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第5章 因縁 medaillon(メダイヨン)皮剥男

46: 鞍馬の火祭の頃に

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 あと一週間ほどで、由岐神社の「鞍馬の火祭」だ。
 だが今、俺は神戸にいる。
 俺は出来ることなら、ホームグランドである京都を離れたくはなかった。
 その理由の第一は、海が嫌いだからだ。

 映画なんかに登場する人間達は、よく海に向かって旅をするようだが、俺にはその神経が判らない。
 海は広過ぎ、そして何もない、俺が海から与えられるのものは「不安」だけだった。
 それなのに、俺は海が近い神戸にやって来てしまった。

 魔界都市京都などと、マスコミがブームに乗せて作り上げた京都の虚像はお笑い草だが、風水で京都が守られているのは本当だ。
 何から守られているかって?
 、、、それは「虚無」からだ、、「虚無」は恐ろしい。
 みんなが恐れる死だって、虚無の別の顔にすぎないのだ。

 今度の仕事は、宋の口利きだから、断りようがなかった。
 いや別に、辰巳組の宋でなくとも、どの道、筋者繋がりの仕事なら断りようがなかったのだが、、。
 俺はあちこちに、ロクでもない借りがある。

「ねぇ、後で海、見に行こうよ。こっからすぐだよ。」
 ホテルのカウンターでチェックインしている俺の背後でリョウが甘えた声を出した。
 俺を見る受付の男の顔が一瞬、好奇と侮蔑で歪んだように見えた。

 今日のリョウは、外見だけなら男と女のぎりぎりの境目という所だったが、こんな喋り方をしたら、誰が見ても立派なオカマだ。
 というか、そういう自分をリョウは人前で演じてみせて、俺を困らせ喜んでいるのだ。

 俺は受付の男から、ひったくるように部屋の鍵を2本受け取ると、リョウをロビーに申し訳程度に設えてあるソファに座らせた。
 貧乏探偵は、リッチなホテルには泊まれない。
 俺はそのソファの端に腰を乗せた。

「いいか、俺の方は遊びじゃないんだ。俺はこれから直ぐに仕事だ。先方が、ここに俺を迎えにくる事になってる。鍵をやる。今日一日、俺が帰って来るまで、好きにしてればいい。多分、晩飯は一緒に食えるだろう、神戸牛がいいな。駄目なら、スマホに連絡する。間違っても、」

「間違っても、そちらからは掛けてくるな。だろう。」
「ああ、よく判ってるじゃないか。俺はほとんどマナーモードにしないからな。俺に掛かってくるのは緊急ばっかだし、」

 嘘だ、マナーモードにしないのは癖だし、掛かってくるのは、貸した金を返せが多い。
 だがヤクザとの面談中に、着信音やブルブルが芳しくないのは本当だ。
 もちろん電話に出るために、ヤクザものとの話を中断するなんて、あり得ない。
 ・・・いや、正直に言おう。
 俺が出先で、リョウからの電話を拒むのは、出先でリョウへの恋愛中毒症状が再発するからだ。

「やくざがらみじゃね。商談や交渉中に相手の気分を損ねると、いろいろと面倒だしね。」
「やくざって、、、、、何故、知ってる?」
 リョウには、今回の用向きを喋っていない。
 仕事のついでに、神戸に行かないかと誘っただけだ。

「所長が僕の機嫌を取る時は、大体何か思惑がある時だからね。」
「それなら今だって、仕事先にお前を連れていく筈だろう?」

「どうだか、、。それに、なんで部屋を二つもとったんだい。お金がもったいないじゃんか。」
 確かに余計な出費だったが、リョウと同じ部屋に寝泊まりする事を考えると安いものだった。
 それにホテルといっても、ここはビジネスホテルに毛の生えたような安っぽい観光ホテルに過ぎない。
 今回の依頼がどれぐらいでカタが付くのか、正直判らなかったが、悪くしても宿泊費ぐらいの金は依頼者から回収出来る筈だった。

 だが、それでも本当の所、俺がわざわざ二部屋とった理由は説明できていない。
 リョウにも、そして俺自身にもだ。
 リョウと俺はなんといっても男同士であり、しかも貧乏所帯の探偵事務所の所長とバイト学生の関係なのだ。
 一般的には相部屋で安くあげる方がずっと自然な筈だ。

 俺が即答を避ける為に、煙草を胸ポケットから出そうとした時、リョウの細長くて華奢な手が、二人の前にあるテーブルに置かれた、二本のルームキィを浚っていった。
 絶妙のタイミングだった。
 まるで長く連れ添った夫婦のような、、。

