手に、戦で荒らすようなことがあってはならないのです」

 大きな争いの前に、政府は帝に戦をする許可を得に行き、帝からは、国を荒らすぞくを討ち果たすよう、形だけの勅命ちょくめいが下る。
 この手続きを踏まずに戦をすれば、政府も賊軍とみなされるのだ。

「政府としては、開世隊、もしくは、はぎと全面戦争になった際の、大義名分を用意しておく必要があるのです」

 柚月には、分かるような分からないような事情だ。

「…はぁ」

 小首をかしげるように頷いた。
 雪原自身、説明しながら、馬鹿馬鹿しい習わしだと思っている。

 旧都に向かう一行は、雪原の護衛隊に加え、陸軍一番隊五十二名、五番隊七十四名で構成された。
 数としては多くなかったが、従来の刀や鎧の装備のみならず、舶来の銃や移動式の小型の大砲などで武装し、十分に政府の軍事力を誇示するものとなった。

 都を出て八日後、日が落ちる頃に、一行は旧都に入った。
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