一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第五章 亂 -らん-

弐.開戦

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 翌朝、早朝。
 それは突然だった。

 あしから都へつながる浅瀬の海から、一発の大砲が放たれた。

 球は関所近く、宿場町の一番隊の陣近くに着弾。
 朝靄あさもやが漂う遠浅の海に、黒光りする小さな船が一層浮かんでいる。
 一見、それと分からないが、軍艦だ。

 だが、その目的は砲撃ではない。

 この船から放たれた一発、その音を合図に、羅山らざんふもとで無数の銃声があがった。
 応戦の音が交じる。

 合戦の始まりだ。

 柚月は大砲の音で飛び起きた。
 休んでいたほかの者も廊下に飛び出し、本陣内は騒然としている。
 雪原の元には、最初の伝令が駆け込んできた。

「やはり、海か」

 雪原が独り言のようにつぶやく。

「しかし、いったいどこから。海には海軍が陣を敷いています」

 清名は冷静なようで、狼狽している。

「蘆沖から海岸線に沿い、浅瀬を伝って侵入した模様です」
「あの浅瀬をか⁉」

 珍しく清名が驚きを顔に出した。
 蘆から都に駆けての海岸は遠浅で、小さな漁船くらいしか航行できず、軍艦のような大型船は近づくことすらできない。
 敵はそんな小型で、大砲が詰めるような船を所有している、ということだ。

 さらにその船は、海軍の追跡をふりきり、大洋に抜けたという。
 速さまで兼ねそろえている。
 そんな船を作る技術は、この国にはない。

「やはりはぎも、そうとう海外と流通があるようですね」

 いや、楠木くすのきが、と言うべきか。
 雪原の奥歯がギリと鳴った。

 次々にやってくる伝令が、戦況を報告する。
 雪原の予想通り、七輪山しちりんさんふもとでも開世隊かいせいたいと政府軍がかち合った。
 こちらには、開世隊の旗しか見えないという。
 ここでの開世隊は、見たこともない、海外製の大型の重火器を使用しているということだった。

 それも、雪原の予想通りだ。
 大型の物や、大量の武器を運ぶには、陸路より海路の方がいい。
 雪原自身がそうしたように、開世隊が横浦よこうら周辺に武器を集めていてもおかしくはない。

 だが、いったい、どこに隠していたというのか。
 疑問は残ったままとなった。

 底後も、合戦は激化の一途をたどった。
 が、日が高く昇り、天に弧を描いて傾いても、戦況に大きな動きはない。

 ほぼ互角。

 いや、やや政府軍が優勢とあり、開世隊と萩の連合軍は、いまだ都に入れていない。
 だが、雪原は東が気になっていた。

 雪原の予想通り、開世隊が横浦から武器を運び込んでいたのだとしたら、もっと激しい衝突になってもおかしくない。

 日暮れが近い。
 暗くなれば、自然、休戦になるだろう。

 ――その間に、次の一手を打たなくては。

 雪原は地図を見た。
 七輪山のふもと、そこから海岸線を辿る。
 横洲よこすの端をかすめ、横浦。
 横洲の端を――。

「…横洲」

 雪原が何事かひらめいたその時だ。
 外で大きな音がした。

 大砲が着弾したような音。
 だが、海の方ではない。
 近い。

「何が起こった!」

 雪原の声と同時に、兵士が駆け込んできた。

「申し上げます。羅山らざん中腹より砲撃有り!」
「羅山⁉」

 雪原が思わず驚きの声をあげた。
 陣内もどよめいている。
 報告は続く。

「球は、麹町こうじまち、民家に着弾した模様!」

 本陣から大通りを挟んで、二つ目の町だ。
 近い。
 陣内に動揺が走った。

「なぜ羅山に!」
「どこから入ったのだ!」
あしは何をしている!」
「まさか、あしの裏切りか⁉」

 兵士たちが口々に言い合い、混乱が混乱をあおる。

「落ち着け‼」

 雪原の声が響いた。
 穏やかなこの人が発したとは思えない。
 今までに誰も聞いたことがない、厳しく威厳ある一喝に、皆一瞬にして黙った。

「陣を立て直す」

 雪原は地図に目を落とした。
 兵士たちも落ち着きを取り戻し、静かに持ち場に戻りだした、その時。
 取り戻した落ち着きを再びかき乱すように、門のあたりが騒がしくなった。