「おい。なにするんだ。もう一本は俺のだ。」
「所長、そんな情けない声を出してると、ホラ、相手の人に見くびられるよ。」
 リョウが形のいい顎を挙げて、俺の肩越しに見える「待ち人」を示した。 
 俺はその方向にゆっくりと振り返った。

 俺の方に一直線に向かってくる男は、典型的なヤクザ服をまったく身につけていなかった。
 かといってサラリーマン風でもない。
 男が醸し出すものに一番近い職業は、ファッションモデルだった。
 ぎりぎりビジネスでも使えるような渋めのデザイナーズスーツを見事に着こなしている。
 腕には一目でわかる高級時計が巻かれている。
 ヤクザ丸出しの男が現れなかった事に、少し安心すると同時に緊張もした。
 俺の経験上、スマートなやくざほど扱いにくいものは、なかったからだ。

「目川さんで、いらっしゃいますか?」
 男は俺とリョウとの痴態とも映りかねるムードを無視して、慇懃無礼を形にしたような声で尋ねてきた。
 俺は男の高さに合わせるつもりで、ソファから立ち上がった。
 目の高さを相手に合わせてこそ、対等の会話が出来るというものだ。

 だが相手は、俺より頭一つ背が高かった。
 そのくせ、頭は小さく肩幅が広い。
 俺だって、この世代の男にしてはまんざらでもないスタイルをしてると自惚れていたが、この相手は次元が違う。
 そして極端に整った顔立ち、男はその顔立ちのお陰で、俺なんかには体験できない日常生活の極端な収支決算を、日々強いられているに違いなかった。

 それが男女関係なら、こいつは俺と違って黒字に決まっている。
 だがそれは、この男にとっては大して面白くもない日常だろう。
 危ない男とは、そんなものだ。
 それに比べて、俺の顔程度では失う物も得る物もない。
 だから求める。
 そしてたまには、面白いことに突き当たる。

 ・・・この男はモテすぎるということだ。
 もっともリョウに言わせると、「男」が好きになる男には、二通りあって、その内の一つに俺は分類されるんだそうだ。
 確かに思い当たる節があって俺は何度か「男」に言い寄られたことがある。
 ちなみにリョウは、その二通りともオーケーなようで、普段のリョウを見ていると、時々この手の男をボーっと見つめて入る時があった。

「ファッションモデルの知り合いは、いないんだがな、、。」
「失礼しました。私は銭高組会長の代理のもので斉藤と申します。会長が、今回あなた専用に付けた人間です。」

 俺は、ちらりとソファに座ったままのリョウに視線を走らせた。
 リョウは好奇心一杯の顔で、斉藤と俺の顔を交互に見ている。
 そこに俺が一瞬想像し期待したような、リョウの斉藤に対する嫉妬の芽生えの感情は微塵もない。
 自分の恋のライバルになりそうな男の登場に気を揉むリョウの姿が一瞬で瓦解した。
 ・・そうだった、俺という人間は、リョウから見れば、難攻不落のノンケで間違っても男同士の愛などを感じ取れない男の筈だった。

 、、と、するなら、ハンサム過ぎるこの男の登場で、心を乱したのは俺自身という事になる。
 俺は心の奥深い所で、この男にリョウを奪われるのではないかと一瞬考えてしまったのだろうか?
 馬鹿な、、。
 何はともあれ、今の俺には全てを忘れて没頭する仕事が必要なのかも知れない。
 暇は妄想を生む。

「、、、時間通りにここに来た。しかもドンピシャリだ。あんた、ファッションで付けた高級アナログ腕時計の時刻を、デジタル時報で合わせるタイプだよな。、、いやそこは仕事柄、目を瞑って高級電波時計か。それが、あんたの主義なんだろう?さっそく会長に会いに行こうじゃないか。余計な社交辞令で時間を潰すつもりは俺にもない。」
 俺の観察眼を強調するつもりだったが、我ながら挨拶代わりの下らないご託を述べた。
 俺はいつもこうだ、、。
 そんな俺を無視して、斉藤がちらりとリョウの方を見た。

 俺は、その時のリョウが、どんな顔をするのか見たくなかったので、出口に向かって一歩を踏み出した。
 ちょうどその時、新しい客がやって来て、ホテルのスライドドアが開いた。
 そこからは、車の排気ガスと潮の香りが入り交じった微かな匂いが微風とともに吹き込んで来た。
 それは京都にはない「匂い」だった。






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