一よさく華 -幕開け-

いつしろ十蘿

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第四章 擾瀾の影

四.雨中の来訪者

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 突然清名せいながやって来たのは、日が暮れてからだ。
 柚月が席をはずそうとすると、同席してほしいという。
 椿も加わり、雪原の部屋に四人で詰めた。

冨康とみやす様の居場所がつかめたか」

 雪原ははやった。
 清名が別宅の方に来るなど、めったなことではない。
 まして、こんな時間に。

「いえ、そちらの方は、依然…」

 清名は申し訳なさそうにそう言うと、改まった。

開世隊かいせいたいに関することでございます」

 最近、市中で武士が斬りあい、殺されるという事件が多発しているという。
 それも、白昼堂々。

「武士同士の喧嘩なら、俺も昨日見ました。確かに、街中で。一対多数でした」

 柚月の言葉に、椿も頷く。
 清名は雪原に向き直った。

「開世隊の杉派だった者たちが、新たに『擾瀾隊じょうらんたい』と称し、開世隊はその擾瀾隊狩りを行っているようです」
「内部抗争から、完全に分裂したということか」

 雪原は思案するように顎を撫でている。
 その手をピタリと止めると、清名に視線を戻した。

「その擾瀾隊の目的は何だ」
「分かりません。根城もつかめず、正確な構成人数も不明。警備隊も、まだ実態を掴めていないようです。それで…」

 清名はそこまで言うと、言葉を詰まらせた。

「それで?」

 不審に思った雪原が促す。
 清名は躊躇ためらいを残しながらも、口を開いた。

「それで…。柚月なら、何か分からないかと、思ったのですが…」

 なるほど、と、雪原は柚月に目で聞いたが、柚月は首を振る。

 柚月は、松屋と、もうひとつの宿、旭屋しか知らない。
 ほかにも開世隊の集会所や隠れ場所はあったようだが、詳細は知らされず、松屋と旭屋以外の場所に行く際は、義孝よしたかが案内役だった。

 隊員に関してもそうだ。
 明倫館めいりんかんからともにいる者以外は、ほとんど知らない。
 都に来てから入隊した者も多くいたようだが、横田のように、松屋の集会に熱心に参加していた者が、少し分かる程度だ。

 擾瀾隊どころか、開世隊のことさえ満足に知らない。

「すみません、俺。都に来てからの開世隊のことは、よく知らなくて…」

 柚月は、申し訳なさそうに顔をゆがませた。

「そうですか」

 そう言いながら、雪原は柚月を哀れに思う気持ちが湧いた。
 おそらく楠木くすのきは、いつでも暗殺を命じられるよう、そして、暗殺しごとに専念させるよう、柚月を囲い置き、余計なことは知らせなかったのだろう。

 本当に、ただ人を斬らせるためだけに、柚月を飼っていたのだ。

 雲の流れが速い。
 月を、何度も隠していく。

「明日は、雨ですかね」

 雪原が空を見上げながら、つぶやくように漏らす。
 何かが動いている。
 だが、つかめない。
 もどかしさばかりが募った。

 翌日、朝から厚い雲が空を覆い、昼前には雨になった。
 朝食の席に雪原はいなかった。昨夜のうちに、本宅に戻ったという。
 昼には本降りになった。

「よく降るわね」

 鏡子が、縁側から外を見ながら独り言のように漏らした。
 その声がはっきり聞こえないほど、雨音が強い。

 空は真っ黒な雲に覆われ、昼だというのに日暮れを過ぎたかのように暗く、いったい今何刻なのか分からなくなるほどだ。

 その雨は、町を駆け回る男たちの足音もかき消していた。

「御免」

 三人揃って昼食をとっている時だ。
 突然の玄関からの声に、食事中のたわいない会話が止まった。

「はーい」

 鏡子が応え、箸を置いて立ち上がったが、立ち上がりながら、「珍しいわね」と、ぽそりと漏らす。

 確かに、この家に人が来るなど珍しい。
 まして、こんな雨の中――。

 柚月も箸を置き、静かに刀を握った。
 椿もすっと表情が消えている。

 食事をしている居間は、玄関から廊下を挟んですぐの部屋だ。
 位置が少しずれているため、戸をすべて開け放してしまわない限り、玄関から居間の中は見えない。

 その逆もしかり。
 居間から玄関も見えない。
 二人は静かに玄関側の戸にすり寄り、戸の陰から様子をうかがった。

「突然、申し訳ない」

 鏡子が出て行くと、笠を目深にかぶった男が頭を下げた。
 その後ろに二人。
 いずれも笠を目深にかぶり、顔は分からない。

 役人風の装いだが、違うなと、鏡子は思った。
 芸者の頃からの勘である。

「いえいえ。こんな雨の中、どうかなさったのですか?」

 鏡子は人当たりの良い声で警戒を隠し、愛想よく応えた。

「このあたりに、開世隊の者が潜んでいると知らせがありましてね。調べているのですよ」
「まあ、開世隊の?」

 男は、あくまで役人、といった口調だ。
 鏡子は鏡子で、わざとらしくならない程度に眉をひそめ、口元に手を当てた。

 この元芸者、演技もうまい。
 市中での開世隊の評判は今も悪い。
 それに合わせて、心にもなく不安そうな顔をしてみせたのだ。

「年の頃十七、八の青年です。しばらく前に町で見かけた折、左の脇腹に怪我をしているのが気になりましてね。声をかけたところ逃げ出したので、ますます怪しく思い、捜していたのです。最近になって、このあたりでそれらしい人物を見かけた、という情報を得たのですが…」