「門前にて、怪しい男を捉えました!」

 報告の後ろから、男の声が聞こえてくる。

「柚月に会わせてくれ。一華いちげ!」
「佐久間さん?」

 聞き覚えのある声に、柚月はピクリと反応した。
 その様子に、雪原が振り向く。

「知り合いですか?」
「あの手紙の、送り主です」

 雪原が頷き、男が連れてこられた。
 やはり、佐久間だ。

「どうしたんですか?」

 駆け寄る柚月に、佐久間は食いついた。

「七輪山だ!」
「え?」
「楠木は、七輪山にいる!」
「どういう…事ですか?」

 柚月は話を飲み込めない。

「開世隊はもとより、羅山と七輪山から攻め込むつもりだ!」
「なるほど、そういうことですか!」

 柚月より先に、雪原が理解した。
 この都は、大地が作り出した要塞。
 一方、それはあなどりになっている。
 山からの攻撃など想定していない。

 だが、羅山、七輪山はともに、尾根続きに城に直結する。
 山から攻めれば、一気に城までたどり着ける。

「七輪山のふもとの合戦も、敵の本来の目的ではない。その裏、横洲から七輪山に入るのを隠すためですね?」

 佐久間が頷く。
 だが、柚月は納得できない。

「でも、どうやって、どこから七輪山に入るんですか? あんな、崖みたいな山裾」

 登りようがない。
 しかも七輪山のふもとは、その崖がずっと続いている。

「横洲の神社ですよ」

 雪原があっさりと教えた。

「神社?」

 柚月の脳裏に、小さな神社が浮かんだ。
 雪原について横浦行ったに際、帰りに立ち寄った神社。
 雪原が境内で襲われたという神社だ。

 確か雪原は、境内けいだいをうろついていた男たちに襲われたと言っていた。
 そしてその後、開世隊の不審な動きが分かったとも。

「じゃあ、雪原さんを襲った男たちは、七輪山の入り口を探って…」
「そういうことのようですね」

 言いながら、雪原には、開世隊が武器や兵を隠していた場所も検討がついた。
 横洲だ。
 横洲の人々が開世隊に協力し、隠していた。

 私利私欲にしか興味のない政府の人間は、貧困にあえぐあの地の人たちを見捨てた。
 そのしっぺ返しが来たのだ。

 さらに、最近市中で擾瀾隊狩りが派手になっていたのは、おそらく、政府の目を都内に向けさせ、その隙に横洲へ軍事力を集めるための、囮。

 雪原は、奥歯をギリッとかみしめた。
 さらに不味いことがある。

「城には、もしもの時のために、脱出経路がいくつかあります。そのうちの一つが…」

 雪原は言葉を詰まらせた。
 脳裏に浮かんでいるのは、嫌な事実だ。

「二の丸から七輪山に抜け、横洲へ出る道です。あの神社は、その出口を守っているのですよ」

 二の丸と聞いて、柚月は背筋が凍った。
 剛夕のいる場所。
 そこには、椿がいる。

「椿に知らせを飛ばします。あの子も抜け道のことを知っている」

 城が危ないと判断すれば、剛夕を連れて城を出るだろう。
 まして、羅山から攻撃されている。
 町に出るより、反対側の七輪山に行くに違いない。
 そうなれば、開世隊と鉢合わせになる。

「羅山には今、擾瀾隊じょうらんたいがいる」

 佐久間が割って入った。
 事前に連合軍の動きを察知していた擾瀾隊は、羅山山中で迎え打った。
 先ほどの砲撃は、その戦闘によるものだという。

「微力だが、多少の足止めくらいはできるだろう」

 自分たちにも、まだ誇りくらいはある。
 佐久間のまっすぐな言葉に、柚月は頷いた。
 うれしかった。
 柚月の知る、佐久間の姿だ。

「雪原さん」

 柚月は改まった。

明倫館出めいりんかんでの開世隊員なら、夜でも山中を進めます」
「どういうことですか?」

 雪原は素直に受け入れがたい。
 険しい山中、夜移動するなど遭難の恐れがある。

「明倫館の人間は…」

 柚月はそうまで言って一瞬ためらった。
 言い難い。
 だが――。
 変えることのできない事実だ。

「俺たちは、野盗狩りで腕を磨いたんです」

 野盗とはいえ、人を、殺すことで。
 雪原は一つの疑問が解けた。

 帯刀は武士のみに許される特権だ。
 にもかかわらず、町人や百姓の者を含む開世隊員が、なぜ皆、刀を持っているのか。

 本来野盗など、国が取り締まるはずである。
 国にとっても、脅威になり得るからだ。
 だが、はぎは、そうしていない。

 開世隊に野盗狩りという汚れた仕事をさせることで、代わりに黙認していたのだ。
 そして、野盗狩りは主に夜、山中で行われる。

 明倫館の者は、夜の山に強い。
 楠木の策は、それも利用している。

「俺に、行かせてください」

 柚月の申し出に、雪原は頷いた。

日之出峰ひのでみねに向かいなさい」

 都から七輪山に入るには、日之出峰の山頂から尾根伝いに行くしかない。
 今夜は新月。
 日が落ちれば、一体が闇に包まれる。
 少しでも日があるうちに。

「十一番隊は羅山に、十二番隊を日之出山に向かえ!」

 雪原の厳しい声が響く。
 柚月も本陣を飛び出した。

 門のところで、気の利く馬係が、特別足の速い一頭を表に用意していた。
 柚月は手綱を受け取るなり飛び乗った。
 乗馬の心得はある。

 萩にいた頃、明倫館の者たちは、誰が一番うまく乗れるか、裸馬に乗って競っていた。
 その経験が活きた。

 大通りを、北へ。
 両側の建物が、ものすごい速度で後ろに流れていく。
 が、それでも遅く感じる。

 ――早く!

 一刻も。
 一秒でも。
 早く‼

 柚月は焦りを噛み殺し、手綱を握りしめる。
 その上を、雪原からの知らせを託された鷹が、城に向かって一直線に飛んで行った。
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