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第6章 煙の如き狂猿
63: ハレの怪物
しおりを挟む「そいつを助けてやらなかったのか、薄情な奴だな。」
不意に背後から声がした。
俺は振り向きざま銃を撃とうとしたが、下からすくい上げて来るような金属の打撃によって、銃ごと弾き飛ばされていた。
目の前に、まさかりを肩に担いだ、黒のセーターとパンツ姿の男が立っていた。
セーターもパンツもタイトなものだったので、その体つきのスマートさが際立っていた。
男の目立った装備といえば、背中に背負った小さなナップサックとベルトに挟んだ大型拳銃くらいのものだ。
おそらくそいつは、俺の注意がケンタにいってしまった隙をついて、俺の背後に回り込んだのだろう。
俺はとっさに、男との距離を取る為、後に下がろうとしたが、それを足下で倒れている筈のケンタが邪魔をした。
ケンタの脚が、俺の脚に絡んで来て、俺を転倒させ、その後も脚挟みの拘束を緩めなかったのだ。
俺は拳でケンタの脚を打って、その戒めを解こうとした。
「無駄だよ。そいつは痛みを感じないからな。それにその男の心はもう死んでいる。あんたを喰い殺して来いと命令した時は、まだ少しは人間ぽかったんだがな。ちょっと血を流させ過ぎた。」
男の額の円形の隆起が、薄闇の中でもかすかに見えた。
その下には、この世の全ての残酷を見てきたというような暗い目があった。
「貴様、煙猿だな。ケンタに、、、半島で手にいれた薬でも使ったのか?」
俺は煙猿を見上げて言った。
銃を奪われ、足下をケンタに固められ、この間合いで煙猿に立たれては、もう為すすべはなかった。
後残る延命の可能性は、蛇喰がこの場に間に合ってくれる事だけだ。
それまで時を引き延ばす以外に、俺に残された道はない。
それに煙猿は、先ほど俺の銃を弾き飛ばす時に、わざわざ、まさかりの刃の付いていない部分を使った。
煙猿は本来、そんな男ではない筈だ。
普通なら銃を持った俺の手首ごと、まさかりで切り落とし、俺の手首から吹き出す血しぶきを楽しんでいた筈だ。
十蔵から、俺の命を取らずに裏テンロンへ連れ帰れ、とでも言われているのだろう。
「薬?ほほう、よく知っているな。あんたが俺の事も嗅ぎ回っていたと十蔵君から聞いているが、さすがだ、ポンコツ探偵。」
煙猿は長い柄の付いたまさかリを杖代わりにして、長い脚を少し交差させ、モデルのように立っている。
「そいつに使った薬っていうのはな、、、前線で負傷して役に立たなくなった兵士を特攻兵器として再利用する為に開発したモノだそうだ。この薬を使うと、死に損ないの耳元で命令を囁いてやるだけで何でもやる。もう既に半分死んでるから、どんな攻撃を受けても平気だ。ゾンビ映画から思いついたらしいぞ。アイツら、あきれるだろ。だが、俺は好きだな、そういうの。」
クソ、こいつ、俺がずっと倉庫を見張っててたと言うのに、その間にケンタをあの倉庫に連れ込んだってのか?
、、倉庫から出られない訳じゃなかったんだ。
あの2時間の間、こいつは俺の様子を見ながら、ケンタをいたぶって日が暮れるのを待っていたんだ。
まさにこいつは煙だ。
「なんで、こんなカカシ見たいな拘束具を付けるんだ!ケンタの指を潰したんだろ?おまえなら薬を打つために、相手を半殺しにするなんて訳もない事だろう!」
ケンタはまだ、自分の脚で俺の足元を挟み込んで、それを離そうとしない。
しかしケンタの目は、見開かれた白目の中で、黒目がグリグリと回るばかりで、もう俺すら見ていない。
その目の下にある形の良い鼻の穴からは、生白い精液が内から漏れだしている。
そうだ、芳年の無惨絵は、ただの残酷な絵ではなく、猟奇性の極限に達することで「陰」が極まって「陽」となるように、ある種の「ハレ」の力を宿してる。
そして、ケンタが生み出した「ハレ」の中心にいるのが煙猿だった。
「今さらそれを聞くか?こりゃ、おかしいな。あんた俺の事を嗅ぎ回っていたんじゃないのか?しかもその原因は沢父谷って話なんだから、俺の趣味も判ってたんじゃないのか?俺は単純な人体パーツ製造卸元じゃないんだぜ。ケンタとやらには、必要な情報を聞き出してから随分、楽しませてもらったよ。俺は綺麗なものが好きなんだ。すぐに首をはねるには勿体ないくらい可愛い顔をしてたからな。もぎ取った首だけで、奉仕させても、今一、具合がな。だからだよ。」
その時、煙猿の身体の向こうに、廃工場跡の入り口近く、車のヘッドライトの光がいくつも小さく揺れて見えた。
蛇喰たちだった。
「それにその拘束具、元はあんたに使う予定だった。十蔵君へのお土産のラッピング代わりだったんだがな。」
勝手にほざいてろ、蛇喰たちが来たかぎりには、俺にもまだチャンスはある、
そう思った瞬間、俺は頭部に衝撃を受け意識を失っていた。
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