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第五章 亂 -らん-
壱.前夜
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都の中央。
の、やや南にある濱口邸。
都一の商人、濱口長三郎の邸が中央政府陸軍の本陣である。
この邸が元来、有事の際に本陣を置くために作られたものだ、ということを知る者は少ない。
そして、実際にそのために使われるのは、都の二〇〇年を越える歴史の中で、今回が初めてのことだ。
人々は城に避難し、町は廃墟のようになっている。
対照的に、本陣の周囲は厳重な警備が敷かれて物々しい。
邸には政府軍の陣であることを示す、枝垂れ藤の紋があしらわれた幕が張られ、門の両側を守る陸軍隊員は、仁王さながらだ。
その門を入って少し歩くと、母屋の玄関に当たる。
左手には、砂利を敷き詰めた小さな庭があり、その庭に面した部屋が陸軍本部だ。
障子戸は開け放たれ、鎧を身につけた陸軍隊員たちが忙しなく出入りしていて、彼らが動くたびにカチャカチャと鎧が鳴り、その音がまた、緊張をあおる。
その部屋の中央で、雪原が机一面に広げた地図をじっと睨みつけていた。
その表情は、険しい。
「来ましたね」
雪原は庭に入ってきた柚月に気づくと、ニコリと微笑んだ。
が、その顔を見て、柚月は直感した。
事態は良くない。
雪原の顔には、これまでになく緊張が張り付いている。
そして、その直感は当たっていた。
「こちらの想定より、敵の足が速い。開世隊と萩の連合軍は、すでに、羅山に迫っています」
雪原が厳しい調子で説明する。
思っていたより、一日半早い。
「明日、日の出が合図になるでしょう」
柚月の表情は自然、固くなった。
――明日…。
戦になる。
萩と。
開世隊と。
そして、楠木と再び対峙することになる。
きっと、義孝とも…。
「柚月」
柚月がはっと顔を上げると、雪原の優しい目が向けられていた。
「皆が住みよい国に、変えないとね」
雪原の、いつもの笑みだ。
柚月は安心し、心強く感じた。
「はい!」
力強く頷く。
――必ず勝つ。
そして、新しい国を作るんだ。
弱い人が、安心して暮らせる国を。
柚月は改めて、くっと心に力が入った。
都は北、西、東の三方をそれぞれに天明山、羅山、七輪山という山に囲まれている。
それぞれの山は険しいだけでなく、天明山はそこから連なる山脈、羅山は隣接する国「蘆」、そして七輪山は横洲、それぞれが人の入山を監視し、阻止している。
つまり、都で戦となった場合、南側を守ればいい。
南は海。
浅瀬が続き、船は通れない。
港もない。
軍艦で攻め込まれることは、まずない。
この都は、大地に守られた要塞なのである。
そしてそれが、ここに都がおかれた最大の理由だ。
萩は、西から攻めてくる。
戦場は主に都の西の入り口、隣国蘆との関所あたりになるだろう。
いや、なんとしても、そこで食い止めなければならない。
それも、政府軍のみで。
つまり事実上、雪原率いる陸軍のみで。
萩の総大将が現将軍、冨康である以上、他国の援軍は期待できない。
現に、すでに剛夕が各国に援軍要請をしているが、いずれも返事がない。
巻き込まれてもおかしくない蘆でさえ、沈黙している。
雪原は一番から二十番まである陸軍の内、特に海外製の重火器に強い一番隊と三番隊を西の入り口、羅山ふもとに配置した。
万が一の横浦方面からの侵入に備えて、東の入り口、七輪山ふもとにも、戦力を割いている。
海は宇井総督率いる海軍が守っていて、すでに小さな漁船すら浮かんでいない。
万全を期している。
だが。
雪原には、密かに、激戦になるのは東の入り口ではないか、と不安が残っていた。
横浦には調べを入れ、敵の影はないことは確認済みだ。
だが、横浦にいた頃、開世隊員を多く見かけたことが頭から離れない。
「お休みになられては」
清名が雪原を気遣った。
もう、夜も更けている。
雪原は、地図を睨んで離れない。
「そうだな」
そう答えはしたが、動きそうもない。
無理もない。
もとは外交官をしていた人間だ。
初陣で、この国の未来を担うなど、重すぎる任務だ。
清名はそれ以上は何も言わず、一礼すると下がっていった。
廊下は、所々ろうそくが灯されているが、その明かりは頼りなく、暗い。
清名が部屋を出るとすぐのところに、その暗い中、柚月が刀を抱えて座っていた。
ほかの兵は控えの間に下がっているというのに、こんなところにうずくまっている。
清名は、やはり柚月も落ちかないのだな、と、声をかけようと身をかがめ、ぎょっとした。
寝ている。
すうすうと、のんきに寝息まで立てて。
清名は思わず大声で笑いそうになったが、こらえた。
