一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第三章 手繰り寄せた因果

七.心星 -ほっきょくせい-

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「そうですか」

 その夜、椿から報告を受けた雪原はそう言ったきり、窓の外を見た。
 見知らぬ旧都の景色に、懐かしい都の風景が重なっていく。

 幼い頃、雪原は大人が嫌いだった。
 雪原麟太郎ゆきはらりんたろう
 この雪原家の五男坊に、誰も期待などしていなかった。
 存在さえ知らない者も多く、挨拶すると、「ほう、雪原様の」と驚かれたほどだ。

 だが、結果は求められる。
 学問も、武術も、できて当たり前。
 だから、褒められることもない。
 そのくせできなければ、「あの雪原なのに」とののしられた。

 どこまでも、「雪原」の名がついてくる。

 幼い麟太郎は、雪原の名が憎かった。
 そんな、肩書ばかりを重んじ中身がない、武士の世を憎んだ。
 こんな世など、終わってしまえと呪った。
 そうして、すさんだ目で大人たちを、世を見ていた。

 そんなある日、父が珍しく、麟太郎を城へ連れて行った。
 九つの頃だ。
 誰かが宰相に就いたとかの、祝いの席だと言う。
 当時、麟太郎の父は参与だった。

 また、父に媚びを売る大人達の、好機の目にさらされる。
 そう思うと、麟太郎はわずらわしかった。
 だが、父のめいに逆らうわけにもいない。
 父の背に隠れるようにしてその場をやり過ごした。
 
 その帰りだ。
 城の廊下で、父に声をかけてきた人物がいた。
 腰に、古い刀を帯びているのが目についた。

「これはこれは、宰相殿」
「いやいや、止めてください」

 父のご機嫌な声に、宰相と呼ばれたその人物は手を振った。
 物腰の低い、謙虚な人だった。

「うちの五男でして」

 父が後ろに隠れている麟太郎を押し出して紹介すると、驚いたことに、男は麟太郎の前に膝をついてかしこまった。

「五男坊ですか。それは、兄上殿たちとは、また違った苦労がございますな」

 そう言って、麟太郎の頭を撫でた。
 温かかった。
 手が、ではない。
 初めて、辛い心根に気づいてもらえた気がした。

 その日から、麟太郎は少し変わった。
 ただ大人を、世を憎むだけではない。
 いつか、見返してやる。
 自分を認めさせてやる。
 自分自身の力で。

 そう心に決めた。

 ゆがんだ目標のようにも思う。
 だが、その思いが、麟太郎を、雪原を救った。

 あの日会った、「宰相殿」と呼ばれた人。
 恩人であり、憧れ。

 その人は、国を思い、弱い者のためのまつりごとを行った。
 そして、くだらない嫉妬に陥れられ、都を去っていった。

 雪原はあの日見たその人の刀を、今もはっきりと覚えている。
 ほかの大人たちのように、己を誇示するような、身に合わないどこぞの名刀などではない。
 その人らしい、謙虚な、無名の刀。

 そしてそれを、最近になって都で見つけた。

「明日、日の出前に出ます」

 雪原が窓の外を見たままそう言うと、椿は一礼して下がっていった。
 翌朝、日の出までまだ時間がある早朝、ケン爺の家に再び客が訪れた。
 気配に気づいたケン爺が縁側の雨戸を開けると、ちょうどその客が庭に入ってくるところだった。

 客はケン爺に気づいて、一礼した。
 雪原だ。
 その後ろに、椿もいる。
 ケン爺も一礼し、二人を招き入れた。

「陸軍総裁殿をおもてなしできるようなものは、何もありませんが」

 ケン爺は、欠けた湯呑に水を入れて雪原に出した。

「随分、ご立派になられましたね。麟太郎殿」
「覚えていてくださり、光栄です」

 雪原はややはにかんだような笑みを見せた。
 だがその笑みの下には緊張が張り付いている。

「ただ者ではないとは思っておりましたが、あのお嬢さんは、麟太郎殿の隠密でしたか」

 ケン爺がちらりと見ると、部屋の隅で椿が静かに頭を下げた。

「それで。こんなところに、何の御用でしょう」

 ケン爺は、静かに雪原に視線を向けた。
 まっすぐなその眼差しは、あばら家に住まう老人らしからぬ威厳を秘めている。
 雪原は居住まいを正し、手をついた。

「単刀直入に申し上げます。国政に戻っていただきたい。栗原くりはら権十郎けんじゅうろう殿」

 そう言って、床に額が付きそうなほど深々と頭を下げた。

 椿からの報告を聞き、雪原は確信を得た。
 昼間、椿が訪れた老人の家には、刀が一振り立てかけられていたという。

 枝垂しだれ藤の紋があしらわれた刀。

 それは、栗原権十郎が宰相に任命された際、時の将軍から授かったもの。
 枝垂れ藤は、将軍家の家紋だ。

「これからのこの国には、あなたの力が必要です」

 雪原は真直ぐな目でケン爺、いや、栗原権十郎に訴えた。
 そこに、いつもの雪原らしい余裕はない。
 懸命である。
 が、栗原はすっと視線を床に落とした。

「新しい国は、若者の手によって作られるべきです。私のような、老いぼれの出る幕ではない」
「今この国に、新しい国を作れるような者はおりません」

 雪原は、栗原の言葉を否定するように言い切った。

「どうか。また国政に。栗原殿」

 身を乗り出すように詰め寄るが、栗原は黙っている。
 雪原は床を睨み、拳を握りしめた。

「あなたが都を去られてから、国は荒れるばかりです。皆、肩書やうわべだけ。中身がない。彼らの頭には、己の出世と、保身しかありません」

 雪原の握りしめた拳に、更に力がこもる。

「そもそも、あなたが都を去る必要などなかった。柴田殿が辻斬りに襲われたと言っていた時刻、あなたは火急の用で城に上がられていた。あなたに柴田殿を襲うことなどできない。その理由もない! 皆知っておりながら、柴田殿の顔色をうかがって、申し出なかった。そんな奴らが行う政で、国がよくなるはずがない!」

