一よさく華 -幕開け-

八幡トカゲ

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第五章 亂 -らん-

十.世が明ける

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 楠木くすのきはうつぶせに倒れ落ち、手から刀が離れた。
 すかさず拾おうとしたが、柚月の方が一歩速い。
 刀は蹴り飛ばされ、遠く楠木の手の届かない所にいってしまった。

 静寂の中、互いの荒々しい息が響く。

 楠木は届かない刀を睨みつけると、苦々しい思いで身を返した。
 柚月が、肩を大きく上下させ、じっと、見下ろしている。
 やがて、静かに刀を振り上げた。

 まっすぐに、落としてくる。
 楠木はそう思った。

 が、柚月は動かない。
 ただじっと、楠木を見ている。

 その目が、わずかに揺らいだ。
 楠木の口元が、ニヤリと笑った。

「お前を拾ってよかったよ。一華いちげ

 振り上げられた刀が、一瞬、わずかに揺らいだ。
 柚月はぐっと握り直したが、微かに、唇が震えている。

「思った以上にいい仕事をしてくれた。あの日、野盗を斬りきざんでいたお前の腕は、やはり確かだった」
「…え?」

 柚月の胸に、ザッと冷たいものが走った。
 楠木に初めて会ったのは――。

 それは、襲ってきた野盗を、無我夢中で斬った後。
 そう思ってきた。
 野盗たちの死体を前に呆然としている時、たまたま楠木が通りかかったのだと。
 だが、楠木のこの口ぶり。

 ――まさか…。

 カタカタと、刀が鳴る。
 手が、震えている。
 柚月自身分かっているが、止めることができない。

「あの日なんでっ…。…なんで、俺を助けてくれたんですか。いつから…。」

 聞くのが怖い。
 だが、聞かずにはいられない。

 胸の奥から、衝動がせり上がってくる。
 抑えられない。

「いつから、俺を人斬りにしようと…」

 いつから、利用しようと――。

「いつから?」

 愚問だ。
 楠木は一瞬、そう言いたげな顔をしたが、口元がニタリと垂れた。

「初めからだ。お前が野盗を斬っている姿を見た時から、その才能、いつか使えると思っていた!」

 柚月はカッと怒りが湧き、刀を握る手に力がこもった。
 そのために、拾われた。
 最初から、そのためだけに…!

 視界がくもり、目の前の楠木が滲んで、見えなくなっていく。
 代わりに、走馬灯のように楠木との思い出がよみがえってきた。
 はぎで、明倫館めいりんかんで過ごした日々。

 一緒に食べた飯。
 剣術の稽古。
 明倫館での講義。

 難しくて、退屈で。
 抜け出して、遊びに行って、そのまま夢中になって、日が暮れても帰らないこともしばしばだった。

 そしてそのたび、心配してくれた。
 叱られた。

 その顔が怖くて。
 殴られるっと思った。
 だが、振り上げられた手は、優しく頭を撫でてくれた。

 楠木は時に厳しく、だが、いつも優しかった。
 師であり、父だった。
 その背中を、ずっと追ってきた。

 一緒に過ごした日々。
 なんでもない毎日。
 ただただ、幸せだった。

 ――あれは、すべて…。

 腹の底から毒々しい感情が沸きあがってくる。
 怒り。
 憎しみ。

 握りしめた刀が、カタカタと震える。
 負の感情に飲み込まれそうだ。
 制御できない。

 だが最後に、悲しみと、微かに、寂しさがついて来た。
 その瞬間、柚月の中で、沸き立つ怒りがすっと消えた。

 ――いい国をつくるんだ。弱い人が、安心して暮らせる国を。

 憎しみの為じゃない。
 ただ、楠木がいる限り、この戦は終わらない。
 この国は前に進めない。
 柚月は、振り上げた刀を両手で握りしめた。

 ――ここで、終わりにするんだっ!

 心の中で叫び、刀を握る手に渾身の力を込めた。
 その時だ。
 遠くで、銃声が響いた。

 一発。
 続いて、四発。

 一瞬、柚月の意識がわずかにれた。
 そしてその一瞬が、命取りとなった。

 楠木が脇差で柚月の足を切りつけ、柚月は切られた足が力を失い、ガクリとその場に倒れた。
 その胸を楠木が踏みつける。

 四発の銃声がこだまになって響く頃、形勢は逆転していた。

 柚月は逃れようともがくが、楠木はさらに体重をかけて、押さえつける。
 柚月は息もできず、次第に抵抗が弱まった。

「さっさと斬っていればよかったのに。なあ?」

 楠木が、また、ニヤリと笑う。

「昔からお前は優しかったよ。一華っ!」

 脇差を突き立てるようにふり上げ、柚月を捉えるその目が、ギラリと光った。
 空気を切り裂く風切り音!

 脇差の…。

 では、ない。

 銃声だ。

 楠木の胸から血が噴き出し、パラパラッと、柚月に降った。
 続いて、三発。
 いずれも楠木に命中し、楠木は血を吹き上げながら、無抵抗に仰向けに倒れた。

「楠木さん!」

 柚月は跳ね起きた。

「俺の…俺の国だ…」

 楠木はそううめくと、死んだ。
 柚月は言葉をなくし、楠木の顔を見つめた。
 呼びかけるように、楠木の肩に手をかける。
 その手が、震えた。

「楠木さん…」

 安定におぼれ、努力を忘れ、己の保身と利益にのみ懸命な支配者たち。
 その犠牲になった弱者達の憎しみ。
 楠木は、その憎しみに心を食われ、鬼となった。

 いや。
 今目の前に横たわる楠木の顔に、もう鬼はいない。

 穏やかに、眠るように。
 だが、向上心と、そこからくる野心、そして情熱が宿っている。

 それは、柚月がよく知る、楠木。
 弱い者が安心して暮らせる国をつくる。
 そう言っていたあの頃の。

 やぱりこの人は、師であり、父だ。
 どうあっても、消せない。

 育ててもらった恩も。
 共に過ごした日々も。

 あの幸せな思い出も。

「楠木さんっ…!」

 柚月は、楠木の胸に突っ伏した。

「柚月殿!」

 駆け寄ってきたのは、雪原の護衛頭、藤堂だった。
 茂みからほかの者も恐る恐る現れ、楠木の死体を囲んだ。

 静寂が、わっと歓声に変わる。
 政府軍の勝利を知らせる、枝垂しだれ藤の御旗が上がった。
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