腹が座っていると言えばそれまでだが。
大物なのかバカなのか。
――分からんやつだな。
清名は自身の羽織を柚月にかけてやると、控えの間に下がっていった。
の、やや南にある濱口邸。
都一の商人、濱口長三郎の邸が中央政府陸軍の本陣である。
この邸が元来、有事の際に本陣を置くために作られたものだ、ということを知る者は少ない。
そして、実際にそのために使われるのは、都の二〇〇年を越える歴史の中で、今回が初めてのことだ。
人々は城に避難し、町は廃墟のようになっている。
対照的に、本陣の周囲は厳重な警備が敷かれて物々しい。
邸には政府軍の陣であることを示す、枝垂れ藤の紋があしらわれた幕が張られ、門の両側を守る陸軍隊員は、仁王さながらだ。
その門を入って少し歩くと、母屋の玄関に当たる。
左手には、砂利を敷き詰めた小さな庭があり、その庭に面した部屋が陸軍本部だ。
障子戸は開け放たれ、鎧を身につけた陸軍隊員たちが忙しなく出入りしていて、彼らが動くたびにカチャカチャと鎧が鳴り、その音がまた、緊張をあおる。
その部屋の中央で、雪原が机一面に広げた地図をじっと睨みつけていた。
その表情は、険しい。
「来ましたね」
雪原は庭に入ってきた柚月に気づくと、ニコリと微笑んだ。
が、その顔を見て、柚月は直感した。
事態は良くない。
雪原の顔には、これまでになく緊張が張り付いている。
そして、その直感は当たっていた。
「こちらの想定より、敵の足が速い。開世隊と萩の連合軍は、すでに、羅山に迫っています」
雪原が厳しい調子で説明する。
思っていたより、一日半早い。
「明日、日の出が合図になるでしょう」
柚月の表情は自然、固くなった。
――明日…。
戦になる。
萩と。
開世隊と。
そして、楠木と再び対峙することになる。
きっと、義孝とも…。
「柚月」
柚月がはっと顔を上げると、雪原の優しい目が向けられていた。
「皆が住みよい国に、変えないとね」
雪原の、いつもの笑みだ。
柚月は安心し、心強く感じた。
「はい!」
力強く頷く。
――必ず勝つ。
そして、新しい国を作るんだ。
弱い人が、安心して暮らせる国を。
柚月は改めて、くっと心に力が入った。
都は北、西、東の三方をそれぞれに天明山、羅山、七輪山という山に囲まれている。
それぞれの山は険しいだけでなく、天明山はそこから連なる山脈、羅山は隣接する国「蘆」、そして七輪山は横洲、それぞれが人の入山を監視し、阻止している。
つまり、都で戦となった場合、南側を守ればいい。
南は海。
浅瀬が続き、船は通れない。
港もない。
軍艦で攻め込まれることは、まずない。
この都は、大地に守られた要塞なのである。
そしてそれが、ここに都がおかれた最大の理由だ。
萩は、西から攻めてくる。
戦場は主に都の西の入り口、隣国蘆との関所あたりになるだろう。
いや、なんとしても、そこで食い止めなければならない。
それも、政府軍のみで。
つまり事実上、雪原率いる陸軍のみで。
萩の総大将が現将軍、冨康である以上、他国の援軍は期待できない。
現に、すでに剛夕が各国に援軍要請をしているが、いずれも返事がない。
巻き込まれてもおかしくない蘆でさえ、沈黙している。
雪原は一番から二十番まである陸軍の内、特に海外製の重火器に強い一番隊と三番隊を西の入り口、羅山ふもとに配置した。
万が一の横浦方面からの侵入に備えて、東の入り口、七輪山ふもとにも、戦力を割いている。
海は宇井総督率いる海軍が守っていて、すでに小さな漁船すら浮かんでいない。
万全を期している。
だが。
雪原には、密かに、激戦になるのは東の入り口ではないか、と不安が残っていた。
横浦には調べを入れ、敵の影はないことは確認済みだ。
だが、横浦にいた頃、開世隊員を多く見かけたことが頭から離れない。
「お休みになられては」
清名が雪原を気遣った。
もう、夜も更けている。
雪原は、地図を睨んで離れない。
「そうだな」
そう答えはしたが、動きそうもない。
無理もない。
もとは外交官をしていた人間だ。
初陣で、この国の未来を担うなど、重すぎる任務だ。
清名はそれ以上は何も言わず、一礼すると下がっていった。
廊下は、所々ろうそくが灯されているが、その明かりは頼りなく、暗い。
清名が部屋を出るとすぐのところに、その暗い中、柚月が刀を抱えて座っていた。
ほかの兵は控えの間に下がっているというのに、こんなところにうずくまっている。
清名は、やはり柚月も落ちかないのだな、と、声をかけようと身をかがめ、ぎょっとした。
寝ている。
すうすうと、のんきに寝息まで立てて。
清名は思わず大声で笑いそうになったが、こらえた。
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