 栗原の口元が、わずかに笑んだ。

「麟太郎殿」

 雪原が顔を上げると、栗原は穏やかな笑みを浮かべていた。
 優しい。
 麟太郎の知る栗原だ。

「私は、時代の波に、飲まれたのですよ」

 栗原は、湯呑の水を一口飲んだ。

「時代が、また大きく動き出しましたな」

 湯呑の水を、じっと見つめている。

「やはり、私の出番ではありませんよ、麟太郎殿」
「栗原殿!」

 食い下がる雪原を、栗原は遮った。

「あなたがおられるではありませんか。周りからも、望まれているのでしょう」

 帝への謁見えっけんなどという大役を任されたのが、何よりの証拠である。

「私は…」

 雪原は言葉に詰まり、唇をかみしめた。

「私は…、自信がありません」

 じっと床を見つめ、言葉を絞り出す。

「私は、ただただ、世を憎んでいた。私を嘲笑する大人たちを、世の中を、見返すことのみに情熱を注いできた。外務職がいむしょくに志願したのもそうです。政府の要職が約束されている兄たちには、正攻法では叶わない。そう、思っただけです…」

 雪原は幼い頃からそう考え、海外に目を付けた。
 無理を言って貿易船に乗せてもらい、自ら海外に出向いて外国語を習得したのもそのためだ。
 海外の驚異的な技術を知ったのは、偶然にすぎない。
 だが、いずれ必要になると確信した。
 これこそが、兄たちに対抗しうる力なのだと。

 だが、それはすべて――。

「私はただ、自分の存在を認めさせたいだけ。民をいつくしむ心などない。私も、…ほかの政府の連中と同じです」

 栗原は、湯呑をことりと床に置いた。

「だから、あの青年を傍に置いておられるのではないのですか?」

 栗原の目が、真直ぐに雪原を捉えている。

柚月一華ゆづきいちげ、といいましたかな」

 雪原は目を見開き、口が真一文字になった。
 図星だ。

「お嬢さんが、会わせてくださったのか?」

 椿はかしこまった。

「いえ。あなた様が旧都にいらっしゃることまではつかめましたが、正確な場所までは分かりませんでした。昨日お会いできたのは、偶然です」
「…そうでしたか」

 栗原は頷き、懐かしそうな目で、床を見つめた。

「私の妻に子が宿ったおり、ちょうど、出兵のめいが下りましてね。生きて帰ってくるかも分からないから、せめて子の名前を決めてから行ってくれというものですから、妻には、男の子なら権時けんじ、女の子なら一華いちげとつけるように言ったのですが。私の息子は、男の子に、一華という名を付けたようです」

 栗原は、くすりと笑った。
 そこ顔は、どこか嬉しそうである。
 そして、その笑みがすっと消えると、雪原に向いた。

「アレは、人を斬っておりますな」

 この平和な世。ほとんどの武士にとって、刀がただのお飾りになっているこの時代に。
 雪原は答えをはばかり、視線を落とした。

「嫌なものでね、同類は分かるものですよ」

 栗原は剣の腕一つで出世を重ねた。
 それは同時に、多くの人を斬った、ということでもある。
 軍人の出世とは、そういうものだ。

「頑固なところは、私によく似ておるようです」

 そう言うと、栗原は嬉しそうに微笑んだ。
 つられて雪原も、肩から力が抜けた。

「剣の腕もです」

 自然と笑みが漏れる。
 栗原は頷いた。

「やはり、お連れになるべきは、アレですよ。私ではなくね。アレはきっと、あなたのお役に立ちましょう」

 栗原の気持ちは揺るがない。
 雪原は、頷かざるを得なかった。

 雪原は庭の端まで来ると、振り返り、一礼した。
 その後ろで、椿も頭を下げている。
 栗原は縁側から応え、二人の姿が見えなくなるまで見送った。

 あたりを包む朝靄あさもやに、光が混ざり始めている。
 大きく深呼吸すると、朝の澄んだ空気が栗原の胸を満たした。

 遠い昔、都から逃れ、自分と一緒にいては危険だと、幼い息子と妻を見知らぬ地に置き、別れた。
 自分の代わりにと、自身がずっと帯びていた刀を託して。

 二度と会えはしないと思っていた。
 それがまさか、孫に会える日がこようとは。

 栗原は目を閉じ、思った。

 権時が子を一華と名付けたのは、気づかせるためだったか。
 目の前にいるのが、孫ですよと。

「長く生きてみるものだな」

 東の空が、だんだんと白くなっていく。
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