 柚月のことだ。
 鏡子は思った。
 当然、柚月と椿も同じだ。

「ご存じ、ありませんか」

 男の声は穏やかなようで、脅すようなすごみがある。
 が、鏡子はひるまない。
 一瞬、睨みつけるような強い視線を男に向けると、にこりと微笑んだ。

「さあ。存じ上げませんね。そのような方は、見掛けしておりませんわ」
「隠されるのは、身の為ではありませんよ」

 男の目が鋭く光り、後ろの男たちが刀に手をかけた。
 柚月も静かに刀を握る。

「存じ上げませんね」

 鏡子は、凛と言い放った。
 その姿、声。
 全く動じていない。
 それどころか、去れ! というすごみがあり、逆に男たちがたじろいだ。

「…そうですか。それは失礼」

 煮え切らない様子ではあったが、男たちは思いのほかあっさりと去っていった。
 雨が強い。
 鏡子は大きく一つ息を吐くと、玄関の戸を閉じた。
 振り返ると、居間にいると思っていた柚月と椿が立っている。
 鏡子は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに何事もなかったかのように微笑んだ。

「食事の途中に、嫌ね」

 柚月の表情は硬い。
 自分を探していた。
 政府の人間じゃない。
 聞き覚えのない声ではあったが、脇腹の傷、それも、左の脇腹だということまで知っていた。
 開世隊の人間なのは確かだ。

 ここに、いるべきではない。

「いけませんよ」

 鏡子の強い口調に、柚月ははじかれたように鏡子を見た。
 鏡子はまっすぐに、強い目を柚月に向けている。

「勝手に出て行くことは、許しません」

 有無を言わせない口調だ。

「いや、でも…」
「勝手にいなくなられては、私が旦那様に叱られます」

 鏡子は柚月を遮ってそう言うと、今度は微笑んだ。
 その言い方は、ずるい。
 柚月はそれ以上何も言えなくなった。

「お味噌汁、冷めてしまったわね」

 決着がついたように、鏡子は部屋に戻っていく。
 椿も柚月に微笑みかけた。「戻りましょう」と、その笑みが言っている。
 柚月は仕方なく、昼食に戻った。

 食事が終わると、鏡子はこれでもかというほどの大量の塩を玄関に蒔き、後に、雪原が何事かと驚いた。

 夕方、鏡子が行燈あんどんの灯りを頼りに縫いものをしていると、柚月が現れた。
 廊下に突っ立ったまま、何か言いたげに、だが、言葉が見つからず、うつむいている。

「そこ、濡れますよ」

 鏡子は部屋に入るよう促した。
 風も出てきて、壁のない廊下には雨が吹き込んでくる。
 柚月は部屋に入り、障子戸のすぐ脇に腰を下ろした。

「俺…」

 言いかけたが、鏡子は許さない。

「何者でも、構わないのですよ」

 そう言うと、手元から目を放した。

「旦那様がお連れになった。それがすべてです」

 柚月を捉えた鏡子のまなざしは、まっすぐに、強い。

 ――清名さんと同じだ。

 柚月はそう思うと同時に、改めて、雪原麟太郎ゆきはらりんたろうという男を思い知らされるような気がした。
 そして、この堤鏡子つつみきょうこという女も。

「いなくならないでくださいね」

 そう重ねる鏡子は、どこか悲しげな目をしていた。

 夜、事情を聴いた雪原が、離れの柚月の元にやって来た。
 そして来るなり、

「腹の座った人でしょう」

 と、笑った。
 鏡子のことだ。

 雪原はやはり、鏡子には、柚月のことは名前しか教えていなかった。
 詳しいことを教えない。
 それが、鏡子を守ることにもなる。
 だが鏡子なら、何も知らなくても、柚月を守ってくれるだろうと踏んでもいた。

「鏡子さんはああ言ってくれてますけど、俺、ここにいない方が」
「どこに行くのです? 市中で襲われれば、それこそ都の人が巻き込まれますよ」

 そう言われると、柚月には案が無い。

「それに…。まあ、居てあげてください。鏡子の為にも」
「鏡子さんの?」
「ええ。鏡子は、弟を亡くしていましてね。ちょうど柚月くらいの年だったようですから。重なるのかもしれません」

 鏡子の心の傷を想ってか、雪原の顔は優しい。
 だが一変。

「さて」

 声が鋭くなった。

「どちらだったのでしょうね」

 開世隊かいせいたいか、擾瀾隊じょうらんたいか。
 どちらにしても、その目的は、定かではない。
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